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社会科見学派カメラマンDOKKIKIN TVによる、世界を踊りながら撮影した写真と記録。

3年半ぶりの海外は台湾へ 1

5月に沖縄へ行った時にはすでにコロナは5類になっていたのでもう海外へは通常通り渡航することはできたのだが、いかんせんパスポートの期限が切れていたので新たに作ってみた。

久しぶりのパスポートの更新に市役所へ向かい、顔写真を撮影して、この顔写真がこれからは顔認証システムで使われるからとしっかりと輪郭をチェックされた。申請から10日ほどでパスポートができて受け取り、この新しいパスポートを手に取るとこの3年のコロナ禍の垢が落ちていくような感覚になる。移動の制限が溶けたような感覚。考えると最後に海外へ行ったのは2019年10月のジョージア(旧グルジア)だった。

なんてことに浸ってる間もなく、さて台湾に行くかと思い友達3人に「来月あたり台湾にでも行ってみるかな」とメールをすると、「弾丸で行ってみますか!」とか「誘ってくれてありがとう!台湾めっちゃ行ってみたかった!」などと、前向き、いや、前のめり過ぎな返答があった。日にちを決めて2泊3日なら全員が集まりやすいかと7月の金土日の週末を提案すると、「調整するのでちょっと待って!」と言うオー君が一番最初にエアチケットを取ってしまい自分は焦ってしまった。行動力があるというか、行動力が未知の人に声をかけた為、自分の予想とは違う速さの波に乗っかってしまい話が勝手にどんどん進んでいく。

もうここからは集まった男4人の自然の流れに任せて1ヵ月後の台風シーズンの台湾旅行を楽しみとしながら日々を過ごした。なぜならオー君が作ったlineグループに毎日のように必要な情報や不要な情報が届くのだから。出発するまでの1ヵ月間、そのlineグループで泊まるホテルや目的地、飛行機などを話し合ったが、さんざん話し合って決まったのはやっとホテルだけだった。みんな一緒のホテル。

最初は別々に泊まることも考えたのだが、まぁ折角、歳も40代の男が4人も揃うことはないので、同じホテルに泊まることにしてみた。提案としては九份に行くかどうするか、どこのレストランへ行くか、クラブはどうするか、あたりが上がってはいた。

出発の飛行機は成田発組が自分ともう一人、羽田発組が2人だった。自分たちは木曜の夜の20時40分の便、エバー航空で行くことにした。チケットは往復約6万円。しかし夜の23時半に到着するので桃園空港にあるカプセルホテルに泊まれて、朝から動けるのでこの飛行機に乗ることにした。その日の仕事を終え、夕刻家から車を成田空港へ走らせた。

5月の沖縄 3

沖縄3日目。朝起きて昨日と同じようなホテルのブッフェを食べる。3日目くらいから沖縄の気候に慣れてきて居心地がいい。初夏の朝は最高だ。今日の予定は特に決めておらず南の方へでも向かってみるかくらいだったので、朝インフォメーションセンターへ行って一緒にプランを考えてもらうことにした。

インフォメーションセンターのスタッフに話を聞くと、やはり南方を薦めてくれて、斎場御獄、平和記念公園、ひめゆりの塔、など今まで行ったことがないところだったのでそれらを周ることにした。近くのカフェで珈琲の飲んでからの出発。

南の方へ車で向かうとこちらも北側と同じように海が綺麗で、窓からはエメラルドグリーンのビーチが見える。もう何もする気がしないくらい平和だ。

那覇市内から1時間程度で斎場御獄というパワースポットのような観光名所に到着する。パワースポットというより、昔から祈願をする場所で大きな岩がある聖地なのだそうだ。まぁパワースポット観光地なんてそれほどでもないと思っていたらとんでもなかった。森の中に入り、大きな岩があるところへ歩くと漂う空気が違っていた。とにかく空気が澄んでいて気持ちがいい。たまたま観光客が途切れ、一人きりで大きな岩の前に立っていたのだが、木々が風に揺られてその音が波の音のようにざわめき、風が身体を通り過ぎていった。これは何かがある場所だと確信するほどで、調べると人によってはやはり何かを感じる人もいるそうだ。自分にはただただ気持ちがよかった。ちなみにここを訪問してからはなんだか身体の調子が色々と良くなった気がする。

その後向かった先は平和記念公園。沖縄といえば戦争の歴史があるので、いつかは行かないととは思っていたが、沖縄=南国のビーチなので少し避けていたのかもしれない。公園の淵の方へ向かうと慰霊碑がたくさん立ってあり、人の名前が市町村ごとに書かれてある。修学旅行生が沢山いて、ガイドがこの崖から戦時中に何人も飛び降りたと話していた。去年、鹿児島の知覧にある特攻隊記念館へ行っていたので、まぁその続きを見ることになるとは覚悟していたが、資料館の中は壮絶な展示物であった。知覧から飛び立った特攻隊はここで戦艦に突撃していき、市民は巻き沿いに合うことになる。想像していた通り、重苦しい内容の資料館を後にして向かった先はひめゆりの塔。

ここは女学園を卒業後に病院の看護要員として従軍していた女性たちが激しい戦闘に巻き込まれて多くの学徒隊が死亡し、その慰霊碑がある場所。資料館へ入ると当時の女学校での楽しそうな学園生活からだんだん戦争に巻き込まれていく経過の写真や資料が展示されている。

