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社会科見学派カメラマンDOKKIKIN TVによる、世界を踊りながら撮影した写真と記録。

焼けた残照「ギリシャ編3」

アテネから1時間もかからないうちにサントリーニ空港へ着陸する。時刻は11時20分。東京から17時間かけて来たが気候のせいか特に疲れは感じていない。飛行機を降りると雲一つない真っ青な空が広がっていて空港から外に出るとすぐにバス停があった。サントリーニ島にはイアとフィラの街があるのだが、よく写真で見る白い街並みはイア。しかしイアのホテルを検索すると結構な値段のホテルが連なって出てきた。まぁ安めのホテルもあるのだが、フィラの街も悪くはないとも書いてあったのでフィラに滞在することにした。

バスに30分ほど揺られるとフィラの街のバス停に到着した。ホテルはバス停から歩いて5分程の場所にあり、実はサントリーニ島からアテネに戻るフライトが朝の8時なのだ、早朝の移動を考えてそのホテルにした。フィラの街は道が石畳の坂が多く非常に歩き辛い。ガタガタとキャリーケースを引っ張りながらホテルを探すとすぐに見つかった。

気さくなおばさんが部屋に案内してくれるとまだ清掃が終わっておらず、1時間後にまた来てと言われたので荷物を置いて街へ出る。白い壁と青い階段の街並みは綺麗で気温は暑くもなく寒くもないが半袖だと風がひんやりとする、しかし欧米人は半袖ショートパンツだ。少しだけ寝ぼけた頭で海の方へ歩くとエーゲ海が見えてきた。とりあえずこの辺でカフェに入ろうと店に入るとなんとも地中海バカンスな雰囲気でそこでしばらく休憩する。

フルーツのミックスジュースは喉がカラカラだったので非常に美味しくて一気に飲んでしまった。飛行機から降りてエーゲ海沿いのカフェで寛ぐ、という至高の時間を潰し、部屋の清掃が終わるのを待つ。会計をしようとすると8€請求されカードで払い、たしか7€ではと思いメニューを見ると7€だったのでそれを店員に伝えると1€の硬貨を返してくれた。サントリーニ島はやはり観光客相手なので適当にふっかけてくる慣習があるのだろうか。まぁ1€なのでただの間違だとは思うが、しかし円安の日本人にとっては1€が160円以上してしまうのだ。どうしてもシビアになってしまう。

外に出てしばらく歩いているとベージュとブルーのドーム型の建物と塔があったので中に入ることができたので入るとそれが教会だった。こじんまりした教会なのだが歴史を感じさせるような作りで光が差し込む内部には蝋燭に火がともされていて装飾も鮮やかだった。外観から見ると教会には見えないような造りなのだがさすがサントリーニ島だけあってこんな素敵な外観になっているのだろうか。というかこれこそがサントリーニ島なのかもしれない。

13時を回ったのでもう一度ホテルへ向かってみる。部屋に行くとまだ清掃中であった。女性二人が清掃していたが顔からすると出稼ぎ労働者に見える、がしかしフレンドリーだ。いつになったらチェックインできるのか分からず諦めてまた外に出る。外を歩くと女の子たちが「ヨー!ヨー!」と話しかけてきたが言葉が良く分からない。ギリシャ人は友好的な人達なのだろうか?この時点ではまだよく分からない。

昼食を食べていないのでスブラキというローカルフード人気店に食べに行ってみるとカウンターの店で陽気な店員のおじさんが話しかけてくる。ラッキーズ スブラキという店は調べるとすぐに出てくるのでサントリーニ島に来た人ならだれでも分かる店でスブラキが4€で食べられる。サントリーニの物価からして4€は破格だ。鶏肉にするのか牛肉にするのか聞かれたが、どんな料理なのか良く分からず適当に決めて注文するとピタパンにポテト、野菜、鶏肉が挟んであり、かなりボリュームがある。カウンターで食べながらコーラで一気に流し込んでいると一気に満席になった。この時間帯がランチタイムなのだろうか。

すぐ近くに考古学博物館があったので行ってみることにした。中には紀元前2000年頃の壺や彫刻、壁画などの出土品が展示されてして、壁画などは綺麗な状態で残っている。絵の内容は大きな船を人々が漕いでいる絵などで、どうして今から4000年も前にこんなに文明が発展していたのか信じられない。壁画の状態は非常に良く見入ってしまった。この島には他にも博物館がありただのリゾート地ではないのだ。そろそろホテルの部屋の準備ができている頃だったのでホテルに行くと部屋は綺麗に整っていた。時間はまだ14時過ぎだったが一度ベッドに倒れこんだ。

30分ほど横になったが、まだ陽が出ているのでベッドから起き上がりサントリーニ島の北部にあるイアへ向かうことにした。なるべく行ける時に行かないと2泊3日しかないので行きそびれてしまう。イアへはバスで30分くらい片道1€、バス停はホテルから歩いて5分程の場所にある。まぁホテルと取るときにバス停の近くにしたのだが。

