ロンドン留学記とベルリンからパリへの移動の記録 13 (最終話)【2015.3.12-2015.3.28】

【3月27日(金曜日)】

パリで久しぶりの快晴。到着後はほとんどの日が雨であった。今日の夕方5時に日本へ戻るので多少時間はある。凱旋門に行ったことがなかったので、そこへ向かう。シャンゼリゼ通りも警備が厳しい。スーパーのMonoprixでBonne Mamanのお菓子を土産に買い、アパートに14時まで荷物を置かせてもらっていたので、それのパッキング。空港へ向かう前にフランスパンのサンドイッチを買いシャルルドゴール空港へ向かう。

飛行機の隣の席に70歳くらいだろうか、男性とその家族が座っていた。ミュンヘンに住んでいる日本人で、子ども2人は孫であった。今回、初めて日本へ孫を連れていくのでかなりご機嫌で一緒にビールとワインを飲みながら盛り上がる。もともと音響メーカーに勤めていてステレオ製品をヨーロッパで売り歩いていたそうだ。留学していたことを話すと、留学して英語を学ぶことが本当に必要なのだろうか、語学を学ぶことより、まずはするべきことがあってそれに語学が付随して必要になってくる。ただ語学だけ海外で勉強しているのはあまり賛同できない。自分達は海外で製品を売るという環境で英語もドイツ語も現場で覚えるしかなかったということだった。

自分もその通りだと思う。では何故、留学をして英語を覚えるのだろうか。それは初めはほんの海外旅行のつもりだけだった。レストランのメニュー表を読んだりコンサートのチケットを買えればいいだけだったのだが、いつの間にか英語でなければ意思の疎通ができない人達が回りに増えてしまったからなのだ。今回の2週間の滞在でいったい何人の人と出会い話をしただろう。詐欺師から学生や子供、仕事づくめのロンドンの中心地に住む夫婦、日本人やヨーロピアンの学生達、レストランの給仕。それらの人達は旅に出る度に、自分にもう一度考えさせられる何かを与えてくれ、いつも再出発できる新しい気持ちにしてくれる。物価や値段のことをこと細かく書いてみたが、終わってみればそんな金額などどうでもいいと思うくらい、旅から得られる見返りは大きい。そして人が成長するということは、こういったことなのだと思う。  

初めて行った海外は友人と一緒に行ったグアム旅行だった。飛行機を降りた時に感じた海外独特の匂いは今も変わらない。そんな友人達と行ったパック旅行がいつの間にかただの観光旅行とは少し違う海外滞在へと変わっていった。少しづつだが自分も変わっていったのだと思う。日本人の悩みなど、海外で生活する人達の問題に比べると、まったく桁違いに小さいものなのだ。初めの頃の自分の持っていた価値観と今の価値観では全くといっていいほど違う。今、世界を見渡すと物で溢れている国とそうでない国がある。旅に出て、そういう違った国々を回ると本当に必要なものは何か、大切なものは何かということに少しづつ気付いたような気がする。この、実際に世界で見たり聞いたりするということは、テレビやインターネットではなく、自分の目で時代そのものを直視するということでもあるのだ。

近年では日本人は海外に出ることが少なくなったと言われている。だがこの1,2年くらいで、昨年訪れた東南アジアのフィリピン、セブ島では日本人の語学留学生が増え、学校内では熱気が感じられた。海外では誰も助けてくれずトラブルにあることもあるが、それ以上に助けてくれる人もいる。今回の移動中も色々な場所で知り合った友人達から色々な情報を書いたメッセージを頂いた。欧米諸国と東南アジア、第3世界と呼ばれる発展途上国などを見てきた彼らは語学とともに国際感覚を養っている。東南アジアの発展する速度は早い。数年後、東南アジアが世界の中心になるような気にさえなってしまう。日本の景気後退が叫ばれて久しいが、今後を担う日本人達は国内では見かけることができない場所で次の時代へ向けての道筋を探しており、人生を本気で楽しんでいる。そこにこれからの日本人の可能性があるように思う。

宿泊したパリのアパート

ロンドン留学記とベルリンからパリへの移動の記録 12 【2015.3.12-2015.3.28】

【3月26日(木曜日)】

以前、パリを訪れた時に行ったレストランがあった。バスチーユ広場の近く、すこし路地を入った所にあるテラスを見れば店はすぐ思い出せた。カウンターに座り給仕の顔を見ると以前来た時と同じ男で、注文を取りにきた時に、数年前にここに来たことを話すと、あぁ、覚えてるよと言うので、本当に覚えているのかと聞き返すと、だってその同じ席に座って話したじゃないかと言った。その瞬間、まるでその時に戻ったような感覚になった。

 4年ほど前、スペインからフランスへ鉄道や飛行機を乗り継いで来たのだが、当時は今ほど鉄道や格安航空での移動もそれほど馴染みがなく会話とともに苦労していた。スペインのマドリッドからバルセロナ、そしてボルドーからパリまでの移動は想像すると欧州遊泳のようで良さそうな響きだが、乗りたい鉄道も飛行機も日程や時刻が合わず、行き当たりばったりでマドリッドのアトーチャ駅のチケットカウンターの前で諦め顔でしばらくスーツケースの上に座って考え込んでいた。結局、マドリッドからボルドーまで行くのに一度パリまで飛行機で飛んで、そのパリからボルドーへ飛び戻り、ボルドーからパリまでTGVの列車に乗って移動するという行ったり来たりの旅路になってしまった。空港ではスペイン語も英語もろくに話せず、LCCのチケットも買い方がよく分からず今考えれば、予定も立てずによく移動していたものだ。

