朝食を食べにホテル・モスクワのラウンジへ向かう。窓からの採光は透き通り、大通りを眺めると通勤の人たちが足早に歩いている。宮殿の内装のようなラウンジはブッフェになっていてサラミやチーズ、パン、野菜を適当に皿に取り分け、テーブルに座って食べていた。妙に音がいいピアノだと思って流れている曲を聴いていたら、本当にピアニストがいてすぐ近くで弾いていた。こんな朝からピアニストを雇っているのか?と笑ってしまった。ベオグラードでは豪華絢爛がごく当たり前の日常という文化があちこちに散らばってる。
天気は秋晴れでシャツにジャケットを羽織り、まずは内戦時にNATOに空爆された建物がある空爆通りに向かう。朝、海外の街中をこの様に歩くのが本当に久しぶりで、昔の感覚が蘇ってくる。一歩一歩と歩くごとに過去のことが思い出されてくる。天気も秋晴れで気温も暑くも寒くもなく、昔ゴールデンウィークにスペインやイタリアの朝を歩いている感覚になる。あの頃はまだまだ行っていない国があって楽しかった。歳を重ねるとやはりその頃と違うのは当然で、それも含めて楽しむしかないのだが、年相応の悩みが発生してくるもので、今年はやや憂鬱になっていた。今回の母親の入院についてはいくら看病をしても人は歳をとっていくので、もとの少し若い頃に戻ることはないのだ、ということを実感できるまで少し時間がかかった。誰しも身体は衰えていく。だが、そんな憂いも秋晴れの清々しい朝にほんの少しだけ日が当たってくる。
街並みはやはり少し寂れており落書きが多い。トラムが走っているが、乗り方が分からず歩くことにした。角を曲がると現場のビルが見えてきて、すぐに分かった。破壊されて中が空洞になったビルが何棟か建っている。その脇を会社員が通行している。僕はそのビルをしばらく眺めていた。砲弾というものが当たると建物はこんなにも破壊されてしまうのだという威力を感じながら。まぁせっかくなので自分の写真でも撮ってもらおうと誰か通行人を探していたが、お願いできそうな人がなかなか見つからずウロウロしていると60歳くらいの男性が近寄ってきた。そうすると大きな声で「Hey! It’s NATO!」と言ってきたので、「Ah,Yeah…」と頷くとギロっとした表情で「Fucking NATO!」と怒鳴って歩き去って行った。相当怒っていたようだが、どうやらセルビア民族は到着時に乗ったバスの運転手も含め皆機嫌が悪いらしい。そして建物の梁が崩れ落ちそうなビルからなかなか離れられず、しばらく見ていると警備のミリタリー服の監視員が中から出てきたのですぐにそこから去ることにした。
空爆通りから回り道をしてベオグラードの中心にある大通りテラジェに向かう。通りの建物は20世紀初頭の建物がそのまま残っておりメンテナンスでもすれば綺麗になるのだろうが、まったくしていないような建物が多い。友人が話していた退廃感マックスというのがひしひしと伝わってくる。そんな歳をとった街の退廃感に同化しながらカメラを撮っていく。自分にとってはこんなにも世の中を憂うような美しい退廃は他にはないのだが。
歩いていると教会があったので入ってみることにした。久しぶりの海外なので現地の教会の空気を味わうくらいに思っていたのだが入口が分からず、教会横に小さな建物があり、門に人がいたので、了解をもらい中に入れてもらった。扉を開けて中に入ると教会の、特に古い教会の独特の香りが押し寄せてきて、何人もの女性達がベールの被り物をして牧師の注ぐ赤いワインとパン一切れをもらい、中を円になって歩いていた。それを囲むように信者の人たちは涙を浮かべているようにも見える。少し疲れた風貌で、綺麗な服装ではないような人もいる。まさか久しぶりの海外の教会でこんな真正のミサに遭遇してしまうとは思っておらず、たじろいでしまった。目の合う人は自分の方を怪訝そうな眼付で見る。こんなアジア人が真摯にミサを行っているところに覗きに入ったようなものだ。それでもその光景があまりにも叙情的で、ましてこの戦時中の最中であり、気持ちが高ぶってしまいそこから動くことができなかったが、あまり長居はせずに外に出た。出ると浮浪者のような人から寄付を迫られたが、あまり現金を持ち合わせておらず断ってしまった。隣に大きな教会があったが入口は閉まっていたのでテラジェに向かった。