到着すると周り一面が白い建物になっている。フィラとは全く違い、白い大理石でできたような冷たい床を歩いているような感覚。心地よい日差しと冷たい風が混じり合い、人と人が沢山すれ違っている。街中は土産物店があちこちにあるがフィラとは違い工芸品や洋服店が高級さを持って並んでいる。歩きながら店を覗くが、全く買う気はなかったので中へ入らずイアの街を散策した。もうじき夕暮れの時刻なので今日は夕日までは見て帰ろうと思っているとかなりの細い通路に長い行列ができている。逆の側の通路からそちらを見てみると、どうやらあの有名なサントリーニ島の写真スポットのようだ。こんなにも並ぶのか、しかも着替えてまでし何枚もポーズを変えて撮影している。街中は細い通路が坂道になり入り組んでいて歩いているだけで楽しいし、あちこちにある家やホテルはプールがあったりそこでワインを飲んだりと、非常にラグジュアリーなムードだ。可能であれば自分もそこで寛ぎたいが1泊5万円以上のホテルに泊まる気なんてないので、いや、今は円安であるからそうであって彼らにすればそれほど高い金額ではないかもしれない。どうもこういう格差に対面してしまいこういったことを考えてしまう海外旅行、前はそうでもなかったのだが。まぁ青い海と太陽とこの気候があればその辺のベンチに座って白い街を眺めているだけで十分だ。

さすがに歩き疲れたのでどこか適当なカフェに入ろうと探すが混んでいたり妙に高級そうだったりで、一見カジュアルな海の見えるカフェがあったので入ってみた。立地はかなりいいのに空席がある。男の店員がメニューを持ってきて、ビールの値段表示が分かりづらく聞いてみると店員は7€のところを指さした。じゃあ、それをお願いと注文すると「OK、セブンティーン€だ」と言い去って行った。あぁ、これぼったくりかな、なんて思ってたらだんだんイラっとしてきた。

周りの席を見ると友達同士で酔っぱらっている連中がいる。そこへ2人のカップルが入ってきたが4人席しか空いていないと言われ、酔っ払っていた2人組がじゃあ俺たちと一緒のテーブルで4人で飲もうと相席しに行った。カップルは少し困惑した顔をしていたがまぁ気を使ったのか一緒に話し始めた。そして他の店員の女の子がいるのだが、靴や靴下はボロボロで難民のようにしか見えなかった。ここは店も客もグルなのか?ビールとチップスが運ばれてきてさっきの男が妙な笑顔でチアーズと言った。顔は出土された彫刻のような彫りの深い顔のおそらく30歳前後だろうか。きっと英語が分からないアジア人でカモろうとしてるんだろう。もしも会計でふっかけてきたら警察でもなんでも呼んでみようと頭に来てた。

微妙な気持ちでビールを飲み終え、クレジットカードだと17€できられてしまうので、現金7€を用意した。店員が17€と言うので、いやメニューは7€だろ?と7€をだすと「オーケーオーケー」と簡単に引き下がった。そんなに強引でもなく、もしも払ってくれればラッキーというようなふっかけだった。きっといつもそんなセコいことをやってるんだろう。ギリシャもイタリアのような習慣があるのだなと到着日から欧州の南の島の洗礼を受けた。これから9日間は用心しないとならないと思ったがこんなこと続くのも厄介な毎日になりそうで、ある意味面白くなってきた。

そしてサンセットに時間になり眺めの良さそうな場所へ向かおうとすると物凄い行列。道を進むことができない、オーバーツーリズムだ。非常に分かりやすいオーバーツリーズムでどうやら写真スポットに並んでいてその行列が道を塞いでいるようだ。夕陽は見たいがさすがにこの行列の団体と一緒の時間は過ごすのは勿体ないので、空いているところから鑑賞してフィラ行きのバス停に向かい早めに戻ることにした。

丁度夕食の時刻だったので、ホテルの隣にレストランがあったのでそこに入ると南の島の雰囲気でタコのグリルとサントリーニワインのハーフボトルを注文した。初日の夜にこんなのを平らげて(一応メモっといたんだけど、タコのグリル23€、ワイン16€、日本円にすると7,000円越ていてる)結構酔いが回り、歩いて1分の自分のホテルの部屋に戻りベッドに倒れこみ朝まで熟睡してしまった。

焼けた残照「ギリシャ編2」

飛行機は夜の20時15分成田発のAir China。Air Chinaなんてしばらく乗っていなかったのだが、コロナ明けからの評判が非常に良く、しかもマイルでチケットが取れてしまったので全く不満はなかった。仕事が夕方の4時頃に終わり家でシャワーを浴びて車を空港へ走らせる。今年は6月に韓国ソウル、9月にマレーシアと仕事帰りに行っていたので、この時にはこの搭乗様態に慣れてしまい何事もなく19時頃には搭乗ゲートで寛いでいた。夕食は機内で提供されるのでそれを食べると料理の出来が良くなっていて驚いた。Air Chinaの機内食なんて今まで不味くて食べる気も失せていたのだが、美味しいし機内も新しくなっていて液晶モニターもタッチパネルに様変わりしていた。なんて居心地の良い飛行機なのだと喜んでいると現地時刻23時半に北京空港に到着した。久しぶりの北京空港は懐かしくてきょろきょろしていると、面倒な乗り継ぎのセキュリティチェックが始まった。元気でなかったら深夜に何度も何度もチケットや顔認証チェックなど辟易してしまうが、自分は10月の夏休みなので全く苦にならずにゲートまで移動した。しばらくベンチで横になろうとすると寒い。そうだ、北京の空港は寒いのだ。この大きな窓枠を眺めていると昔ここで何度も乗り継ぎをしたことが思い出されてきた。

深夜2時半に飛行機は離陸してギリシャのアテネに早朝の8時に到着する。搭乗時間は10時間程であり、なんとロシア上空を飛べるのだ。他の飛行機であれば中東経由で結構な時間がかかるのだが、面白いことに日本国籍者でも中国の飛行機に乗ってさえすればロシアを通り欧州へ比較的早く到着してしまうという何とも裏側の世界を移動する感覚を感じる。まぁ誤爆される危険性の無きにしも非ずだが。

