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社会科見学派カメラマンDOKKIKIN TVによる、世界を踊りながら撮影した写真と記録。

九州一周四日目 熊本県 阿蘇山~黒川温泉

熊本市内の日航ホテルのそれらしい朝食をとり、今日も移動する。秋晴れの朝に少し時間があったのでホテル近辺を散策してみる。涼しくて散歩するにはちょうどいい。熊本市はなかなかの都会で鹿児島市内よりも建物が新しく作られているような街。地元の人はみな通勤時で急いで歩いているが、自分は満腹状態で路面電車を眺めていたら香港を思い出した。香港をぶらぶら歩いている時もこんな朝だった気がする。九州自体が中国に近いからだろうか、食事もそんな味付けのルーローハンが出たりする。

ホテルをチェックアウトして阿蘇山へ向かう。今夜は黒川温泉に泊まるので、阿蘇山のドライブコースを車を走らせる。今日もしつこく晴天で全く雨が降らない。毎日移動していると国内移動でもだんだん海外での移動旅の気持ちにもなってくる。何も考えずただ移動していくと日常の生活からだんだん遠く離れていき何かが覚醒して本来の自分が見えてくる。なので旅に出るなら長期間の方がいい。

ミルクロードというドライブコースはぐねぐねうねった道のりで、コーナーばかりの道路を車とバイクが飛ばしていく。スピードを出すドライブは性に合わないが結構好きなので一気に大観峰という景観の良い山々の見える場所に到着する。観光客も結構な数でみんな寛いでいる。空気も良くてしかも晴天、そんな山々に囲まれていると何もする気がしなくなってしまい、兎に角気持ちがいい。そこからまた車で阿蘇神社まで向かう。阿蘇神社は改装中だったのだが、昼に地元の名物の赤牛丼を食べる。半熟卵が載った赤身の牛丼でかなり美味い。九州に着いてから食べる肉がとにかくどれも美味い。店内は観光客でいっぱいだった。

黒川温泉の宿、南城苑には早めに到着したかったのでそのまま車を飛ばして15時頃にチェックイン。部屋は眺めの良い品の良い和室で一気に明治か江戸時代まで戻ってしまうような贅沢な空間。食事の時間は18時からと告げられどうもコース料理らしい。これはもしかするとと思ったらとんでもない格別のフルコースだった。宿は25000円くらいする自分には高級宿、ほかの宿は3,4万円くらいする温泉宿ばかりだった。はっきり言って高い。なのだが旅行支援生活をしているので結構な割引の適用になっている。こんな時でもないとなかなか泊まれない宿ではある。

浴衣に着替えて温泉街を散策してみる。川が流れてあちこちに温泉宿がありこじんまりした温泉街だった。ここはまた来てみたい場所になりそうだと思いながら宿の温泉に行ってみると、日本昔話に出てくるような眺めと白く濁った湯。外に小さな露天風呂のようなスペースがあり、そこから山や目の前の温泉宿が見える。しかも一人で入るような貸切風呂だ。立ち風呂なんていう露天風呂もあって立って入りながら景観を眺めることができる。考えたら宿泊客自体が10人いるかというくらいの人数なので非常にゆっくりと寛げてしまう。一人で来てしまったのだが、温泉に没頭できる初めての体験かもしれない。

夕食の時間になったので食堂へ行くと、コースのお品書きが置いてあり、結構な数のメニュー。一人で来ている客もいた。運ばれてくる料理は天ぷら、馬刺し、40分じっくり焼いたというヤマメ、茶碗蒸し、牛ロース、最後にご飯と味噌汁。スタッフが丁寧に説明してくれる。もはや料亭の味でこんな食事がついて25000円なんて無茶苦茶安い。結局また呑んでしまい酔っ払う。温泉宿の外はぐっと気温が下がり夜に外出する気はせず、部屋に戻ると敷布団が敷いてありそのまま寝てしまった。

九州一周三日目 鹿児島〜熊本

昨晩は城山ホテルにBARがあったので軽く呑んで(このBARの眺めが噴水がライトアップされているのが見えて昭和のゴージャス感があってなかなか良かった)朝起きて温泉に入って目を覚ましてからまた朝食会場で豚しゃぶを食べる。
今日は熊本まで移動するので早めにチェックアウトして車で高速を走らせる。熊本まで行く途中に霧島神宮があるのでそこへ向かう。この日も快晴で九州に来てから連日ずっと晴れている。霧島神宮までは高速道路で1時間くらいの距離なので途中のインターで珈琲を飲みのんびり休みながらの移動。まさに長期休暇といった感覚で気持ちがいい。
到着した霧島神宮はついさっきまで夏日だったのだが一気に気温が下がり、そこには坂本龍馬とおりょうさんの絵と説明文が書いてあった。
そこからの景観は清々しく、この二人の夫婦はよくも京都から九州まで歩いて移動したものだと思いながら参拝をして山道を高速へ向かう。

霧島神宮を出ると昼になっていたので途中の道の駅で鶏の南蛮揚げ定食を食べて(この南蛮揚げなんてただの南蛮揚げなのだが、九州の山道を車で走らせて途中で見つけた道の駅で食べる南蛮揚げは非常に美味い)
この後、人吉や水俣の街にも寄りたいと思ってたのだが意外と高速道路が長い、長すぎるので途中下車を諦めてひたすら走る、走るのだがトンネルが長すぎる。長すぎて眠い、8kmとかあるんじゃないだろうか。

とにかく走り、おそらく3時間強走って熊本に到着。その時、時刻は16時でそのまま閉館ギリギリだったのだが熊本城に向かい中に入る。城は修復されていて天守閣まで登り街を眺めて、西南戦争の時に西郷隆盛がここを占拠した絵を見ていると九州の移動と戦争の歴史が引き離せなくなる。のだが、今夜の宿泊先は熊本日航ホテルなので少し期待していくとこれが期待以上の部屋で、旅行支援のクーポン券まで頂き、スタッフにオススメされた熊本料理の店に行く。

