2013年の夏頃、友達と飲んでいる時に冗談抜きでこんな話をしていた。
もう東京、日本は長くはない、ヤバいよね。とくに2020年あたりは。
当時、その友人は会社員から栄養士に転身すべき専門学校へ通っていた。もともとIQの高かった友人は高校時代からの同級生で、大学受験の試験科目を選ぶ時も「政治経済がいいよ、歴史より教科書が薄くて内容が濃いから。」と言っていた。東京へ上京してからも時々経済については話してくれて90年代中盤の頃、これから日本は今の欧州のように経済は落ち込むけれど成熟した国家になっていくような話をしていた。
2013年の夏に自分はロンドンにいて、オーガニックブームのロンドン市内のスーパーに従業員はほとんどおらず、一人二人くらいのスタッフのみで、セルフのレジになっていてショックを受けた。今の日本でセルフレジは普及されたが当時はここまで進んでいるのかと驚き、将来人の雇用がなくなるのではと不安に感じた。この時、旅ばかりしていた自分は年に10カ国くらいは回っていて、この後、南米に行きたいと思っていたのだが、そんなことをしている場合ではないと思い、ロンドンから日本に戻ってすぐこの友達と会い今後について話し合っていた。
話した内容はやはり今後の雇用、生き残るにはどうすべきかといった内容で、今なら通用する内容だが、当時ははっきり言って他の周りの人にこんなことを言っても、なにを真剣にバカげた話をしているんだと思われるようなものだった。「これからの社会に必要な仕事は食や健康、農業かテクノロジーだけ、いや、もうそれしかないんだよね、人間に残された仕事は。それ以外は血を見るだけだよ」と話していた。
ほんの一握りの優秀な営業職だったりエンジニアは残るかもしれないけれど、普通程度の人たちは不要になる。ちょうど当時、海外へ行ったり、食べ歩きをしたりして食や健康に興味があった自分達二人は栄養士を目指すこととになる。周りの人たちに栄養士を目指すなどと話しをしても当時全く理解されなかった。もう30代後半のころでの転職だったので、本気でこんなバカげた話を貫いてきた7年間だった。
最近、特に気になったのことが、当時書いた計画表のメモがあるのだが、2020年東京オリンピックのあと日本は没落するから、その時までに管理栄養士になるという目標を掲げていたこと。それまでの間に英語習得の為、フィリピン・セブ島やロンドンに留学したりとしてきたが、今になってやっと自分のやってきたことが自分でもよく理解できるようになった。まさかウィルスの問題になるとは思わなかったが、2020年を危惧し、今日までの実行計画で動いていたので、今、自分の気持ちは少し落ち着いたのかもしれない。ただ、これから先は新たな白紙になってしまってはいるが。
ロンドン市内はイスラム教徒が目立つ
無人のスーパー
スコットランド
この年の夏、ロンドンで一人で考えてみた。
アメリカと欧州にも飛び火したBlack Lives Matter。何故この時期に、そして大統領選の前に連日の騒ぎになっているのか不思議に思って調べてみると、富豪家のジョージ・ソロスやクリントン、隣国共産党が資金供給をして暴動を支援しているという記事があった。中国のウイグル人の収容問題やチベットのことでもデモを起こしていないヨーロッパの左派の偽善者ぶりに唖然とする等といったコメントもあり、トランプ潰しの陰謀論にも思えるけど、Black Lives Matter の主張を見ると実際過激論者のようで、内容をよく確認してみないと事実が分からない。
今回の騒ぎは思想や人種差別の話は別として、せっかくのロックダウンの後にこれだけの規模の集会をしてしまったら、気にかかるのがウィルスの第二波が始まってしまうのではないかということ。
こんなことでは誰かがウィルスをばら撒いて、その後に意図的に何万人も密集するデモを企画したテロ攻撃といわれてもしかたがない。
誰が正しくて何が真実なのかははっきりとは分からないけど、今は落ち着いて本当に大切なものは何かを考える時期。
久しぶりに外食してインドカレーをアヒリア インドレストランで食べる。インドのバターチキンカレーはこんなにも美味しかったのかと感じてしまう。こういう生活に戻っていられるのも秋口までなのだろうか。
こんなウィルス騒動が起こり外出も制限されたこともあり、あえて旅のブログ、「世界と視界の胸のうち」を始めることにした。果たして今まで通り旅のことを書くことはできるのか。いや書いてみたいという想いでブログを続けていこうと思う。過去に書いた文章もあるので、ゆっくりだがそれも投稿していければと思う。
昨年はベルギーはブリュッセル、アントワープ、スウェーデンはストックホルム、スペインはバルセロナ、サンセバスチャン、それからジョージア(旧グルジア)のトビリシに行くことができた。 ほとんどは撮影で、DOKKINKIN TVという動画チャンネルがあるのでYouTubeで見ることができます。
ここでの内容は、旅と世界の状況、食と健康、日々の生活周辺のことを書いていきます。書くことによって、少し先の生活への手掛かりが見つかればと思ってます。自分の為にも。
それでは!
