Hiro のすべての投稿

社会科見学派カメラマンDOKKIKIN TVによる、世界を踊りながら撮影した写真と記録。

八重山諸島、春の海4

朝起きるとホテルの窓からの眺めはいいが、日焼けした身体がジリジリと痛い。そのせいで寝不足で頭も火照っている。これは軽い熱中症ではと思うレベルで、このままだとまずいとホテル向かいのコンビニへ向かう。

何か身体に塗るローションはないですかと店員に尋ねると、「日焼けですか?」と僕の顔と腕を見て、「これは酷いですね。この先に大きな日用雑貨店があるからそこに行ってみてください。日焼け用のローションが売ってますから、場所はえーっと」と一緒にコンビニの外に出て店を指さしてもらった。その時に身体の大きな男が歩いてくると、その女性スタッフが「今日雑貨屋もう営業してる?」と聞くと男が「もう8時からやってるよ」とぶすっとした口調で言った。「どうしたの?」「この人日焼けしちゃってて」と女性が言うと男は笑って、「石垣の日差し甘く見たらだめだよ、店はあそこで入口はそこね、俺そこで前に働いてたから」と愛嬌良く話してくれた。お礼を言うと、女性が「ありがとー、今日も仕事がんばってね!」男は鼻でフッと笑って港の方へ行ってしまった。朝から島の人間模様が少しだが見えた。女性にもお礼を言い、商店に行くと店員がそのローションを教えてくれて即購入。ホテルの部屋に戻り、顔と腕に塗りまくった。どうやら硫黄が含まれた液体のようだ。

朝食を食べてから竹富島へ向かうためフェリー乗り場へ向かう。竹富島へは数十分で到着し、レンタサイクルを借りたのだが、乗って少し走った後すぐ後に雨が降ってきて、その雨はどんどん強くなっていき全く動けなくなくなってしまった。急いでレンタサイクルの店まで戻ると傘があったのでそれを借りて歩いて観光しようと歩いていたのだが、相当な強雨になり歩くこともできず、木の下で雨宿りをしていた。他にも雨宿りをしている男女がいたので、一緒に近くの神社まで移動して屋根があったので時間をつぶしていた。

一向に雨は止まないので傘を一本貸して二人のレンタサイクルの店まで引き返ってあげた。自分達もレンタサイクル店へ戻り、フェリー乗り場へ戻ることにした。竹富島の赤茶色の屋根は強い雨の中で少しだけ見れただけだった。まぁここは近い島なのでいつかまた来れるだろう。フェリー乗り場では沢山の人達が雨を眺めながらフェリーが来るのを待っていた。こうして雨を眺めていると、なんとも時間がゆっくりと流れている感覚になる。古い時代、琉球王国の頃の人々もこうして雨を眺めていたのだろう。琉球王国を巡る旅という括りで奄美黄島から八重山諸島までゆっくりと旅をすることもいつかしてみたいものだ。

石垣島へ戻り、昼食に洋風な飲み屋でタコライスを食べた。この沖縄で食べるタコライスというものは気候のせいかいつも美味く感じる。今日の夕方に本州へ戻るので空港へ車で向かいながら寄り道をして行った。最初に寄ったのは人気スポットになっている鍾乳洞中で中に入ると確かにかなりの広さだ。なんとなくぼんやりと中を30分ほど見て次の「やいま村」へ行く。雨は止んでいたのだが、中に入るとすぐに大雨になった。今日の観光は一日無理だと諦めて土産売り場でしばらく雨宿りをしていると、少し止んできたので、中へ入り3年ぶりの琉球家屋と猿の群れを見て、行ったことのなかったマングローブが密集している場所まで行くとなかなか見られない景色が広がっていた。

フライトの時間が近づいていたので空港へ行き、レンタカーを返却しチェックインする。最終日は雨で散々であったが、やはり南国は長期間で来るべきなのであろう。そうであればこんな日も優しい雨の日として迎えられる。夕食として空港で最後の沖縄そばを食べて飛行機へ乗り込む。成田空港へは21時に到着した。

このまま次の日は仕事になってしまうのだが、やはり時間が少ない。もう少しだけでいいから時間があったらなといつも思う。そんなものいつかは人々の思考と働き方も変わり、自ずと自分に使える時間は増えていくとは思うのだが。しかし今でも少しずつだが人の行動だけでも変わってきていると思う。インターネットや人が移動することが増えて出会いや互いに影響し合うことからヒントが色々と生まれてきているので、そこからすでに「できる人」と「できない人」との差別化は始まっている。いかに社会の常識的な風習から距離を置き、自分の時間を作ることができるか。星座と会話する時間を真剣に作れと話す土産屋の店主や、石垣島に1年間住むことを勧めてくれた方がいたが、そういう人達はどこか吹っ切れていて本当のことを知っている。あれは南の島の成せる作用なのだろうか。南の島には引き込まれる不思議な力があって、自分の中の何かを刺激してくれる。それが短い期間であっても。

