賭場

ビットコインと東京オリンピックのことについては最早、巷のあらゆるところで騒いでいる状況になっているので書くのはやめていたのだが、ビットコインに関しては最近の暴落、オリンピックに関しては緊急事態宣言により、今この瞬間、相当おもしろくなったので少しだけ記す。

今年、前代未聞の面白いことが二つあって、一つはビットコイン。もう一つは東京オリンピックだ。本題のビットコインについては後記するが、まずは東京オリンピック。自分の叔父は前東京オリンピック1964年時に聖火ランナーとして力走しており、オリンピックには若干縁があるような気がする気になっている(笑)。(本当はそれほど興味はなかった)というか去年までは興味はなかったが今年のオリンピックはそれとは違い、興味津々だ。
こんな普通でないオリンピックは未だかつてなく、今まで見たことも経験したこともない非常に実験的なオリンピックを体験できることが非常に楽しみだ。こんなコロナ禍でおそらく無観客で行われる大会で競技する選手は変性意識状態にでもなり、そんな競技は世界中から注目され、近代オリンピック史上最高の成功を納めるかもしれない。もし自分が聖火ランナーだったら、そんな状況下で走ってみたいものだ、辞退などしないで。
「東京オリンピック?あ〜、ありゃ駄目だねぇやらない方がいい」といった輩達は何も考えてない評論家を気取ってるバカなのでどうでもよく、ビットコインに関しては、よく知らないし如何わしいとだけ言う輩は普通のバカだ。そしてビットコインを持ってる連中はもっと大バカな博徒だ。
そんな大バカに今回の暴落で一層火がついた。
因みに勝負事については、フロイトはチェスは2人でやるものではなく4人でやるものだと話しているそうだ。勝ちたいプレーヤーAと負けたいプレーヤーA、勝ちたいプレーヤーBと負けたいプレーヤーBだ。
勝ったプレーヤーは勝ちたい対戦相手を打ち破ったのではない。負けたいプレーヤーを呼び寄せたのだ。
なので、人々の希望が一点に集中しすぎると頓挫する。
そして皆が失敗すると考える東京オリンピックは成功する。と大恐慌のラジオから話を聞いたが、しかしだ。ビットコインは人々の思惑が半々でせめぎあっており、どちらに賽が投げられるか分からない。

ビットコイン通貨が700万円に届いたのが今月14日なので一週間前。ある程度の区切りで下げる習性があるので下がるのは当然なのだが、今回のは700万円から560万円まで一気に下げた。そして、これだけ話題になっていて参加者も増えると(ここは大きな賭場であって投資とは言い難く、それが悪いことではないが非常に露骨で品の悪い場所ではある、が僕はそんな博徒が集まるところが好きだ。)こういった15%の下げで以前に比べてかなり騒がれているのということがどれだけ通貨購入者の数が増えたかを物語っていて、去年の夏はもっと大きな下落相場があった。どちらかと言うとそちらの方が今より怖く、テスラのような企業の後ろ盾もなかったので非常に信用度のない通貨だった。しかし、その時のボラティリティは非常に激しくこれは何かがありそうだと感じた。こういった時に張る決断は何らかの温度差を数字やチャートの動きで感じるので説明ができないのだが、昨年、1ビットコイン=100万円の時。知人にビットコインが良さそうだと話しても数人にはスルーされた。確かにしっかり投資をしている輩からすると如何わしいことこの上なく(それにしても、しっかりした投資と投機の違いが本当に分からなくなってきた。全てがギャンブル資本主義ではないのだろうか、保険もNISAやidecoなども含めて。)話すのはせずにいる。しかし、これだけのボラティリティがあって結果が出るのであれば正しいや間違いといったことで判別することはできないのではないか。