オーダーメイドした自分専用のサプリメントが届いた。
栄養に関する様々な本やサプリは売ってるけど、実際どれが自分に適合するのかなんて分からないし、やみくもに色々な食物に手を出していても、それが果たして自分の体質改善に繋がるのかは分からない。なので、データから判断してピンポイントで自分に不足しているサプリを調合して服用した方が手っ取り早いのではと考えていた。
食物で言うと自分に必要なのはビタミンB群で豚ヒレ、ほうれん草、レバーだった。多くの人はビタミンBは不足しがちで、豚ヒレに含まれるB1は熱に弱く水に溶けやすいため、調理は手早くすぐに食べなければならない。特に疲れやすい人はB1不足には気を付けなければならない。それとB1には神経機能を正常に保つ役割もあり、精神状態にも影響するとも書いてあった。そんな熱に弱く摂り入れるのが難しい栄養素であればこのサプリメントは重宝できるのではないだろうか。
近い将来、医師の診断がAI化されれば医師は不要になるという未来の話が、ここで一つ出ているのだと思う。データから判断すれば薬の調合も自動で自宅に届くのもあと少し。
それにしても、このサプリ。オーダーメイドらしく自分の名前が書いてあるのがかっこいい。
VitaNoteで行った自分の身体の栄養素検査の結果が出たのですが、特に問題はなかったようです(笑)改善願望があったんですが。
Aランクの91点でした。B1とB2が不足しているのと、ナトリウム過剰なので塩分を控えめにしないとならないそうです。B1が不足すると疲れやすかったり、神経炎や不眠症になったりするので、試しに自分専用のサプリメントをオーダーしてみました。3ヶ月後にどうなっているでしょうか。
昨年、自分のゲノム解析をして、自分が今後なる可能性の高い病気が分かったので、今度は自分の身体の栄養状態を調べる栄養検査をVitaNoteという機関でやってみた。
身体に良い物を食べようとか、これを食べれば健康になるとか、色々な本や記事があるけど、果たしてそれは個人レベルで考えると本当に合っているのか疑問だったので、自分個人に不足している栄養素を正確なデータで取得したいと思った。というか、時代がやっとここまで来たかという感じで検査できることが嬉しい。そしてこの検査キットのすごいところは尿検査の検査結果を分析して、不足している栄養素をオーダーメイドでサプリメントを作ってくれるところ。
これが本当に効果があるのかは分からないけれど、もし本当ならば、これまでの食と健康とテクノロジーの進歩は最終地点になるんじゃないかな。
2014年の財政破綻中のアルゼンチンのブエノス・アイレス滞在中に書いた記録を読み返すと面白いことが書いてあった。
「おかしな国だけど、数年後の世界で他にこういった国が増えてもおかしくはない状況にいるし、この流れを抑えることは無理だろう。結局、最終的にはどんな状況でも自分の価値観で楽しんだ者の勝ちのように思う。」
このコロナウィルスの騒ぎの後に、新しい社会が来るのは明らかで、もう元の社会には戻らないだろう。スペイン風邪の時には第二波、第三波が来て相当の死者が出ていて、今はまだ第一波の状態。これから経済は破綻して世界恐慌にもなりかねない、そして何かに統制されることもありえる。高級品や嗜好品も売れなくなり、新しい思想も生まれる。だから、なるべく早く自分の価値観を変えておかないと、新しい社会が来るまでの数年間が辛い生活になり、生活を続けられないように思う。
2014年に自分が書いた、「最終的には自分の価値観で楽しんだ者の勝ち」と言ってるように、自分の新しい価値観を早めに考える必要があるのだと思う。
もう世界は180度変わってしまうのだろうから。
以下~2014年12月末から2015年1月にかけての記録
帰りの便の乗り継ぎがかなりあって、なかなか書くことができず遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