八重山諸島、春の海3

その店には何だか妙な手作りのアクセサリーが置いてあり、Tシャツなども沢山あるのだが、デザインが独特でカッコいいのかどうか分からないグラフィックのプリントで、一周回って、これカッコいいですね!と言ったら、店主が「そう?嬉しいねー、それ俺がデザインしたの」と言い、そこから色々なことを話し始めた。

「現代人は本当に大変だと思う。変化が早すぎるから追いついていくのが大変だろう。そのうえモルモットのように働かされて、それじゃ頭がおかしくなっちまうのは当然だよ。」なんてことを言い、確かに実際大変だと感じているので、それじゃどうすればいいんですか?と尋ねると、こう答えた。「ここに来て星空と会話する時間を作るということを真剣に考えた方がいい」

この島へ来た意味、その何となく的を得たような答え話してくれたので、結局、回答はそのあたりにあるのだろうとおぼろげに分かった。

「あんたらみたいな旅に出られる人はまだマシで大丈夫回だけれど、問題は外に出ない現代人だよ」おじさんは現地の出身の人?と聞くと、カメだか何かに乗せられて気が付いたらここに到着して、いつのまにか住んでたよ、という惚けた答えが返ってきた。折角だから何か買おうかと雑貨を選んでいたら、Tシャツがいいんじゃないか?俺の話したことがそのデザインに全てが書かれている。と言うのでそれを買ってみた、よくよく見るとすごいデザインでいつ着ていいのか分からない。「人類はDNAで過去から繋がっていて、遡ると40億年前まで戻るんだ。そこまで戻れとまでは言わないが、自分の子供の頃や母親の胎内にいた頃の記憶を呼び戻すように考えるんだよ。そうすれば現代の風習に刷り込まれた頭の中が綺麗になるから」

言っていることは良く分かるし、自分が今いる島の海風にあたりながら、そんな話を聞くと説得力が増して聞こえてくる。もし島に泊まったら星雲が相当綺麗に見えるんですか?と聞くと、「見たいと思えば見えるよ。」何を尋ねても回答が精神世界を通した答えになってしまう。が、何が正解なのか選択するのが複雑になってしまった現在には、時々はこういった世界観に浸るのも必要にも感じる。

じゃあそろそろ行きます、と店を出ようとすると、眼力の強い店主は「気を付けて行けよ!」と声を上げた。元気そうに別れたが若干寂しさも残るのが旅の別れ。帰りの便の時間の16時になったので港へ戻り、フェリーで石垣島へ戻った。波照間島は小さいけれど石垣島もなかなか小さい島だ。ちょうどサンセットの時間に戻ったので着いた港から観音埼岬へ車を走らせる。岬へ着くと小さな駐車場があり、そういえば3年前にここに来たことを思い出した。海の方へ歩いていくと、「今日は良い夕日は見られますかねー」とおじさんが話しかけてきたので「どうでしょうね」と返して奥の方へ向かって歩く。どうも空に靄がかかっていて3年前に見た強烈な夕日は見られなかったが、ぼんやりとゆっくりと沈む小さい夕日を見ていると、先程会ったおじさんが話しかけてきた。さっきから飛んでいるドローンはこのおじさんの物で手にはカメラを持っていた。趣味でカメラをやっていること、退職後、石垣島に移住して1年くらい住んでいること、家賃や物価のことなど色々と話した。1年石垣島に住んで、あの台風を経験してみることを強く勧められ、確かに一度くらいはそれも楽しそうだなと盛り上がる。

ホテルに戻り大浴場で風呂に入ったが、この時日焼けの跡がかなり沁みて痛む。それから街に繰り出し、土産屋に入ってみていると、店員が「お兄さんたち夕食はまだ?」と聞いてきたので、まだですと言うと、「この時間なら二回転目だから予約しないでも入れるよ。地元の人に人気のある店があって、教えるね」と3軒ほど教えてもらった。それにしても、ただ歩いてるだけで色々な人から話しかけられる。行ってみた居酒屋は家族連れが一組入口で待っていて、中へ入ってスタッフに聞いてみるとかなり忙しいようで走り回っている。席は空けるからちょっと待っていて下さいと一生懸命に片づけを始めた。しばらくして案内され、周りを見渡すと現地の人達だろうか、大きな笑い声で宴会をしている。現地とは言えテーブルにはタッチパネルが置いてあり都会にいるのと変わらない環境で注文する。沖縄料理がメインなのだが、出されたゴーヤチャンプルーはトロトロのタマゴが乗っていて独特のおいしさだった。島らっきょうも刺身も新鮮で牛肉の握りも柔らかい肉であり、教えてくれた雑貨屋の店主に感謝した。店の名前は「まだんばし家」

泡盛を飲んだのでほろ酔いで街中を歩きながらホテルへ戻る。今回は2人で来ていたのだが、これが一人だったらもっと当てもなくどこかへ歩いて行ってたかもしれない。

八重山諸島、春の海 2

朝起きて携帯で波照間島行きのフェリーの運航状況を調べると終日丸印がついていた。天候は晴れだったので期待していたのだがあっさり大丈夫だった。前回来た時は2日連続欠航していて半ば諦めていたくらいなので2泊3日で波照間島へ行くことができるのは運がいい。ホテルの朝食ブッフェを食べ終えてフェリー乗り場まで歩く。ルートイングランディアというホテルなのだが朝食、大浴場、立地からするとかなり良く窓からの眺めもいい、建物は昭和な感じだがまたそれも良かった。