思い出してほしいのは、リーマンショックの後の株価のリバウンド、あの時はソフトパンクの株価が一時500円くらいまで下がり会社が、なくなってしまうのかと思うくらいの状況だったが、今の株価を見るとそんなことはなく持ち直しているどころかかなりの価格になっている。それと3.11の震災の後、東京電力の株価も暴落し、その後のリバウンドでは物凄い勢いでの上下を繰り返した。震災前は2000円くらいだった株価は一時100円台まで下げたがそこから300円台まで上がったりとしていたが、大半の人はもう覚えてないかもしれない(笑)その時のトレードは非常に巨大な資金が動いた。その時の雰囲気に今回の仮想通貨の値動きも似ていてちょっとした事件にも思える。違うのはストップ高もストップ安もなく24時間動いていること、前代未聞ということだ。これが今まで見たことも経験したこともないところで、ブロックチェーンの詳しい説明なんかはそういった資料を読めば分かると思うので、僕の場合は博打的な感覚でしかやっていない。ニュースの記事など色々とあるけれど最後は自分の感覚を信じるしかなく、負ける時は負けだ。
本当に色々な識者が様々な分析をして専門的なことを話すが、博徒(投資家?)の中にはそんな説明をひっくり返るようなことをする連中もいるので全ては信用できない、イーロンマスク然り。
賭け事なので勝ち負けの結果は全く分からないが、自分の中ではフルベットしても良い考えだ。フルはしねーけど、笑(逃げ時、逃げ道、逃げ所の方が大事だ)

今日、テスラモータースが決算発表で予想を上回る過去最高益を叩き出した、ビットコインの売却益も含めて。イーロンマスクは自分のビットコインは一切売却はしていないと付け加えて発言している。いずれは火星への往復チケットを1ビットコインで売り出す気なのだろうか。

私的音楽記録談 2020~2021(紹介しきれないので今回のはVol.1とします。)

最近聴いている音楽でその中でもよく聴いていた曲をあげていくことにしてみた。特にこの1年間は在宅していることも多かったのでホームリスニングに集中できると色々探してはいた。しかし1年前のコロナ禍初期は幾分落ち着かず音楽に今一つ集中できなく、憂鬱そしてメランコリックな曲を聴いていたように思う。

前置きはぬきにして、特にランキング形式で書いていくようなことはなく、これから思い出しながら挙げていくので新旧問わず、ポップスからテクノ、ジャズ、ブラックミュージック、現代音楽まで順序はランダムだ。

それでは「私的音楽記録談」

Jenevieve/medallion

90年代的なR&B。HIPHOPもテクノも90年代的なのが流行ってるのか。これはPVも90’sのようで見ていて格好良い。

あと最近、聴いて驚いたのは、藤井風。彼は天才かと思うくらい歌も作曲も完璧で大物になりそうな若干23歳。

藤井風、曲名は「何なんw」

PVもマンハッタンを練り歩いており、彼はR&Bをやっているのかと思い、この曲って何かを思い出すんだよなと考えていたら、SWVや過去のR&Bの曲が頭に浮かんだのだけど、TLCのBaby-Baby-Babyをちょっと思い出した。

と言っても曲は全然違ってますね。元ネタとかあるのかな。

「神様助けてヤバメヤバメヤバメ」と歌うところが好き。

Sam Gendel/Eternal loop

サックス奏者Sam Gendelの自宅録音盤。ジャズと映画音楽の全編物憂い曲調、だが非常に居心地の良い音楽。かけっぱなしにしてしまうと気持ち良すぎて一日が終わっている。

心地が良いと言えば、

Maye/ Tú

マイアミのSSWだそうです。ラウンジーなラテンミュージック。

バカンスに行きたくなります。

このノリで次の曲へ。

The Marias-Ruthless

LAのネオソウルグループと紹介されてました。これは良いですね。PVもボーカルの娘もかわいい。これもバカンスに行きたくなる、映像はクルーズ船。

あとはコロナ禍ということもあり、結構静かめなピアノソロの曲をよく聞いてたんですが、

Jhon Hicks/After the morning

分かる人はすぐ分かるヌジャベスのネタになっている曲です。これは本当良い曲。

このまま一緒にJazz PianoのFumio ItabashiのWataraseも続けて聴いていきます。

このままJazz Vocalに続けて、

Outside Inside /Torun Eriksen

Troye Sivan – Take Yourself Home

Troye Sivan、美男子シンガーとのことですが、これは落とされます。

Heavenly – Cigarettes After Sex

Cigarettes After Sexのこの曲もダウナーでアンビエントで聴いてると落とされます。でも良い曲。

Miyu Hosoi/Jardin

これぞ2020年の夜に鳴ってしまうような曲。美しいです。

あのAutechreも新しい曲を出してました。音楽家みんなが創作活動していますね。

Autechre/r cazt

丁度こういった時期に聞く音楽かなと。

次はガンダムのメインテーマを菊地成孔さんがやっていて、聴いてなかったので聴いたらフリーキーで格好良かったです。2016年の曲です。

ガンダム・サンダーボルトテーマ

世界的に評価の高いTigran Hamasyan

ジャズ、クラシック、アルメニア民謡が混ざっていて映像も面白い。

いかん、紹介しきれないのでまた次回に続けるということにします。

最後はCarlos Cipaのメランコリックピアノです。

Carlos Cipa – Dreamlessly (on Blüthner Grand, 1935)