いつも思うのだが、こんなにも幸せに満ちた景色が国策によって数年で灰色の景色に変わってしまうことに驚く。女生徒たちは病院へ行って働いてもすぐに帰れると思っていて文房具なども持参していったが病院とは防空壕での従事であり、ほとんど前線だったと書いてある。上からの指示で行くしかないのだろうが、全体主義の当時は逃げることもできないのだろうし。

というか、今現在でも国の政策によって自分達もある程度は制御コントロールされてはいるし、それは巧妙なやり方でもあるのでなかなか気づかない。知らないうちにこの防空壕で命を落としかねないのと同じ状況へ持っていかれてる可能性もある。コロナ禍の最中も国の政策に振り回されっぱなしだった。今後も様々なことが以前よりも、国策を越えてインターネット内部や世界から起こるのかもしれないと考えながらひめゆりの塔を後にする。

解決策は個々人の構えと潮流の波に上手く乗れるかの備えなのだとは思うが、そもそも解決策が通用するような単純な世界ではなくなっていく気もするが。でも各個人の選択肢は結構自由に選べる時代ではあるので、結局は自分次第。まぁ100年前の全体主義よりは比べ物にならないくらい楽しめる時代だとは思えると、自分的には楽しくてしょうがない。成功するかしないかよりも、楽しいかどうかが自分が求めているものだったりする。それこそアイデアと工夫。

腹が減っていたので色々店を探すが、なかなか見つからず15時過ぎに、よね食堂という蕎麦屋に入る。ここでやっと食べることができた、てびち蕎麦。かなりの量の豚足で口の中がコラーゲンまみれになった。帰りのフライトが18時だったのでファストフードのA&Wで例のビールみたいなジュース?をさっさと飲んで近くにあったビーチーをぶらっと歩き、レンタカーを返却して那覇空港へ向かう。

二泊三日の沖縄というのは短いようだが意外とちょうどいい期間で過ごせる日程だった。特に5月ね、この季節は本当にいい。GWはかなり値段が上がるみたいだが、それを過ぎれば格安だ。以前は11月に来たがその時の季節も夏の再来のようで良かった。

家に戻ってからパスポートを申請した。今年はどこか海外へ行こうかとは思っていたが、まずは近場で、香港、台湾あたりで検討していた。ということを友達に話すと、参加者が一人から三人に増えて、もしかすると男4人で台湾へいくかもしれないことになった。40代後半で男4人で行くことなんてそうそうないとは思うのだが笑える。本当に行けたらかなり楽しそうだ。これも複雑になってしまった社会に対する解決策の一つでもあったりする。なかなか選択はしないし誰も信じないが。

5月の沖縄 2

沖縄那覇2日目、起きてホテルのラウンジへ朝食を食べに行く。ラウンジは中韓国系の客でいっぱいで家族連れが多い。メニューは沖縄ブッフェで、まぁ普通のホテルの朝食。

比べてみると前に泊まったヒューイットリゾートホテルの方が洗練されてて心地良かったけど、色々と宿泊してみないとホテル通になれないのでなるべく色々なところへ泊るようにしている。にしても良いホテルというものは何でこんなに少ないんだろうか。

今日も予報は雨か曇りで空は曇ってはいる。予定を決めていないので、まずは朝のコーヒーを飲みにカフェを探しにいく、が朝の時間に開いている店はあまりなく、車で30分くらい北上したあたりにSTICK BY ME ESPRESSOというカフェがあったので向かってみた。ホテルの外に出ると曇ってはいるが初夏の南国の風が吹いているだけで気持ちがいい。北へ向かえばアメリカンヴィレッジもあるのでそちらも一緒に回ることにした。

STICK BY ME ESPRESSOに到着して店内を見ると、内装は50’sAmericanでかなり好きな雰囲気。赤いニットキャップの店員がコーヒーを入れてくれる。そして音楽がレコードで鳴っているのだが、スピーカーシステムが家具調スピーカーで、これもノスタルジーな音を出していた。今時、店内で配信でない音楽がかかってるなんて本当珍しい。曲はジェファーソンエアプレインみたいなサイケガレージバンドのようなギターがぎゃんぎゃん鳴っている曲が午前中からかかっており。隣には白人女性2人組がパンケーキを食べている。もうこの時点で映画のゴーストワールドのイーニドとレベッカが駄弁ってる空気感が満点なのだが、そこにアメ車なのかは分からないけど古い車がブワン!と店の前に停車して、中からリーバイスの501を履いた50’s調の日本人の男が入ってきた。注文したコーヒーがFireKingのカップか?に注がれてきた。カップの裏面の文字を気にしながら飲んでいたらやはりFireKingだった。よく見たらカウンターの棚にはそんなマグカップが沢山並んでいて、店内を色々見まわすと結構集めたなーってくらい色々な家具が置いてある。そして、このコーヒーがまた少し薄めのアメリカンコーヒーで、ごくごく飲んでしまうようなティーのようでそれはそれで良かった。しばらくするとまた古い旧車が停まり、アロハシャツを着た男が入ってきた。年配の夫婦やアメリカ人だと思う家族が入ってきたりと雰囲気は最高のカフェだった。ここは再訪リストに入れておくことにする。