フェリー乗り場でチケットを購入すると具志堅の像が待ち構えていて3年前を思い出す。しかしあの頃のひっそりした空気間はなく、ひらけてしまったような雰囲気になっている。都内もそうだが、コロナはずっと開けないようなことが言われていたのが今やそれを全く感じさせることはなく人、人、人の波でもはやバブル状態のようだ。自分の場合はあのひっそりした瞬間、誰も行かない時に行くのが好きなので、バブル状態に行くのは苦手と言えばそうなのだが。などと考えていると波照間島に到着した。

ほぼ満席のフェリーは石垣島から1時間くらいで着いてしまうのだが、もはや台湾の近くだ。フェリー乗り場を歩いていくと、レンタサイクルや民宿の看板を持った人達がいるので、適当に原付バイクのレンタル料金を聞いて店を決めて車に乗り込むと島の中心地にある店まで車は走った。レンタル店に降ろされた人達は10人ほどで家族で来ている人達もいる。石垣島では欧米人を少し見かけたがここには日本人しかおらず、まだ海外の人達からは未開の地なのであろうか。

マップをもらい原付で走り出し、念願の久しぶりのニシ浜へ向かう。午後には潮が引いてしまうそうで午前中から昼時がいいということで急いで向かうと見覚えのある坂道を右に下っていくとハテルマのブルーが目の前に広がってきた。二回目なのだがやはりこの青は深くて透き通っていて独特の色で180度に広がり周りには何もなく飲み込まれてしまいそうになる。原付を駐車場に停めて浜辺に行くともう泳いでいる人達がいた。4月のこんな時期に少人数で泳いでいるなんてとんでもなく贅沢な遊びに違いない。しばらく海を眺めていると、隣にいた男性から声を掛けられどうやら島マニアらしく、ここへは何度か来ているそうだ。彼が言うにはおススメは奄美黄島いいですよ!と激押ししてきたので、それ次回行ってみますと話してしばらくビーチで突っ立っていた。

いる人たちは全部で15人~20人くらいだろうか、小規模のパーティーだか町内会だかのメンバーで、世界遺産とか遺跡とでも言えるとでも言えるような海を独占している状態。肌がじりじり焼けてくるし、喉はカラカラだし、ちなみに水ペットボトル2本は買ってきたがもう温い。原付もあるし、このまま最南端まで突っ走っちゃおうと友達とブイーーンとバイクで信号なしの一本道、周りはサトウキビ畑、たまにヤギ、を両端にみながら走っていくと、10分くらいで次のビーチに到着した。そこに女性がいて、一人でビーチに歩いているのが怖いと言うので一緒に茂みを歩いていくと岩々のある海でビーチではなかった。話をすると石垣島へ移住して1年くらい住んでいるそうで、なんとも移住した顔という雰囲気だった。

そのまま原付に跨り次のビーチへ着くと、2人しかおらず、比べるとニシ浜の色の方が圧倒的だが、そこらへんにこんな浜辺が散らばっているこの島にマジ泊まりてー!と友達と絶叫しながら浜辺を歩いていた。浜辺から最南端の碑まで移動すると、断崖絶壁の岩々があり、その上をゆっくり歩きながら海を見下ろすと激しい波が打ち付けていた。ここの景色も相変わらず絶景だ。ここを見たら後は集落に行くことくらいしかすることもなく、昼時になっていたので原付を走らせる。

前に来たことのある定食屋がやっていたので、そこで豚の角煮定食を食べると3年前と同じ味がした。この店は一体いつからやっているのだろう。客は入れ替わり入ってくる。ここを出て村の中をバイクで走り、なんとも言えない集落の様子を見ていたらお土産屋を見つけた。以前はフェリー乗り場にあった店が家で店を構えることにしたみたいだ。貝殻で作ったアクセサリーなどが売っているが、それにしてもこんな離れ島でやっている店は非常に独特の雰囲気がある。午後になってもとにかく暑いのでカフェで休憩することにすると、オープンテラスのカフェはかなりの客で埋め尽くされている。日傘が設置してあるので涼むこともできて、色々な人達が来ていて見ていると面白い。それにしてもここは一人旅の人が多く、何とはなしに話しかけている。

そしてこのカフェを出て隣に土産屋があり、そこに入ったときに独特の雰囲気の店主と会うことになった。

八重山諸島、春の海 1

冬場はとにかく寒くて気温による行動制限が毎年かかってしまうのだが、今年は近所の温泉、というかスパ入り浸っていた。小雪がちらついているときの露天風呂なんてものは極上のもので、そんなことばかりしていたら、いつの間にか関東に桜が咲いた。