店のカウンターに座ると料理人が兎にも角にも親切で特別に馬刺し、鶏刺し、牛刺しのお造りを出してくれて、その後に出された天草で獲れた刺身も美味しくて米焼酎を呑んだ。熊本の焼酎は米なのだそうだ。店では色々とサービスしてもらってしまい、酔いが回り熊本の歓楽街を歩く。ちょうどいい大きさの街で水商売の呼び込みのおじさんと適当に話だけしてホテルに戻る。考えたら一日中移動していたのだ。疲れたのでまたベッドに潜り込んだ。

九州一周二日目、鹿児島 知覧

朝起きると頭が重い。二日酔いでなんとか起き上がって大浴場に向かい桜島を眺めながら温泉に浸かり目を覚ます。
城山ホテルの朝食を食べに行くと朝食会場と大きな案内表示があり、朝から豚のしゃぶしゃぶが食べられる。
今日は鹿児島の南の方、知覧という地区へ向かう。車で約1時間、なのだが途中から山道になるので意外と遠く感じる。鹿児島の街は街路樹が南国の植物の様で台湾の街を思い出しながら車を走らせる。
向かった知覧では武家屋敷と特攻隊平和記念館が見ることができる。

知覧に到着してまずは武家屋敷を歩く。江戸時代に作られた庭園を見ながら歩くのだが、先々のホテルの予約をしないとならず、時々ベンチに座ってホテルに電話をする。旅行支援のキャンペーンが始まり電話が全く繋がらない。
諦めて武家屋敷を歩く。
昨晩のジャズBARでも客に話しかけられたが、武家屋敷でも「あぁー、あなたは。どうもどうも、今日はどうされたんですか」と声をかけられる。人違いと言ってるのだが引かない。一体誰と間違われてるのだろう(笑)

そしてこの後に訪れた特攻隊平和記念館。
結局はここが今回の旅でも一番印象の強い、強すぎるところになってしまった。
ほんの少しは感度の分かる人間だと自分では思うのだが、この場所は漂っている気が強すぎる。
大戦中に零戦で軍艦に特攻して亡くなった軍人、約1000人の若者の写真、遺書、遺品の実物が四方八方に掲げられている。それらに取り囲まれていると重すぎるくらいの気の圧力にやられてしまいそうになるのだが、後で調べてみると感受性が高い人は途中で出てしまうそうだ。

外を歩くと灯籠が幾本も建てられており、先程まで汗ばむ陽気だったのだが、ここに到着した時から気温が下がり少し冷んやりとするのは故人の熱気を冷ますように偲んでいるからだろうか。
ダークツーリズムという観光形態があるが負の遺産に興味があるならば、ここに来た方がいい。
良くも悪くも僕らが今生きているこの時代はこの人達が作った未来の線上にいる。

市内に戻りキャベツが載った鹿児島の豚骨拉麺を食べてホテルへ戻る。今日一日は知覧だけで終わった。ホテルのBARで軽く飲んでいたのだが、知覧の記念館で響いてた爆撃音と空襲警報が頭から離れない。

九州一周の旅 1日目

さてと、まずは期間は8泊9日間。
鹿児島を出発地点して長崎を目指す旅程になっている。


成田空港から鹿児島空港に午前中に到着してレンタカーで鹿児島市内へ。気温はやや高くて初秋のような気温。レンタカーの値段がやはり高くて9日間Vitzクラスで8万円強。まぁ、車がないと一周も横断もできないのでこれはしょうがない。

昼頃に鹿児島市内に到着したので昼食はやはり鹿児島名物が食べたく調べてみると近くに「あぢもり」というしゃぶしゃぶの有名店があった。入ってみると、とんかつ定食を薦められたのだが、しゃぶしゃぶのことを聞くとしょうしょうお待ちくださいませと待たされ、どうやら予約必須だったようだ。上の階の座敷に案内されて着物を着たスタッフが肉と具材を持ってきた。初の一人しゃぶしゃぶ高級店(笑)個室の座敷が立派でなんだか接待でもされてるようで料理もだし汁もかなり美味い。汗をかいてしまい、店を出て天文館という変わった名前の商店街を歩く。この天文館という商店街が街のへそのようだ。商店街は昔ながらの雰囲気で昭和感が残っていて人も沢山歩いているので好きな雰囲気だった。やはり地方都市はいい。

その後、薩摩藩、島津家の仙巌園を見学する。この庭園からの桜島の眺めがかなり良くて、屋敷の中も和洋中が混ざったような独特の内装と家具であった。そこから車を走らせ西郷隆盛像や御桜門のあたりを歩き、日も暮れてきたので有名な城山ホテルへチェックインする。

チェックインしてすぐに桜島を見ながらホテルの温泉に浸かり、夜は天文館を和牛を求めて彷徨い、やっと見つけた店で和牛ステーキ。フィレを切らしているというのでシャトーブリアンを薦められ、一口食べて「あの、すいません、感動しました」と料理人に伝えながら赤ワインを何杯も飲む。たしか五杯は飲んだ。そしてラムシンのステーキ100gをお代わりして店を出た。

すっかり酔って気持ち良くなったので帰り道に見つけたジャズBARに入ってマスターと他の客と閉店まで盛り上がり、エディット ピアフからユーミンまで色々聞かせてもらう。戦時中に聞くピアフのレコードはいつもとは違う。

すっかり遅くなってしまいタクシーで丘の上にある城山ホテルに戻る。城山ホテルは街に出るのに送迎バスを出してくれる昭和で少しハイソなホテル。そのまま倒れるようにベッドに入り込んだ。

ピアフの歌を聞いていた後に、以下の文章を見つけた。

人間は、幸せだから歌うのではない、歌うから幸せになるのだ
ウィリアム・ジェームス

九州一周の旅 ダークなまっぷる九州旅行支援ツーリズム (その壱イントロダクション)