 その旅が終わりに近づいた頃にこのレストランに入り、メニューに書いてあるフランス語を一つ一つ英語で説明してくれたのがこの彼だった。その時食べた料理が美味しく、珈琲を頼むと、今は昼だ、朝ではないとワインを飲まされ、見渡せば周りも皆酔っ払っていた。やっと目的地に着いて旅の最後に酒盛り場に到着したような感じだった。

 当時は何か新しいことがやりたくて、この旅に出掛けたり英語の勉強をやり始めた時期だった。生活も何かが物足りなくて退屈していたのだろう。しかしそんなことはない、退屈などしていなかったのだ。これほど満たされていた時期は他にはない。 その男とまた4年後に会おうと別れた。今後の人生で4年ごとに数えると、このレストラン、パリに来ることは何度あるのだろう。彼に会える機会は一生のうち僅か数回しかないのだ。

・Pizza alla marinara
・Crabe,gazpacho de puntarelle et ail des ours
・Pomme de terre,shintake et ceuf de truite
Coucou de Rennes,carottes,epinards et crème d’ail

バスチーユにあるレストランLA GAZZETTA

ランチはリーズナブルに食べることができる。

セットで19ユーロ。

この日のメニュー

-Assortiment D’entrees-

・Pizza alla marinara

・Crabe,gazpacho de puntarelle et ail des ours

・Pomme de terre,shintake et ceuf de truite

-Plats au choix-

・Rigatoni au ragout de volaille

・Ceuf poche et choux

・Poulpe,fenouil,orange et olives

・Coucou de Rennes,carottes,epinards et crème d’ail

-Formaggi-7€-

・Montasio,Monte Veronese,Ubriacato al Barbera

-Dolci-5€-

・Gateau a l’orange,Tarte aux pommes Canada,Soupe de poires et au lait

-Vins au verre-

・Blanc:Chablis 6€,Rouge:Causse toujours,Rouge de l’Herault 6.7€,Rouge:M.P.N rouge leger de la Drome 5€

-前菜の盛り合わせ-

・ピッツァ マリナーラ(トマト、アンチョビ、オレガノ、ニンニク)

・蟹とガスパッチョ、プンタレッレと熊のニンニク和え

・新竹とイクラとじゃがいものソース

-下記から一皿-

・鶏肉のスープパスタ

・キャベツとゆで卵

・ククーデレンネの鶏肉とほうれん草、人参、ニンニクのクリーム添え

昼間はRepublique駅界隈を歩く。雑貨屋、セレクトショップ、古着屋、レストラン等が賑わっており、一軒一軒見て回り、姪の土産にTシャツを買う。たまたまシャルリエブドの集会が行われていた公園があり集会が行われた後が残ったままだった。夜はオルセー美術館に行く。

ロンドン留学記とベルリンからパリへの移動の記録 11 【2015.3.12-2015.3.28】

【3月25日(水曜日)】

朝はベーカリーでパンを買おうと思い、せっかくなので人気店のアルノーデルモンテルでヴィエワズリーダマンドというアーモンドスライスが入ったパンを買う。中はもちもちで外はカリカリのパン。それと適当にフランスパンを買う。フランスパンは一つ大体1ユーロ。歩きながら食べてカフェに入る。フランスでのブラックコーヒーの注文の仕方を忘れていて、アンカフェと注文するとエスプレッソが出てくる。国によってコーヒーの注文の仕方が違うのでいつも混乱する。

ベーカリーのアルノーデルモンテル
ヴィエワズリーダマンド
3人組のアーミーが巡回しているのをよく見かけた。

この日はセーヌ川沿いを適当に歩き街を散策する。以前行ったことがあるマリーアントワネットが幽閉されていたコンシェルジェリーを見ようと思ったが、かなりの行列ができていたため諦める。

昼食は遅く夕方になったが、ロンドンに留学していた時のクラスメイトのフランス人がパリ在住の女性だったので、色々とお薦めのレストランをメールで送ってくれた。 彼女のお薦めのムール貝が有名なレストランChez Leonに行く。パリ市内にあるチェーン店でシャンゼリゼ通りにもあるが、モンパルナスの店が比較的空いているとのこと。ムール貝のワイン蒸しとチップスで12.5ユーロ。シンプルな料理でこれにレオンビールをつけて一時間以上楽しめる。ロンドンではフィッシュ&チップス、ベルリンではウィンナー&チップス、パリではムール貝&チップスになった。夜はルーブル美術館へ。水曜日は夜9時まで開館していて空いている。

パリの街並みは特に変わっていないが、ミリタリーの部隊がかなり多くなっていた。ノートルダムやルーブル前に迷彩服を着たセキュリティが何人もいて駅も警察の数がかなり多い。そこで結構色々と聞かれる、何やってる?ホテルはどこだ?等。それにしてもノートルダム寺院と迷彩 服、なかなかすごい組み合わである。