どこかの時点で沖縄へ行って冬に溜まった身体のコリをほぐそうかと思っていたのだが、これももはや定例で航空券を調べていると片道1万円の石垣島のチケットが出てきたので即購入。二泊三日でもすでに季節は夏であろう場所で過ごせるのは関東近隣から離脱できるのでここから抜け出せる感があって気分が高まる。一人でも良かったのだが、石垣島は居酒屋が多いので友達と二人で遊びに行くことにした。前日の夜に空港近くのホテルに泊まり、早朝7時の飛行機に乗る。このチェックインをした時にドル円は153円になった。沖縄へ行くことは世界経済的に日本人にも外国人にとっても正解であって、日本国内を追求した方が良い時代になってしまったようだ。まぁ昔から言われていたことだけどあからさまにこんなニュースが流れると予定通りなら日本は沈没するということが本当になってしまいそうだ。たしか2035年頃?かと言って悲観的になっている暇もないので遊ぶしかないと思っているので今のところは問題はないのだが。

飛行機の機内は満席で11時に石垣島へ到着。空は晴れていて、すぐにパーカーを脱いでTシャツになりレンタカーを借りて川平湾へ向かう。ここへ来たのは2021年の11月のコロナ禍の時だったので、その頃のことが色々と思い出されてくる。あの頃はまわりには言わないでこっそり沖縄10日間の旅を楽しんでしまった。しかも観光客が少なく沖縄独占状態で。道路に信号がなく山々が見える山道をずっと走っていくと、前に来たことのある川平湾近くの駐車場を見つけた。車を停めて、短パンに着替えサンダルを履いて小道をずっと川平湾まで歩いていく。前回は誰もおらず一人で独占できたのだが、今回はそれでも4,5人だろうか、人が歩いていた。潮がすこし満ちていて波と風の音しか聞こえないのは前とおんなじだ。この辺りに来るのなら一人で来て、しばらく座って海を眺めているので良い。それだけで頭の中も身体もほぐすことできる。

その後、川平湾展望台へ移動して腹が減っていたので八重山蕎麦をたまたま展望台にあったカフェで食べる。ソーキ蕎麦を注文したのだが、かなりのボリュームで何とか一緒にジューシーもたいらげた。浜辺にあるボート乗り場を散策すると結構な観光客がいた。ボートには乗らなかったが高台からの眺めはガイドブック通りでかなり良い景色だ。今日は石垣島をさくさく周りたかったのでそのまま米原ビーチへ移動する。砂浜からの海は透明で日差しも夏だ。これさえあればもう他には何もいらない。冬場に太陽があまり浴びられず冬季鬱のような心身状態だったのかとも思えてしまうし、こんな陽の光を浴びると汗が出て喉もカラカラに乾くが、石垣島の海の風と波の音は本当に気持ちがいい。

海水浴をしている人達もいて最高の環境なので通常の生活がバカバカしく思えてくる。日が暮れてしまうので足早にサンセットビーチと平久保埼灯台へ行く。灯台からの眺めはどうやら引き潮の時間帯のようで、不思議な海の色になっていた。喉がカラカラに乾いていたので、無人の休憩所の自販機でスプライトを買って飲むと炭酸がくぁあああっと喉を通って死ぬほど美味かった。こんな休憩所でスプライトなんて飲んでると子供の頃の夏休みの感覚だ。そこからは市内へ戻りながら適当に底地ビーチなどへ寄り道をしていったがフサキビーチはまるで海外に来たような雰囲気でプールサイドにBARがあったのでカクテルを飲んで夕日を見ていた。終わらない夏休み、こうなってしまうとしばらくずっとここに滞在したくなってしまう。もう10年前になるが、フィルピンのセブ島に8,9月の2ヶ月間語学留学として島々を巡った素晴らしい日々があったのだが、あれを越える夏休みはこれからあるのだろうか。

友達に運転をお願いしてホテルにチェックインする。もう18時を過ぎていたので、呑みに行く前だったが、なんとホテルに大浴場があったので入浴してから外出した。夏の夜の気温で市内まで10分ほど歩くと、飲み屋街はなかなかの賑わい。都内ほどは混んではおらず、しかし店は満席が多く、裏路地で見つけた良さそうな沖縄料理屋へ入る。石垣島の地ビールを注文して、海ブドウと島ラッキョウ、ゴーヤチャンプルー、刺身盛、グルクン、と定番の料理を食べたが、年に1回はこうして沖縄で料理を囲むことが自分にとって必要な儀式なのかもしれない。それに澄んだ海の近くにこんな美味い居酒屋があるところなんてそうそうない。もう一軒行きたかったが次の日に行けるかどうか分からないが、波照間島行きのフェリーのチケットを予約していたので、早めにホテルへ戻ることにした。帰り道、夜風と虫の鳴き声が気持ちいい。

2023から2024へ

ブダペストから日本へ戻り、通常の生活が始まり、母親のいる病院へ出向き色々と手続きをしていたが、することはと言えば感染対策の為、10分間だけ面会し母親と顔を合わせるのみ。比較的顔色も良くなり、入院しているのでしっかり食事も摂れていて日々回復しているようだった。

