九州一周の旅9日目、長崎原爆資料館(最終話)

8泊9日の九州一周だったが、最終日は午後のフライトで長崎空港から成田空港へ戻るので午前中に長崎平和公園と原爆資料館へ。鹿児島で仙巌園、西郷隆盛像、知覧に行くところから始めて最後の長崎原爆資料館でやっと戦争が終わったような旅になっていた。平和公園で朝の散歩をしているとあちこちに原爆投下の痕跡が残っていた。地層の中を見られる階段があったのだが、当時の食器や小物などがぐちゃぐちゃになって埋まっていた。空は晴天なのだが、焼けてしまったもの全てが地面下にあるようで地面が熱く感じられる。

原爆資料館へ向かうと想像以上の混みようで、修学旅行生の群れに占領されていた。タイからの観光客にも「原爆ミュージアムはどこですか?」と聞かれたりと人気の博物館のようだ。ちなみにタイから来た女の子は、日本が安くて今はとても旅行がしやすいですと話していて、どのくらい安いの?と尋ねるとバンコクと同じくらいだという答え。バンコクと同じ。いつかバンコクと日本が同価格になるとは言われていたが、時代の変化が非常に速い。とはいえ、日本の文化には底力があるので、ニュースで騒ぐほど僕はなんとも思ってないのだけど。円安よりも気になるのは今回の旅行支援もそうだが、日本はこんなにポイントを配りまくっててどうなのだろう。昔ブロック経済ってあったけど、それみたいなものなのか、いや違うか。ところでポイントを配りまくったことによってそれが何かの火種になったなんて話は過去にあったのだろうか。物価は上がっても給料が上げられないしポイントを配ろうというのは、ベーシックインカムの試験にも思えるけど。国はもうやれることはやってしまえと匙を投げている気もする。

原爆資料館の中は人込みでゆっくりは見られなかったのだが、悲惨な展示物だらけの中、中高生が盛り上がって見学している。原爆投下時の航空機の映像なども流れていて見ていて飽きない。投下された瞬間に停止してしまった時計がぐにゃりと曲がっているのを見ると、人の歴史もこれの繰り返しで何度も何度も時計を壊しては同じ歴史を繰り返しているように思える。

世界史は80年周期で繰り返し回っているという話しを高城剛さんの本で読んだのだが、日本では1867年の大政奉還から1945年の終戦までが80年。1945年の終戦を四季で例えると春。そこを起点として80年後は2025年。昭和平成の夏と秋を経て2022年の令和現在はまさに冬真っ只中の時点だ。春になる前には一発何かが起こるのが歴史の流れ。

原爆資料館を出て長崎空港へ向かう。長崎空港は空港が小島のようになっていて細い道路と本土が繋がっていて面白い。近くのレンタカー店に車を返却して、「お疲れ様でしたー」と言われてやっと終着地点に着いたような気持ちになる。あぁ、疲れた。九州一周はまるで長距離マラソンのとうでもあり長い9日間だった。昨年の沖縄とはまた違って海よりも山々が多い温泉旅になったのだが、新しい遊び方を憶えたような感じだ。なんというか毎晩温泉に浸かるのんびりした旅だったので、歳を重ねた自分には非常に心地よい旅程だった。

次回はどこへ行こうか考えるが、想像すると何というか国内はきっと大体がこんなノリでゆったり回ることになるのだろう。どこへ行っても大体が平和で同じ景色、人、食事。3年も行動を制限されて国外へも出ていないことを考えると、もしも今海外に出たら考え方が一気に変わるのだろうなとも思う。もともとこんな体質ではなかったはずだ、自分も周りの人達も。いつの間にかみんなどうしてしまったんだろう?帰ったら今後のことを考えよう。世間を見ていると本来やりたい時間を過ごせる期間というものは以前よりも限られてきている。しかし、今海外へ出るとその為替の格差に落胆してしまうのかもしれないが、大きく変わってしまった社会を目の前で見ることができる。そろそろこの時代の結末が知りたくなってきた。