帰りはブエノスアイレス→サンチアゴ→リマ→パナマ→マイアミ→デンバー→成田、というトランジットで帰国。ただただ長いフライトだった。途中体調を崩し新年はリマの空港ホテルでゆっくりしてたものの、アットホームな宿で何故かメキシコのボーイスカウト達と三食ともに食事するという不思議なところだった。
さて、破綻騒ぎのブエノスアイレス。自分の財布の中身も破綻するのではないかというくらいの物価の高さだった。インフレの為ガイドブックに記載してある値段とは全く変わっている。とは言え、地球儀に棒をブスっと刺すとその先端はアルゼンチンに突き出るわけで、日本から一番遠い最果ての地ということもあり、ここまで来ると、やっとここまで逃げてこられたな、くらいな安堵感もあった。そんなアルゼンチンで今、とんでもないことになっているのは両替。レートには公式のものと非公式なものがある。非公式なものとは闇、闇両替。何だかよく分からないけど、念の為、レートが大体幾らくらいか過去のものを調べてみたのだが、この表のようになる。
2013年1月
US$1=4.93アルゼンチンペソ
闇両替=6.45ペソ
2014年1月US$1=5.5ペソ
闇両替=9.9ペソ
公式と非公式でかなりの開きがある。要するに国を通して両替するより、地下と取り引きした方が歩合が良いということになる。クレジットカードも使ってはいけないと現地の人からは聞いた。持っていくべきはUS$紙幣。特にUS$100はレートが高いそうだ。もう国民が自国通貨を信用しておらずドルを欲しがってるということになるのだろうか。
フロリダ通りという道がある。僕の場合はホテルからすぐだったのでちょっと歩いてみると、すぐカンビオ!カンビオ!と言う掛け声が鳴り響いていた。カンビオというのは両替という意味で、若い兄ちゃんからお姉さんまで何人も立っている。これは違法なのだけど警察も見て見ぬふりをしているようだ。試しに「幾ら?」と聞いてみるとレートはUS$1=12.7 とのこと。12.7ペソと言えば最新のガイドブックには5.5ペソと書いてあったので、これって倍以上か!?と思い正規の両替店に確認するとUS$1=8.44ということ。こちらも上がっていた。アルゼンチンペソの価値が日々下がっていってるってことで最後はどうなるのだろうか。
この闇取り引きをする場合、通りで話し合い、話がつけば地下室に移動して両替を済ませる。ただしニセ札も混じっていたりするそうだ。問題はUS$からアルゼンチンペソへの両替はどこでも簡単にできるけれど、その逆はできない。ペソからUS$はよっぽど整った書類がないと無理なのだそうだ。これは、もう国の信用が全くないということ、他国の金は使えるけど、自国通貨は自国でしか使えないなんておかしな話しです。
そんな潰れそうな国の中で、みんな楽しそうに歌ったり踊ったりしていて、最終的にはお金ではなく、みんなその時の生活を楽しんでる、というものを垣間見れることができました。それにみんなどうにかお金を稼ごうと、自分達で作った物を出店で売ってるのだけど、この商品の質が本当に良くできている。
おかしな国だけど、数年後の世界で他にこういう国が増えてもおかしくはない状況の中にいるし、この流れを抑えることはまず無理だろう。結局、最終的にはどんな状況でも自分の価値観で楽しんだ者の勝ちのように思う。
国がデフォルトすると現金があまり下ろせない。ギリシャ危機の時もアルゼンチンの騒ぎの時も普通には下ろせなかった。2014年のブエノスアイレスでのUSドルからアルゼンチンペソへの両替は闇両替を使用してのおそらく偽札だった。
大袈裟かもしれないが、今回のウィルス問題からすると、デフォルトする国やデフォルトしていることに気が付かない国がどんどん出てきそうだ。それがもし自分の国だったり、他国のデフォルトに巻き込まれることを考えると今何を準備するべきか。
そういえば、この時のブエノスアイレスでも夏にインフルエンザが流行ってたな。インフルエンザとデフォルトって何か関係があるのか?
Real intention from world view.