仕事上、今年の夏休みを取らないとならないことになっていて、しかしコロナの感染者も増えてるのでいつにしようかと思っていたのだが、10月あたりいいんじゃないかと適当な日程を申請していたら、申請していた日がちょうど旅行支援のスタートする日に被ってしまい、支援されるおめでたい奴な旅になってしまった。

本当は混むので嫌な気もするのだが、日に8,000円も還元されるのならと思い、ちょっとプランを練るのを頑張ってみた。行先は九州あたりかと前々から考えてはいたのだが、同時に負の遺産を巡るダークツーリズムの入門書を読み、それの正反対のまっぷるの九州ガイドブックも並行して読んでいた。読んでる矢先、一週間前くらいにいきなり旅行支援のスタート日が発表されたもんだから、agodaサイトで予約してたホテルはどーなるんだ??と謎だらけの旅程で出発になった。この時、最初の鹿児島と黒川温泉宿は電話で直接予約に変更しており、他のホテルは仮予約になっていた。

ここで、「ダークなまっぷる九州旅行支援ツーリズム」にテーマが決まり成田空港から出発することになった。初日の九州は鹿児島から始めることにした。

カフェインは栄養か?

(前もって書くが、この文章を書いた後、普通に珈琲を飲む生活になっている。)

さて、またしばらく書いていなかった理由は、また離脱症状が起こっていたから。なんで今年はこんな化学反応みたいなものがよく身体に出るんだろうか(笑)ちなみに健康診断は全く異常なし。

まぁ、前回のは鎮痛剤による離脱症状だったのだが、最近飲みすぎ食べ過ぎが祟り、お腹の調子が良くなかったので、少し珈琲を止めてみたら、頭痛、吐き気、下痢の症状が出て、脱力状態になった。それと下半身の筋肉痛、これがジンジンしてめちゃくちゃ痛い。そういえば過去にもコーヒーをしばらく止めた時に不快感があったのを思い出したのと、前回鎮痛剤のリリカを止めた時に珈琲も飲めなくて止めていたが、あれも離脱症状に加担していたのかと今になって分かった。

珈琲は好きなのでそのうちまた飲むとは思うけど、ネットで調べるとカフェイン断ちをしている人がちらほらいた。その人たちの声を聞くと、一度カフェインを止めてみるとどのくらい中毒になっていたのかをよく理解できるということだったので、せっかくなので自分も止めてみたのだが、これが2週間くらいはなかなかしんどかった。最初の2,3日は頭痛、吐き気、下痢が重くのしかかり、だんだんと良くはなるが、何というか脱力感と珈琲が飲みたくてたまらない軽い禁断症状。禁煙をした時に似たような感覚。

しかし3週間経った頃から身体が軽くなり、疲れなくなった。疲れなくなったのは、朝の珈琲を飲んだ後は身体がシャキッとして活動的になるじゃない?で、その後疲れていく。そしてまた午後にカフェインを摂ってテンションを上げていく。そのローテーションをなくすと、無理やり身体を興奮させないで、たんたんと仕事をすることができるので、自分で体力のコントロールをしやすくなるのかもしれない。

それと睡眠。本当によく寝られる。最初の頃は爆睡していた。今1ヵ月経って、そうなると色々なことが普通になってしまってるけど。逆に、先日疲れて眠い中、高速道路を車で走らないとならない時があり、久しぶりにカフェイン入りのコーヒーを飲むと、目が一気に冴えて興奮状態になった。そうとう作用の強い薬物のようなものを摂取した感覚になった。それが分かったことがカフェイン断ちをしてみて最も良かったこと。

こんなものを毎日何杯も飲んでたら相当身体の負担になっていたはず。単純に考えて、こういう興奮剤で無理やり身体を毎日動かしていたら良いわけない。ついでにイライラ感、焦燥感が少なくなったと思う。

でも珈琲の楽しみがなくなるのは困るので、最近はカフェインレスのデカフェを飲んでいる。最近のデカフェの出来は非常に良く美味しくなっている。なのでこればかり飲んでいる。ちなみにスタバの店舗で作ってもらうデカフェは本当に美味しい。試しに店内で一度カフェイン入りのコーヒーを飲んで読書をしてみたら、物凄い集中力は上がったが。飲みすぎるとヤバイことを自覚しながらカフェインとは付き合っていった方がいい。

それと、不思議と身体が柔らかくなった気がした。立ち仕事なので足腰を痛めていたのだが足裏の痛みがかなり減った。それと腰痛も少し和らいだ気がした。離脱症状の時に腰から脚にかけて筋肉痛の激痛で夜も眠れないくらだったのは、カフェインが筋肉の神経に作用していたからだろうか。それも調べてみるとカフェインには筋肉を硬くする作用があるとのこと。なのでもしかすると腰痛とカフェインの関係はあるのかもしれない。

とういことで、この一か月はデカフェとカフェインレスのルイボスティー、整体師から勧められた沖縄の雪塩の「ぬちまーす」を水に溶かして飲んでます。かなりのミネラルが摂れるとのこと。ヤクルト1000なんて人気があるけど。あれは相当甘いので危険だと思う。ブドウ糖果糖液糖ってのが入っているんですが、その手のジュース類はもう飲めない。

何故こんなに危険な食品が身近なスーパーで普通に売られているのかは本当に不思議だ。

鎮痛剤のリリカ、トラマールの離脱症状

数ヵ月間、薬物中毒に陥っていた。そこから這い上がってきたのだが、このサイトを見たら石垣島の旅の話が途中で止まっておる(笑)

今年の2月から4月いっぱい迄の3ヵ月間、リリカ、プレドニン、トラマールという鎮痛剤を整骨院から処方され何も知らないまま飲み続けていた。(リリカは別名プレガバリンともいう・トラマールはトラムセットといった種類もある)