九州一周の旅八日目3、大浦天主堂

怖いことに遭遇してしまった。まず怖いにも色々と種類があるけど、今回のは初めての類の怖い出来事だった。長崎には大浦天主堂という古いカトリック教会がある。作られたのは1865年。この教会がどういった経緯で作られたのかというと、当時の秀吉や家康が行っていたキリシタン弾圧で十字架に磔の刑にされた26人の殉教者に捧げられて作られたのだそうだ。中の写真は撮れないのだけど外階段を上がって教会の中に入ると信者席があり堂内はたくさんの窓にステンドグラスが使われている。正面には十字架のキリスト像が掲げられている。そんなカトリック教会の席に座っているだけで気持ちは落ち着いてしまい、なんだか海外の教会にでも行ったかのような感覚にもなる。教会を出ると博物館になっており、まず殉教者たちの磔の刑の絵があり、なんとも痛々しい絵であり、武士や当時の官僚に身体を押さえつけられ血生臭い状況になっている。その先には踏み絵やマリア象、十字架のキリスト、司祭の衣装など当時の物が展示されている。キリシタンの歴史年表の資料もあり、ほとんどが血を見る争いだったのだと言っているようなものだった。

そんなものを見た後に博物館を出て、日は暮れかかっていたが外の空気でも吸おうと歩いていくと小さい広場があった。そこには十字架のキリストが上に掲げられており、石板にはザビエルだろうか、人の絵が彫られている。それを見ようと近づいて行くと、前に一人の女性が立っていた。その時、その女性がこちらをぐるっと振り返った。瞬間、女性と目が合ったのだが、女性の口元を見ると口から顎にかけて真っ赤に染まっており、そこからは血がぼたぼたと滴っているのだ。十字架のキリスト像や宗教施設、殉教者の絵を見た後、しかも夕暮れ時に蒼くなった空間で、目の前で顔から血を流す女性がこちらを振り返ったのだ。さすがに焦って後退りしてしまった。正直言って悲鳴を上げてしまいそうになったのだが、心の中で一瞬、ひぇーーっ!と悲鳴を上げたあと、「だ、だ、大丈夫ですか!?」と言えた自分がすごい。ついに、とうとう自分の目の前に悪魔、いや悪霊に取り憑かれた女が出てしまったのか。イメージで言うと昔ののホラー映画だ、オーメンとかエクソシストとかそんな感じの。そうすると女性は口を手で押さえながら「こ、転んじゃって。。」と言ったので、周りを見るとどうやら友人が施設のスタッフを呼んできたようで、そのまま事務室に連れて行かれた。

その時は少し放心状態になっていたのだが、事務室で応急処置されている女性を見て、人間だよなと確認して教会を後にした。どうも九州旅行の最初に知覧の特攻隊記念館を見てから重いものが脳裏にのし掛かかり、教会でこんなことが起こってしまい、おかしなことが続いたので、さすがに疲れた。大体、この辺りの人は何かを隠しているような気がする。近くの喫茶店でコーヒーを注文して、水のお代わりを貰おうとすると、「うちのお水は美味しいでしょ。普通の水とは違うのよ」と言い何の水なのか聞くと「汲んできた水なのよ、ある場所からね」とニコニコしていたり。一体どこなんだ(笑)

夜に気分を変えようと、ホテルの人の勧めるおでん屋さんに行ってみると、昔ながらの店で、おでんを囲むカウンターが居心地が良い。割烹着のエプロンしている女性は昭和の雰囲気で、居心地も雰囲気も昔のままでいいのだが、その時にはなんだか遠い昔の戦時中時代に迷い戻されてしまった気分になっていた。

九州一周の旅八日目2、コルベ神父

ここからちょっと不思議な話になるのだけど、ちょっと怖いような不思議な話。軍艦島周遊を終えて、この後は出島へ行ったり、グラバー園を見たりしていた(このグラバー園も説明文を読むと三菱の創始者、弥太郎や龍馬の名前が出てきたり、フリーメイソン日本支部の門があったりと面白い)