Chez Leonのムール貝とチップスのセット
夜のルーヴル美術館は空いていて見学しやすい。
ルーヴル館外

ロンドン留学記とベルリンからパリへの移動の記録 10 【2015.3.12-2015.3.28】

【3月24日(火曜日)】

朝、4時半に起きて準備をし、空港へ向かう。5時半頃にホテル前からバスが途中の駅まで走っていて電車に乗り換え空港へ。ドイツの時刻表に遅れはない。フライトは9時、テーゲル空港より簡素な作りのシェーネフェルト空港。LCCのカウンターが多くパリへはeasy jetで向かう。この間62ユーロ。荷物を預けたのこの金額だが手ぶらなら5,000円程度だった。(この時期1ユーロ=約130円)

11時にオルリー空港に着く。北駅前に降りるとパリはそのままのパリだった。雨が降っていると水はけが悪かったり、道にゴミは落ちてるしで汚いけど綺麗な街並みで歯がゆい場所だ。

今回は北駅近くのアパートをサイトのairbnbで探してみたが、安い部屋がどんどん出てくる。roomoramaというサイトもあり、こちらでも同じ部屋を募集しておりクーポンが使えるのと大家に連絡を取るのに業者を通すのでこちらで決めてみた。前にairbnbで予約をしたとき大家から返信が遅かったことがあったのだが、こちらはスムーズに予約できた。扱っている部屋数はairbnbの方が多い。 パリの街はエスカルゴと言われており、それは20の区が中心部を1区として時計回りの渦巻き状になっている。10区内であればどこへ行くのにも近く便利だ。1区のあたりはルーブルである。ただやはり宿泊費は高くつく。以前来た時は1ユーロ=100円程であったので4区のあたりで10,000円くらいだった。短期の滞在の場合は忙しく動くことがあるので中心に滞在するようにしている。しかし中心で安い宿泊先を探すのはなかなか難しい。それが最近になってairbnbのような直接に世界中の家主と交渉ができるようなサービスが始まり驚いている次第だ。当然、今後トラブルも出てくるとは思うが、まずは少しリスキーで面倒なところもあるが一度試してみることで今後の振る舞いを考えることができる。

パリ北駅

当日、大家と一度会ったあと、クリーニングするからもう一度来てくれと言われた後に大家と会えず少し待つことになったが数千円で北駅前から徒歩2,3分でキッチンもついたワンルームなら良い。下手にビジネスホテルをとってもパリ市内は値段が高いので、それならこちらの方がキッチンもあり快適だ。家賃は 50USD/泊、日本円で6,244円。ベルリンからの飛行機で使ったeasy jetも62ユーロで、節約すれば交通と宿泊費は減らせる。それに今回は国際学生証というカードを作った。これがあると美術館などが半額近くで入場できる。

そして今、自分のカード入れの中身は少し面白いことになっている。世界中で地下鉄のICカードは普及しており、日本の場合スイカカードが有名だ。この数年、何カ国か行き来しているうちにそれらの国のICカードが何枚も増えてしまった。今回のロンドンでのオイスターカード、香港、台北、パリ、ニューヨーク、バンコク、そして日本。グローバルという言葉を良く耳にするようになったが、そんな本を読むよりも、このカードが写っている写真を見ると、これがグローバルなのだと自分では勝手に思っている、空港から街に向かう時にこのカードがあれば、すぐに電車に乗ることができる。

バンコクのラビットカードは最近できたようで、いちいちチケットを買っていた時に比べて市内での乗り降りがかなり便利になった。ICカードがあると時間が有効に使え、やはり小銭が増えないことがいいし、場所によってはコンビニでも使える。それにしても、切符を切る職員もいなくなったし、最近は香港でパスポートのスタンプも廃止されていた。EU内ではシェンゲン協定があるため、一度EU内に到着した後の国境間のチェックはない。成田空港でも申請すればスタンプ無しで出国できるし、国境の感覚が薄くなってるように感じる。それに何ヶ国かのICカードを持ってるだけで、海外が本当に近所に思えてしまう。50年後はこのカードが一枚になってるだろうか。いや、この速さなら10年後あたりにそうなっているのかもしれない。

大家とすれ違いになり部屋に入れない間、他の住民の夫婦が大家に電話をしてくれたりと親切にしてくれた。マンションを修繕するために電気工事業者が来ていて、その住民が立会いをしながらだったのでフランス語の洪水になった。何人かの住民ともすれ違うので、ボンジュール、ボンソワール、エクスキュースモアと挨拶しなければならない。フランス語は全くダメだが挨拶だけは現地語でしないと特にフランス人は話してくれない。なにせ貴族がいる国だ。

大家を待っている間、すぐ近くのイスラムの料理屋でナンとカレー。6ユーロ。店内をよく見るとハラルと書いてあった。シャルリ・エブドの件があったからか欧米人が一人もいなかった。店員は親切だったがその件を考えパリではムスリムの店舗には入るのをなるべく避けようと思った。その後、大家と会うことができ部屋に案内される。キッチンに鍋や食器が置いてあり使っても良いとのこと。この金額でこの部屋と場所なら悪くない。