10時間はあっという間で、昨年のセルビアのベオグラード行きの20時間に比べたら何ともないものだった。アテネの空港へ降り立つとちょうど朝日が昇り始めた。

入国審査を終え荷物を受け取る。8時にアテネに到着したが10時半の国内線に乗りサントリーニ島へ行くのだ。再度チェックインするためSkyexpress航空に荷物を預けゲートへ向かう。アテネの空港内は音楽が鳴り響き一気に陽気な雰囲気に包まれている。夏のバカンスが始まったのだ。あまり時間はないが朝食を食べに行く。

ベーグルが美味しそうな店があったのでそれを温めてもらいコーヒーを買い12€。1€=160円だったのでこれで2,000円。まぁ空港価格なのでしょうがないと思うが、ベーグルは美味しくてゲートで食べながら飛行機を待つ。最初のプランではスーツケースを空港の預け所に預けてから乗り継ぎしようと思っていたが、しなくて正解だった。空港内はすでに混んでいてやはりオーバーツーリズムなのだろうか、スムーズではない。すぐに登場時刻になりプロペラ機の飛行機に大勢の人が乗り込む。サントリニー島へは30分おきに飛行機が飛んでいるのだが、どれも妙に混んでいる。すでに10月ではあるのだがみんな夏のバカンスへ向かう出で立ちだ。飛行機が離陸し窓を覗き込むと真っ青な海、そして島々が見える。エーゲ海への旅が始まった。

焼けた残照「ギリシャ編 1」

どこかへ祈りに行こうと思っていた。昨年の秋にセルビアはベオグラード、ハンガリーはブダペストを訪問し、コロナ明けの初のヨーロッパだったので懐かしく居心地の良さもあり十分満足できる時間を過ごせたが、実は前々から行きたかった国が他にあり、それはサウジアラビアだった。

ブダペストの東欧の街の空気を思い切り吸い込めたので(この吸い込んだ空気の匂いや湿度が未だに身体に染み付いていて忘れることがないから不思議だ)次はサウジアラビアへ向かうことは決めていた。そしてこの数年、国外へ出られず「祈り」という行為をしてきていなかった。もちろん国内でもできる行為ではあるのだが、距離と祈りの強さは比例していると自分では考えていて、なるべく遠く少し行きづらい辺境の地。それに当てはまるのがサウジアラビアであり、イスラム教徒以外は入ることのできない街メッカ。ではあるが、メディーナという街には異教徒でも入ることができる。この街だけでもいいから訪れて何百人、何千人の祈りの行為の力に近づいて、神と言われる存在を感じてみたいと思ったのだ。

この数年、もちろんパンデミックの混乱の時期があったが、それ以前から自分のことになるがあれやこれやと手を出して忙しい時間を過ごし、なかなか落ち着けなかったように思う。一度、祈りの時間を設けてそれはメディテーションのようなものでもあるのだが、精神を一度無にするような、その時間が欲しかった。

今年の頭に行き先は決まっているからとサウジアラビアのガイドブックを購入してパラパラめくっているとイスラエルとイランの間がきな臭くなってきて、勢いは日に日に強くなっていった。もしかすると諦めることになるかと思い第二候補の国も検討していたのだが、自分のしたいことは旅だけではなく「祈り」であったのでそうそう決めることはできずにいた。そんな行ったことのない国を調べていると何かのサイトで山の上の断崖絶壁に修道院がある写真を見かけて、あぁそういえばどこかで見たことがあるなと思い出すとギリシャのメテオラという地域にある中世に作られて修道院であった。前から知ってはいたのだが、こんな断崖絶壁の山を登ることはできるのだろうかと調べていると、意外と多くの人達が登っており経験談のブログなどが沢山とあった。

ギリシャへはいつかは行ってみたいという気持ちはあることはあったのだがサウジアラビア(イスラム国)に比べると大分イメージが変わってしまいどうしようかとギリシャについて調べていると、アテネにはアクロポリス神殿など有名な遺跡があちこちにあり、そして目に留まったのがエーゲ海。この海の各地に様々な島々が散りばめられており、ミロス島やサントリーニ島はただの観光避暑地というだけではなく、紀元前2000年頃の遺跡があると書いてあったのだ。紀元前で2000年?今の紀元後2000年という長い歴史を大昔に一度繰り返していることに非常に興味が沸き、歴史的な遺跡と祈る場所、エーゲ海という地中海を取り巻くギリシャ神話を考えていると気持ちはどんどんギリシャに傾ていった。その上、試しにマイレージプログラムで10月の航空券を見てみると往復35,000円のチケットがあり、即決定とした。 

ギリシャ神話とエーゲ海の島々、全く悪い気がしない。

八重山諸島、春の海4

朝起きるとホテルの窓からの眺めはいいが、日焼けした身体がジリジリと痛い。そのせいで寝不足で頭も火照っている。これは軽い熱中症ではと思うレベルで、このままだとまずいとホテル向かいのコンビニへ向かう。

何か身体に塗るローションはないですかと店員に尋ねると、「日焼けですか?」と僕の顔と腕を見て、「これは酷いですね。この先に大きな日用雑貨店があるからそこに行ってみてください。日焼け用のローションが売ってますから、場所はえーっと」と一緒にコンビニの外に出て店を指さしてもらった。その時に身体の大きな男が歩いてくると、その女性スタッフが「今日雑貨屋もう営業してる?」と聞くと男が「もう8時からやってるよ」とぶすっとした口調で言った。「どうしたの?」「この人日焼けしちゃってて」と女性が言うと男は笑って、「石垣の日差し甘く見たらだめだよ、店はあそこで入口はそこね、俺そこで前に働いてたから」と愛嬌良く話してくれた。お礼を言うと、女性が「ありがとー、今日も仕事がんばってね!」男は鼻でフッと笑って港の方へ行ってしまった。朝から島の人間模様が少しだが見えた。女性にもお礼を言い、商店に行くと店員がそのローションを教えてくれて即購入。ホテルの部屋に戻り、顔と腕に塗りまくった。どうやら硫黄が含まれた液体のようだ。

