沖縄3日目。朝起きて昨日と同じようなホテルのブッフェを食べる。3日目くらいから沖縄の気候に慣れてきて居心地がいい。初夏の朝は最高だ。今日の予定は特に決めておらず南の方へでも向かってみるかくらいだったので、朝インフォメーションセンターへ行って一緒にプランを考えてもらうことにした。
インフォメーションセンターのスタッフに話を聞くと、やはり南方を薦めてくれて、斎場御獄、平和記念公園、ひめゆりの塔、など今まで行ったことがないところだったのでそれらを周ることにした。近くのカフェで珈琲の飲んでからの出発。
南の方へ車で向かうとこちらも北側と同じように海が綺麗で、窓からはエメラルドグリーンのビーチが見える。もう何もする気がしないくらい平和だ。
那覇市内から1時間程度で斎場御獄というパワースポットのような観光名所に到着する。パワースポットというより、昔から祈願をする場所で大きな岩がある聖地なのだそうだ。まぁパワースポット観光地なんてそれほどでもないと思っていたらとんでもなかった。森の中に入り、大きな岩があるところへ歩くと漂う空気が違っていた。とにかく空気が澄んでいて気持ちがいい。たまたま観光客が途切れ、一人きりで大きな岩の前に立っていたのだが、木々が風に揺られてその音が波の音のようにざわめき、風が身体を通り過ぎていった。これは何かがある場所だと確信するほどで、調べると人によってはやはり何かを感じる人もいるそうだ。自分にはただただ気持ちがよかった。ちなみにここを訪問してからはなんだか身体の調子が色々と良くなった気がする。
その後向かった先は平和記念公園。沖縄といえば戦争の歴史があるので、いつかは行かないととは思っていたが、沖縄=南国のビーチなので少し避けていたのかもしれない。公園の淵の方へ向かうと慰霊碑がたくさん立ってあり、人の名前が市町村ごとに書かれてある。修学旅行生が沢山いて、ガイドがこの崖から戦時中に何人も飛び降りたと話していた。去年、鹿児島の知覧にある特攻隊記念館へ行っていたので、まぁその続きを見ることになるとは覚悟していたが、資料館の中は壮絶な展示物であった。知覧から飛び立った特攻隊はここで戦艦に突撃していき、市民は巻き沿いに合うことになる。想像していた通り、重苦しい内容の資料館を後にして向かった先はひめゆりの塔。
ここは女学園を卒業後に病院の看護要員として従軍していた女性たちが激しい戦闘に巻き込まれて多くの学徒隊が死亡し、その慰霊碑がある場所。資料館へ入ると当時の女学校での楽しそうな学園生活からだんだん戦争に巻き込まれていく経過の写真や資料が展示されている。
いつも思うのだが、こんなにも幸せに満ちた景色が国策によって数年で灰色の景色に変わってしまうことに驚く。女生徒たちは病院へ行って働いてもすぐに帰れると思っていて文房具なども持参していったが病院とは防空壕での従事であり、ほとんど前線だったと書いてある。上からの指示で行くしかないのだろうが、全体主義の当時は逃げることもできないのだろうし。
というか、今現在でも国の政策によって自分達もある程度は制御コントロールされてはいるし、それは巧妙なやり方でもあるのでなかなか気づかない。知らないうちにこの防空壕で命を落としかねないのと同じ状況へ持っていかれてる可能性もある。コロナ禍の最中も国の政策に振り回されっぱなしだった。今後も様々なことが以前よりも、国策を越えてインターネット内部や世界から起こるのかもしれないと考えながらひめゆりの塔を後にする。
解決策は個々人の構えと潮流の波に上手く乗れるかの備えなのだとは思うが、そもそも解決策が通用するような単純な世界ではなくなっていく気もするが。でも各個人の選択肢は結構自由に選べる時代ではあるので、結局は自分次第。まぁ100年前の全体主義よりは比べ物にならないくらい楽しめる時代だとは思えると、自分的には楽しくてしょうがない。成功するかしないかよりも、楽しいかどうかが自分が求めているものだったりする。それこそアイデアと工夫。
腹が減っていたので色々店を探すが、なかなか見つからず15時過ぎに、よね食堂という蕎麦屋に入る。ここでやっと食べることができた、てびち蕎麦。かなりの量の豚足で口の中がコラーゲンまみれになった。帰りのフライトが18時だったのでファストフードのA&Wで例のビールみたいなジュース?をさっさと飲んで近くにあったビーチーをぶらっと歩き、レンタカーを返却して那覇空港へ向かう。
二泊三日の沖縄というのは短いようだが意外とちょうどいい期間で過ごせる日程だった。特に5月ね、この季節は本当にいい。GWはかなり値段が上がるみたいだが、それを過ぎれば格安だ。以前は11月に来たがその時の季節も夏の再来のようで良かった。
家に戻ってからパスポートを申請した。今年はどこか海外へ行こうかとは思っていたが、まずは近場で、香港、台湾あたりで検討していた。ということを友達に話すと、参加者が一人から三人に増えて、もしかすると男4人で台湾へいくかもしれないことになった。40代後半で男4人で行くことなんてそうそうないとは思うのだが笑える。本当に行けたらかなり楽しそうだ。これも複雑になってしまった社会に対する解決策の一つでもあったりする。なかなか選択はしないし誰も信じないが。