もうこれが冗談抜きでとんでもない薬で麻薬の禁断症状を味わうことができるくらい強烈なものだった。因みにコロナワクチンよりも強烈。

整骨院へは足の指を怪我したため行ってみたのだが、それのついでに腰痛があると話すと、医者から「今の時代は薬で治すんだよ、整体は効き目あるかな?」と言われ、そういうものなのかと思ったが、ただの鎮痛剤ならその場しのぎなので必要ないと伝えると「これは脳の神経に働くから。それにそんなに強い作用はない」と返された。強くないなら試してみるかと飲んでみることにした。最終的にはそんなに強くはないはずが、地獄のような苦しみの副作用だったのだが。

詳しく書くと、(詳しく書くのも面倒だが、症状の経過を考察(笑)するには期間を書かないとならない)

まず最初の2週間はリリカ25mgとプレドニン(ステロイド剤)とレバミピド(胃薬)
を処方された。リリカはだんだんと量を増やしていくからと言われ、最初は少ない量の25mgだった。この段々と量を増やしていくってのがちょっと怖い。この時、薬の作用について自分で調べればよかったのだが、整骨院の先生やスタッフのおばさんの説明が軽くて副作用について全く触れていなかったため、全く疑ってはいなかった。

リリカは3回/1日、プレドニンは2回/1日

2週間経過したが、特に身体は何も変わらず。腰痛とは言えヘルニアでもなく、それほどの腰痛ではなかったのでストレッチや整体へ行けば生活に支障はない程度のものだ。はっきり言って薬を飲む必要などないくらいだ。そこからリリカを25mgから75mgへ変更する。プレドニンはそのまま続けて服用した。

このリリカ75mgとプレドニンの服用期間は1か月半。1か月も過ぎるとなんだか腰の痛みというか固い違和感はなくなっていった。なるほど薬が効いてきたのだなと思って安心してストレッチなどはしなくなっていった。整骨院へ行ったときに電気治療をする程度だ。

しかし、最初の副作用の日がいつなのかはっきりした日は覚えていないが、汗が多量に出て、体温が上昇するような感覚になり、体温調整ができないような怠く、そわそわしてしまうような体調の日があった。この薬は飲むと眠くなるという副作用が書いてあり、アルコールは薬の作用を強めるので控えるようなことが書いてあった。

ある日、出かける用事があったので、薬剤師に「この日は予定があるので、服用しなくてもいいですか?」と聞くと「いやー。。。飲んだ方がいいわよーーー。眠くなっちゃう??うーん、でも飲んだ方がいいわねーー。」と困惑したような回答だった。

今思うとこれ副作用知ってるだろ??(笑)っていう回答だった。

その時の外出時は適当に服用してとくに問題はなかったのだが、たまに服用しない時2,3回分を飲まないと、汗をかき体温調整ができなくなってしまい布団の中でも熱くなり眠れない。これが薬の副作用だとも知らず、季節はちょうど3月であったため、季節の変わり目の天気病だと思っていた。そこで胃腸科へ行き、天気病の漢方薬の「五苓散」を処方してもらいそれを飲んでいた。が、症状は進行していく。自分は2月から3月への新しい季節を過ごすことを失ってしまった(笑)

2ヶ月が経過した頃、薬を変えることになった。この時には腰の痛みはなく、というか身体全身の痛みを感じなくなっていた。脳の神経に効いてしまっているのだろう、どんなに激しい動きをしても筋肉痛などにもならずの所謂、ドーピング生活になっていた。恐らく走ったりしたらめちゃくちゃ早く走れるんじゃなかっただろうか。

薬はプレドニン(ステロイド剤)からトラマールという薬に変更になりリリカ75mgはそのまま、レバミピド(胃薬)はなし。このトラマールが原因なんだと思うが、これを飲み始めてから一気に体調が悪くなる。医者はプレドニンを止めたからかなと言っていたが原因はよくわからない。そして胃の調子がかなり悪くなり、もう一度胃薬を貰うが効果はなく、また胃腸科へ行き他の胃薬を処方してもらった。

自分ではこの間ずっと天気病と仕事の疲れだと思っていたが。最後の1ヵ月は春先の外出時にまた妙に汗をかき体温調整ができない日があったり、車の運転も汗をかきながら何故か焦るような感情に見舞われたり、夜寝ていると、呼吸が止まったような症状で起きたりと自律神経が乱れた症状の日が時々あった。

そんな生活の中で、体調が悪い日の次の日、妙に体調の良くて清々しい日があった。とてもハッピーで気分の良い日。それが薬を飲んでいない日の翌日に薬を飲んだ後だった。ハッとして、これはなんだろうと考えて、そういえば休日に薬を飲まない日などに多汗症やイライラの症状が出ていたのではとカレンダーを見返すと、やはり体調の悪い日は薬を飲んでいない日だったのだ。

これはと思いネットでリリカやトラマールの薬について調べてみると、出てくる出てくる副作用の文字。この副作用の数が半端ない。頭痛、傾眠、浮動性めまい、悪心、嘔吐、便秘、食欲減退、口渇、倦怠感、浮腫、口腔咽頭痛、【重大な副作用】アナフィラキシー、呼吸困難、気管支痙攣、痙攣、喘鳴、血管神経性浮腫、呼吸抑制、耐性、精神的依存、身体的依存、激越、不安、神経過敏、不眠症、 運動過多,

、、、

まだまだ書いてある。しかもこういう鎮痛剤はヘロインやモルヒネなどと同じような系譜に記載してあり、オピオイド系鎮痛剤というらしい。これはアヘンだ。

ほとんど麻薬と変わらないようなことも書いてあり、断薬すると副作用に見舞われ禁断症状に襲われるらしく1週間以上かけて徐々に減らしていくことが添付文書に書いてある。こんな副作用を知ってしまったからには薬を止めたくなる。ただしゆっくり減薬していくところを一気に止めるとどうなるか分からないが止めてみた。この時点で初めの処方から3か月が経過している。