朝食を食べてから竹富島へ向かうためフェリー乗り場へ向かう。竹富島へは数十分で到着し、レンタサイクルを借りたのだが、乗って少し走った後すぐ後に雨が降ってきて、その雨はどんどん強くなっていき全く動けなくなくなってしまった。急いでレンタサイクルの店まで戻ると傘があったのでそれを借りて歩いて観光しようと歩いていたのだが、相当な強雨になり歩くこともできず、木の下で雨宿りをしていた。他にも雨宿りをしている男女がいたので、一緒に近くの神社まで移動して屋根があったので時間をつぶしていた。

一向に雨は止まないので傘を一本貸して二人のレンタサイクルの店まで引き返ってあげた。自分達もレンタサイクル店へ戻り、フェリー乗り場へ戻ることにした。竹富島の赤茶色の屋根は強い雨の中で少しだけ見れただけだった。まぁここは近い島なのでいつかまた来れるだろう。フェリー乗り場では沢山の人達が雨を眺めながらフェリーが来るのを待っていた。こうして雨を眺めていると、なんとも時間がゆっくりと流れている感覚になる。古い時代、琉球王国の頃の人々もこうして雨を眺めていたのだろう。琉球王国を巡る旅という括りで奄美黄島から八重山諸島までゆっくりと旅をすることもいつかしてみたいものだ。

石垣島へ戻り、昼食に洋風な飲み屋でタコライスを食べた。この沖縄で食べるタコライスというものは気候のせいかいつも美味く感じる。今日の夕方に本州へ戻るので空港へ車で向かいながら寄り道をして行った。最初に寄ったのは人気スポットになっている鍾乳洞中で中に入ると確かにかなりの広さだ。なんとなくぼんやりと中を30分ほど見て次の「やいま村」へ行く。雨は止んでいたのだが、中に入るとすぐに大雨になった。今日の観光は一日無理だと諦めて土産売り場でしばらく雨宿りをしていると、少し止んできたので、中へ入り3年ぶりの琉球家屋と猿の群れを見て、行ったことのなかったマングローブが密集している場所まで行くとなかなか見られない景色が広がっていた。

フライトの時間が近づいていたので空港へ行き、レンタカーを返却しチェックインする。最終日は雨で散々であったが、やはり南国は長期間で来るべきなのであろう。そうであればこんな日も優しい雨の日として迎えられる。夕食として空港で最後の沖縄そばを食べて飛行機へ乗り込む。成田空港へは21時に到着した。

このまま次の日は仕事になってしまうのだが、やはり時間が少ない。もう少しだけでいいから時間があったらなといつも思う。そんなものいつかは人々の思考と働き方も変わり、自ずと自分に使える時間は増えていくとは思うのだが。しかし今でも少しずつだが人の行動だけでも変わってきていると思う。インターネットや人が移動することが増えて出会いや互いに影響し合うことからヒントが色々と生まれてきているので、そこからすでに「できる人」と「できない人」との差別化は始まっている。いかに社会の常識的な風習から距離を置き、自分の時間を作ることができるか。星座と会話する時間を真剣に作れと話す土産屋の店主や、石垣島に1年間住むことを勧めてくれた方がいたが、そういう人達はどこか吹っ切れていて本当のことを知っている。あれは南の島の成せる作用なのだろうか。南の島には引き込まれる不思議な力があって、自分の中の何かを刺激してくれる。それが短い期間であっても。

八重山諸島、春の海3

その店には何だか妙な手作りのアクセサリーが置いてあり、Tシャツなども沢山あるのだが、デザインが独特でカッコいいのかどうか分からないグラフィックのプリントで、一周回って、これカッコいいですね!と言ったら、店主が「そう?嬉しいねー、それ俺がデザインしたの」と言い、そこから色々なことを話し始めた。

「現代人は本当に大変だと思う。変化が早すぎるから追いついていくのが大変だろう。そのうえモルモットのように働かされて、それじゃ頭がおかしくなっちまうのは当然だよ。」なんてことを言い、確かに実際大変だと感じているので、それじゃどうすればいいんですか?と尋ねると、こう答えた。「ここに来て星空と会話する時間を作るということを真剣に考えた方がいい」

この島へ来た意味、その何となく的を得たような答え話してくれたので、結局、回答はそのあたりにあるのだろうとおぼろげに分かった。

「あんたらみたいな旅に出られる人はまだマシで大丈夫回だけれど、問題は外に出ない現代人だよ」おじさんは現地の出身の人?と聞くと、カメだか何かに乗せられて気が付いたらここに到着して、いつのまにか住んでたよ、という惚けた答えが返ってきた。折角だから何か買おうかと雑貨を選んでいたら、Tシャツがいいんじゃないか?俺の話したことがそのデザインに全てが書かれている。と言うのでそれを買ってみた、よくよく見るとすごいデザインでいつ着ていいのか分からない。「人類はDNAで過去から繋がっていて、遡ると40億年前まで戻るんだ。そこまで戻れとまでは言わないが、自分の子供の頃や母親の胎内にいた頃の記憶を呼び戻すように考えるんだよ。そうすれば現代の風習に刷り込まれた頭の中が綺麗になるから」