まぁ、長崎はやっぱり教会が多い。大浦天主堂という古いカトリックの教会も雰囲気が良い。話はその大浦天主堂の近くを歩いていた時のこと、ある看板が目に入って「マリア像、ロザリオ、聖像各種」みたいなことが書いてあってよく読まなかったんだけど、あれ?何かある、と気になって、ここ行ってみようと思い裏道に入ってみた。すると小さな雑貨店があって、あぁ、きっとマリア像とか売ってるんだな、ちょっと覗いてみようと入ると、かなりの数の質の良い聖像やルルドの水が置いてあった。店員は女性が一人座っているだけだったのだが、奥を見ると通路の先に何かがある。古い木の扉が。あれ、なんだろうなぁ。でもちょっと入りたくないな、なんて思ったんだけど、どうしても気になって、店員に「すみません、あの先には何があるんですか?」と聞くと、「資料室ですよ」と言われ、「コルベ神父の資料室、色々な資料が置いてあるの」資料室?いや、扉に資料室とは書いてあるけど資料室ではないよな、と不思議な勘が働いたのだが、恐る恐る「中に入ってもいいんですか?」と聞くとどうぞと言われて、扉のところへ行くと、入室料100円と書いてあったのでそれを支払い扉を開けてみた。

開けると、あぁ、もうこれは資料室ではないよという独特の空気感のような何か感じるものがあって、来ちゃったかなと思いながら周りを見渡すと、中心には大きな柱があって(後で聞くとそれは昔使ってた暖炉だった)壁には写真や絵がたくさん貼ってある。それは神父が拷問を受けている絵や数人の牧師など、かなり昔の物だ。自主出版してたようなクリスチャンの文集も置いてある。こういう何かの気が立ち込めている場所というのに遭遇することは時々あって、今回は鹿児島知覧の特攻隊記念館などは日中暑かったのに、そこは冷んやりしていたり、以前イスラエルに行った時には気が立ち込めていて湿度があり生温かったり、ともすれば冷んやりした教会が何箇所かあった。

今回もそれと同じ感覚を受けたのだが、一人で中で立っていると、店員のおばさんが入ってきた。「ここは何なんですか?」と思わず単刀直入に質問してしまった。そうすると、店員は「ここはね、昔修道院だったのよ、コルベ神父の」あぁ、修道院か。そうじゃなきゃこんな空気にならないよな、資料室ではないし、扉の外からでも気が張り詰めているのが分かった。「あなたはアウシュビッツは分かる?このコルベ神父はアウシュビッツで人の身代わりになって拷問されて殺されたの」絵を見るとナチスに注射を打たれる神父が描かれている。この修道院もそのコルベ神父がポーランドから来日して作られたそうだ。

そのままコルベ神父の話をしばらく聞いているとこう言った「ここには遠藤周作先生やその仲間、巡礼にきた信者の方々も来るのよ、結構混み合ってね。でも、場所が分からなくて見つからなくて来れないって言うの。でもたまにいるのよね、あなたのようにふらっと引き寄せられて来てしまう人が」確かにここには引っ張られる何かがあって店に入って扉を開けてしまったのだが、この真ん中の大きな柱は何ですか?と聞くとこれは実際に使っていた修道院の暖炉なのよ。それを聞いて、写真を撮ってもいいですか?と許可をもらいシャッターを切る瞬間に、「ここはね、夜誰もいないはずなのに、赤ちゃんがパタパタと歩く音がするのよ。なんなのかしらね。でも赤ちゃんの歩く音だから私たちはエンジェルだと思ってるの。みんな怖がるからこの事はあまり言わないけれど」

シャッター切っちゃったじゃーん。。と思いながら、まぁエンジェルなら悪いことはないですよねと言うと「そうなの、そう思ってるわ」と朗らかではあるが目つきの鋭い女性は落ち着いてそう言った。悪い気を感じたわけではなかったのでそれで失礼したのだが、もう一つ起こった出来事がある。