まず一日止めてみるとその1日目の夜、深夜に禁断症状で息が詰まりそうになり目が覚め、顔がピリピリして体温は熱く、いてもたってもいられず部屋の中を夜中に歩きまわる。多分この時が一番キツイ状況だっただろう。この時はすぐ薬を飲むと落ち着いてゆっくり眠れた。こんな方法で減らしていけばよいのかと考え、たまたま3日間連休だったので、この後も飲むのを止めて辛い時にもう一度飲みその後は止めていた。

断薬してから2日くらいは休みで家にいたのだがほとんど寝られずそのまま仕事へ行くと呼吸が荒く身体に力が入らない。喉も乾き体温調整もできずかなりの汗をかいていた。日に日に少しはマシになってる気がするがそれでもかなりキツイ離脱症状は続いた。3日ほど仕事をしてまた休みだったのだが、この離脱症状には波があるようで家にいても吐き気や頭痛に悩まされてこれぞ生き地獄というものを味わうことになる。しかも不眠症にもなっており食事も摂れない。身体の腰のあたりもズキズキ痛みが出ている。念のため整骨院へ行き症状を話すと、いつもの先生ではなく他の先生だったが離脱症状を認めてくれて、もう断薬して数日経つのであればそのまま止めた方がいい、個人の肝臓の具合にもるが1,2週間すれば回復するとのことを聞いたので、そのまま断薬をして生活していた。

2週間のあいだは力も入らず、呼吸も荒い状況だったが体調は日に日によくなってはいった。身体が軽くなっていくと言ったらいいのだろうか。断薬して1ヵ月もすると大分良くはなっていたが心配だったので、再度整骨院へ行き話をすると今度は別の先生で「断薬してからそんな副作用は出ないですよ、うちは整骨院なので分からない。内科へ行ってくれ」と突き放された。この対応は無茶苦茶だが向こうもどうしようもないのだろう。しかし離脱症状を知っているスタッフもいるのだ。全くおかしな話だ。結局内科へ行きレントゲンと血液検査を受け、結果は異常なし。この時断薬から1ヵ月が経過しているので身体も落ち着いていたのだろう。恐らくだが自分の場合、離脱症状から回復したのは断薬してから1ヵ月半した頃だったのだろう。しかし服用中に痛みを感じない身体になっていたので無理に身体を動かしていた負担はまだ残っている。多分だがそう思う。なので断薬中は平行して整体へ行きなまっていたストレッチを行いなんとか以前の状況へ2ヶ月経った今も身体を戻している状態だ。

この断薬中、色々と薬について調べていくと、かなりの数の患者にこのリリカやトラマールは処方されているようだ。実際、痛みをなくしてくれるので役に立っている人もいるのかもしれない。しかし、こんな薬を長期に渡って飲み続けるのはいかがなものか。

ネットの情報だが医師が飲みたくない薬などでは、リリカ、トラマール、バファリンやロキソニンなどが記載してあった。考えるとただの鎮痛剤であり、その場しのぎなので良いわけがない。パブロンなどの市販の風邪薬なども同じでただ風邪の症状を抑えるだけだから、服用してもしょうがない。それか熱をしっかり出してウィルスを撃退したほうがいいんじゃないか?

そんな調べものをしているうちに、西洋医学や東洋医学、中国医学、インド医学などの本があったのでそういったものを読んでみると非常に興味深い。西洋医学は事故などの突発性のある病気や緊急時には必要とされるが、それ以外の長い目で見て治療できる病気については漢方薬や針灸の方が根本の原因を治療できるといったことも書いてあった。風邪などの時もはちみつを舐めたり、飲むならば葛根湯が良いそうだ。

兎に角、今回のことがあってから薬については軽く考えないで、よく自分で確認しないと製薬会社のセールス目的に絡まれてしまうのだと思った。最近の芸能人の自殺問題もはっきりとは分からないが、睡眠薬等の薬を服用していたようなことも書いてある。ベンゾジアゼピン系と呼ばれる類の薬は断薬が非常に大変なのだそうだ。そういう薬が簡単に処方されるような世の中でもあるので、十分調べてから服用したほうがいい。

最近の海外での大麻解禁についても、あれも企業側はセールスのことが重要で買い手の健康のことなの考えているのかどうか分からない。大麻に含まれるTHCは脳神経に作用するものなので簡単に入手できて乱用するのは非常に怖い。別の成分でCBDオイルは日本ではかなり普及しているが、医療用で作用が強くなく依存しなければ問題ないとは思うが。とはいえ特に必要なければ手を出す必要もない。

身近にある薬局で簡単に色々な薬が手に入ってしまい。いつの間にか買うのが当たり前になっている。しかし考えたらそれって本当に必要なのか?ビタミン剤、鎮痛剤、下痢止め、風邪薬。

それだったら普段の食事を見直した方がいい。風邪をひかないように栄養を考えるだけで、それらの薬は必要なくなっていくと思う。軽い症状であればなるべく薬は減らした方がいいに決まっている。そして身体の痛みは運動やストレッチなどをやっていこうと思った矢先、カイロプラクティックというものがあるが、そのかなり信頼できそうな医院をみつけ先生に施術してもらった。身体をバキバキいじるものではなく、原因は臓器にありそうだとお腹付近の臓器に手を当てているだけ。時々足を上げたりはするが、はっきり言って何をされているのかよく分からなかった。まだ一度しか行っていないのだが、身体の調子がよくなってしまった。口コミ数なども非常に多く何故か治ってしまう。以前書いたCS60の球体治療も不思議な話だが。

こんなこともあって最近は東洋医学への興味が非常に沸いてきた。長い目で見た病気にならないようにするための治療。西洋医学にはなかなか受け入れられない、今の日本人には近いような遠いとような不思議な医療。

この経過はまた後日談で。

島と海の世界-八重山諸島 4【波照間島】

今、この昨年11月の八重山諸島の文章を書いているのが2022年1月下旬であり、コロナ感染者がオミクロン株によって増加し、まん延防止法が施行されて外出も制限されることとなっている。

