謎の球体「CS60」による整体施術を受けてきた

身体のメンテナンスのため、ある施術を受けてきた。菊地成孔さんのライブが最高にごきげんだったという話をブログに書いていた吉本ばなな先生がお薦めする不思議な球体による整体施術。そしてその吉本ばなな先生と同じ学校の先輩だったという高城剛さんも薦めるこの施術は、いや、この施術の説明をする前に個性的な3人が繋がってしまったことに今気が付いた(笑)吉本ばなな先生は菊地さんと高城さんの間に挟まれているのか(笑)この3人、向かう先は違えど、おかしな大人揃いである。

ばなな先生のブログ「よしばないいもん」ではこう書いていた。『成孔さんの最高にごきげんな、そしてすばらしいライブに行った後でお鮨なんて、これ以上の誕生日の過ごし方があるだろうか。
恋、全てのものに瞬間の恋をして生きていきたいと切に思った。
音楽はそういうことを教えてくれる。』

菊地さんのライブに行った後に美味い鮨を食べるなんて最高だという思いと、そういえば菊地さんも整体には非常に気を使っており色々と試行錯誤しているので、みんな身体の悩みでは繋がっているようだ。

自分も以前ぎっくり腰を二度ほど経験しており、酷い時は4,5日寝たきりになってしまった。その時は病院へ車で運んでもらいそのまま面倒くさいから入院しちゃえと言うことになり、入院してリハビリになってしまった。それからしばらくは様々なストレッチ法を試していて、酷いぎっくり腰にはなっていない。しかし、海外はジョージアへ行った時(2019年の10月)カタールのドーハ経由で12時間程移動時間がかかるのだが、飛行機を降りて少し歩いた時に左足に痛みが走り歩けなくなってしまった。これはもしかしてエコノミーシンドロームかと思ったのだが、特にそういったことはなく帰国後MRIを撮ったりしたが異常はなくヘルニアの疑いも晴れた。しかし、腰の張りや左足の痛みは調子が良い時もあれば悪い時もあり、悪い時の方が多いので、これが歳を重ねるというものなのだろうかと、With神経痛をきめていた。

しかし、やはり痛みが酷い時は整体院へ通い、近所の診療所でたまたま当たったスタッフの方がインドのアーユルヴェーダのライセンス(実際正式なライセンスがあるのかそれに関して詳しくはないが)インドへ研修に行き勉強してきたそうで、その先生からストレッチ法を教えてもらった。そこではブロック注射の施術もして、かなり良くはなった。しかしそれでもまだ少し痛みや足の重たさも残っているので、これは歳のせいかとWith老化現象を決め込んでいた。

そんな折、自分の母親が足腰が痛くて歩けない、病院に行っても治らないというので、そういえば以前、吉本ばなな先生と高城剛さんが薦めていた謎の球体施術があったことを思い出し、もう親も歳なので色々と試してみるものいいかと医院を調べてみると、青山にあった医院の支部が全国に増えていた。

この施術は、はっきり言ってだが、ぱっと聞き怪しい(笑)謎の不思議な球体CS60を使用するのだが、これを開発した西村久光先生という方がいて、稽古着を着た集団で世界中を周っており、身体に不調を唱える人々の身体をこの球体でなぞるだけで痛みは消えてしまうというのだ。ひじょ~に怪しい(笑)

もう少し調べるとこの球体には量子デヴァイスという科学では判明できない仕組みもあり、高城さんもこれからの医療には西洋医学、東洋医学以外に波動などの力学を含んだ代替医療も絡んでいくと説明しており、本人も前置きで「すいません、今から怪しい話をしますね」とは話していた。ばばな先生はブログで『難病が治るとかそういううわさよりもなによりも、とにかくまず肩こりと頭の重さが取れるのがすごいと思う。』と書いている。たしかに施術者の見た目や、謎の球体やらインドやらで、どこかの宗教団体の活動としか思えない。

