理想としては最高の生き方であり、実現しようとすれば様々な困難な場面と向き合うことになる。しかし、家から外の世界に出るということはそういうことであり、多くの事を見て体験することができる後者の方を僕は好む。やはりワイルドに生きたほうがいいし、みんなその方向へ向かっていってほしいという想いがあるから、こうしてテキストを書いている趣旨もある。特に歳を重ねていくにつれて自分に残された時間も限りがでてくる。そこで今までの自分や取り囲まれていた環境と決別しなければならないのだが、それは容易ではない。勇敢さが必要だ。
車上で生活するのか、路上か、それとも住居を転々とするのかは、手段こそ違うが移動しながら生活するということは同じだ。それは旅へと繋がり、それはつまるところノマドの生活だ。僕の場合はノマドという言葉は昔から頭の片隅にはあったが、特にそれに拘りはなく、ノマドの生活をしたいといった強い願望もないのだが、しかし転々と住まいや仕事を数年おきに変えているので非常に緩いノマド生活の様でもあった。その間、他の場所、特に海外へはちょくちょく出向いているので、地に足を固める気などはさらさらない。
この映画「ノマドランド」を見て、これに出演している人々の会話や言葉を聞いていると自分の考えと共通している意見が多々あった。そこには実際にノマドライフを送っている人を出演させているので、リアルにグレイトフルデッドみたいな老人が出てきたりする。今でこそノマドというライフスタイルに付加価値がついたようなものだが、言わば日雇いの浮浪者つまりホームレスとの違いはなんなのだろう?という疑問に対しては、「ホームレスでではなくハウスレス」という返答が返ってくる。
今現在のノマドというスタイルは現状の金融システムから離れ、今までの自身のキャリアと決別し、見栄を捨てて自分の見たいものや会いたい人を探し続けながら移動するということで、保守的な生活、つまり安定した収入、マイホームと家族、見た目を重んじる人からすれば、すこし変わっている人と思われてしまう。
映画ではキャンピングカーで移動している。これも非常に楽しそうな生活だ。この映画ではリーマンショックでのサブプライムローン問題で仕事や街を失った人を題材にしているのだが、今後こういったノマドの生活をする人は増えるだろう。パンデミック後の世界。仕事を失った人々、思考を変えた人々、テクノロジーの恩恵を受けた人々。数年後の未来、住居も車もシェアされていく時代。そんな自由な時代に一つの地点に留まる理由があるのだろうか。
主人公のファーンは逞しい。まだまだテクノロジーの進歩のない時代、歳も還暦を過ぎているにも関わらず、日雇いの季節労働者として転々と仕事を変え移動していく。肉体労働の仕事を手早く済ませ住まいでもあるキャンピングカーへと戻る。彼女のその力強い生きる源はどこから来るのだろうかと考えると、やはり素晴らしくドラマティックな風景や出会う人々との場面があるからなのだ。それは外の世界でしか巡り合えない。