言っていることは良く分かるし、自分が今いる島の海風にあたりながら、そんな話を聞くと説得力が増して聞こえてくる。もし島に泊まったら星雲が相当綺麗に見えるんですか?と聞くと、「見たいと思えば見えるよ。」何を尋ねても回答が精神世界を通した答えになってしまう。が、何が正解なのか選択するのが複雑になってしまった現在には、時々はこういった世界観に浸るのも必要にも感じる。

じゃあそろそろ行きます、と店を出ようとすると、眼力の強い店主は「気を付けて行けよ!」と声を上げた。元気そうに別れたが若干寂しさも残るのが旅の別れ。帰りの便の時間の16時になったので港へ戻り、フェリーで石垣島へ戻った。波照間島は小さいけれど石垣島もなかなか小さい島だ。ちょうどサンセットの時間に戻ったので着いた港から観音埼岬へ車を走らせる。岬へ着くと小さな駐車場があり、そういえば3年前にここに来たことを思い出した。海の方へ歩いていくと、「今日は良い夕日は見られますかねー」とおじさんが話しかけてきたので「どうでしょうね」と返して奥の方へ向かって歩く。どうも空に靄がかかっていて3年前に見た強烈な夕日は見られなかったが、ぼんやりとゆっくりと沈む小さい夕日を見ていると、先程会ったおじさんが話しかけてきた。さっきから飛んでいるドローンはこのおじさんの物で手にはカメラを持っていた。趣味でカメラをやっていること、退職後、石垣島に移住して1年くらい住んでいること、家賃や物価のことなど色々と話した。1年石垣島に住んで、あの台風を経験してみることを強く勧められ、確かに一度くらいはそれも楽しそうだなと盛り上がる。

ホテルに戻り大浴場で風呂に入ったが、この時日焼けの跡がかなり沁みて痛む。それから街に繰り出し、土産屋に入ってみていると、店員が「お兄さんたち夕食はまだ?」と聞いてきたので、まだですと言うと、「この時間なら二回転目だから予約しないでも入れるよ。地元の人に人気のある店があって、教えるね」と3軒ほど教えてもらった。それにしても、ただ歩いてるだけで色々な人から話しかけられる。行ってみた居酒屋は家族連れが一組入口で待っていて、中へ入ってスタッフに聞いてみるとかなり忙しいようで走り回っている。席は空けるからちょっと待っていて下さいと一生懸命に片づけを始めた。しばらくして案内され、周りを見渡すと現地の人達だろうか、大きな笑い声で宴会をしている。現地とは言えテーブルにはタッチパネルが置いてあり都会にいるのと変わらない環境で注文する。沖縄料理がメインなのだが、出されたゴーヤチャンプルーはトロトロのタマゴが乗っていて独特のおいしさだった。島らっきょうも刺身も新鮮で牛肉の握りも柔らかい肉であり、教えてくれた雑貨屋の店主に感謝した。店の名前は「まだんばし家」

泡盛を飲んだのでほろ酔いで街中を歩きながらホテルへ戻る。今回は2人で来ていたのだが、これが一人だったらもっと当てもなくどこかへ歩いて行ってたかもしれない。

八重山諸島、春の海 2

朝起きて携帯で波照間島行きのフェリーの運航状況を調べると終日丸印がついていた。天候は晴れだったので期待していたのだがあっさり大丈夫だった。前回来た時は2日連続欠航していて半ば諦めていたくらいなので2泊3日で波照間島へ行くことができるのは運がいい。ホテルの朝食ブッフェを食べ終えてフェリー乗り場まで歩く。ルートイングランディアというホテルなのだが朝食、大浴場、立地からするとかなり良く窓からの眺めもいい、建物は昭和な感じだがまたそれも良かった。

フェリー乗り場でチケットを購入すると具志堅の像が待ち構えていて3年前を思い出す。しかしあの頃のひっそりした空気間はなく、ひらけてしまったような雰囲気になっている。都内もそうだが、コロナはずっと開けないようなことが言われていたのが今やそれを全く感じさせることはなく人、人、人の波でもはやバブル状態のようだ。自分の場合はあのひっそりした瞬間、誰も行かない時に行くのが好きなので、バブル状態に行くのは苦手と言えばそうなのだが。などと考えていると波照間島に到着した。

ほぼ満席のフェリーは石垣島から1時間くらいで着いてしまうのだが、もはや台湾の近くだ。フェリー乗り場を歩いていくと、レンタサイクルや民宿の看板を持った人達がいるので、適当に原付バイクのレンタル料金を聞いて店を決めて車に乗り込むと島の中心地にある店まで車は走った。レンタル店に降ろされた人達は10人ほどで家族で来ている人達もいる。石垣島では欧米人を少し見かけたがここには日本人しかおらず、まだ海外の人達からは未開の地なのであろうか。

マップをもらい原付で走り出し、念願の久しぶりのニシ浜へ向かう。午後には潮が引いてしまうそうで午前中から昼時がいいということで急いで向かうと見覚えのある坂道を右に下っていくとハテルマのブルーが目の前に広がってきた。二回目なのだがやはりこの青は深くて透き通っていて独特の色で180度に広がり周りには何もなく飲み込まれてしまいそうになる。原付を駐車場に停めて浜辺に行くともう泳いでいる人達がいた。4月のこんな時期に少人数で泳いでいるなんてとんでもなく贅沢な遊びに違いない。しばらく海を眺めていると、隣にいた男性から声を掛けられどうやら島マニアらしく、ここへは何度か来ているそうだ。彼が言うにはおススメは奄美黄島いいですよ!と激押ししてきたので、それ次回行ってみますと話してしばらくビーチで突っ立っていた。