しかし、気になる肝心なことは、施術された人たちが言うのは『理由は分からないけど治ってしまう』ということだった。そんなことを憶えてはいたのだが、2年くらい前は支部もそれほどなかったのではないだろうか。青山にあるのは知ってはいたが、なかなか予約して通う気にはなれなかった。今回は自分の母親の足腰の痛みと自分のメンテナンスもあり、一つの支部のとあるところが都内の密からは程遠い山奥(笑)の方にあったので行ってみることにした。

初日は母親しか予約が取れなかったので自分はできなかったが、施術はこの球体CS60を足の裏側から足、腰、お腹、脇腹、首、頭、顔を擦っていく。人によってはかなり痛みを感じる人もいるそうだ。そして施術後、母親の足腰の痛みは消えた。

本人も身体が軽くなった、今までの施術では一番良いかもしれないと言い、その経過を見ると一週間は痛みがなかったそうだ。先生に聞くと、最初は1,2週間のスパンで通ってもらい、だんだんと痛みは和らいでいくのでそうなったら月一のペースで通うことになるケースが多いようだ、そして、もし診療に行くなら早めがいいということ。

ということで別日で自分も予約ができたので施術してもらうことなった。先生の腕にはアース線が巻いてあり、自分の身体から放出された電気をアースで逃がしているそうだ。そういえば以前勉強した内容で細胞小器官のミトコンドリアはATP生成をしてエネルギー産生をする。その時にミトコンドリア内の電子伝達系が電子を放出する。この電気のことのようだ。昔の人はこの電気を地面の土に放出していたが今はできなくなってしまっているので、電気を放出させミトコンドリアを活性化させる必要がある。

自分の場合はまず左足に痛みがあるので、何ヵ所か球体で擦ると痛むところがあった。今は昨日施術したのだがまだふくらはぎのあたりが痛む。他の部位は痛むというよりは首は痛かったが、脇腹がくすぐったくてしょうがなかった。うひゃひゃひゃと笑ってしまうくらいだ。この光景もまた怪しい(笑)しかしだ、施術後に立ってみると足が妙に軽い。飛び回れそうな勢いだ。10年くらい若返ったような感覚。効果は2,3日後から出るそうなので、今はまだ揉み返しのような痛みはあるが、何かが違う。身体が少し軽くそして柔らかくなったような、そういうことよりも、あぁ、もう一度施術してもらいたい。With CS60、そんな気持ちになった。

もしかすると、あの球体の神秘的な何かに憑かれてしまったのだろうか。

追記:というような紹介文を書くと怪しいものを冗談半分で語っているだけになると困るので真面目に話すと、まだ一度しか施術していないが実際に効果はあるような前向きな気持ちになっている。月一のペースで3,500円/30分、7,000円/60分という価格帯ならばマッサージにいくような感覚で行ってもいいのではないだろうか。

ロンドン留学記「あとがき」

ロンドン留学記の「あとがき」を書いてみることにした。留学記のテキストは当時ロンドンから帰ってきてから書いたものなので(2015年の5月頃)、もう6年も前になる。しかしたった6年でこんなにも世の中は変わってしまったし自分も変わった。(自分はこんなにも変わったのに世の中はこんなにも変わっていないともいえる)と今回ブログに投稿し読み返してみて改めてそう思った。因にこのテキストは当時仕事を辞めて通っていた某専門学校へ提出し、講義資料として使い授業を行った。

当時はSNSはもちろん盛り上がってはいたが、インスタグラムやYoutubeなんかはそうでもなかったし、自動翻訳ソフトもまだまだ微妙であったし、AIやテクノロジーの話題も今ほどではく、スーパーのレジ打ちも今より沢山いた。何よりそんなに海外へ行く人は直近の2019年頃より多くはなかった。やはり2015年から2019年へ向けて人の行動はタガを外してやりすぎてしまったようだ。

今日は台風が来ているので外は大雨で部屋でフランスギャルをかけている。フランスギャルなんて18歳の頃以来で久々に聴いているのだが、apple musicで最近ロスレスハイレゾ音源の配信が始まり色々とオーディオ周りの整理をしており、旧譜を検索しているとそういえば友達が先日レコード屋でフランスギャルのドーナツ盤を買っていたのを思い出してかけてみた。ハイレゾではない。しかしこれからハイレゾ用のアンプのDACを購入しないとならないとフランスギャルの旧音を聞きながら考えていた。大雨もフランスギャルも悪くない。時代は月額制のハイレゾ音源配信へ変わった。