テラジェの通りはショッピングストリートになっていて沢山の人が歩いている。そこからカレメグダン公園が観光スポットとして有名なので向かってみると公園の入り口に小学生の団体や観光客が沢山集まっている。長閑な公園で奥の方へ行くとそこに要塞跡地があった。その入り口の門の近くに内戦時の戦車や砲弾が何台も並んでいて、まさに初期の宮崎駿、ルパンのカリオストロの城のように映った。というかカリオストロの原形ってここなのかというくらい似ている。城、共産主義、戦車、時計台の塔まであった。しばらく散策しテラジェに戻る。ベオグラードの教育関係のミュージアムがあったので入ってみると小学校なで使われてきた古い人体模型や教科書、教室、制服などが展示されていて興味深い。
昼になったので昨夜行ったレストラン街のスカダルリヤへ行きDva Jelenaという老舗のレストランに入る。入ると内装は内戦時に会議か宴会にでも使っていたような雰囲気で何人かがテーブルを囲んでいる。薄暗い室内は時が止まっているかのようだ。食べたのはチーズを豚肉巻きにしてグリルしたデミグラスソースがかかったもの。肉は柔らかくてチーズが濃厚でどことなくバルカン半島の民族的な味がした。そこで一人のアジア人の男に「Hey」と声を掛けられ、「中国人か?」と聞いてきた。日本人だと答えると彼は上海から来て1ヵ月クロアチアからボスニア、セルビアとバルカン半島を周っているとのこと。英語の発音が妙に良く、セルビアで会った初めてのアジア人だった。中国人のパック旅行の団体も最近はそれほど多くはなく、こういう一人旅の中国人も増えてきたように思える。
店を出て一度ホテルに戻り休憩をして、リュビツァ妃の屋敷を訪れる。誰なのかはとくに知らないが、19世紀のバルカン様式の内装ということで、様々な部屋がある屋敷で客席は大きな絨毯が敷かれてアンティークの家具に囲まれ居心地が良い。飾ってある絵も家主の肖像画だろうか。ここに住んでいたのだという威厳のある眼差しでこちらを見ている。ホテルモスクワの内装もそうだがベオグラードがこれほど住居や建築を楽しめる街ということを知っている人は少ないのではないだろうか。そのまま国立博物館を覗き、半分新鮮で半分退屈な絵画や展示品を見る。
日が暮れてきたので夕食に女性がやっている家庭的なイタリアンの店に入る。ゆっくり寛げる小さなかわいい食堂で2階に通される。出されたペスカトーレと赤ワインは美味しく、クロアチアが近いからだろうか、海鮮と味付けは非常に美味であった。ついでに食後に勧められてティラミスまで食べてしまった。ベオグラードで食べた料理はワインを入れても日本円で2千円程度なので、このインフレと円安の時期には非常にありがたい。
ほろ酔いで店を出て、夜の街を散策してホテルへ戻る。大体の観光名所は見終わった。Google mapの交通機関がベオグラード市内の交通機関とリンクしておらずMoovitというアプリを使うそうなのだが、明日はこれを使ってトラムに乗って遠方まで出かけてみよう。夜のホテルの1Fレストランは席が客で埋め尽くされており、煙草や酒を楽しんでいる男友達の集まりから写真を撮ってくれと言われて撮影すると、レンズ越しに気持ち良さそうな上機嫌な顔が並んでいた。