いる人たちは全部で15人~20人くらいだろうか、小規模のパーティーだか町内会だかのメンバーで、世界遺産とか遺跡とでも言えるとでも言えるような海を独占している状態。肌がじりじり焼けてくるし、喉はカラカラだし、ちなみに水ペットボトル2本は買ってきたがもう温い。原付もあるし、このまま最南端まで突っ走っちゃおうと友達とブイーーンとバイクで信号なしの一本道、周りはサトウキビ畑、たまにヤギ、を両端にみながら走っていくと、10分くらいで次のビーチに到着した。そこに女性がいて、一人でビーチに歩いているのが怖いと言うので一緒に茂みを歩いていくと岩々のある海でビーチではなかった。話をすると石垣島へ移住して1年くらい住んでいるそうで、なんとも移住した顔という雰囲気だった。

そのまま原付に跨り次のビーチへ着くと、2人しかおらず、比べるとニシ浜の色の方が圧倒的だが、そこらへんにこんな浜辺が散らばっているこの島にマジ泊まりてー!と友達と絶叫しながら浜辺を歩いていた。浜辺から最南端の碑まで移動すると、断崖絶壁の岩々があり、その上をゆっくり歩きながら海を見下ろすと激しい波が打ち付けていた。ここの景色も相変わらず絶景だ。ここを見たら後は集落に行くことくらいしかすることもなく、昼時になっていたので原付を走らせる。

前に来たことのある定食屋がやっていたので、そこで豚の角煮定食を食べると3年前と同じ味がした。この店は一体いつからやっているのだろう。客は入れ替わり入ってくる。ここを出て村の中をバイクで走り、なんとも言えない集落の様子を見ていたらお土産屋を見つけた。以前はフェリー乗り場にあった店が家で店を構えることにしたみたいだ。貝殻で作ったアクセサリーなどが売っているが、それにしてもこんな離れ島でやっている店は非常に独特の雰囲気がある。午後になってもとにかく暑いのでカフェで休憩することにすると、オープンテラスのカフェはかなりの客で埋め尽くされている。日傘が設置してあるので涼むこともできて、色々な人達が来ていて見ていると面白い。それにしてもここは一人旅の人が多く、何とはなしに話しかけている。

そしてこのカフェを出て隣に土産屋があり、そこに入ったときに独特の雰囲気の店主と会うことになった。

八重山諸島、春の海 1

冬場はとにかく寒くて気温による行動制限が毎年かかってしまうのだが、今年は近所の温泉、というかスパ入り浸っていた。小雪がちらついているときの露天風呂なんてものは極上のもので、そんなことばかりしていたら、いつの間にか関東に桜が咲いた。

どこかの時点で沖縄へ行って冬に溜まった身体のコリをほぐそうかと思っていたのだが、これももはや定例で航空券を調べていると片道1万円の石垣島のチケットが出てきたので即購入。二泊三日でもすでに季節は夏であろう場所で過ごせるのは関東近隣から離脱できるのでここから抜け出せる感があって気分が高まる。一人でも良かったのだが、石垣島は居酒屋が多いので友達と二人で遊びに行くことにした。前日の夜に空港近くのホテルに泊まり、早朝7時の飛行機に乗る。このチェックインをした時にドル円は153円になった。沖縄へ行くことは世界経済的に日本人にも外国人にとっても正解であって、日本国内を追求した方が良い時代になってしまったようだ。まぁ昔から言われていたことだけどあからさまにこんなニュースが流れると予定通りなら日本は沈没するということが本当になってしまいそうだ。たしか2035年頃?かと言って悲観的になっている暇もないので遊ぶしかないと思っているので今のところは問題はないのだが。

飛行機の機内は満席で11時に石垣島へ到着。空は晴れていて、すぐにパーカーを脱いでTシャツになりレンタカーを借りて川平湾へ向かう。ここへ来たのは2021年の11月のコロナ禍の時だったので、その頃のことが色々と思い出されてくる。あの頃はまわりには言わないでこっそり沖縄10日間の旅を楽しんでしまった。しかも観光客が少なく沖縄独占状態で。道路に信号がなく山々が見える山道をずっと走っていくと、前に来たことのある川平湾近くの駐車場を見つけた。車を停めて、短パンに着替えサンダルを履いて小道をずっと川平湾まで歩いていく。前回は誰もおらず一人で独占できたのだが、今回はそれでも4,5人だろうか、人が歩いていた。潮がすこし満ちていて波と風の音しか聞こえないのは前とおんなじだ。この辺りに来るのなら一人で来て、しばらく座って海を眺めているので良い。それだけで頭の中も身体もほぐすことできる。

その後、川平湾展望台へ移動して腹が減っていたので八重山蕎麦をたまたま展望台にあったカフェで食べる。ソーキ蕎麦を注文したのだが、かなりのボリュームで何とか一緒にジューシーもたいらげた。浜辺にあるボート乗り場を散策すると結構な観光客がいた。ボートには乗らなかったが高台からの眺めはガイドブック通りでかなり良い景色だ。今日は石垣島をさくさく周りたかったのでそのまま米原ビーチへ移動する。砂浜からの海は透明で日差しも夏だ。これさえあればもう他には何もいらない。冬場に太陽があまり浴びられず冬季鬱のような心身状態だったのかとも思えてしまうし、こんな陽の光を浴びると汗が出て喉もカラカラに乾くが、石垣島の海の風と波の音は本当に気持ちがいい。