以上。だけではないのですが、書き終わらないのでまたいつか次回、この企画で書いてみます。

新疆ウイグル自治区で行われた尋問手続きとその手順と所要時間

最近、ウイグルかウィルスなのか見間違えるくらいニュース欄でこの文字を見ることが多い。昨日も訪米した菅首相らも対中国に対しての協力姿勢を示していることをTVのニュースで放送しており、その裏の番組ではリーゼント刑事を放送していた。今後、海外へ行く人の中には世界を牛耳る国がアメリカよりも、日本のリーゼント刑事率いる徳島県警よりも、中国になっているかもしれない奇妙な世界の中で(もちろん僕はリーゼント刑事派だ)たまたま中国公安から尋問される機会も増えるのではないかと思い、そこで行われる尋問の状況について書いてみた。

今月は、ユニクロの柳井さんのウイグルについてのノーコメント問題が話題に上がっていたが、僕は柳井さんのノーコメントについては自分も少し近いところがあり、もちろん柳井さんはビジネスをかなりシビアに考えているので自分のとは全く違うし、実は余談だが僕は数年前に柳井さんの自宅へ二、三回行ったことがあったりする、当時の自分の上司が邸宅を建築しており、自分が行ったのはその建築中にだが、まるでそれは広大な敷地にある城のようだった。

僕は昔、世田谷に住んでいたことがあり部屋は1階だったのだが、二階に住んでいる学生が夜中友達を呼んで騒いでいたので何度か注意したのだが、学生はユニクロでバイトをしていて帰りも遅くなるので深夜になっても生活音がするのは仕方がないと主張してきた。そのことを当時の会社で話すと、上司が「今日、柳井さんと会うから話してきてやるよ、どこのユニクロのバイト?」と言うので、「いやいや、そんなユニクロの社長から直接バイトに話がいったら学生めちゃくちゃびっくりするでしょーよ(笑)」と僕は言い、上司は「直接の方がいいじゃねーか(笑)」と言っていた。結局この問題については自分で対処したが。

そしてこのウイグル問題、何故ノーコメントであまり話したくないのかと言えば、兎に角危険だからだ。僕は2018年の11月に新疆ウイグル自治区でプチ弾圧された。中国に行ってプチ整形してきたのではないです、プチ弾圧です、中国の公安に連行されて。その時にされた威嚇と取り調べが非常に自分に恐怖感を与え、少し前に香港の活動家である周庭さんが取り調べを受けた後「今回のは、、、怖かったです。。」と話していたのを見て、彼女の気持ちに共感を覚えるくらいプチっと脳裏に焼き付いている。なのであの時のことは口にチャックをして一切漏らさないようにしており、しかし誰かと酒を飲み交わしている時はついつい思いっきり喋っているのだがそれは内緒だ。あとは髪を切ってくれるバーバーのお兄さんがこの弾圧の話が好きでよく聞いてきたりするので、髪を切る度話していて、周りにいる客にも聞こえている。しかしながら、これからここに書く詳細はオフレコにしてほしい。

2018年の11月はまだウイグル問題はメディアに公開される直前(ウイグル特集を組んだNewsWeek誌発売の2週間前くらい)で、だが現地では強制収容所へ連行されているウイグル人が多くその真只中であり、しかし実は僕はこのことについて当時ほとんど知らず猛火の中へ飛び込むようなものだった。それよりも旅好きの友人が数年前に目的地であるウルムチに行ったことを僕に話してくれたのだが、そこには80年代の中央アジアの風景や人々との交流を彷彿とさせるような内容で、全盛期の地球の歩き方の時代を感じとることができた。しかも現地のウイグル人達と焼肉の出店が立ち並び、俺の写真を撮ってくれとせがまれ写真を撮りまくったそうなのだ。そして自分の母親もウルムチから西安、シルクロードに行ったことがあり、その素晴らしさを聞かされていた。

そんな回想を巡らせながら男友人と二人で現地へ向かい、搭乗した飛行機を降りてウルムチの空港を出ると大きな装甲車が出口で僕等を出迎えてくれた。

カメラを向けて装甲車を撮影すると中から4、5人くらいの軍人が一斉にこちらを見た。これは撮ってはダメなのか隣に立っていた何かの係らしき人に聞くと「いいからいいから」というようなことを言うので大丈夫かと思ったが、装甲車の中からはとにかくこちらを凝視しており、妙な気がしたのでやめて街へ向かうバスに乗り込む。