カフェを出て車でアメリカンヴィレッジに向かう。アメリカンヴィレッジはまだオープン前だったので閉まってる店が多かったのだが、海沿いに行くと眺めのいいカフェが何軒か開いていて平日月曜なのに観光客も結構入っていた。ヴィレッジの街中はまぁアメリカ的な雑貨が並んだショッピングモールのような感じで軽く散歩して車に乗り込み北の残波岬へ向かう。この時にはもう空は晴れていた。残波岬に灯台があり、登ることができるのだが、階段が結構キツくなんとか登り終えて外に出ると物凄い強風で飛ばされそうになり、しかし海の眺めは最高で写真を撮って退散する。

腹が減ったので今日は人気店に行こうと北へ向かう。波羅密というちょっと珍しい感じのレストランがあったのでそこか、古宇利大橋近くのL LOTAと迷ったが、洋食を食べたくてL LOTAに決めた。二日連続で古宇利大橋に来てしまったが、晴れの日の古宇利大橋の海は光の反射で海が透き通り昨日とは全く違っていた。到着したL LOTAでは人は結構入っていたが予約なしで座れて本部牛のランイチのロティは軟らかくて沖縄の野菜も味わい深かった。スタッフも丁寧な接客で沖縄で食べた中で一番美味しかったメニューかもしれない。テラスからの眺めも橋が一望できて最高のロケーションであった。

その後、道の駅許田、やんばる物産センターに寄り、ブセナビーチへ向かう。ここにブセナテラスというホテルがビーチのすぐ近くにあるのだが、これを覗いたらやばかった。一泊5万円くらいするらしいのだが、ブセナビーチはマジで綺麗すぎてホテルの部屋から歩いてそこまで行けてしかもプール付きだ。これは泊まってみたいが、ビーチしかない場所でこの値段、金持ちか新婚しかいないんじゃないだろうか。

そこから万座ビーチへ移動して万座毛という絶壁を見てみた。ここも観光客は多くてカメラに向かって自撮りで解説している女子たちもいた。那覇市内へ戻る途中、アンティークショップに寄り道しながら帰る。アメリカの雑貨とフィギュアのアンティークは見ていて飽きない。

那覇へ戻り、街中へ向かう。栄町市場へ行くが閉まっている店が多く入った店は食事が出てくるのがあまりにも遅くて、いまきの芽という居酒屋へ移動した。ここの沖縄料理は最高に美味しくてこれも再訪リストに入れることにした。街中をぶらつき、また適当に沖縄そば屋を探すと24時間チェーンの牛丼屋で沖縄そばがあったので入ってみる。意外とそばは美味しくて、そのままホテルに戻りベッドに倒れこむ。それにしても大したことを何もしてないけれども何故か充実した一日だった。南国は滞在しているだけで満たされてしまう。

5月の沖縄 1

もうあっという間に5月も終わりかけている。今年は月日が進むのがものすごく早く感じる、4/29以降、コロナ明けからスケジュールがどんどん埋まっていってGWに天王洲アイルでラテンを聴きながらのカクテル飲み放題パーティ、「ラテン・カリビアン スピリッツフェスタ」なんてのに友達何人かで集まって気が付いたら新橋に移動していて9時間ぐらい呑んでた。さすがに吞みすぎて次の日ぐったりしてしまったので、酒を止めた(笑)いや、それは嘘で少なくとも平日の家飲みは止めたというか減らした。もう外出制限が解ければ通常通り飲み会があったりするので、それでもうお腹いっぱいだ。それにしても昼間のカクテルパーティでは何人ものバーテンダーがいてモヒートやらテキーラやらをシャカシャカ振って、屋外で呑んで久々に南国の太陽を浴びた。

世の中のゴールデンウィーク中、自分は普通に仕事だったのだが、たまたま3連休が5月の下旬にあったので沖縄の那覇に行ってみた、M君に声をかけて。

沖縄に行くのは2021年の11月に行っていたから、1年半ぶり。前回はコロナ禍のたまたま感染者ゼロの時で10日間滞在していたが、最初に着いた石垣島はガラガラで独り占めだった、のが今回はもう普通。とにかく普通に観光客でいっぱい。那覇への便は早朝6時40分なので成田空港近くの東横インに泊まって、その近くのパーキングに車を停めて成田空港で夜に飲み会をやり、早起きして送迎バスでターミナルへ行った。

飛行機に乗りあっという間に那覇空港に到着してレンタカー店の送迎バスで店まで送ってもらい、3日間のレンタルでガソリン代込みで2万円くらい。安い。ゴールデンウィーク中は1日4万円してたというから、沖縄へ行くなら5月中旬以降はいいかもしれない。予報は雨だが空は晴れていて、沖縄は天気予報が当てにならないとスタッフが言っていた。スタッフの女の子は日焼けしていて、街中の人はTシャツ短パンサンダルで、自分も着替えたくなったのだが、すでに家を出る時から短パンだったので、サンダルに履き替えて上着を脱ぐだけだった。長いパンツは持ってきていない。

予定をほとんど決めていないので、とにかく本島の北へ車を走らせる。高速道路は走り易くて、時間の流れ方が緩やかになっている。本島中部、伊計島というところにビーチがあるというので、そこへ向かってみた。両サイドにめちゃくちゃ綺麗な海が見える道を車で走りながら到着した伊計ビーチではすでに泳いでいる人達がいて、空は曇ってはいるがもう夏であった。海は透明のエメラルドグリーンで、これを見ているだけで十分だ。いる人は少なくてなんとなくアジアの少しへんぴな場所のビーチにでも来たような気分になる。今回はこうやって本島のビーチを色々探しにいくのがいいのではないだろうかとプランを何となく考える。