海水浴をしている人達もいて最高の環境なので通常の生活がバカバカしく思えてくる。日が暮れてしまうので足早にサンセットビーチと平久保埼灯台へ行く。灯台からの眺めはどうやら引き潮の時間帯のようで、不思議な海の色になっていた。喉がカラカラに乾いていたので、無人の休憩所の自販機でスプライトを買って飲むと炭酸がくぁあああっと喉を通って死ぬほど美味かった。こんな休憩所でスプライトなんて飲んでると子供の頃の夏休みの感覚だ。そこからは市内へ戻りながら適当に底地ビーチなどへ寄り道をしていったがフサキビーチはまるで海外に来たような雰囲気でプールサイドにBARがあったのでカクテルを飲んで夕日を見ていた。終わらない夏休み、こうなってしまうとしばらくずっとここに滞在したくなってしまう。もう10年前になるが、フィルピンのセブ島に8,9月の2ヶ月間語学留学として島々を巡った素晴らしい日々があったのだが、あれを越える夏休みはこれからあるのだろうか。

友達に運転をお願いしてホテルにチェックインする。もう18時を過ぎていたので、呑みに行く前だったが、なんとホテルに大浴場があったので入浴してから外出した。夏の夜の気温で市内まで10分ほど歩くと、飲み屋街はなかなかの賑わい。都内ほどは混んではおらず、しかし店は満席が多く、裏路地で見つけた良さそうな沖縄料理屋へ入る。石垣島の地ビールを注文して、海ブドウと島ラッキョウ、ゴーヤチャンプルー、刺身盛、グルクン、と定番の料理を食べたが、年に1回はこうして沖縄で料理を囲むことが自分にとって必要な儀式なのかもしれない。それに澄んだ海の近くにこんな美味い居酒屋があるところなんてそうそうない。もう一軒行きたかったが次の日に行けるかどうか分からないが、波照間島行きのフェリーのチケットを予約していたので、早めにホテルへ戻ることにした。帰り道、夜風と虫の鳴き声が気持ちいい。

2023から2024へ

ブダペストから日本へ戻り、通常の生活が始まり、母親のいる病院へ出向き色々と手続きをしていたが、することはと言えば感染対策の為、10分間だけ面会し母親と顔を合わせるのみ。比較的顔色も良くなり、入院しているのでしっかり食事も摂れていて日々回復しているようだった。

入院していることで、こちらも不安に思うことはなくなり、そのまま年末を迎えることになった。年末に向けて、あちこちで友人と会うことがあり平常の生活が訪れていたのだが、何だろうか何か意力の低下というか、やることをやり終えて脱力状態になった。旅の疲れもあったのか、帰国後はとにかく身体が重くて動かない状況で、まぁこれは長旅と食事の違い、旅の最中ついついワインを飲みすぎ、食べ過ぎによるものであろうと質素な生活に戻した。しかし気持ちが低空飛行なのは、また自由に国内海外を動き回りたいというパンデミック中の願望が叶い、よく言われる燃え尽きとでも言うのか、目標がなくなってしまいしばらく脱力していた。もちろん日本は平和でなにも問題はないのだが、それはそれで寝ぼけてしまうような平和ボケ状態。

さて何をしようかと次のことを考えるが何も浮かばない。とは言え、こうして文章を書いていることで、自分自身を探ることができるので、年末から年明けに向けてずっとセルビアとブダペストの滞在の記録をまとめていた。書いていると面白いのがたったの10日間ですら人の心は変化していくということ。成長とも言えるし、まぁある程度の年齢になると熟成されていくとでも言うのだろうか、30代の頃とは違い立ち止まって想いに耽ることが出てきた。そんな中で自分が今したいことは、書き続けることか。書いていたら、人の歴史や世界の今日までの動きや仕組みをもっと調べたい衝動に駆られてきた。

パンデミック後の世の中の動きは経済やテクノロジーの進化、職業も含めて、何故そんなことが起こってしまうのか驚くことが起こりつつある。10年前におぼろげに考えていたことが現実になってきて、もはや真摯に取り組む時期なのかもしれない。身近なところでは、働き方、住む場所などのライフスタイルを変えていきたい気持ちが強い。帰国後はぼんやりしていたことが少しづつ整理されてきた。

秋口には親の体調もすっかり回復し病院を退院ことになり、久しく会っていなかった友人たちと会うことも増え、街は正常化してきた。久ぶりに会う面々は自分と同じく歳を重ねていて、あぁやはり時間は過ぎていくのだな、なんてことを考えていると、情報化社会は進めど、人体というものは昔から変わってはおらず、そんな中で生活を変えるということは、なかなか大変だな、なんて考えてしまった。やはり人生は短くあっという間だ。

もう冬に入った銀座は人が沢山歩いていて、元の賑やかな週末に戻っていた。夢が覚めて現実に戻ったのだ。

憂鬱の推移「ブダペスト、ハンガリー11/最終章」

ブダペスト最終日となった。テレビでは相変わらずイスラエルのガザ侵攻のニュースが報道されている。各地ではデモが行われており、ロンドン、パリ、ニューヨークではかなりのデモ隊が集まっているようだが、ここブダペストは何事もないのが幸いだった。今日の15時のフライトで帰国するので、街を昼過ぎには出ないとならない。行ってみたいところが一つあり、それはユダヤ人のシナゴーグ。こんな状況なので、あまり安全とは言えないがまずは近くまで行ってみることにした。

