「ベルサイユのばら」を読み終えてビストロで鴨のコンフィを食べる

たまたまベルサイユのばらの文庫本を借りることができた。ベルサイユのばらは子供の頃にテレビでも見ていたし実家に置いてあった漫画も読んでいたので、内容はよく知っていたのだが今読み返してみても非常に面白い。読み終えた今、頭の中はすっかりフランス革命になってしまった。

マリーアントワネットの普段の生活は昼近くに起きてゆっくり身支度をし、さてこれから何をして遊ぼうか考える。お気に入りの女官たちを集めて、ベルサイユの一角にプチ・トリアノンという農家を見立てた家を建て女官たちと遊ぶ。夕方からは芝居を観に行き9時半頃から夕食をとり、賭博や舞踏会に繰り出す。

ルイ16世は狩猟に行くか錠前を作ることしかやることはなく、バスチーユ監獄が暴徒に襲われた時には日記に何も書いていない。この王様は狩猟のことしか日記には書かないそうだ。

この二人はたまたまその地位についてしまったが為に、このような運命を辿ったのであろうが、それが今からたった200年前。それほど昔ではない当時にやっと人権というものを人々は認識して革命を起こして今に至るということを考えると、このわずか200年前は人の知識というものは多くの人々に広めるにはかなりの時間を費やしたのだ。

漫画の中にはロベスピエールやベルナールシャトレ、オルレアン公と若い法律家、新聞記者などがパレ・ロワイヤルに集まりサロンを開き政治経済、文学、演劇、音楽について語りあっている。オスカルもそこへ参加することになり、ジャン・ジャック・ルソーを読むように勧められ、「世界が貴族のためだけにあるんじゃないってことがよくわかるよ」と告げられる。そして自宅でルソーの本を読んでいると、父親から「謀反人か平民の読む本だ!」と怒鳴られてしまう。

ベルサイユのばらで一番好きな登場人物は誰かと聞かれれば、子供の頃からロベスピエールであったがやはり革命家という響きに魅了されたし、おそらく自分は知らず知らずにうちに左の思考が染みついていたのかもしれない。そういえば昔、会社の上司から「お前は自分では分からないかもしれないけど、お前の考えていることは左なんだ!」と怒鳴られたれたことがあり、仕事帰りに書店で右と左についての本を探していたことがある。しかし自分は特に悪いことは何もしていないのだが。(笑)

今になってベルサイユのばら読み終えると、誰が一番好きかということはなかなか決められず、一人一人が重要な位置にいて誰一人が欠けてもこの革命は起きなかったのだと思うと、非常に難しいパズルのようだ。悪く描かれている貴族がいなければ革命は起きないし、マリーアントワネットがいなければ良かったのかと言えば、あの税金を使った贅沢三昧の生活がなければ国民も行動しなかった。

初めてフランスのパリに行った時、友人からコンシェルジュリーへは行ったほうがいいと勧められていた。コンシェルジェリーはマリーアントワネットが収容されていた最期の牢獄であり、実際のそれを見てみて動揺し悲しい気持ちになった。行ったことがある人は知っていると思うが、中には貴族の人形が牢獄に詰め込まれていたり、マリーアントワネットは机に向かい座っており、こちらに背中を向けており少しゾッとしる。僕はベルサイユ宮殿に行った次の日にここへ行ったのだが、その落差が激しすぎるので少し消沈した気分になりパリを歩いていたように思う。大体、観光名所になっているコンコルド広場やバスチーユなど今は普通の広場ではあるが、ベルサイユのばらを過去に読んでいる自分としては革命の血の流れた場所でそれほど穏やかな場所のイメージではなかった。しかし、もしパリに行くのであればベルサイユのばらは読んでから行ったほうが格段にいい。

漫画には首飾り事件を起こしたジャンヌ、宮廷のデュバリー伯夫人、ポリニャック夫人などが資産を狙う金の亡者になっており日々贅沢と浪費によって敵を作り、アントワネットも好き嫌いがあるようで何人もの敵を作ってしまう。

しかし、調べてみるとこのポリニャック夫人、彼女は革命が始まるや否や資産を全てもってオーストリアへ逃げて家族と共に暮らすことになる。しかし、偶然にも病死したのはマリーアントワネットが処刑された年と同じだったそうだ。対して革命家であったロベスピエールであったが彼も断頭台で処刑されることとなる。過ぎ行く時の中で様々なものが白く塗りつぶされていくのだ。

フランス革命のことを考えだすと止まらいのでこの辺で終わりにするが、この貴族と平民の身分制度が二極化を表しており、今現在とこれから先に、また二極化の現象があるとすれば(実際は今も起こっているのだろうが)このようなものなのだろう。二極化された人と人の差は何かと言うと「たまたまそうだった」というようなことでもあろうし、「その時とった行動はどういう行動だったのか」、ということもフランス革命から読み解ける。

革命は誰にも止められない。一部の人々のエゴや欲に振り回された民衆はいつか暴徒化する。これから先の時代に身分制度があるとすれば、貴族と平民の関係は、貴族をホワイトカラーだとすれば平民は一般人であり(全てではないがここにブルーカラーが入るのであろうか)それは言い換えれば奴隷でもある。しかし、機械化が進めばホワイトカラーも含め、奴隷のような仕事は機械が請け負うようになり、全ての民衆が貴族のような生活をすることになる。

貴族であれば格上の生活ができ安泰かというとそんなことはなく、ベルサイユ宮殿内での煩わしい人間関係や欲望に人々はまたもや悩まされるのだ。マリーアントワネットは普段の生活では何もしないで良かった。家事も育児もだ。

そんなアントワネットの言葉は「私は退屈が恐ろしいのです。」

この言葉は、すべき仕事がなくなった未来の人々にも起こりえることであろうし、ましてや今のパンデミック下で動くことのできない不自由で憂鬱な生活にも当て嵌まるような気がする。

読み終えたあと、偶然近くにいた友達と千葉の柏市に行くことになり、たまたま通りすがったフレンチビストロのMa Cuisine(マ・キュイジーヌ)という店で男二人が鴨肉のコンフィとまぐろのコンフィを食べる。鴨肉は身は柔らかく皮はパリっとしており美味い。

お酒は飲めない状況下だが、フランス料理の店内にいると頭の中ではまだまだフランス革命が続いてしまう。いや、もしかすると今のこの状況も革命の最中なのか?

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