ちなみにウルムチへ行くには北京経由で、成田空港を22時頃に出発し、北京空港にて一泊夜を明かして早朝の便に乗り、朝の10時くらいに到着した。ホテルを探し「胜利路」(Shengli Road)という現地のウイグル民族が多く住んでいる地点を目指す。街中は長閑で中国の地方都市のようでそこにはビル街があり、大陸のど真ん中に発展した都市があることが不思議で街中を散策した。歩いていると公安から立ち入り禁止を告げられたり、中国の赤い国旗は妙にワザとらしく街頭に数多く掲げられていた。街中は漢字とアラビック文字と英語の交じった文字で書かれた看板があちこちにあり、大陸のど真ん中にある文化と人種の最大交流地点なのだということを意識させてくれる。そして事はウルムチで有名なバザール「二道橋市場」という大きなショッピングモールである複合施設であり見た目はモスクのようだが、そこへ向かう途中に起こった。

歩いていると寺院のような建物があり、なぜか壁の上部には有刺鉄線が施されていた。何も考えずに、あぁモスクか、と写真を一枚撮影するとスチャダラパーのボーズ似の公安の一人がこちらへ向かってきた。ちょっとこっちへ来るように誘導され、危険な雰囲気は全くなく旅行者へ対する何らかの確認でもするのかと思ったのだが、ここへ入れと言われるとそこに街の交番のようなものがあり、建物は何というかカップケーキの大と小を二段に重ねたような円錐のベージュ色の2階建ての建物で窓には鉄格子が嵌めてあり、外からは見えないようになっている。こんな愛らしく奇妙な建物の中へ興味深く入ると役人用のデスクと折り畳みの椅子くらいしか物はなくて、がらんとしていた。そこで2,3人の公安に監視されながらしばらく待っていると、2階から上官らしき人物が西日に照らされながら階段を下りてきた。その光景は何というか再現された一昔前の戦時中の映画のような雰囲気だった。この公安から中国語で色々と話させるが英語が全く通じない。そこで一緒に来た友人がgoogle音声翻訳を使い自動翻訳を始めた。これがなかなか優秀で多少コミュニケーションがとれたが、いかんせんこの地区は電波が悪い。レンタルwifiも非常に遅くインターネットやSNSも規制されている。自分もその自動音声翻訳を使い始めるが言語設定が英語から中国語への翻訳となっており、あまつさえ電波が悪く変更がスムーズに変えられない中、友人の日本語と相手の中国語と自分の英語とで混乱状況になってしまった。そうこうすると、公安が話す内容が翻訳機に表示された。「ここでしばらく待ってください、座ってください」。またしばらくすると、外から今度は軍隊が7,8人中へ入ってきて、みな長銃を構えたデザート迷彩を来た軍の連中で、僕等が携帯電話を触っていると、携帯を触るなと注意してきて、その長銃を全員で床にドドドド!!!と突いて威嚇してきた。その時は、自分はそういう威嚇に対しては割と落ち着いていて、ちょっと面倒事かな、というか面倒くさいと思い早く処理が終わるのを待っていた。現地時刻で夕刻の4時だ。