ホテルをチェックアウトして荷物だけ預かってもらう。朝食はシナゴーグに向かう途中にあるだろうと思って向かうと、シナゴーグの向かいにカフェがあったのでそこへ入る。カフェはインテリアに囲まれていて北欧カフェとでもいうような店。ここでコーヒーとトーストと目玉焼き、サラダ添えを食べる。

シナゴーグへ行くと想像以上に観光客が多く入口に並んでいた。入場料は6000円となかなかの値段であった。中に入るとキッパというユダヤ人が頭に被るものが紙製でおいてあり、それを頭にクリップで取り付ける。教会の中に入ると、何か国かの言語でスタッフがそれぞれ解説をしていた。外へ出ると庭があり、博物館が設置されている。中にはトーラーやヘブライ語で書かれた食器だろうか、グラスなども置いてある。ガザ地区と揉めている最中にここへ来るということも何か意味深であった。他にいた沢山の観光客たちの表情も少し曇りがちに見える。帰り際に何か買おうと土産売り場でシナゴーグの絵の描かれたマグネットを自分に買った。ブダペストの最後の場所がユダヤ教のシナゴーグということもこの後の旅へ何か続きがあるような感じがある。この続きとこれからの世界はどうなっていくのだろう。

ホテルへ戻り手荷物を返してもらい、空港行のバス停へ向かう。バス停で切符を買おうとすると前にいた男性が切符が買えないと言ってきて、金をここに入れたらどうか言うと、金が足りないと言う。それならば目の前にあったインフォメーションへ行けと伝えると、うろうろと歩いて行った。あとで気付いたがあれも物乞いの一人だったのだろうか。面倒なのでついついチケット代の金を渡してしまいそうだが。

空港へ着きチェックインして、土産売り場へ行く。職場などへ土産を買わないとならないと、ジェルボーのお菓子が有名なのでそれを買ったがユーロ高の為、結構な額になる。しかしコロナが過ぎて初の海外でもあるので、身近な人へは報告がてら買うことでいい。

買い物を終え、何件もメッセージを送ってきていた姉に電話をかけて母親の状況を聞く。特に問題もなく、今後の予定を教えてもらい、数日後に会うことになった。自分も出発前の状態よりは気持ちは晴れていたので、臆することなくこなしていけるだろう。電話を切り昼食を食べていなかったから、カフェに行くとグヤーシュがあったのでそれとビールを注文し、空港の外を眺めながらビールを飲んでいた。

10日前までの自分とは違うことが自分でもよく分かるのは旅のせいであり、つまりは環境による心の変化なのだと思う。環境は人を変える。随分と歩いたので身体の疲れはあったが心の疲れというものはなくなっていた。今はまだ少しぼんやりしているが、日本へ帰ればもっと良く分かるだろう。窓の外は曇り空で少し酔っているせいか霞んで見えていた。

湯鬱の推移「ブダペスト、ハンガリー10」

温泉からホテルの部屋に地下鉄で戻ろうとしたが、イシュトバーン大聖堂の近くで降りたので、ドナウ川の夕暮れを見に行くことにした。今夜がブダペストで最後の夜になる。ドナウ川の夕焼けはいつも通りで、大聖堂へ向かっていくとまた鐘が鳴っていた。大聖堂の鐘の音を聴きながらホテルに戻る。温泉で火照った身体を休め、服を着替える。ゆっくりしたいが今夜が最後になるので頑張って出かけてみることにする。

その晩はヨーロッパに行ったら必ずイタリアンを食べに行くことにしているので、イタリア人が経営している小さな店を発見し行ってみると、ドヤ顔の男二人が外に立っていて、中に入ると機嫌悪そうにその二人が注文を取りにきた。「どのパスタにするんだ?ここから選べ」とカウンターの下を見るとガラスの中に何種類もパスタが陳列されていた。こんなえげつなさそうなイタリア人ならこの店は当たりのはず、と注文してみると、見た目はかなり美味しそうなパルメザンチーズがどっさりかかったフィトチーネが出てきた。

一口食べると、う、美味い。生パスタがもちもちで、いや、しかしトマトの酸味が、つ、強い。。これは故意か?大胆にやってるのか?それともドヤ顔二人の適当さ加減なのか??そういえば昔イタリアで食べたパスタにもこんなのがあったのを思い出して、イタリアだと酸味が強いのはありなのか?と想いを巡らせながら食べた。うーん、パスタは最高だけど酸味がなぁと頭の中でパスタと悪そうな店員の顔をぶつくさ考えながら結局全部食べてるんだけども。昼のワインとビフテキも最高だったが、こういう変化球的なものをも面白かったりする。

店を出てアンドラーシ通りに出ると遠くからライトアップされた何かから大音量で音楽が聞こえてくる。そういえば昼間に何かを設営していたのを思い出し向かってみる。そこはかなりの人だかりで、フリーのコンサート会場になっていた。今日が祝日なのでそれのセレモニーなのだろう。出ているバンドやソングライターのアーティストは知らない人達ばかりだったがハンガリーでは人気があるようで喝采を受けていた。そして何かしら訴えかけている。民族や政治やそんな感じの話をしているように受け止められたが、まぁ今夜賑やかなのは結構なんことだ。

そこから離れてしばらく散策しているとチェロ奏者の二人が歩道で演奏をしていた。非常に二人の息が絡み合っている演奏でしばらく聴き入ってしまう。ヨーロッパというものはただ歩いているだけでこんなにも満ち溢れた文化に遭遇してしまう。演奏が終わりその場を立ち去り、ブダペストの街を歩き夜風に当たりながら、僕は喜びのあまり途方にくれていた。