入院していることで、こちらも不安に思うことはなくなり、そのまま年末を迎えることになった。年末に向けて、あちこちで友人と会うことがあり平常の生活が訪れていたのだが、何だろうか何か意力の低下というか、やることをやり終えて脱力状態になった。旅の疲れもあったのか、帰国後はとにかく身体が重くて動かない状況で、まぁこれは長旅と食事の違い、旅の最中ついついワインを飲みすぎ、食べ過ぎによるものであろうと質素な生活に戻した。しかし気持ちが低空飛行なのは、また自由に国内海外を動き回りたいというパンデミック中の願望が叶い、よく言われる燃え尽きとでも言うのか、目標がなくなってしまいしばらく脱力していた。もちろん日本は平和でなにも問題はないのだが、それはそれで寝ぼけてしまうような平和ボケ状態。

さて何をしようかと次のことを考えるが何も浮かばない。とは言え、こうして文章を書いていることで、自分自身を探ることができるので、年末から年明けに向けてずっとセルビアとブダペストの滞在の記録をまとめていた。書いていると面白いのがたったの10日間ですら人の心は変化していくということ。成長とも言えるし、まぁある程度の年齢になると熟成されていくとでも言うのだろうか、30代の頃とは違い立ち止まって想いに耽ることが出てきた。そんな中で自分が今したいことは、書き続けることか。書いていたら、人の歴史や世界の今日までの動きや仕組みをもっと調べたい衝動に駆られてきた。

パンデミック後の世の中の動きは経済やテクノロジーの進化、職業も含めて、何故そんなことが起こってしまうのか驚くことが起こりつつある。10年前におぼろげに考えていたことが現実になってきて、もはや真摯に取り組む時期なのかもしれない。身近なところでは、働き方、住む場所などのライフスタイルを変えていきたい気持ちが強い。帰国後はぼんやりしていたことが少しづつ整理されてきた。

秋口には親の体調もすっかり回復し病院を退院ことになり、久しく会っていなかった友人たちと会うことも増え、街は正常化してきた。久ぶりに会う面々は自分と同じく歳を重ねていて、あぁやはり時間は過ぎていくのだな、なんてことを考えていると、情報化社会は進めど、人体というものは昔から変わってはおらず、そんな中で生活を変えるということは、なかなか大変だな、なんて考えてしまった。やはり人生は短くあっという間だ。

もう冬に入った銀座は人が沢山歩いていて、元の賑やかな週末に戻っていた。夢が覚めて現実に戻ったのだ。

憂鬱の推移「ブダペスト、ハンガリー11/最終章」

ブダペスト最終日となった。テレビでは相変わらずイスラエルのガザ侵攻のニュースが報道されている。各地ではデモが行われており、ロンドン、パリ、ニューヨークではかなりのデモ隊が集まっているようだが、ここブダペストは何事もないのが幸いだった。今日の15時のフライトで帰国するので、街を昼過ぎには出ないとならない。行ってみたいところが一つあり、それはユダヤ人のシナゴーグ。こんな状況なので、あまり安全とは言えないがまずは近くまで行ってみることにした。

ホテルをチェックアウトして荷物だけ預かってもらう。朝食はシナゴーグに向かう途中にあるだろうと思って向かうと、シナゴーグの向かいにカフェがあったのでそこへ入る。カフェはインテリアに囲まれていて北欧カフェとでもいうような店。ここでコーヒーとトーストと目玉焼き、サラダ添えを食べる。

シナゴーグへ行くと想像以上に観光客が多く入口に並んでいた。入場料は6000円となかなかの値段であった。中に入るとキッパというユダヤ人が頭に被るものが紙製でおいてあり、それを頭にクリップで取り付ける。教会の中に入ると、何か国かの言語でスタッフがそれぞれ解説をしていた。外へ出ると庭があり、博物館が設置されている。中にはトーラーやヘブライ語で書かれた食器だろうか、グラスなども置いてある。ガザ地区と揉めている最中にここへ来るということも何か意味深であった。他にいた沢山の観光客たちの表情も少し曇りがちに見える。帰り際に何か買おうと土産売り場でシナゴーグの絵の描かれたマグネットを自分に買った。ブダペストの最後の場所がユダヤ教のシナゴーグということもこの後の旅へ何か続きがあるような感じがある。この続きとこれからの世界はどうなっていくのだろう。

ホテルへ戻り手荷物を返してもらい、空港行のバス停へ向かう。バス停で切符を買おうとすると前にいた男性が切符が買えないと言ってきて、金をここに入れたらどうか言うと、金が足りないと言う。それならば目の前にあったインフォメーションへ行けと伝えると、うろうろと歩いて行った。あとで気付いたがあれも物乞いの一人だったのだろうか。面倒なのでついついチケット代の金を渡してしまいそうだが。

空港へ着きチェックインして、土産売り場へ行く。職場などへ土産を買わないとならないと、ジェルボーのお菓子が有名なのでそれを買ったがユーロ高の為、結構な額になる。しかしコロナが過ぎて初の海外でもあるので、身近な人へは報告がてら買うことでいい。