昼近くになっているので腹が減り、また北へ車を走らせる。北と言えば有名な古宇利大橋なのでそこへ向かうとパラパラ雨が降ってきた。飯屋も特に探してなかったので、橋のすぐ近くにタコライスの店があったからそこで食べる。もう腹ペコだったので何を食べても美味い、そして雨はそこそこ降っている。

食べている間降っていた雨が止んだので、橋近くの物販に移動しマンゴーとパイナップルを食べて(こんなところでマンゴーが食べられるとは思わなかった)古宇利大橋下のビーチをぶらぶら歩く。ここは観光客で賑わっている。前回ここに来たのは4年前くらいだろうか、2021年の時はレンタカーが全て貸出中で借りられなくて来られなかった。

ここから南へ戻ることにして途中、瀬底ビーチへ行く。どーんと大きなヒルトンホテルがあり、ビーチでは外国人も寛いでいる。あちこち砂浜を見にいくだけの時間というのは実にいい。足だけ海水に浸り、海を眺めて砂浜を歩き、海の匂いと音を感じるだけということが、南国の緩い時間の過ごし方であって、それ以外は夜に酒と美味しい食事があれば贅沢だ。

もう夕方になっていたのでホテルへチェックインをしに向かう。ホテルは逸の彩温泉リゾートホテルというところで、まぁどちらかというとファミリー向けホテル。屋外プールと温泉があって宿泊客は外国人が多い。国際通りからすぐなので、荷物を置いて飲み屋を探しに行く。前に友達にお勧めしてもらった「浮島」というクラフトビール専門店があるというので夕暮れ時を歩いて向かう。もう初夏の夕暮れで暑くもない過ごしやすい気温でゆらゆら歩いていると、もう通りで呑んでる人達がたくさんいる。

浮島に入り、クラフトビール飲み比べセットで3種類のビールが飲めるのでそれを注文してみる。キンキンに冷えたクラフトビールがきて二人で一気に飲み干した。今回、まだ旅行支援が使えるのでホテルは20%オフ、一日2000円のクーポン券が貰えてしまうという、まだまだ旅行者に優しい旅行シーズンだ。那覇で夕暮れ時に飲むビールは最高で、そのまま飲み屋を探しに行く。適当に良さげな料亭風の静かな沖縄料理屋に入りカウンターに座り、島ラッキョウ、スーチキ、ゴーヤチャンプルー、鶏の炭火焼きなどを注文して泡盛を飲む。全てが美味しくて、沖縄は年に2,3回は来た方がいいのではと思ってしまった。2泊3日ならば余裕で来られる。

ほろ酔いで街に出ると国際通りはまるで新宿のように人だかりで歩道は人人人だった。ホテルで夜のラーメンサービスがあったのでホテルのラウンジに行くと人だかりでラーメンは終了していた。ここも外国人でいっぱい。どうしても沖縄そばが食べたくて外に出てそば屋を探す。適当に店が見つけてそこで蕎麦を食べてホテルに戻る。沖縄そばを食べると一気に沖縄へ来た感じがする。

部屋に戻るとすぐに眠くなったがなんとか風呂に入ってすぐに寝た。まだ初日なのに一日が長く感じる。沖縄時間のせいだろうか。

2023年の年明けから春に(Artizonal museumのダムタイプ)

今年が始まってからまだブログを書いていないと思ったら、九州ブログは書いてたんでサボってたわけではない。でももう4月になってしまった。つい先日年が明けて、何だかんだで春になってしまった。

この間、あっという間ではあったが、親が癌になったり、俺がぎっくり腰になったり、まぁ色々と結構なことが起こった。にしても親の癌は初期の肺癌だったのがたまたま見つかって、今ならすぐ切除できるからと言われるまますぐに手術をすると30分で切り取ってしまった。先生が取った腫瘍をこれこれと見せてくれて、梅干したいだなと思いながら写真を撮らせてもらった。あれ、梅干しだったんじゃないかと親には話しておいたが。にしても癌という病に付き添うと色々な検査があって意外と面白い。CTのPET検査というもので癌が転移していれば色がついて写ったりと。

年明けは、銀座で友達を会ってコリドー街で鰻を食べたり、このコリドー街でじっくり平日に歩いたことはないのだが、コロナ明けはどんな感じなのだろう。正月明けの平日は空いてて快適だった。そのあとハイアットに入ってるカフェに行ってみるとアルコールもおいてあったので、昼からビールを飲んで幸せな正月明けであったのが、そのあと、ぎっくり腰。ヒートテックの下を脱ごうと片足立ちになったところでグキっとやってしまった。なので、2月は親の病院の付き添い以外は引きこもっていた(笑)そんな中、たまたま近所のカフェに行っってみるとなかなか寛げるスペースで友達と夕方にワインを飲んでいた。

先日、東京駅近くにあるArtizon Museumという美術館でダムタイプ(DUMB TYPE)の展示があったので行ってみた。もう何年振りに見るのだろう。池田亮二の音響作品なんかは映画館に観に行ったり、恵比寿のガーデンプレイスはコンテンポラリーダンスがバキバキの電子音の下で行われたりと、尖がりまくった集団なので大好きなのだが、美術館に入ってみるとやはり予想してた通り真っ暗だった(笑)本当に真っ暗が似合う、その辺のテクノDJより雰囲気はテクノだ。多分暗いはずだと思い自分も黒い恰好で来てしまった。そして見終えた後に物販でダムタイプのTシャツを買った。もはやファンだ。というかライブ後にバンドのTシャツを買ったりしてたのが懐かしい感じに思えてしまった。