そうすると、「よしOK」のようなことを公安が言うので、あぁこれで終わりか、解放されるのかと思ったら、パトカーのような車が来て、これに乗れと言われ連行されることになった。この時、どこへ連れていかれるのか分からず恐怖を感じた。着いたところは大きなグレーの建物で入口の扉も非常に高い位置までありそれが頑丈に閉まっている。日本でいうところの警察署の本署のようなものだろうか。中へ入りベンチに座って待っていると、隣にも何人かの連行されたウイグル人も座っていた。自分達の番になり窓口に呼ばれ若い男性の公安との質問回答が始まり、またもやgoogle音声翻訳の出番となった。ここでも日本語と中国語と英語の入り混じった混乱のやり取りで(友人は日本語、自分は英語を話す人物だと思われてしまった、google音声翻訳に英語で話して中国語へ変換というのは相当大変なのは英語力が中級レベルの人なら分かるだろう)公安からの質問は、「取材許可証は持っていますか?」ということを何度も聞かれた。どうやら相手は自分達を記者だと思っているようだった。記者ではないと説明し旅行に来ていると伝えてもなかなか話が伝わらず、パスポートとカメラの中身を全てチェックすることになりカメラをもっていかれた。その後に続く質問は、「職業は何ですか?日本のなんという企業で働いているのですか?社員証はありあすか?」、パスポートを見て「あなたはイスラム国に数か国へ行っていますが、目的はなんですか?」等と続き、滞在日数、今後の予定などを聞かれ、翌日のシルクロード行きのバスのチケットがあったのでそれを見せて、職業の説明については、料理人風に包丁で物を切るゼスチャーをすると、公安は「あー、シェフかーOKOK」と笑い何故か受けた。そして疑うことなく納得し(なぜこれで納得なのかよく分からないが)、戻ってきたカメラの中を見てまた笑っている面もあった。そして、またしばらく待って下さいと言われ、ウイグル人達とベンチで待機することになる。もはやこの雰囲気は虐めである。その時、トイレに行きたくて、トイレに行かせてもらい、よく考えたら昨晩は北京の空港で一夜明かしており、そのまま行動をしているので、ゆっくりしていた時間はなかったのだ。

その間、友人は目の前で尋問を受けており、一生懸命話を続けている。その待機している間、様々なことが頭の中を過ぎり、今夜はここで一晩明かすことになるのだろうか、いやそもそも一晩で済むのか?伊藤忠の香港で逮捕された社員は数年間日本へ帰られていない、この尋問の時間が延びると帰りのフライトに間に合わないが、帰りのフライトの時間は公安に伝えたので、2日後のフライトであれば早く帰国してもらいたいと思っているはずだがどうか、ここで提供される飯の味は食べられるものなのか?布団はあるのか?絶対寒いはずだ、そして確実にアンコンフォタブルだろ、ここは(笑)等と考えていた。

友人の話が通じたのか再度自分も呼ばれ、出て行っていいと言われ解放されることとなった。最後の頃は公安もいいお兄ちゃんのような雰囲気になっていた。外に出ると空が青く高くやっと出られたと出所の喜びを全身で感じた(笑)トータル時間3時間半くらいだったと思う。とにかく腹が減っていたので中央アジア料理の店を探しにバザール「二道橋市場」へ向かう。そこは入口に検問所があり、入る人々は顔認証システムで身元を確認してから中へ入れるような物騒な雰囲気であった。自分達は外国人なので別室での検問になる。滞在中はこういった身元確認が何度も続き、旅好きの友人の話していた異国情緒あふれる自由な中央アジアの風情はもはやそこにはなく、非常に不自由で監視されている中央アジアだった。

過去の海外での出来事の中でも一番危険を感じたのがこの中国での尋問の件であったと思う。騙されたり、病気になったりしたことはあったが、このような恐怖感は他にはない。中国へ行くのはしばらく止めておこうとさえなった。

このウルムチ滞在の後、数ヵ月してからスウェーデンのストックホルムへ行った。その帰りの便はストックホルムからフランクフルトを経由して日本へ帰国するものだったのだが、天候が荒れており飛行機が飛ばなくなった。スタッフに相談しに行くと、フランクフルトに一泊するしかないと言われたが、他の便を探してもらい、ダイレクトフライトが見つかり、しかしそれは中国国際航空だった。北京経由の羽田行き。北京での乗り継ぎもしたくない気分であったがここは止むを得ない。便を変更するため特別の経路で空港を移動する。

搭乗ゲートへ入る前に専用のカウンターで前に並んでいた外国人が何処へ行きますか?とスタッフから質問され、「ウルムチ」と答えていた。もし彼が悪運を持っているとすれば、現地でそれが尽き果てるのかどうか。

ウルムチに関しては以下の2本の動画を制作しているので興味のある方はこのリンクから。

最後に友人の書いているブログTOKYO.IS.THE.REASONにて良き時代であったウルムチの紀行文と写真が載せてあるのでリンクを貼っておきます。ほんの数年前なのに、こんなウルムチはいまや見ることはできません。

ギターの練習を生活に加える

昨年くらいからギターをまた練習し直していて、実際は東京から出る時に、もうちっと練習し直すかとクラシックギターは引越しの度にずっと持ち歩いてたんですが、なかなか練習に向き合えず、クローゼットの中に神棚のように拝んでいたですが(笑)まぁ、やはりこんな時期で外出制限もされていたので、譜面を買ったりして練習してました。練習しているのはボサノバギターの基礎からです。学生の頃は何曲か練習して弾いていたんですが、今やってみるともう指で弦を押さえるだけで、指が痛くなってしまいます。が、半年もやってたら昔の感覚が少し戻ってきました。