ワンルームアパート
アパートの窓からの眺め

荷物を置きスーパーを探しがてらオペラ地区へ向かう、部屋からオペラ座まで徒歩で約30分程。しばらく和食を食べていなかったので野菜やヨーグルト、水を買い込む。日本からは味噌と粉末のだしの素は持ってきているので、夕食は豚汁を作る。どうしても味噌や納豆を食べないと胃腸の調子が悪くなるので、この程度の滞在でも味噌は必要だ。パリのアパートでゆっくり夕飯を作るというのもなかなか良いものだ。

ロンドン留学記とベルリンからパリへの移動の記録 9 【2015.3.12-2015.3.28】

数少なくなった残存するベルリンの壁。ポツダム広場。

【3月23日(月曜日)】

この日は1日ベルリンの壁を探して終わった。歴史が渦巻いているような街を数日の滞在だけだとそれほど見て回れず、ほとんどが「素顔のベルリン」(中村真人著)という本を読みながら過ごした。この本はただのガイドブックと違ってドイツ史についての記載が主でナチス時代、東西時代の壁の解説は事細かい。デビッドボウイが滞在していたアパートの記載もあって、ポツダム通り辺りを歩きながら読んでいると、治安が悪く刹那的な雰囲気に惹かれて76年から79年までハウプト通りに住んでた彼はここでヒーローズを含むベルリン三部作を生み出したということ書いてあった。

着いた時から感じていたが、過去が繋がっているからなのか確かに場所によって退廃的な雰囲気がある。もう少しそれが理解できるよう見て回りたかったが、明日はフランスへ向かう。最終着地点はパリだ。

デヴィット・ボウイが滞在していたアパート周辺。
レストラン ムッターホッペ
定番のドイツ料理が食べられるということでザウアーブラーテンという料理を食べる。牛肉をソテーしてから煮込んだもの。残念ながらソースが肉に浸み込んでなく、不味くはないが自分にはそれほど美味しくは感じられなかった。肉は4切れもあった。
カリーヴルストの人気店 CURRY36
大通りのウンターデンリンデンの周辺にあるコンチェルトハウスや教会。高級店が立ち並ぶ銀座のような街並みだが人はそれほど多くはなかった。

ロンドン留学記とベルリンからパリへの移動の記録 8 【2015.3.12-2015.3.28】

【3月22日(日曜日)】

朝食はホテルで食べると別途7ユーロで、大した食事でもなさそうなので近くのカフェで食べる。3ユーロ程度でパンと珈琲が買えるのでロンドンに比べると非常に安く感じる。晴れたのでアレクサンダー広場へ向かう。

観光地を回るつもりだったが、ベルリンはクラブミュージックが有名で様々なクラブやバーがある。ロンドンに留学していた時にクラスにイタリア人のDJがいて、彼はベルリンに詳しくお薦めの店を何件か教えてくれた。その一つの店が世界最高峰のクラブ、ベルグハイン(Berghain)であった。彼が「ベルリンに行くならここは絶対行くべきだ、エントランスでチェックがあったり地下はゲイが多いけど上の階にあるPANORAMA BARは一般人でも大丈夫だ」と言うので行ってみた。店は金曜の夜から月曜の朝まで36時間エンドレスでやっており再入場も何回でも可能だ。しかし、とにかく入場チェックが厳しく内部の写真は絶対に撮ってはならない。場所も分かりづらい、なので最初に昼間に行ってみることにしてみた。

Berghain ベルグハイン 日中からドスドスと低音が外へ漏れている。

近づくにつれて団地の中でドスドス低音が響いてきて、それらしき建物は巨大な廃墟。この外観と雰囲気だけでも強烈だった。少数の人々が並んでおり、自分の番になって入口へ近づくと厳ついドアマンにジロっと見られ「あ~、一人か?」と聞かれ、一人だと言うと、「ダメだな」と首を振られあっさり退散。悔しいがしょうがない。

予定を街の観光に切り替えアレクサンダー広場へ戻り、テレビ塔、ベルリン大聖堂を見る。テレビ塔はやはりかっこいい。昼食はドイツ料理を食べようと思い、広場の近くにあるニコライ地区でツム・ヌスバウムスという店に入る。ドイツの定番料理のアイスバインを薦められ食べる。アイスバインは豚足を塩で茹でたもの。味はこれだったら日本で食べる豚足の方が好みだった。豚足に味が染みておらず、クセがあり量もかなりある。が、ビールはなかなか美味しかった。ブランデンブルグ門、ホロコースト記念碑を回る。ちょうどテレビの撮影をしており、ユダヤ人が何人もいて取材を受けていた。Tシャツの背中に「meet2respect Juden und Muslime」と書いてあった。今年はISISのニュースだらけなので、こういった集まりが多いようだ。ロンドン滞在中もチュニジアでのISISによる観光客襲撃事件を何度もニュースで流していた。