今回、坂本龍一が参加していて、各国で録音したらしいフィールドレコーディングのアナログ盤がプレーヤーで鳴っていた。それにしても都内はマスクを外している人もちらほらいて、やっとイベントごとに出かけられる雰囲気の中、友達と新橋の飲み屋で、青空の下で焼き鳥を食べながらビールを飲んだ。

友達はそろそろ何か新しいことを始めたいというような事を話していて、まぁ何をするかは決めてはいないのだけど、さて自分は何かしようとすれば、直近だと自分の遺伝子解析をして自身の体内のことをよく知っていきたいというのが思い浮かんで、なにか事業を起こすというようなこととは少しズレている。

もうね、年末年始が忙しくて、映画を見る回数と読書の数が減ってるのだ。金原ひとみさんの小説なんか読んでると本当すげーなと思ったり、エドガーライトのラストナイトインソーホーを見ても監督はやっぱり最高だ!と刺激を受けてるとまだまだ楽しめることが大いにあるのに、労働や雑事で時間が過ぎていってしまうのが、やはり歳をとったからだろうか。

時間が過ぎるのが早くなっている。と言って焦ってもしょうがないのでゆっくりと年相応に楽しんでいくかと思ったら、5月から公開される「TAR」という映画がグラモフォンが協力しているベルリンフィルの映画らしいのだが、サントラも発売予定でそのジャケットにケイトブランシェットとグラモフォンの黄色いタイトルでマーラーと書いてあるんでテンション上がってしまった。そして5月の連休には都内でラ・フォル・ジュルネというクラシックのイベントでベートヴェン祭が行われる。世の中が騒ぎ始め出した。

九州一周の旅9日目、長崎原爆資料館(最終話)

8泊9日の九州一周だったが、最終日は午後のフライトで長崎空港から成田空港へ戻るので午前中に長崎平和公園と原爆資料館へ。鹿児島で仙巌園、西郷隆盛像、知覧に行くところから始めて最後の長崎原爆資料館でやっと戦争が終わったような旅になっていた。平和公園で朝の散歩をしているとあちこちに原爆投下の痕跡が残っていた。地層の中を見られる階段があったのだが、当時の食器や小物などがぐちゃぐちゃになって埋まっていた。空は晴天なのだが、焼けてしまったもの全てが地面下にあるようで地面が熱く感じられる。

原爆資料館へ向かうと想像以上の混みようで、修学旅行生の群れに占領されていた。タイからの観光客にも「原爆ミュージアムはどこですか?」と聞かれたりと人気の博物館のようだ。ちなみにタイから来た女の子は、日本が安くて今はとても旅行がしやすいですと話していて、どのくらい安いの?と尋ねるとバンコクと同じくらいだという答え。バンコクと同じ。いつかバンコクと日本が同価格になるとは言われていたが、時代の変化が非常に速い。とはいえ、日本の文化には底力があるので、ニュースで騒ぐほど僕はなんとも思ってないのだけど。円安よりも気になるのは今回の旅行支援もそうだが、日本はこんなにポイントを配りまくっててどうなのだろう。昔ブロック経済ってあったけど、それみたいなものなのか、いや違うか。ところでポイントを配りまくったことによってそれが何かの火種になったなんて話は過去にあったのだろうか。物価は上がっても給料が上げられないしポイントを配ろうというのは、ベーシックインカムの試験にも思えるけど。国はもうやれることはやってしまえと匙を投げている気もする。

原爆資料館の中は人込みでゆっくりは見られなかったのだが、悲惨な展示物だらけの中、中高生が盛り上がって見学している。原爆投下時の航空機の映像なども流れていて見ていて飽きない。投下された瞬間に停止してしまった時計がぐにゃりと曲がっているのを見ると、人の歴史もこれの繰り返しで何度も何度も時計を壊しては同じ歴史を繰り返しているように思える。

世界史は80年周期で繰り返し回っているという話しを高城剛さんの本で読んだのだが、日本では1867年の大政奉還から1945年の終戦までが80年。1945年の終戦を四季で例えると春。そこを起点として80年後は2025年。昭和平成の夏と秋を経て2022年の令和現在はまさに冬真っ只中の時点だ。春になる前には一発何かが起こるのが歴史の流れ。

原爆資料館を出て長崎空港へ向かう。長崎空港は空港が小島のようになっていて細い道路と本土が繋がっていて面白い。近くのレンタカー店に車を返却して、「お疲れ様でしたー」と言われてやっと終着地点に着いたような気持ちになる。あぁ、疲れた。九州一周はまるで長距離マラソンのとうでもあり長い9日間だった。昨年の沖縄とはまた違って海よりも山々が多い温泉旅になったのだが、新しい遊び方を憶えたような感じだ。なんというか毎晩温泉に浸かるのんびりした旅だったので、歳を重ねた自分には非常に心地よい旅程だった。

