1870年クリスマス      パリのレストランの献立

1870年のクリスマス、パリのコンコルド広場の近くにあったレストランのフレンチのメニューの献立表を眺めるのが好きで、(この献立表は菊地成孔さんの過去のテキスト「歌舞伎町のミッドナイト・フットボール」に収録。)たまに思い出した時に引っぱり出してくるのだが、今年のこの世間の様相からして、非常に事態な事を連日連夜と騒ぎになっており、しかもニュースを見ていたらパンデミックにはクリスマスも年末年始も関係ないと飲食店経営者が言うようなことを言っていたので、またこのメニュー表を引っ張り出してしまいました。

これ豪華なメニューなんです。ワインは高価なロマネコンティや当時40年前の物も入っている。ただよく見ているとアントレの後に、ネズミと猫のローストと書いてあって何だかおかしいぞ、となってきます。象のコンソメスープもあるし。

パリの市民はこれらを珍味として楽しんだわけではなく、そう、この年パリは戦争中でプロセイン軍(後のドイツ)に街を包囲されて市民たちは食糧の窮乏状態に陥ってしまっていたんです。1870年9月から翌年の1月28日の休戦協定が締結されるまでパリの市民は普段目をつけない食材にまで食糧の対象とせざるを得なかった。摂氏マイナス13度の中、餓死者と凍死者の数はこの冬だけで5000人に達したそうです。

そして供された象にはちゃんと名前がありました。カストルとポルックスという名称で兄弟だったそうです。そう、実この2頭は動物園にいた象なんです。カンガルーもクマもきっと動物園の動物で、ダムダム弾で殺された象は27,000フランの値段でM. Deboosという肉屋が購入し1ポンド40フランで売り捌いたという記録が残っています。猫やネズミは近くの下水あたりから捕まえてきたんでしょう。

フランスでクリスマスのディナーはレヴェイヨンと言って聖なる勤めなのだそう。絶対にやらなくてはならない。裏路地からネズミと猫を捕まえてでもやらなくてはならない、ソースやワインは高級な物を添えて。食べ終わった後、店を出て餓死者と凍死者を焼いて暖をとるんでしょうけど、すごいクリスマスですよね。

当時のメニューには、例えば、Cuissot de Loup, Sauce Chevreuil (オオカミの臀部のシカソース)、Terrine d’Antilope aux truffes(アンテロープのテリーヌ、トリュフ添え)、Civet de Kangourou(カンガルーのシチュー)、Chameau rôti à l’anglaise(ラクダのロースト英国風)などがあって、イギリスの週刊誌の編集者のトーマス・ボウルズはこの時パリに滞在していたが、ラクダ、アンテロープ、犬、ロバ、ラバ、象を食べたが、象は一番好みに合わなかった」と話しているそうです。

やはり同じ時期に滞在していたイギリスの政治家ヘンリー・ラボーチャーは、以下のような文章を書いている。

「昨日、私は夕食にポルックスの切り身を食した。ポルックスとその兄、カストルの2頭の象は殺された。象の肉は固く、粗く、油っぽかった。私としては英国の人々が牛肉やマトンを入手することができる限りにおいては、象肉はお勧めしない。」

さて今年のクリスマスはどうなるのでしょう?

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