結局は昨年10月頃から今年1月までの期間が数ヵ月間の休戦状態だったかのようで、また空襲が始まった気がする。僕らはきっと昔から何かに恐れずに動ける時に動けるか、待つべき時に待つことができるかという能力を試されているようだ。ということを宇多田ヒカルの新作のBADモードを聴きながら書いているのだが、この人の自由すぎる突き進み方があまりにも強烈で歌も後ろの音も非常に痛々しいのだが清々しい。

波照間島へ出発する朝、石垣島の空は快晴。今日は運航するだろうと7時にフェリー乗り場へ向かう。運航表示を見ると一日すべての3便が運航予定になっていた。石垣島にはあと1日の滞在であったので何とか間に合った。波照間島へはフェリーに乗り約1時間で到着する。現地では売店も少ないのでターミナルで飲み物を購入しフェリーに乗り込む。フェリーでは船内にも席もあることが後になってから分かったのだが外のデッキシートの波が跳ね上がってくる方に座ってしまっていた。それはそれで東南アジアのアイランドホッピングのようで良かったのだが。

結構な揺れの中、波照間島へ9時過ぎに到着。フェリーから降りるとレンタサイクルなどの案内の車が止まっていたので車に乗り込む。自転車かバイクを選ぶことができたので、ここは迷わずスクーターを選んだ。自転車だと一周するのに3時間かかるそうだが、いかんせん自分のような中年に自転車で島中を真夏の気温の中走る行為は避けたく、そしてスクーターで島中を走り回りたい衝動に駆られたのでスクーターに跨った。隣にいたおじさんもスクーターに跨ったが操作方法がよく分からず「お兄ちゃん、これどうやるの?」と聞かれたのでアクセルをかけてあげると京都から来た50代のおじさんが小学生のように嬉しそうに挨拶をして消え去る様に走り去っていってしまった。夏の島というものは人を馬鹿同然に自由にさせる。これもまた痛々しくも清々しいのかもしれない。

自分も遅れをとるまいと、波照間島で有名なニシ浜というビーチを探しにいく。一応google mapも使えるのだが、バイクを走らせて小さな島のビーチを自由に探し回るだけで地図などなくても良い。バイクを港から10分も走らせればニシ浜はすぐに見つかった。ニシ浜への下りの坂道をバイクでゆっくり降りていき駐車場へ停めて砂浜の方へ歩いていく。時間はまだ午前10時にもなっていない。ハテルマブルーという言葉を聞いてはいたが、名称をつけるくらい海は存在感のある色をしていた。その前では到着したばかりの誰もが言葉を失くしていて、始めは口を開かない。ゆっくりと波際の近寄っていき様子を見ている。これが何なのか、初めて見るような目で海を見る。どうしてこんな色なのか、何故こんなに透き通っているのか、そしてそんな浜辺には人は数えるほどしかいないのだ。ここはまさしく秘境と呼ばれてもおかしくはない何かを放っている。誰にも教えたくない、来てもらってほしくはない秘密にしたい楽園。過去に澄んだ綺麗なビーチは海外でも行ったことはあるが、ここは何かが違っていた。人を寄せ付けない何かが。きっと誰にも教えたくない楽園というのは世界中のどこかに隠されていてきっと調べてもすぐには出てこない。そんな想いの詰まった場所、その一つがここなのかもしれない。

音のないニシ浜で写真や映像を撮影したり浜辺を歩いたり座って海を眺めたりしていたが、もはやここで全ての目的は達成されてしまったようにも思われた。もう何もしなくていい。しかしまだ昼にもなっていない。行くべきところはまだあり、それは日本最南端の岬。最南端へ来るためにこの島へ来たのだ。もう地図を見るのもどうでもよくなり大体の方角を決めてバイクを走らせる。時折、自転車に乗った人々とすれ違ったりする。相変わらず道路に信号はなく真夏の日差しは強く腕や首がじりじり焼けていく。青い空と夏の日差しとサトウキビ畑、もうここが日本なのかどこなのかもよく分からなくなってくる。夏という事実だけだ。自分は今、夏という国にいる。

最南端の碑を探している途中、綺麗なビーチを発見したりしながら適当にバイクを走らせる。そうしていると最南端の碑、集落、などと書かれた看板が道に立っていた。その方角にバイクを走らせるとそれらしき岬があった。歩いていくと日本最南端の碑が立っていて、その最南端は広い岩場になっていた。断崖の海が見たく岩場を歩いていく。そこから見える海の先にあるのは台湾やフィリピンだ。パンデミック中の為、こんなにも近いのに行くことはできない

こんな時代に、ここから眺める南半球は格別だ。そうだ、せっかくだから自分の写真を撮ってもらおうと思ったが、周りに誰もいない。そりゃこんな行きづらい島の最南端へそう簡単に人なんて見つからない。しかし遠くに二人組の男性がいた。こっちに来ないか待っていると近づいてきて、写真をお願いした。すると相手も喜んで自分達も撮ってほしいと言うが、確かに頼む相手が自分以外に誰もいないのだ。二人は大学の卒業を控え卒業旅行で来ているとのことだったが彼らも旅に出たタイミングがいい。

ちょうど昼になっていたので昼食を食べに「集落」と看板に書いてあった方向へ適当にサトウキビ畑の中バイクを走らせる。集落に着くと古民家が立ち並んでいる。売店があったのだが午後は数時間閉店していると書いてあり、さすが南の島時間だ。売店は休憩時間の為、何も買えない。観光に来ているような若者数人が歩いており、おそらく数日この島に滞在しているのであろう。かなりゆるい雰囲気でタンクトップと短パンでゆっくりと強い日差しの中を歩いている。自分も予定を立てずに一度ここに数日間滞在してみたいものだ。特に見たいものが夜の星空。とにかく物凄い数の星雲が目視で見られるそうだ。いつかまたここに戻ってきたいと願う。