九州一周の旅八日目、長崎軍艦島

長崎で泊るホテルはヒルトンにした。旅行割が使えるので、長崎に行く直前にこのくらいのグレードでもいっかと他に予約していたところをキャンセルしてこっちに予約をし直してたのだが、部屋に入ると室内は海外のホテルのようにめちゃくちゃ広い。一人で泊るには本当に広すぎる、国内だと過去最高の広さかもしれない。もう普通のホテルには泊まれないのではないだろうか、トラウマになりそうだ。

半分冗談で泊まっているのだけど、スタッフはアットホームな人達で非常に親切。ホテルから新しくなった長崎駅を通り飲み屋街の方へ行くと路面電車が何本も走っていて歩道橋から見える電車群は異国的な雰囲気を醸し出す。ホテルスタッフから教えてもらった登利亭という居酒屋へ行くと、長崎郷土料理のハトシと地鶏のタタキを勧められた。食べてると隣の席にいた工事現場の監督さんに絡まれて勢いよく呑んでしまった。扉を開けて店に入った瞬間こっちを見たんで、あーこれ絡まれそうだとは思ったんだが、案の定「お兄さん、旅行?」と声をかけられ一緒に飲むことになった。おじさんは工事現場を全国的に回っているようで、これ食べてみてと”なめろう”をくれた。美味しいだろ?日本酒に合うから。とつまんで飲んでたら酔いが一気に回ってしまいおじさんが先に店を出た後に自分も店を出て、間接照明に照らされているような街中をぶらぶら歩き、そのままヒルトンホテルに着いて、ラウンジを覗いてみたらカクテルが美味しそうなので、また呑んでしまった。本当に酔ってしまい、頭がぐるぐる回り部屋に戻りベッドに倒れたが、夜景の眺めも良い部屋は広すぎるし設備は新しいしですぐ寝るのも勿体なく、だらだらテレビを見ていた。

次の日の朝は結構な二日酔いで起きたくないのに7時に起きて年配の団体旅行者が多く寛いでいるラウンジで速攻で朝食を食べて予約していた軍艦島フェリーツアーに参加する。車を飛ばして港に着くとかなりの人が並んでいて半分は修学旅行生だった。船内に乗り込むとアナウンスで「今日は波の高さが6cm近くあります。5cm以下でないと島への上陸はできません」と話している。パンフレットには年間100日程度しか上陸はできなくほとんどが船から眺める周遊になってしまうと書いてあって、まぁそんなもんかと諦めてた。しかし上陸できないと何度も話しをているのにも関わらず、上陸してからの注意事項を幾度も話すので、なんだか期待させるようなことばかり言ってるなと思ってると、島の近くになった時、「みなさん、波の高さが4.9cmになりました!上陸します!」と言い放った。ホンマかいな!(笑)修学旅行生がいるから上陸しちゃうんじゃないのコレ。みんな最初からこうなることは先生から聞いてるから知ってたような顔をしていて喜んでもいない。

というわけで自分は喜んで上陸すると、コンクリートと朽ちた廃墟の群れ。重い雰囲気かと思っていたら元気な爺さんがガイドをしていて、もうあの建物は余命半年ですとか、もう補修することもできないから、わっはっは。と話していた。神社、学校、マンションとこんな小さな島に密集して作られている。当時の人口密度は東京の9倍。驚いたのは丘の上にある巨大な貯水槽。海底に水道管を作ったようなことを言っていた。たしかに相当な人口がいたから、それくらいの貯水槽がないとこの端島の人たちは炭鉱で汚れた身体を洗うのも一苦労だったそうだ。

その後、船に乗り島の周りを周遊したのだが、船から見る島は本当に軍艦のように見えて海に漂っているようだった。この廃墟の軍艦と新幹線が開通した新しい長崎駅やヒルトンホテルが混在している乱雑な街の感覚、交差する路面電車、各所にある教会、出島など何か文化の軸がずれたような街が他の土地にはないものを放っている。