左手にドイツ料理店のツム・ヌスバウムス
アイスバイン
ユダヤ人ホロコースト記念碑
日曜日なので閉まっている店が多い。

夕方フリードリヒスハイン地区へ向かう。この辺りはカフェや雑貨屋が多く、ナイトライフのメッカであるそうだ。壁は落書きが多く面白そうな雰囲気の場所だったが日が暮れて来た為、一度ホテルへ戻る。夜になり、一度入店を断られたベルグハインに再度向かう。夜ならば人も多くて紛れるから大丈夫ではないかと思いエントランスに並ぶ。行く前に入店方法をインターネット上で情報を調べてみた。そこに書いてあったのは”全身黒で固めると入れやすい”ドアマンとしっかり目を合わせると入れやすい” ”団体ははねられる” ”キャピキャピしてるとはねられる” ”ドイツ語を話せない観光客ははねられる”といくつか出てきたが真相は分からないそうだ。玄人でもはねられたり、1日目は入れても次の日は入れないことも良くあるそう。すべてはドアマンによって一瞬で落とされるかどうか決められてしまうという恐怖感。しかし懲りずに夜にもう一度行き再戦してみようと22時に向かってみた。夜だと道程が暗く雰囲気は悪い。建物自体も廃墟である。エントランスに並んでいると前の1人、3人組、次の3人組が次々と断られはねられていく。ドアマンは昼間とは違う人だったので大丈夫かと思ったのだが、10秒ほど全身を見られやはり帰れの合図。 入れない人たちは苦笑いながら帰っていった。行った人や、行ってみたい人がいたらぜひ挑戦して話を聞かせてほしいものだ。悔しいベルリンの思い出になった。遅い夕食は駅のスタンドでカレーヴルスト。ホテルへ戻り就寝。

フリードリヒスハイン地区
治安は良くないそうだが個人的には好きな雰囲気だ
夜のBerghain
ベルグハインへ行くときはOstbahnhof駅を降りて歩く。

ロンドン留学記とベルリンからパリへの移動の記録 7 【2015.3.12-2015.3.28】

【3月21日(土曜日)】

飛行機の出発時間が朝9時の為、朝5時半に起床。地下鉄も走っていない時間帯なので途中のア-ルズコート駅までバスで5分程で移動し、アールズコート駅からヒースロー空港まで電車で約40分。今回はベルリンまでLCCのジャーマンウィングスで移動だったので、他の遠い場所にある空港になるかと思っていたが中心から近いヒースローからのフライトだった。しかし、安い便だけに早朝の出発である。ロンドン-ベルリン間で片道£75。買った時期が遅かったのでLCCの割りにはやや高めの日本円で14,000円。荷物を預けたので追加料金がかかるので止むを得ない。この後、3/24にジャーマンウィングスがフランスで墜落する。今回、ジャーマンウィングス等のLCCでイギリス、ドイツ、フランスを移動したので、墜落した時、友人数人から安否のメールが届く。どこの航空会社が落ちたのか調べると自分も乗っていた航空会社だったので驚く。前々から言われてきたパイロット不足の問題に関係するような内容だったので、今後は真剣に問題解決に向かってもらいたい。

ヒースロー空港に到着後、朝食を食べに店を探すが、やはりどこも値段が高い。適当にコンビニでドリンク、サンドイッチ、スナック3セットで£3.99のものにする。ロンドンの昼食でこれを買っている人をよく見かけたが、昼にサンドイッチにスナックなどで身体は持つのだろうか。しかも、たったこれだけで日本円で700円。早くユーロ通貨圏に移動したいと思う。 飛行機に乗り、すぐ寝てしまったが自分の頭がかなり揺れていたらしく、となりのイギリス人がこの枕を使えと貸してくれた。貸すほうも貸すほうだが、あっさり借りるほうも借りるほうだと思いながら寝心地が良くまた寝てしまった。この時マスクをしていたので、何でマスクをしている?と聞かれ、機内は乾燥しているからだと答えるが理解しなかったようで怪訝な顔をされる。まず海外でマスクをしている人はいない。よっぽどの病気にならない限りマスクはしないし、もし使用していたら人は遠ざかるだろう。

午後12:00にベルリンのテーゲル空港に到着し、バスで中央駅へ向かう。ここから電車を乗り継いでホテルへ。ホテルは西ベルリン側のBulowstraBe駅近く。東ベルリン側は高級ホテルばかりで、西側には一般向けのホテルが色々とある。泊まったホテルはUS$48/1泊。部屋に荷物を置き、街に出るが生憎の雨でかなり冷え込む。日本の正月明けの頃のような気温だった。

中央駅

午後はまず有名なウンターデンリンデン通りに行く。見るものは色々あるが雨の為、歩く気もせず、余ったポンドをユーロに両替し、昼食を食べていなかったので午後4時頃にカリーヴルストで有名なファストフードの立ち食いスタンドに行く。焼きソーセージの上にケチャップとカレーパウダーが振りかけてあるシンプルなものだが、自家製のケチャップや独自のスパイスを使ったりしているので、店によって味が違うようだ。ソーセージは確かに美味しいので滞在中は小腹が空いた時に時々食べていた。この後も雨は止まず、マクドナルドでwifiが使用できたのでしばらくそこでベルリンでの予定を立てる。朝も早かった為、夜の外出はせずホテルへ戻り就寝。 今回はイギリスのポンドが余ったため、両替所で両替をしたが、普通はキャッシングをして現地ATMから現地通貨をおろしている。両替の手数料は非常に高くキャッシングの利息の方が安いからだ。日本に戻ってすぐ返済することもできるので、現地通貨の取得はキャッシングに限る。ATMは大体どの街中にもあるので、インドなどの奥地に行かなければ見つかるだろう。