昼食は沖縄料理の定食屋。意外と混んでいた。考えれば店の数もそれほど多くはないのでみな集中するのだろう。中へ入るとそれほど接客には力を入れているわけではない静かな雰囲気。内装はまさに昭和前期のようで扇風機が回り、本棚には古い漫画や雑誌が立てかけてある。そこには島の住民専用のテーブル席があったりする。そういう光景からなんというか島というところに住んでいる人々はプライドがあるように思われた。プライドなのか侵略という行為に構えているのか、そのどちらも含んでいるのだろうか。

テーブルに座りまずはアイスコーヒーを飲む。11月こんなに暑い日にビーチへ行ったりバイクに跨ったりしていたこともあり、そんな後に飲むアイスコーヒーは今年一番美味しかったアイスコーヒーだったのかもしれない。食べたのはラフテー定食。ごはんは”もちきび”、”黒柴米”が混ぜてあるそうだ。こういうメニューというものは現地の味なのであろうか、非常に現地で作られた味がする。現地の人が作っているのか分からないが、ここは現地だ。なのでこれは現地の味なのだ。感想は美味しいとか不味いと言うより、こんな小さな何もない島で作られる料理はこういうものなのだな、という味だった。

昼食を食べ終わり、帰りの便は16時20分の為、店を出て他のビーチを探しにいく。ビーチを探しに行く途中はヤギが何匹も飼われている光景を見ることができたりするが、人は誰もいない。林のある道沿いで「すいませーん!ちょっと手伝ってもらえますかー!」と大きな声が聞こえたので行ってみると軽ワゴン車が側溝にタイヤを落としてしまい、奥さんがハンドルを握り、父親と子供2人で押し上げていた。そこに自分も加わり何度も何度も押すことになった。最初は全く動かなかったが方向を変えて押すと車が勢いよく側溝から出ることができた。ちょうどその時、車のレンタカー店が助けに来たがもう事は済んでしまった。旅中は色々なことが起こる。タトゥーが腕に入った若いお父さんは「良かった、お兄さんが手伝ってくれなければ帰れなくなっていました。本当にありがとうございます。」とお礼を言われ、またビーチへ向かう。次に見つけたビーチも綺麗で人はほとんどいなかった。最後にまたニシ浜を見たいと戻ってみた。ニシ浜には何人かがじっと海を見ており、自分もしばらく海を見ていた。もうそれしかやることなどここにはないのだ。何もやることがないということと目の前あるブルーの海。時間はゆっくり進んでいく。

そろそろバイクを返却しようとレンタカー店舗へ行くが店員は誰もおらず、返却したらサインを記入することになっており記入をしてフェリーターミナルへ歩く。まだ時間があったので、テトラポットの方へ向かう。そのテトラポットから見る波照間島の海の色がこれぞハテルマブルーという色なのだろうか。少し色が濃くそして透き通っておりカクテルのような良い色をしていた。

ターミナルでフェリーを待つ間数少ない土産物屋で土産を買う。こんな島の土産などなかなか買えないものだ。そこへ先ほどの車を押してあげた家族が来て、「お兄さんだ!さっきのお兄さんがいるぞー!本当にありがとうございました!!」と家族からまたお礼を言われてしまった。確かにこの時間のフェリーに乗るのであれば、さっきの車が走ることができなければフェリーの時間に間に合わなかったであろう。それにしてもすごい喜びようだ。やはり夏の島は人をこんなにも無邪気にさせるのだ。若いお父さんの腕のタトゥーもそんな雰囲気に合っている。

帰りのフェリーに乗ると満席状態だった。船内に入れない人は外のデッキシートに座っていたがフェリーが運航すると波が非常に荒いためびしょびしょになってしまい中へ入ってきた。1日島中で遊び尽くした為帰りは少し眠ろうと思ったのだが、夏の海はそんなこともさせてくれなかった。びしょびしょになったおじさんが隣に座ってきた。「いやー、濡れちゃって参ったよ」、「大変でしたね」と返しそれくらいの会話で済むかと思っていると旅程を聞かれ「お兄さん、自由だね!若いのに。いいなぁ」から会話は始まってしまった。おじさんは定年退職をしてあちこちに旅行へ行っているそうだ。与那国島へ行ったということで、「最西端ですね、台湾も近い。台湾は好きなんですよ」と話すと、このおじさんも何度も台湾へ行っているようで、おじさんは「中国、インドもよかったなぁ」と話し始め、自分も行ったことを話すと、おじさんは「お兄さんも海外へ行ってるんだ?チベットもいいよ」と話は結構な渡航距離の話題になってしまった。ヨーロッパ、中東はイスラエル、北米、南米と行った国は共通していて、行った国について話されれば自分もそれに返してしまう。

そしておじさんが行った旅先で一番良かった国はケニア、場所は国立動物公園。大自然の中を様々な野生の動物が生活しているのを目の前で見られるのだ。自分も前から行ってみたいとは思っていたが、非常に薦められてその気になってしまった。そうこうしているとあっという間にフェリーは石垣島へ到着した。おじさんからは、「いやー、一緒に話せて良かったよ。ツアーだけど一人で来ちゃってるしね。でもお兄さんは何で若いのにそんなに自由なの?いいよねー。それじゃまた、ありがとうね。」と言い別れた。

自分でもよく分からないが、とにかく自分の見た目は自由そうに見えてしまうようだ。不思議に思うのはこうして旅に出ると、何故か結構な回数の渡航歴がある人が向こうから近づいてきたり、隣の席に座っていたりする。そしてお互いに過去の旅の記憶を呼び起こし、おせっかいにも次に行ったほうが良い旅先まで教えてくれるのだ。旅に出ることにより、こういった出来事が何度も何度も続く。結局、僕等はこの地球上の土地を歩きまわり、人とぶつかり合いお互いに刺激を分け与えながら先に進んでいく。そういったことが昔からの人の習慣であり生存手段なのではないのだろうか。そういった先に進みたい人、何かを求めている人はこうして旅先で必ず出会う。そして何かしらの言葉を自分に置いていってくれるのだ。

