冬場はとにかく寒くて気温による行動制限が毎年かかってしまうのだが、今年は近所の温泉、というかスパ入り浸っていた。小雪がちらついているときの露天風呂なんてものは極上のもので、そんなことばかりしていたら、いつの間にか関東に桜が咲いた。
どこかの時点で沖縄へ行って冬に溜まった身体のコリをほぐそうかと思っていたのだが、これももはや定例で航空券を調べていると片道1万円の石垣島のチケットが出てきたので即購入。二泊三日でもすでに季節は夏であろう場所で過ごせるのは関東近隣から離脱できるのでここから抜け出せる感があって気分が高まる。一人でも良かったのだが、石垣島は居酒屋が多いので友達と二人で遊びに行くことにした。前日の夜に空港近くのホテルに泊まり、早朝7時の飛行機に乗る。このチェックインをした時にドル円は153円になった。沖縄へ行くことは世界経済的に日本人にも外国人にとっても正解であって、日本国内を追求した方が良い時代になってしまったようだ。まぁ昔から言われていたことだけどあからさまにこんなニュースが流れると予定通りなら日本は沈没するということが本当になってしまいそうだ。たしか2035年頃?かと言って悲観的になっている暇もないので遊ぶしかないと思っているので今のところは問題はないのだが。
飛行機の機内は満席で11時に石垣島へ到着。空は晴れていて、すぐにパーカーを脱いでTシャツになりレンタカーを借りて川平湾へ向かう。ここへ来たのは2021年の11月のコロナ禍の時だったので、その頃のことが色々と思い出されてくる。あの頃はまわりには言わないでこっそり沖縄10日間の旅を楽しんでしまった。しかも観光客が少なく沖縄独占状態で。道路に信号がなく山々が見える山道をずっと走っていくと、前に来たことのある川平湾近くの駐車場を見つけた。車を停めて、短パンに着替えサンダルを履いて小道をずっと川平湾まで歩いていく。前回は誰もおらず一人で独占できたのだが、今回はそれでも4,5人だろうか、人が歩いていた。潮がすこし満ちていて波と風の音しか聞こえないのは前とおんなじだ。この辺りに来るのなら一人で来て、しばらく座って海を眺めているので良い。それだけで頭の中も身体もほぐすことできる。
その後、川平湾展望台へ移動して腹が減っていたので八重山蕎麦をたまたま展望台にあったカフェで食べる。ソーキ蕎麦を注文したのだが、かなりのボリュームで何とか一緒にジューシーもたいらげた。浜辺にあるボート乗り場を散策すると結構な観光客がいた。ボートには乗らなかったが高台からの眺めはガイドブック通りでかなり良い景色だ。今日は石垣島をさくさく周りたかったのでそのまま米原ビーチへ移動する。砂浜からの海は透明で日差しも夏だ。これさえあればもう他には何もいらない。冬場に太陽があまり浴びられず冬季鬱のような心身状態だったのかとも思えてしまうし、こんな陽の光を浴びると汗が出て喉もカラカラに乾くが、石垣島の海の風と波の音は本当に気持ちがいい。
海水浴をしている人達もいて最高の環境なので通常の生活がバカバカしく思えてくる。日が暮れてしまうので足早にサンセットビーチと平久保埼灯台へ行く。灯台からの眺めはどうやら引き潮の時間帯のようで、不思議な海の色になっていた。喉がカラカラに乾いていたので、無人の休憩所の自販機でスプライトを買って飲むと炭酸がくぁあああっと喉を通って死ぬほど美味かった。こんな休憩所でスプライトなんて飲んでると子供の頃の夏休みの感覚だ。そこからは市内へ戻りながら適当に底地ビーチなどへ寄り道をしていったがフサキビーチはまるで海外に来たような雰囲気でプールサイドにBARがあったのでカクテルを飲んで夕日を見ていた。終わらない夏休み、こうなってしまうとしばらくずっとここに滞在したくなってしまう。もう10年前になるが、フィルピンのセブ島に8,9月の2ヶ月間語学留学として島々を巡った素晴らしい日々があったのだが、あれを越える夏休みはこれからあるのだろうか。
友達に運転をお願いしてホテルにチェックインする。もう18時を過ぎていたので、呑みに行く前だったが、なんとホテルに大浴場があったので入浴してから外出した。夏の夜の気温で市内まで10分ほど歩くと、飲み屋街はなかなかの賑わい。都内ほどは混んではおらず、しかし店は満席が多く、裏路地で見つけた良さそうな沖縄料理屋へ入る。石垣島の地ビールを注文して、海ブドウと島ラッキョウ、ゴーヤチャンプルー、刺身盛、グルクン、と定番の料理を食べたが、年に1回はこうして沖縄で料理を囲むことが自分にとって必要な儀式なのかもしれない。それに澄んだ海の近くにこんな美味い居酒屋があるところなんてそうそうない。もう一軒行きたかったが次の日に行けるかどうか分からないが、波照間島行きのフェリーのチケットを予約していたので、早めにホテルへ戻ることにした。帰り道、夜風と虫の鳴き声が気持ちいい。