次回はどこへ行こうか考えるが、想像すると何というか国内はきっと大体がこんなノリでゆったり回ることになるのだろう。どこへ行っても大体が平和で同じ景色、人、食事。3年も行動を制限されて国外へも出ていないことを考えると、もしも今海外に出たら考え方が一気に変わるのだろうなとも思う。もともとこんな体質ではなかったはずだ、自分も周りの人達も。いつの間にかみんなどうしてしまったんだろう?帰ったら今後のことを考えよう。世間を見ていると本来やりたい時間を過ごせる期間というものは以前よりも限られてきている。しかし、今海外へ出るとその為替の格差に落胆してしまうのかもしれないが、大きく変わってしまった社会を目の前で見ることができる。そろそろこの時代の結末が知りたくなってきた。

九州一周の旅八日目3、大浦天主堂

怖いことに遭遇してしまった。まず怖いにも色々と種類があるけど、今回のは初めての類の怖い出来事だった。長崎には大浦天主堂という古いカトリック教会がある。作られたのは1865年。この教会がどういった経緯で作られたのかというと、当時の秀吉や家康が行っていたキリシタン弾圧で十字架に磔の刑にされた26人の殉教者に捧げられて作られたのだそうだ。中の写真は撮れないのだけど外階段を上がって教会の中に入ると信者席があり堂内はたくさんの窓にステンドグラスが使われている。正面には十字架のキリスト像が掲げられている。そんなカトリック教会の席に座っているだけで気持ちは落ち着いてしまい、なんだか海外の教会にでも行ったかのような感覚にもなる。教会を出ると博物館になっており、まず殉教者たちの磔の刑の絵があり、なんとも痛々しい絵であり、武士や当時の官僚に身体を押さえつけられ血生臭い状況になっている。その先には踏み絵やマリア象、十字架のキリスト、司祭の衣装など当時の物が展示されている。キリシタンの歴史年表の資料もあり、ほとんどが血を見る争いだったのだと言っているようなものだった。

そんなものを見た後に博物館を出て、日は暮れかかっていたが外の空気でも吸おうと歩いていくと小さい広場があった。そこには十字架のキリストが上に掲げられており、石板にはザビエルだろうか、人の絵が彫られている。それを見ようと近づいて行くと、前に一人の女性が立っていた。その時、その女性がこちらをぐるっと振り返った。瞬間、女性と目が合ったのだが、女性の口元を見ると口から顎にかけて真っ赤に染まっており、そこからは血がぼたぼたと滴っているのだ。十字架のキリスト像や宗教施設、殉教者の絵を見た後、しかも夕暮れ時に蒼くなった空間で、目の前で顔から血を流す女性がこちらを振り返ったのだ。さすがに焦って後退りしてしまった。正直言って悲鳴を上げてしまいそうになったのだが、心の中で一瞬、ひぇーーっ!と悲鳴を上げたあと、「だ、だ、大丈夫ですか!?」と言えた自分がすごい。ついに、とうとう自分の目の前に悪魔、いや悪霊に取り憑かれた女が出てしまったのか。イメージで言うと昔ののホラー映画だ、オーメンとかエクソシストとかそんな感じの。そうすると女性は口を手で押さえながら「こ、転んじゃって。。」と言ったので、周りを見るとどうやら友人が施設のスタッフを呼んできたようで、そのまま事務室に連れて行かれた。

その時は少し放心状態になっていたのだが、事務室で応急処置されている女性を見て、人間だよなと確認して教会を後にした。どうも九州旅行の最初に知覧の特攻隊記念館を見てから重いものが脳裏にのし掛かかり、教会でこんなことが起こってしまい、おかしなことが続いたので、さすがに疲れた。大体、この辺りの人は何かを隠しているような気がする。近くの喫茶店でコーヒーを注文して、水のお代わりを貰おうとすると、「うちのお水は美味しいでしょ。普通の水とは違うのよ」と言い何の水なのか聞くと「汲んできた水なのよ、ある場所からね」とニコニコしていたり。一体どこなんだ(笑)

夜に気分を変えようと、ホテルの人の勧めるおでん屋さんに行ってみると、昔ながらの店で、おでんを囲むカウンターが居心地が良い。割烹着のエプロンしている女性は昭和の雰囲気で、居心地も雰囲気も昔のままでいいのだが、その時にはなんだか遠い昔の戦時中時代に迷い戻されてしまった気分になっていた。

九州一周の旅八日目2、コルベ神父

ここからちょっと不思議な話になるのだけど、ちょっと怖いような不思議な話。軍艦島周遊を終えて、この後は出島へ行ったり、グラバー園を見たりしていた(このグラバー園も説明文を読むと三菱の創始者、弥太郎や龍馬の名前が出てきたり、フリーメイソン日本支部の門があったりと面白い)

まぁ、長崎はやっぱり教会が多い。大浦天主堂という古いカトリックの教会も雰囲気が良い。話はその大浦天主堂の近くを歩いていた時のこと、ある看板が目に入って「マリア像、ロザリオ、聖像各種」みたいなことが書いてあってよく読まなかったんだけど、あれ?何かある、と気になって、ここ行ってみようと思い裏道に入ってみた。すると小さな雑貨店があって、あぁ、きっとマリア像とか売ってるんだな、ちょっと覗いてみようと入ると、かなりの数の質の良い聖像やルルドの水が置いてあった。店員は女性が一人座っているだけだったのだが、奥を見ると通路の先に何かがある。古い木の扉が。あれ、なんだろうなぁ。でもちょっと入りたくないな、なんて思ったんだけど、どうしても気になって、店員に「すみません、あの先には何があるんですか?」と聞くと、「資料室ですよ」と言われ、「コルベ神父の資料室、色々な資料が置いてあるの」資料室?いや、扉に資料室とは書いてあるけど資料室ではないよな、と不思議な勘が働いたのだが、恐る恐る「中に入ってもいいんですか?」と聞くとどうぞと言われて、扉のところへ行くと、入室料100円と書いてあったのでそれを支払い扉を開けてみた。

