八重山諸島、春の海4

朝起きるとホテルの窓からの眺めはいいが、日焼けした身体がジリジリと痛い。そのせいで寝不足で頭も火照っている。これは軽い熱中症ではと思うレベルで、このままだとまずいとホテル向かいのコンビニへ向かう。

何か身体に塗るローションはないですかと店員に尋ねると、「日焼けですか?」と僕の顔と腕を見て、「これは酷いですね。この先に大きな日用雑貨店があるからそこに行ってみてください。日焼け用のローションが売ってますから、場所はえーっと」と一緒にコンビニの外に出て店を指さしてもらった。その時に身体の大きな男が歩いてくると、その女性スタッフが「今日雑貨屋もう営業してる?」と聞くと男が「もう8時からやってるよ」とぶすっとした口調で言った。「どうしたの?」「この人日焼けしちゃってて」と女性が言うと男は笑って、「石垣の日差し甘く見たらだめだよ、店はあそこで入口はそこね、俺そこで前に働いてたから」と愛嬌良く話してくれた。お礼を言うと、女性が「ありがとー、今日も仕事がんばってね!」男は鼻でフッと笑って港の方へ行ってしまった。朝から島の人間模様が少しだが見えた。女性にもお礼を言い、商店に行くと店員がそのローションを教えてくれて即購入。ホテルの部屋に戻り、顔と腕に塗りまくった。どうやら硫黄が含まれた液体のようだ。

朝食を食べてから竹富島へ向かうためフェリー乗り場へ向かう。竹富島へは数十分で到着し、レンタサイクルを借りたのだが、乗って少し走った後すぐ後に雨が降ってきて、その雨はどんどん強くなっていき全く動けなくなくなってしまった。急いでレンタサイクルの店まで戻ると傘があったのでそれを借りて歩いて観光しようと歩いていたのだが、相当な強雨になり歩くこともできず、木の下で雨宿りをしていた。他にも雨宿りをしている男女がいたので、一緒に近くの神社まで移動して屋根があったので時間をつぶしていた。

一向に雨は止まないので傘を一本貸して二人のレンタサイクルの店まで引き返ってあげた。自分達もレンタサイクル店へ戻り、フェリー乗り場へ戻ることにした。竹富島の赤茶色の屋根は強い雨の中で少しだけ見れただけだった。まぁここは近い島なのでいつかまた来れるだろう。フェリー乗り場では沢山の人達が雨を眺めながらフェリーが来るのを待っていた。こうして雨を眺めていると、なんとも時間がゆっくりと流れている感覚になる。古い時代、琉球王国の頃の人々もこうして雨を眺めていたのだろう。琉球王国を巡る旅という括りで奄美黄島から八重山諸島までゆっくりと旅をすることもいつかしてみたいものだ。

石垣島へ戻り、昼食に洋風な飲み屋でタコライスを食べた。この沖縄で食べるタコライスというものは気候のせいかいつも美味く感じる。今日の夕方に本州へ戻るので空港へ車で向かいながら寄り道をして行った。最初に寄ったのは人気スポットになっている鍾乳洞中で中に入ると確かにかなりの広さだ。なんとなくぼんやりと中を30分ほど見て次の「やいま村」へ行く。雨は止んでいたのだが、中に入るとすぐに大雨になった。今日の観光は一日無理だと諦めて土産売り場でしばらく雨宿りをしていると、少し止んできたので、中へ入り3年ぶりの琉球家屋と猿の群れを見て、行ったことのなかったマングローブが密集している場所まで行くとなかなか見られない景色が広がっていた。

フライトの時間が近づいていたので空港へ行き、レンタカーを返却しチェックインする。最終日は雨で散々であったが、やはり南国は長期間で来るべきなのであろう。そうであればこんな日も優しい雨の日として迎えられる。夕食として空港で最後の沖縄そばを食べて飛行機へ乗り込む。成田空港へは21時に到着した。

このまま次の日は仕事になってしまうのだが、やはり時間が少ない。もう少しだけでいいから時間があったらなといつも思う。そんなものいつかは人々の思考と働き方も変わり、自ずと自分に使える時間は増えていくとは思うのだが。しかし今でも少しずつだが人の行動だけでも変わってきていると思う。インターネットや人が移動することが増えて出会いや互いに影響し合うことからヒントが色々と生まれてきているので、そこからすでに「できる人」と「できない人」との差別化は始まっている。いかに社会の常識的な風習から距離を置き、自分の時間を作ることができるか。星座と会話する時間を真剣に作れと話す土産屋の店主や、石垣島に1年間住むことを勧めてくれた方がいたが、そういう人達はどこか吹っ切れていて本当のことを知っている。あれは南の島の成せる作用なのだろうか。南の島には引き込まれる不思議な力があって、自分の中の何かを刺激してくれる。それが短い期間であっても。