ロンドン留学記とベルリンからパリへの移動の記録 6 【2015.3.12-2015.3.28】

ホワイトチャペルギャラリー

【3月20日(金曜日)】

明日の土曜日、ドイツのベルリンに発つのでロンドンでの最終日。あっという間の10日間だった。午前中は行こうと思っていたがなかなか行くことができなかったホワイトチャペルギャラリー。ここもブリックレーン近くにあり、ほぼ毎日ブリックレーン周辺に来てしまった。ホワイトチャペルギャラリーは現代アートのミュージアムで建物は教会のような作りになっていてみんなくつろいでいた。午後の授業でクラスメイトと写真を撮り、その後学校の修了証をもらいに事務所に行くと、同じ日程で卒業する日本人に会いパブに行くことになった。毎週金曜日は学校近くのパブにみんな集まるようだ。ここで数人の日本人と話しビールを呑む。大学生から社会人まで様々な人であった。こういった環境で会う日本人は目的が同じなのですぐ話は盛り上がる。ロンドンのパブはホワイトビールからエールビール、黒ビールと色々な銘柄があり、時々試飲させてくれることもあり楽しめる。3日も通えば友達もできるだろう。家に帰り最後の夕食。焼肉とジャガイモとビーンズ。ビーンズ三昧の一週間であった。明日の出発のパッキングをし就寝。

学校のランチでによく使ったPret a Mangerのサラダ。これとコーヒーで£6.25
ホームステイ先の夕食

【今回、ロンドンで有名なレストランには行かず庶民的な店をメインに回った。前回はオーガニックレストランに行ったのでその時の記録をここに付け足しておく。】

(2013年8月某日)

8月のロンドンの音楽ホールは満席。エディンバラのバグパイプ祭、ミリタリータトゥは完売。バッキンガム宮殿の内部見学は予約で埋まっていたからロンドンについて調べたことはレストランだけだった。
 イギリス料理は不味いという話しは良く聞くが、ここ数年でかなり改善されてロンドンはオーガニックブームだということが色々なところに書いてある。実際ロンドンを歩いてみると野菜の写真の看板が目立つ。スコットランドから下りてきてロンドンに着いて始めに行ったレストランはキングスロード近くにあるDaylesford 。オーガニックブームの火付け役になったこの店は、料理の他にその日にコッツウォルズ地方で採れた野菜も売っていて、東京の青山にも店舗がある。ここで勧められて飲んだものが人参と生姜のミックスジュース。初めて来たロンドンのイメージはパブではなくて人参と生姜になった。持ち帰りたいくらいパンが美味い。一通り店内を見ると、この店は値段を気にしない客が来るような場所のようで値段が高い。キャベツが£4で約600円。この食べたランチ(モツァレラ、サーモン)は税込みで£40。(£1が約155円で税金は20%)ただ地下鉄の初乗りが£4.5で700円なのを考えるとこんな値段になるのだろうか。

【Daylesford ピムリコ店 コッツウォルズ地方でその日に採れた野菜や牛乳が届られ提供している。】

Time out誌という日本の’’ぴあ’’のような雑誌があり、そこでロンドンのレストランベスト50という特集を組んでいる。ミシェランの星つきレストラン等は除外されていて、値段とクオリティのバランスで選んだということで予約してみた。(これの2位は讃岐うどんの店で行列ができているそうだ)その中で1位になっていたフランス料理店のterroirs。美味かったのはワイン。Virgin atlanticのサイトで調べるとオーガニックやバイオダイナミック農法で作ったブドウを使ったもの。バイオダイナミック農法のことは良く知らないが本当に美味しくて昼からがぶがぶ飲める。

【フランス料理店 Terroirs】

南米料理が注目というので行ってみたレストランのLIMA。アマゾニアンナッツとジャイアントコーンとダック、海藻とキャッサバと黒鯛を食べたけど、はっきりした味は分からなかった。日本人には物足りない味付けのような気もした。
 レストランによって驚くほど美味しかったり理解できなかったりするけど、ロンドンのレストランを色々回ると当たりや外れもあって、平均してどれも美味しい東京のレストランより楽しめると思う。ロンドンの観光名所をとばして、僕のiPhoneの中はレストランの地図の画像でいっぱいになっていた。

【ペルー料理店 LIMA】

(2013年8月某日)

ロンドンのスーパーはほとんど無人で会計はセルフサービスになっていた。店内は警備員が歩いているだけで、レジのスタッフも一人くらいしかいない。自分で品物のバーコードを機械で読み取って買うのだが、初めは慣れていないのでスタッフのいるところで買おうとした。しかしスタッフからセルフでやってくれと言われ自分で何度かバーコードを読み取りながら買った。便利なのか不便なのかイマイチ分からない複雑な気分になる。このことを人と話すとそれじゃ雇用がなくなるという話にはなる。これからは日本も移民が増えてレジやタクシーなどの仕事は移民の人達が雇用されていくのかと思っていたが、レジがコンピューター化されたら、そもそも人の仕事がない。それだとますます失業率も悪くなるのかといえば、そうではなくコンピューター化されて人が働かなくて良い社会になる。過去にいた駅の改札で切符を切る人はいなくなっているし、今はレジだけの話かもしれないが、今後もの凄い速さで他の物もコンピューター化されていったらみんな何をするのだろうか。