今回の旅はダークツーリズムなのでこの軍艦島はハイライトとしてって、知覧と軍艦島の初日と最後のこれしか行ってねーじゃねぇかと言われるかもしれないけど、あの地獄温泉とかね。地獄とか鬼なんてのはダークツーリズムって部類にも入れていいんだと決めてフェリーの揺れと二日酔いで気持ち悪くなって次の場所へ向かう。

九州一周七日目、大宰府~長崎県

ハイアットホテルの朝食を食べにラウンジへ行くと順番待ちをしている人たちがソファに何人も座っている。ハイアットのスタッフはきびきび動いていて忙しそうだし客層も裕福そうな人たちが多く他のホテルとは違う。それに宿泊している人たちすらきびきび動きそうな雰囲気がある。ある意味そんな雰囲気なので少し落ち着かないのだが、欠伸しながら歩いてるような自分が珈琲を飲みながらそれを眺めていると興奮剤としてと心地良い。朝食は本当に美味しくて、席に案内されて卵料理を選ぶのだけどメニューにエッグベネディクトがあったので迷わずそれを頼んでみた。ホテルの朝食でエッグベネディクトなんて食べたことがない。こんなのをよく食べてる連中は考えると自分からすると一般人ではない、オーストラリア人くらいだと思ってしまう。ブッフェにある料理は見た目も洒落ていて、クロワッサンからマフィン、ショコラなんかのパンケーキがずらっと並び、瓶に入ったラズベリーソースがのったヨーグルト、適当に取ってきたので分からないけど何かのムース。普通に買ったらいくらするんだというようなブッフェだった。ブッフェから料理を取ってきて席に座った瞬間を目がけてスタッフがエッグベネディクトを持ってきてくれて、それがプルプルして転がるような卵で、それをホークで刺した瞬間、ここに泊まって良かったと思えるほど熱い卵黄がドバっと流れた。

朝食後に駅前まで散歩に行く。歩いていると携帯電話が鳴り、誰かと思ったらこれから行く予定の長崎で予約していた軍艦島周遊ツアー会社だった。明日の波が荒そうなので島への上陸は難しいとの話。そんなことをわざわざ伝えるために電話が入るのか、連絡はありがたいが一体何人に電話をかけているのだろうか?今から来れれば上陸できますがいかがですか?と聞かれ今は博多にいるから、それに上陸できないことはよくあるそうなのでしょうがないですね、と話すと、せっかくだから上陸してもらいたいんですよねとスタッフは言った。熱心なスタッフなのでこういう連絡は嬉しい。まぁ明日行きますよ、と電話を切った。

ホテルをチェックアウトして久しぶりの曇り空の中、車を走らせて太宰府天満宮に行くと平日なのに週末くらいの混みようの学生の群れ。参道は土産屋が並んでいて観光客が団子などを食べている。天満宮を歩き本殿に行って、人込みの中参拝をして中を歩ながら思ったのだが、九州地方は歴史のある建造物があきらかに関東よりも多く、ここから吉野ケ里遺跡も車で行けることを考えるとやはり日本古代の中心はこの辺りにあったのかと考えてしまう。すぐ近くに九州国立博物館があったのだが残念ながら休館日。そこに縄文時代から近代までの貿易の歴史資料が展示されていたのでこれは絶対見た方がいいと思ってたので残念、博多なのでまた再訪するべきか。

すぐそばにラーメン屋があり行列ができていたのだが20分程並びさっさと博多で初の豚骨ラーメンを食べる。学生が多いので替え玉を兎に角何個も食べてるので回転が悪い。ラーメンは美味しくて腹も満たされたので曇り空の中、時々パラっと雨が降ったが長崎へ2時間程かけて車を飛ばす。山々の中走ってさすがに疲れた。途中パーキングで昼寝して長崎に到着。博多に比べると街中のネオンが暗い。博多が明るすぎだったのだろうか。最後のホテルにチェックインした。