当時のテキストで、最初はスペインへ一か月間行こうと思っていたのを1月に体調を壊したこともあり、ロンドンに変えたと書いているが、この体調を壊したというのはその時の年末年始に南米を縦断しており、その期間と内容があまりにもハードだったためだ。旅程は「日本→マイアミ→ペルー→ボリビア→アルゼンチン→マイアミ→日本」。ボリビアの標高4000mの山を越えて高山病とインフルエンザになりアルゼンチンで発熱し、ペルー、マイアミのホテルでずっと寝込んでいた。帰りの飛行機は日本まで約2日半ほどかかるので身体は悲鳴を上げていた。それでも何とか日本へ帰国し、医者へ行くと即入院となり重度のインフルエンザ肺炎と診断され隔離される。医師から「その状態でよく立っていられるな」と言われ、看護士から何か必要なものあれば買ってきましょうか?と言われたので財布の中を見るとアルゼンチンの偽札だろうと思われるペソとUSドルしか入っておらずお願いできなかった(笑)意識は朦朧としており死んでもおかしくない状況で、あれが自分の唯一の臨死体験ではあった。

まず、肺の中が3/4真っ白で呼吸ができない。息を吸うと胸が痛むので苦しい。それは呼吸器をつける手前であった。個室で10日間くらい点滴を受け、食事の味覚はなく、とにかく眠り続けていたが、起きて意識がはっきりした時に航空会社へ電話して3月の旅程の行先をスペインからロンドンへ変更して欲しいと頼んだのだ、身体は半分死んだような状況なのに(笑)というか、この時1月で出発が3月だったので、これからスペインで美味い物を食べまくるのは難しい、ロンドンに変更しようと考えて予約をし直した自分も今思っても馬鹿だなと思う。結局3週間も入院し無事退院することができた。テレビではISISが日本人の人質を殺害していたニュースを流していたりとしている状況で、世界が荒れていたが一度臨死体験のようなものをすると恐れという感覚が何故かなくなってしまい、とにかく自由の身になったのでそのままロンドンへ出発してしまった。

ロンドン留学の時のようなことは、今の自分ではもう体験することはできないが、体験というよりかは当時と同じように感じることはまず無理だ、自分も歳をとっていい感じのおやじになってしまっている。ではあるが、こうなった今の方が別の楽しみ方ができるので、実際ここ数年の欧州の旅は非常に緩くて楽しい。やはり30代というのはまだまだ若い。40代になると受け皿の範囲も広くなり色々なことが許容できるようになる。

当時は食に非常に興味があり、今も勿論あるにはあるが、だいぶ肩の力も抜けてしまい、ステイホームもあってか過去の自分のように、音楽と映画ばかりに興味があった頃のような生活に戻っている。それも非常に楽しい。英語の勉強も続けてはいる。この後、何をするかについては、目標はあるのだが、もう少し時間がかかりそうだ。(Fire)Financial Independence, Retire Earlyというライフスタイルが流行っている、というかは流行るほど誰でも簡単にできるものではなく、これだけが全てではないが、このライフスタイルとその後のライフスタイルを明確にできた者は社会の中で面白い変化をしていきそうだとは思っている。Fire(早期リタイア)という言葉のみだと批難もあると思うが、ではない。リタイアが重要ではではなく、Fireのライフスタイル(作業工程とでも言うのか)はどうでもよく、その先の何を始めるかが重要で社会は変わる。変えた者やこれから変えていくであろう者たちの集まりがどの場所であるかは分からないが、いずれ世界のどこかであるだろう。そこはおそらく国家とか権力といったものとは関係もなく、相当な熱気になっているはずだ。

最初の写真はパリで宿泊していたアパートのエントランスで、ここを様々な連中が通っていた。