ロンドン留学記とベルリンからパリへの移動の記録 5 【2015.3.12-2015.3.28】

【3月18日(水曜日】

ショーディッチ(Shoreditch)

この日もブリックレーン近くにあるショーディッチに向かう。イーストロンドンの勢いはここにあり、ウェストロンドンが高級エリアならばイーストロンドンはクリエイターが集まるエリア。自分も雰囲気的にイーストの方が馴染む。ただイスラム教徒が非常に多く治安はあまり良くはないが、最近は改善されたようだ。このショーディッチハイストリート沿いにはアジアン料理のレストランが並んでいる為、また友人お勧めのベトナム料理屋へ向かう。レストランはどこも高いし、ステイ先でも料理は油が多いので、胃に優しいアジア料理店は重宝する。昔は海外に来たら、現地での食事をしなければと思っていたが、最近は回数が増えたせいか、そういった気負いがなくなり、無理せずアジア料理店や和食の店を探すようになった。少し長い滞在になればなるほど、日本人の体質に合った食生活を求めるようになる。

昼食はCay Treというベトナミーズで野菜が沢山入ったフォー。これで約£10。午後の授業を終え帰宅。この日の夕食はファラフェルとコーンスープ。ファラフェルはゴマソースがかかったヒヨコ豆のコロッケ、ピクルスをパンに挟んで食べるもので、イスラエル料理かと尋ねると中東ならどこでも食べられるとの返事。家庭料理でファラフェルが出るとは思わなかったが、ステイ先の夫婦はマケドニアとクロアチア出身なので昔から作っていたのだろうか。

ホームステイ先での夕食”ファラフェル”

 以前、イスラエルを訪れたことがあり、その時はこのファラフェルとイスラム教徒の店でシュワルマというスライスした羊肉をパンに挟んだケバブの一種を良く食べていた。初めイスラエルはエルサレムにあるメアシュリームという街で食べたのだが、店内や売店が超正統派と呼ばれるシルクハットにロングジャケットを着用した揉み上げの長いユダヤ人ばかりだったので、日本人の自分がかなり目立ちじろじろ見られたことがあるので、思い出があるメニュ-である。

ユダヤ人の友人からも閉鎖的なメアシュリームで食べたことに驚かれた。イスラエルのレストランはユダヤ教徒で色々な決まり事があるので、一般のレストランとコーシェルと呼ばれるレストランに分かれる。ひづめが分かれてて反芻する肉しか食べてはいけないなどの決まりがあり、マクドナルドもこの二つに分かれて出店しているので面白い。

コーシェルでステーキを食べたが、肉の血を抜かなければ食べてはいけない決まりがありパサパサで美味しくはなかった。エルサレムは危険な場所と報道されているが、首都のエルサレムは旧市街と新市街に別れており、街並みはほぼヨーロッパの様で綺麗なところだった。ここに行くと、ユダヤ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒が直径2km位の小さな旧市街の中で分かれて嘆きの壁を中心に生活しており、何冊もの世界情勢の本を読むよりも今の世界で起きている問題が一目で理解できる場所である。そして今いるロンドンで生活する人々を想像すると欧米人のようだが、兎に角イスラム教徒が目立つ。実際ロンドナーと呼ばれる人々は4割程度であとは移民なのだそうだ。街中の高級ブティック、レストランはベールを被ったムスリム達でいっぱいでデパートのハロッズやハーベイニコルスの中はまるで中東に来たような錯覚さえ覚える。

ピカデリーサーカス。ベールを被ったムスリムの姿をよく見かける。2013年8月撮影。
デパート内の高級店はムスリムに占領されている状態。中国人より多い。
イーストロンドン

【以前、訪れたイスラエルの画像】

エルサレムにあるメアシュリームという街。2013年4月撮影。
エルサレム旧市街の入り口の門
エルサレムのファストフード店のファラフェル。ピクルスが大量に入っている。
旧市街で食べたシュワルマ
エルサレムの新市街。街並みはヨーロッパのようである。数年前、テロ行為のインティフィーダーによりこの辺りの建物が爆破された。

【3月19日(木曜日)】

留学生とのホームパーティ。刺身を購入してきて手巻き寿司を作って食べた。

途中までしか見ていなかったナショナルギャラリーに行く。ロンドンの博物館やミュージアムは無料のところが多く、大英博物館も無料だ。物価は高くてもロゼッタストーンやエジプトのミイラで有名な大英博物館が無料であれば見ない手はない。ほぼ毎日、午前中はミュージアム巡りとなった。

ナショナルギャラリー

前日に友人からショーディッチにあるソルトビーフのベーグル店が有名だとメールがあり、日本でソルトビーフのベーグルなど見たことがないので向かってみる。ロンドンブリッジを渡り向かったがwifiが繋がらなく場所が分からないので人に聞きながら向かったが行列ができていたのですぐ分かった。

BEIGEL BAKEは有名なジャンクフードの店でベーグルは柔らかくてマスタードをつけたソルトビーフは厚く、これに胡椒をかけながら立ち食いする。かなり美味しく、これで£3.7。衛生面では微妙なところだ。