買い物を終え、何件もメッセージを送ってきていた姉に電話をかけて母親の状況を聞く。特に問題もなく、今後の予定を教えてもらい、数日後に会うことになった。自分も出発前の状態よりは気持ちは晴れていたので、臆することなくこなしていけるだろう。電話を切り昼食を食べていなかったから、カフェに行くとグヤーシュがあったのでそれとビールを注文し、空港の外を眺めながらビールを飲んでいた。

10日前までの自分とは違うことが自分でもよく分かるのは旅のせいであり、つまりは環境による心の変化なのだと思う。環境は人を変える。随分と歩いたので身体の疲れはあったが心の疲れというものはなくなっていた。今はまだ少しぼんやりしているが、日本へ帰ればもっと良く分かるだろう。窓の外は曇り空で少し酔っているせいか霞んで見えていた。

湯鬱の推移「ブダペスト、ハンガリー10」

温泉からホテルの部屋に地下鉄で戻ろうとしたが、イシュトバーン大聖堂の近くで降りたので、ドナウ川の夕暮れを見に行くことにした。今夜がブダペストで最後の夜になる。ドナウ川の夕焼けはいつも通りで、大聖堂へ向かっていくとまた鐘が鳴っていた。大聖堂の鐘の音を聴きながらホテルに戻る。温泉で火照った身体を休め、服を着替える。ゆっくりしたいが今夜が最後になるので頑張って出かけてみることにする。

その晩はヨーロッパに行ったら必ずイタリアンを食べに行くことにしているので、イタリア人が経営している小さな店を発見し行ってみると、ドヤ顔の男二人が外に立っていて、中に入ると機嫌悪そうにその二人が注文を取りにきた。「どのパスタにするんだ?ここから選べ」とカウンターの下を見るとガラスの中に何種類もパスタが陳列されていた。こんなえげつなさそうなイタリア人ならこの店は当たりのはず、と注文してみると、見た目はかなり美味しそうなパルメザンチーズがどっさりかかったフィトチーネが出てきた。

一口食べると、う、美味い。生パスタがもちもちで、いや、しかしトマトの酸味が、つ、強い。。これは故意か?大胆にやってるのか?それともドヤ顔二人の適当さ加減なのか??そういえば昔イタリアで食べたパスタにもこんなのがあったのを思い出して、イタリアだと酸味が強いのはありなのか?と想いを巡らせながら食べた。うーん、パスタは最高だけど酸味がなぁと頭の中でパスタと悪そうな店員の顔をぶつくさ考えながら結局全部食べてるんだけども。昼のワインとビフテキも最高だったが、こういう変化球的なものをも面白かったりする。

店を出てアンドラーシ通りに出ると遠くからライトアップされた何かから大音量で音楽が聞こえてくる。そういえば昼間に何かを設営していたのを思い出し向かってみる。そこはかなりの人だかりで、フリーのコンサート会場になっていた。今日が祝日なのでそれのセレモニーなのだろう。出ているバンドやソングライターのアーティストは知らない人達ばかりだったがハンガリーでは人気があるようで喝采を受けていた。そして何かしら訴えかけている。民族や政治やそんな感じの話をしているように受け止められたが、まぁ今夜賑やかなのは結構なんことだ。

そこから離れてしばらく散策しているとチェロ奏者の二人が歩道で演奏をしていた。非常に二人の息が絡み合っている演奏でしばらく聴き入ってしまう。ヨーロッパというものはただ歩いているだけでこんなにも満ち溢れた文化に遭遇してしまう。演奏が終わりその場を立ち去り、ブダペストの街を歩き夜風に当たりながら、僕は喜びのあまり途方にくれていた。

憂鬱の推移「ブダペスト、ハンガリー9」

明日の飛行機で帰国するので今日はブダペスト滞在の最終日になる。ニューヨークカフェを出て歩きながら、今日はもう特に何もすることがないな、と考えながら歩いていたのだが、その日はハンガリーの祝日であり、1956年革命、および共和国宣言記念日ということで街中の施設や店舗は休業するという貼り紙が泊まっているホテルに掲示されていた。では何をすればいいのかな?とホテルの受付の女性に聞くと、「ドナウ川に島があって小さい動物園があってそこがいいかな、できれば自転車を借りて行くと楽しいわ」と教えてくれたので、歩いて島の方向へ向かってみた。島はマルギット島といい地図で見ると確かに動物園が書いてある。

ニューヨークカフェから歩くと結構な距離なのだが、その日も秋晴れの快晴でドナウ川を散歩するのには最高の朝だった。ドナウ川沿いはランニングしている人や犬の散歩をしている人、ベンチに座ってる人、自分も特に何の予定もないのでベンチに座ってドナウ川を眺めていた。憂鬱な旅で始まったのが旅をしていくうちに、だんだんと心身の毒が解けていって身体の内側から回復してきたのがよく分かる。

マルギット島はもう目の前だったのだが、昼になってしまったので予定を変更して行ってみたかったビストロの店にバスで向かう。窓からブダペストの国会議事堂に並ぶ観光客の大行列が見える。本来はせっかく観光に来ている自分もああして並ばないと勿体無いのだが、もうそういうこともどうでもよくなってしまった。予定はないと言っても、行けるのならばセーチェーニ温泉、そこに行くことができればいいかというぐらいだ。