開けると、あぁ、もうこれは資料室ではないよという独特の空気感のような何か感じるものがあって、来ちゃったかなと思いながら周りを見渡すと、中心には大きな柱があって(後で聞くとそれは昔使ってた暖炉だった)壁には写真や絵がたくさん貼ってある。それは神父が拷問を受けている絵や数人の牧師など、かなり昔の物だ。自主出版してたようなクリスチャンの文集も置いてある。こういう何かの気が立ち込めている場所というのに遭遇することは時々あって、今回は鹿児島知覧の特攻隊記念館などは日中暑かったのに、そこは冷んやりしていたり、以前イスラエルに行った時には気が立ち込めていて湿度があり生温かったり、ともすれば冷んやりした教会が何箇所かあった。

今回もそれと同じ感覚を受けたのだが、一人で中で立っていると、店員のおばさんが入ってきた。「ここは何なんですか?」と思わず単刀直入に質問してしまった。そうすると、店員は「ここはね、昔修道院だったのよ、コルベ神父の」あぁ、修道院か。そうじゃなきゃこんな空気にならないよな、資料室ではないし、扉の外からでも気が張り詰めているのが分かった。「あなたはアウシュビッツは分かる?このコルベ神父はアウシュビッツで人の身代わりになって拷問されて殺されたの」絵を見るとナチスに注射を打たれる神父が描かれている。この修道院もそのコルベ神父がポーランドから来日して作られたそうだ。

そのままコルベ神父の話をしばらく聞いているとこう言った「ここには遠藤周作先生やその仲間、巡礼にきた信者の方々も来るのよ、結構混み合ってね。でも、場所が分からなくて見つからなくて来れないって言うの。でもたまにいるのよね、あなたのようにふらっと引き寄せられて来てしまう人が」確かにここには引っ張られる何かがあって店に入って扉を開けてしまったのだが、この真ん中の大きな柱は何ですか?と聞くとこれは実際に使っていた修道院の暖炉なのよ。それを聞いて、写真を撮ってもいいですか?と許可をもらいシャッターを切る瞬間に、「ここはね、夜誰もいないはずなのに、赤ちゃんがパタパタと歩く音がするのよ。なんなのかしらね。でも赤ちゃんの歩く音だから私たちはエンジェルだと思ってるの。みんな怖がるからこの事はあまり言わないけれど」

シャッター切っちゃったじゃーん。。と思いながら、まぁエンジェルなら悪いことはないですよねと言うと「そうなの、そう思ってるわ」と朗らかではあるが目つきの鋭い女性は落ち着いてそう言った。悪い気を感じたわけではなかったのでそれで失礼したのだが、もう一つ起こった出来事がある。

九州一周の旅八日目、長崎軍艦島

長崎で泊るホテルはヒルトンにした。旅行割が使えるので、長崎に行く直前にこのくらいのグレードでもいっかと他に予約していたところをキャンセルしてこっちに予約をし直してたのだが、部屋に入ると室内は海外のホテルのようにめちゃくちゃ広い。一人で泊るには本当に広すぎる、国内だと過去最高の広さかもしれない。もう普通のホテルには泊まれないのではないだろうか、トラウマになりそうだ。

半分冗談で泊まっているのだけど、スタッフはアットホームな人達で非常に親切。ホテルから新しくなった長崎駅を通り飲み屋街の方へ行くと路面電車が何本も走っていて歩道橋から見える電車群は異国的な雰囲気を醸し出す。ホテルスタッフから教えてもらった登利亭という居酒屋へ行くと、長崎郷土料理のハトシと地鶏のタタキを勧められた。食べてると隣の席にいた工事現場の監督さんに絡まれて勢いよく呑んでしまった。扉を開けて店に入った瞬間こっちを見たんで、あーこれ絡まれそうだとは思ったんだが、案の定「お兄さん、旅行?」と声をかけられ一緒に飲むことになった。おじさんは工事現場を全国的に回っているようで、これ食べてみてと”なめろう”をくれた。美味しいだろ?日本酒に合うから。とつまんで飲んでたら酔いが一気に回ってしまいおじさんが先に店を出た後に自分も店を出て、間接照明に照らされているような街中をぶらぶら歩き、そのままヒルトンホテルに着いて、ラウンジを覗いてみたらカクテルが美味しそうなので、また呑んでしまった。本当に酔ってしまい、頭がぐるぐる回り部屋に戻りベッドに倒れたが、夜景の眺めも良い部屋は広すぎるし設備は新しいしですぐ寝るのも勿体なく、だらだらテレビを見ていた。

次の日の朝は結構な二日酔いで起きたくないのに7時に起きて年配の団体旅行者が多く寛いでいるラウンジで速攻で朝食を食べて予約していた軍艦島フェリーツアーに参加する。車を飛ばして港に着くとかなりの人が並んでいて半分は修学旅行生だった。船内に乗り込むとアナウンスで「今日は波の高さが6cm近くあります。5cm以下でないと島への上陸はできません」と話している。パンフレットには年間100日程度しか上陸はできなくほとんどが船から眺める周遊になってしまうと書いてあって、まぁそんなもんかと諦めてた。しかし上陸できないと何度も話しをているのにも関わらず、上陸してからの注意事項を幾度も話すので、なんだか期待させるようなことばかり言ってるなと思ってると、島の近くになった時、「みなさん、波の高さが4.9cmになりました!上陸します!」と言い放った。ホンマかいな!(笑)修学旅行生がいるから上陸しちゃうんじゃないのコレ。みんな最初からこうなることは先生から聞いてるから知ってたような顔をしていて喜んでもいない。