 午後の授業は大分クラスに打ち解けてきたこともありクリス・ブラウンとハンバーガーが大好きなフランス人の女性と話していた。来週パリに向かうので、この女性がパリ在住ということでパリのレストランを色々と教えてもらう。現地に住む人から教えてもらったレストランで外れはほとんどない。このパリジェンヌはフレンチより和食やアジア料理が好きなようだった。栄養士の話をすると、味噌汁を作ってほしいと何度もせがまれた。そんなにヘルシーなら納豆も食べてみたいと毎日のように言っていた。

 夜は学校で知り合った日本人にホームパーティに誘われ、チェルシーにあるマンションに向かう。手巻き寿司と味噌汁を作りイタリア人が大勢来るので食べさせたいとのことであった。予約してあった刺身を店に取りに主催者の30代の男性と店に向かう。仕事を辞めて6ヶ月間学校に通っているそうでいきいきしている。刺身の値段は確かかなりの値段がした。3パックで1万円くらいしていたように思う。手巻き寿司はイタリア人に大好評で握り方を教えてあげながらの食事になった。あっという間に完食し、共同キッチンがイタリア、ブラジル、韓国、タイ、日本人、トルコ人と多国籍スタンディングバーのようになり、トルコ人にウォッカのような酒を散々飲まされ、ステイ先の門限があるのでアルコールが回る前に10時過ぎに帰宅。

ブリックレーンにあるベーグルベイク

ロンドン留学記とベルリンからパリへの移動の記録 4 【2015.3.12-2015.3.28】

【3月16日(月曜)】

月曜から学校が始まり、初日はクラス分けのスピーキングテストがある為、昼までに行かなければならず、朝はいつも通り食パンとコーンフレークと珈琲のみ。午前中ナショナルギャラリーを少しだけ見て、昼に学校へ。テストを受ける為、ほとんど時間がなかったので学校のすぐ近くのバーガーキングで昼食。これで£6。スピーキングテストの結果、先生から一つ上のレベルでやってみるよう言われUpper intermediate(中級上)のクラスに入れてもらえることになった。 ロンドンに来る前に日本で学校のwebで試験を受けたが、その時の結果はintermediateであった。上のクラスになると周りの生徒のレベルが上がるからこちらとしては勉強になる。自分みたいなレベルがいるとやや迷惑になってしまうが。

午後のクラスはフランス人が多く、その他はイタリア人、スペイン人、ブラジル人、中国人、韓国人、日本人は自分ともう一人。もう一人の日本人は後で分かったが綺麗な顔立ちだと思ったらある芸能事務所に所属して女性だった。その合計9人。先生のブリティッシュアクセントが非常に面白い。帰りにスーパーで水をまとめて購入。ロンドンの水道水は飲めると言われたが、体調管理の為なるべく購入した水を飲むようにした。家では浄水器があるが、硬水の為、白いものが機器にこびりついている。キッチン周辺にも白いものがついており、シャワーで髪を洗うと髪の毛ががさがさになってしまう。スーパーで食材を見ると野菜やパンは手頃な値段だった。キッチンがあれば自炊して安く済ませそうである。夕飯はピラフの上にソーセージがのったもの。やはり量は多い。

この日の夕食

【3月17日(火曜)】

朝食を食べ、授業は午後2時からの為、シャーロックホームズ博物館へ。ここはロンドンの伝統的な家具や雑貨などが室内に置いてあり、ホストに見ることを薦められたので行ってみた。ワトソン氏の書斎や被っていた帽子、パイプなども置いてあり古いインテリアに囲まれた部屋で興味深い。入場料£10。

見終わった後はロンドンで食べたかったフィッシュ&チップス。またブリックレーンの方へ行き、創業1945年のpoppiesという店で。ビネガーをたっぷりかけてタルタルソースをかけて食べる。これはシンプルで本当に美味い。一度食べたらしばらくは食べなくても良いが、このランチとドリンクの紅茶で£13.7。

 

学校で14時からの授業を受ける。周りの生徒の何が優れているかと言えばリスニング力とボキャブラリーの数のようだ。Intermediateレベルだとなかなか伸び悩む時期なので英語が楽しくない時期。もう初歩に戻ってコツコツやるしかない。どうしても返答が単調になってしまって自分でも退屈だと思ってしまう。
 Advanceのレベルの人は畳みかけるような重文や関係詞を使って話すことができて自分からすると羨ましい。Beginnerが英語の楽しさを知る時期だとすればIntermediateレベルの人は英語の厳しさを知る時期なのだそうだ。とは言え、通ってる学校はグロスター駅にあって、授業の後はキングス・クロス駅のPlatform9 3/4を通って大英図書館で自習ができ、家に帰ればまたホームステイ先での会話が必要になるという環境。これなら最初の基礎から復習し直すモチベーションだけでも出てくる。今回一週間だけの留学だがヨーロピアンと一緒に勉強するというのは効果的だ。夕食は昼に続きフィッシュ&チップスとビーンズ、サラダであった。

キングスクロス駅の9と3/4プラットフォーム。写真を撮影してくれるサービスがある。
キングスクロス駅。ここから特急がでており、前回に来た時はイギリス北部のヨークとスコットランドへ行った。
大英図書館
この日の夕食