ビストロGerlóczy Kávéházに着いてみると客はみんなテラスで食べている。自分もテラスに座りメニューを見るとランチコースになっていたので、グヤーシュとロッシーニ風、赤ワインを注文した。赤ワインと串に刺さったパンが運ばれてきて、ワインを喉に流し込んだ瞬間、「くああああああああ」と言ってしまい飲みながらガツガツ食べていた。一緒に注文したグヤーシュもパプリカのスパイスがピリっと効いていて全ての料理の混在が素晴らしくて色々なことがどうでもよくなってきた。隣の席にいたインド人らしき紳士から「タバコを吸っても気にしないですか?」と聞かれて、俺は何にも気にしないし、最高に気持ちがいい!タバコを一本貰えるのなら久々に吸ってみたい、などと思いながらこの完璧な状態に酔っていた。

グヤーシュはブダペストに来て1番美味しい味付けでパプリカのスパイスの煮込まれた大きな牛肉が非常に柔らかい。ロッシーニ風のステーキにはフォアグラが添えてあり、やはりフォアグラはステーキの添えくらいが丁度良く、赤ワインとのマリアージュが絶妙であった。もう、腹もいっぱいで歩く気にならなかったのだが、街をぶらつきながらホテルへ戻って温泉の支度をして地下鉄で向かう。

晴れていて15時頃になっていたので温泉に入るには丁度頃合いの良い時だろうと向かってみると、入口で日本円で約5000円の入場料を支払い、中へ行くと遺跡のような建築と露天風呂というかプールに男女達が湯船に浸かって寛いでいる。ロッカールームで海パンに着替えて湯船に浸かると、ぬるい。。こちらのお湯はぬるいのが基本なのだろうか。とはいえ見渡すと雲一つない青空と西洋建築の露天風呂であり、こんなシチュエーションはそうそうなく、旅で歩きすぎた身体もほぐれていった。

室内には何箇所も湯船があり、一つ一つ試しながらお湯に浸かっていた。神殿のような作りの建物で窓は何箇所もあり、天井から日が差し込む空間。やはりアジア人は自分しかいない。旅の最中に温泉に浸かれるということは歳のせいか非常に重要なイベントのひとつになってきた。動いてばかりいるよりも、じっと腰を楚て過ごす時間が今の自分には必要のようだ。外の露天風呂に向かうと、外気は冷たく身体も一気に冷えた。露天風呂に浸かり、そろそろ帰ろうとロッカールームへ向かい、タオルを借りようとすると2000円と言われたので断りTシャツで軽く身体を拭き外に出て地下鉄に乗りこんだ。

憂鬱の推移「ブダペスト、ハンガリー8」

ブダペストも4泊もしているとドナウ川沿いを何度も歩いたし、川を渡って西側にある王宮にも行ったし、ある程度の場所は行ってしまいメインの通りのアンドラーシストリートを何度も往復していたら、いよいよ特にやることはなくなってきたので、カメラも部屋に置いて手ぶらで街中をぶらぶら歩いていた。

滞在してからの後半、この何もすることがなくて手ぶらで街中を散策しているだけという行為が至福の時なのだと思う、それに結構面白いことにぶち当たる。なにせ見た目がやることがなさそうな暇人であり、何をしている人なのかよく分からない。ふとそういえばあの”世界で1番美しい”とされるNYカフェに行こうと店に向かって歩いてみた。時間はまだ朝の9時だったのでちょうどモーニングが食べられる。

カフェの扉の前には数人が並んでおり、数日前に来た時には夕方ものすごい長蛇の列だったがすんなり入ることができた。中に入ると、親切ではなさそうな表情のウェイトレスの女性が席に案内してくれて、どのスタッフも接客のローテーションにくたびれたような顔をしていた。しかし、カフェの内装はどでかい宮殿のようでこれには笑った。席の配置は何箇所か点在しており、自分の席は大通り側の席でなかなか広々としている。椅子テーブル、床壁天井の装飾、目の前は天井画と彫刻と柱と金ピカである。朝のモーニングを注文するとオムレツと珈琲で4000円。まぁこの内装だと入場料代だと納得するが、このどこから運ばれてきたのだろうというオムレツは具がいっぱいでかなり美味して悪評などとんでもない。ウェイターの観光客相手に対するそんな態度すら気持ち良く思える。

あまりにもデコレートされすぎた空間にドレスアップした女性が何人も入ってくる。そこに運ばれてくるのは皿が何段にもなったケーキスタンドでマフィンやら色々と乗っている。ここは宮殿ごっこが好きならば存分に楽しめる。この光景を見ているとコロナ禍は本当に去っていってしまったと、そういえば「まん防」なんてのもあったことを思い出した。食べ終えて、ゆっくりしている場所でもないので、というか僕は舞い上がってきてしまい、とにかく広い店内を散策してみると、奥の方ではクラシックの演奏をしていた。この時代にこの音楽とこの宮殿の組み合わせを見ていたらあまりにも甘美なのでこの世の終わりになるのではないかと思ってしまった。そしてそれを背景に写真を撮っている観光客。やはり平和だ。世の中は変わっていない、ただ反復するだけだ。