というわけで自分は喜んで上陸すると、コンクリートと朽ちた廃墟の群れ。重い雰囲気かと思っていたら元気な爺さんがガイドをしていて、もうあの建物は余命半年ですとか、もう補修することもできないから、わっはっは。と話していた。神社、学校、マンションとこんな小さな島に密集して作られている。当時の人口密度は東京の9倍。驚いたのは丘の上にある巨大な貯水槽。海底に水道管を作ったようなことを言っていた。たしかに相当な人口がいたから、それくらいの貯水槽がないとこの端島の人たちは炭鉱で汚れた身体を洗うのも一苦労だったそうだ。

その後、船に乗り島の周りを周遊したのだが、船から見る島は本当に軍艦のように見えて海に漂っているようだった。この廃墟の軍艦と新幹線が開通した新しい長崎駅やヒルトンホテルが混在している乱雑な街の感覚、交差する路面電車、各所にある教会、出島など何か文化の軸がずれたような街が他の土地にはないものを放っている。

今回の旅はダークツーリズムなのでこの軍艦島はハイライトとしてって、知覧と軍艦島の初日と最後のこれしか行ってねーじゃねぇかと言われるかもしれないけど、あの地獄温泉とかね。地獄とか鬼なんてのはダークツーリズムって部類にも入れていいんだと決めてフェリーの揺れと二日酔いで気持ち悪くなって次の場所へ向かう。

九州一周七日目、大宰府~長崎県

ハイアットホテルの朝食を食べにラウンジへ行くと順番待ちをしている人たちがソファに何人も座っている。ハイアットのスタッフはきびきび動いていて忙しそうだし客層も裕福そうな人たちが多く他のホテルとは違う。それに宿泊している人たちすらきびきび動きそうな雰囲気がある。ある意味そんな雰囲気なので少し落ち着かないのだが、欠伸しながら歩いてるような自分が珈琲を飲みながらそれを眺めていると興奮剤としてと心地良い。朝食は本当に美味しくて、席に案内されて卵料理を選ぶのだけどメニューにエッグベネディクトがあったので迷わずそれを頼んでみた。ホテルの朝食でエッグベネディクトなんて食べたことがない。こんなのをよく食べてる連中は考えると自分からすると一般人ではない、オーストラリア人くらいだと思ってしまう。ブッフェにある料理は見た目も洒落ていて、クロワッサンからマフィン、ショコラなんかのパンケーキがずらっと並び、瓶に入ったラズベリーソースがのったヨーグルト、適当に取ってきたので分からないけど何かのムース。普通に買ったらいくらするんだというようなブッフェだった。ブッフェから料理を取ってきて席に座った瞬間を目がけてスタッフがエッグベネディクトを持ってきてくれて、それがプルプルして転がるような卵で、それをホークで刺した瞬間、ここに泊まって良かったと思えるほど熱い卵黄がドバっと流れた。

朝食後に駅前まで散歩に行く。歩いていると携帯電話が鳴り、誰かと思ったらこれから行く予定の長崎で予約していた軍艦島周遊ツアー会社だった。明日の波が荒そうなので島への上陸は難しいとの話。そんなことをわざわざ伝えるために電話が入るのか、連絡はありがたいが一体何人に電話をかけているのだろうか?今から来れれば上陸できますがいかがですか?と聞かれ今は博多にいるから、それに上陸できないことはよくあるそうなのでしょうがないですね、と話すと、せっかくだから上陸してもらいたいんですよねとスタッフは言った。熱心なスタッフなのでこういう連絡は嬉しい。まぁ明日行きますよ、と電話を切った。

ホテルをチェックアウトして久しぶりの曇り空の中、車を走らせて太宰府天満宮に行くと平日なのに週末くらいの混みようの学生の群れ。参道は土産屋が並んでいて観光客が団子などを食べている。天満宮を歩き本殿に行って、人込みの中参拝をして中を歩ながら思ったのだが、九州地方は歴史のある建造物があきらかに関東よりも多く、ここから吉野ケ里遺跡も車で行けることを考えるとやはり日本古代の中心はこの辺りにあったのかと考えてしまう。すぐ近くに九州国立博物館があったのだが残念ながら休館日。そこに縄文時代から近代までの貿易の歴史資料が展示されていたのでこれは絶対見た方がいいと思ってたので残念、博多なのでまた再訪するべきか。

すぐそばにラーメン屋があり行列ができていたのだが20分程並びさっさと博多で初の豚骨ラーメンを食べる。学生が多いので替え玉を兎に角何個も食べてるので回転が悪い。ラーメンは美味しくて腹も満たされたので曇り空の中、時々パラっと雨が降ったが長崎へ2時間程かけて車を飛ばす。山々の中走ってさすがに疲れた。途中パーキングで昼寝して長崎に到着。博多に比べると街中のネオンが暗い。博多が明るすぎだったのだろうか。最後のホテルにチェックインした。