それで練習していて思ったんですが、やっぱり楽器はいい。非常に楽しい。もうコード、特にボサノバのコードを押さえて鳴らした瞬間の音なんてもう、天使です、天使。雨の日になんか鳴らすともはや音響です。

自分は音楽好きなんで、あれですけど、誰しも本当に好きな曲って一曲あるじゃないですか?絶対的な曲。逆らえない曲?(笑)自分ではそれはブラジル音楽では超有名曲のコルコヴァードなんですが、これを弾いてみたかった、昔の話ですけど。で歳を取ったらボサノバでもやってたらいいかなと。以前、Nora Jonesのライブを武道館で見たんですが、彼女がアルバムの4枚目かな、その辺でポップス寄りになってきていて、それはそれで良いんだけれど、そんな売れ線のジャズミュージシャンがライブでカントリーブルースを演奏したんですよね、ちょっと土臭い。しかもカントリーのバンドまで結成して。そんなの受けないだろうとも思ったのですが、これに非常に感激して、ここまで売れてもジャズ、アメリカ音楽の原点に向かうんだなと思い、自分は当時DJをやったり、どっちかというと興味の方向は電子音楽だったんですが、クラシックギターを手に入れたんです。学生の頃からもっていたセミアコのギターはもうボロボロでしたので。

精神的に鬱や不安定な人なんて楽器をやればいいのになと本当に思う。自分は特に鬱とかそういうのはないですが、この楽器に集中する時間って、今になって本当に貴重だと実感しました。学生のころはね、よく弾いてましたけど。でもみんな止めてしまうんですよね、働きだすと。仕事に夢中になることを悪いとは言わないけど、そうなると音楽に向かう時間は自分で作らないと難しい。過去に音楽をやっていた人って本来は音楽家の精神が宿っているはずなので、社会人になってお金や経済のことが中心になって、音楽の才能をどこかに引っ込めてしまうのは勿体ない。音楽はもう卒業したとか意味がわからん。

とりあえず、今はイパネマの娘と、ワンノートサンバを毎日弾いています。このワンノートサンバのイントロなんか弾いて聞いたらクラっときますよ、ホントに。

ちょうどこんな時に菊地成孔さんがラジオで音楽家の育て方について話をされておりました。これも非常に良い話でした。

以下文

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せっかく音楽が好きな人をマウントとって音楽嫌いにさせた奴らは全員地獄行きです。一度でもやっちゃったなって経験がある人はすぐ懺悔してください、どこのお寺でも神社でも教会でもいいから懺悔してくださいね(笑)

音楽家の育て方として、まず音楽を嫌いにさせないで音楽において嫌な目を一切させずに育てば全員音楽家になれます。

音楽家になれない、音楽家になりたいのになれないというケースの90%以上は、楽しくやって調子良くいい気分でやったら誰かにダメ出しをされたという屈辱によって音楽が嫌いになることによって挫折しているので、才能がなくてなれないんじゃない。これはすごく大切なことで、音楽の才能っては人間に絶対備わっています。ただその音楽の才能の芽を摘んでしまうのはトラウマというか嫌な経験で、屈辱経験なので、屈辱経験と精神的外傷は別です。だからトラウマではないです。もし、さぞかし嫌な言い方されて、がっくりきて、音楽が嫌いになってしまったのならば、そんな奴はやっちまえばいい、殺っちまえばいいと思います(笑)

自分は音楽家に対して、「駄目だ、そんなのじゃ!」なんて言えやしなくて、潰されれば潰されるほど這い上がってくる、それが本物だなんていう考え方は、とにかく音楽でそれはないです。

音楽はやりたいようにやらせて、どんどんイイネイイネ言っていくうちにできてくるから。だから音楽は屈辱経験を与えず、のびのび演奏すれば絶対に才能が開花して肉体化しますのでそのことは忘れないでください。

最後に最近好きなジャズバンド、というかAndrea Motisというバルセロナ出身のジャズボーカル兼トランペット奏者。調べるとNora JonesやGregory Porterのプロデューサーと同じジェイ・ニューランドとブライアン・バッカスと記載してあったので、その辺りが好きな人は結構気に入りそうです。これを見てやはりセミアコが欲しくなりました。GibsonのES335を買うか買うまいか。以上。続く。