一度来たらまた来ることもなかなかないのだろうというような印象で店を後にして歩いていると、「ハイ!ニューヨークカフェってどの辺にあるの?」とかなりご機嫌な観光客のカップルに聞かれ、あっちの方と答えると笑顔で向かっていった。特に予定もなくまた歩き始めたが、ブダペストの街中は秋晴れで街路樹はほんの少しだけ紅葉が色づいていた。

憂鬱の推移「ブダペスト、ハンガリー7」

ホテルの部屋で黒のスーツに着替え、白いシャツを合わせた。スーツと言ってもカジュアルなセットアップなので本来のスーツではない。それにしても、この歳になるとセットアップの着替えを持ってきているとどこでも入りやすくて便利だ。革靴も持ってきていてたまに履くかと思っていたのだが、結局はこの時以外はスニーカーで通してしまった。とにかく歩く旅の最中はスニーカーでないとやはり厳しいものだ。

会場に到着するとドレスアップした婦人の方々が沢山いて、さすがに目を奪われてしまう。これだけドレスを纏った女性を見る機会はめったになく、オペラ座に来たのは10年前のウィーンの国立劇場以来だ。客席に向かいホールの扉を開けると大きな天井画とボックス席が上まで伸びていて、なんとも久しぶりの雰囲気に圧倒されて楽しくなってきた。事前にチケットは取っていて、前から5列目で20000円弱だったので安い物だろう。席に座るとステージには赤い重厚な垂れ幕がかかっており、オーケストラがチューニングしている音が聴こえてくる。せっかくなので席に座っている自分を撮影してもらってしまい、これも相当珍しい写真になった。

バレエのお題はスパルタクス。古代ローマでの奴隷が反乱を起こす話なのだが、女性のバレエダンサーの動きが飛んだり回ったりと初めて見たバレエだったが飽きずに楽しくみることができた。休憩時間になり、これも久しぶりなので楽しく過ごしたが、スパークリングワインをもらいバルコニーに出てみると、ライトアップされた街の建物が鮮やかに輝いており、秋の夜風が気持ちよく、人々はみな気持ちよさそうに酔っていた。もうこの状態だけで満足なのだが、後編を見て帰り際に写真をお願いされ撮ったりしながら館内を散策しホテルに帰宅した。時刻は22時前で夕食を食べておらず腹が減っていたので、着替えて廃墟BARの歓楽街方面に散策に行ってみることにした。ヨーロッパに来て4,5日経って調子が出てきた。

廃墟BARの手前にフードコートを見つけて中に入ると色々な店があり、ハンバーガーショップがあったので注文してテーブルで待っていると大きな声で呼ばれて、フレンドリーな店員に大きなハンバーガーを渡された。そのハンバーガーを食べると、こっちにきてから一番美味しい料理ではないのだろうか、というくらい美味しく感じてしまった。考えたら朝のエッグサンドと昼のフォアグラしか食べていないのだ。やっと実のつまった肉を食べることができて満足し、店を後にして隣の廃墟BARに入ろうとすると、とくにエントランスチェックもなく素通りで入ることができた。中は結構な人が入っていて大音量の下踊っている。さっきまでお堅いオペラ座にいたので、肩の力を抜いて奥へと歩いていく。ビールを飲みながら中を散策して、DJの近くで音楽を聴いていたが、ちょっと都会ではない地方のクラブでありそうな選曲のようであった。90年代のヒップホップが交じりながらハウスがかかったりと、週末遊びに来た大多数の人が楽しく踊れるのであろう選曲、悪くない。と思っていたらチャイニーズ?声を掛けられ、日本人だと言うとトンコツトンコツ!と肩を組まれ一緒にジャンプするはめになった。そろそろ帰ろうと外へ出ると長蛇の列。時間はちょうど0時を回るころだったので、盛り上がるのはこれからのようだ。

さすがに明日もあるのでホテルの方面へ歩いていくと、繁華街の通りにぶち当たった。中を歩いていると、貸し切りで踊っているようなBARでみんな酔っぱらっている。あきらかに悪そうな連中も前から歩いてくるので、話しかけられないことを祈りながら前へ進むと人だかりのBARがあった。覗いてみるとポールダンスをしている女性が客からチップを貰っている。BARに入らず外から眺めている男性が入口を囲んでいて、中から大音量の音楽が聞こえてくる。これも楽しそうではあったが、もう深夜13時になってしまいそうなので帰ろうとすると、カラオケバーがあり、中を覗くとみんながBON JOVIを大熱唱していて自分も中に入ってみんなで熱唱してしまった。歌い終わったあと、Good Night!と肩を叩かれみんな満足気に帰っていった。一体何の集まりだったのだろうか(笑)

観光客や地元の人々が集まる猥雑な通りを後にするのは少し残念だったがさすがに眠らないとならないのでホテルへ戻ることにした。この時点で日本に戻り日常の生活に戻ることなど想像もしたくなかったし、頭の片隅にもなくなっていた。東欧の夜は力の向け具合が丁度良い。