島と海の世界-八重山諸島 3

朝6時に目覚ましをかけフェリーの運航状況を石垣島港のサイトでチェックすると運航する便と未定の便が表示されていた。昨日の夜に商店街のコンビニ(島にはファミリーマートしかないようだった)で買っておいた朝食のおにぎりと味噌汁を食べて窓の外の景色を見ていると厚い雲がだんだんと引けていく。コーヒーはチェックインカウンターの隣に自由に飲めるようにコーヒーメーカーが置いてあるのでそこでコーヒーを注ぎ部屋へ持ち帰る。そうしていると太陽が昇り始めた。石垣発波照間行の始発が8:00の為、その30分前にターミナルへ向かう。天気は昨日までの曇り空から一転して快晴だ。気温もどんどん上がり季節は夏へと戻った。

今日のフェリーのチケットは前日に購入してあり何かがあればキャンセル変更できるとのことであった。スタッフに今日のフェリー運航状況を尋ねると8:00の始発は波照間まで運行するが、その後の帰りの便13:15と16:20は運航未定の為、出発時刻の1時間前に決定するとのこと。なので、運航しなければ帰ってくることはできない。どうしようか聞いてみると「△マーク(運航未定)の時は止めた方がいいですね、帰って来られなくなる」とのことだったので、チケットを次の日の便に変更して今日のプランを石垣島一周プランへ変更する。この石垣島滞在だけで3泊4日もあるので、残りは二日間。波照間島へはどこかの日で行けるだろう、行けなければプランを変更するしかないと考えていた。それにしても3泊4日を同じ場所に滞在するなんて自分にとっては珍しい、そして贅沢だ。世の中が普通の状況であれば海外の場所と場所を移動しているだろう。しかし、この地のアイランドホッピングをしようと思っても時期が11月だと天気が良くても波が高いのであれば運航はなかなか難しいようだ。フェリー乗り場では他の島へ行く便は色々と出ていたので、旅行客や修学旅行生が大勢集まっていた。

とにかく快晴で時間はまだ朝の8時を少し回ったくらいだ。石垣島は一周するのに車で3時間ということなので、最北端の平久保埼灯台を目指してみることにした。行くまでの途中途中にいくつかのビーチがある。朝の8時に真夏の、しかも快晴の石垣島で今日は何をしようかなどと考えることができるだけで最高ではないか。一人で来てみたが、もはや一人でも二人でも何人でも構わない、何をしてもいいのだ。とにかく急いでビーチ、砂浜を探すことにする。

島は西側にいくつかのビーチがあるので左回りでいくことにする。まずはターミナルすぐ近くの観音崎灯台へ車を走らせる。初めての場所でそれが夏の島であり、音楽を鳴らしながら車を走らせているだけ、それだけでも十分だ。

観音埼灯台に到着して車を停めて少し歩くと小高い丘に灯台がある。灯台へ歩きながら左手に見える海は透き通っていてまるで人が踏み入れたことのないようだ。小さな浜辺があり綺麗な貝が色々と落ちていたので拾ってみたら住民がいたらしく足が出てきてバタバタした。周りをよく見ると沢山のヤドカリ達が歩いていた。こんなに沢山のヤドカリを見られることなんて今まであっただろうか。そんなことをしながらゆっくりして歩いていた。北へ向かわなければならないのだが、もはや時間の感覚がなくなってきてしまっている。

車へ乗り込み次の目的地のフサキビーチリーゾートホテルへ。ここは宿泊者でなくても入れるので行ってみたが、予想を超えて素敵なホテルだった。ビーチのすぐ近くにコンドミニアム的な一軒家が連なっていておそらくここへ宿泊できるのだろう。プライベートビーチとプールがあり、このプールがかなり広くてラグジュアリー感がとんでもない。Flank&Jonesの曲でもかけたくなるようなリゾートホテルだった。しばらくプールでくつろいだ後、やいま村という文化財の古民家が保存されているところへ行く。

行ってみると赤い瓦の古民家が何軒もあり持ち主の名前なども記載されていた。この辺りの昔の家は一年中暑いからだろう、風が吹き抜けやすくなっていて自分の住んでいる場所からは考えられない、隙間だらけの作りだ。歩いていると三線の音が聞こえてくる。高い気温の中で三線の音楽が流れてきて古民家にいると、子供の頃かそれ以前の日本の昔の夏のような感覚に落ちいる。

古民家を過ぎるとリスザルを飼育しているところがあり、入ってみると結構な数の小さな黄色い猿が歩いている。しかも逃げないで遊んでいて観光客も喜んで見ている。外にはガジュマルの木があり季節は真夏であり、まるでパンデミックが終了して夏休みがやってきたようだ。

この後に川平湾(かびらわんと読む)という場所へ到着する。始めはここが川平湾なのかどうか分からなかったが駐車場から綺麗な湾が見えた。その湾の方へ行けそうな茂みと細道があり、細道をその方角へ歩いていった。恐らくみんなが行く川平湾コースではないのかもしれない。もの凄い大きな野鳥がいきなりバタバタと飛び立ったり、ハブ注意と書かれた看板があったりと足を踏み入れたくないような道のりを10分くらい歩いただろうか、目の前にまるで時間の止まった様な光景が現れる。

そこには誰もおらず音すらもなかった。目の前は潮が引いた後の濡れた白い砂に海水が湿っている。潮が引いているので小川が何本も流れている砂浜を跨いで歩いていった。どこまで歩いていけるのかは分からなかったが目の前の先には青い海と山が見える。その小川を跨ぎながら海の方まで近づくと透明な海と山、真っ青な夏の空に包まれてしまい。あぁ、きっと天国とはこういうものなのだろう。こんなところに一人でいると孤独というような気持ちは全くなくなり、寧ろ心地が良い。きっと人生の最期はこんな気持ちになるのだろう。

そうしていると自分が来た茂みの道からKトラックが走ってきた。地元の農家のおじさんだろうか、浜辺に車を停めて海を見ながら休憩をし始めた。遠くの方に二人組の夫婦がゆっくりと歩いていた。それ以外は誰もいない静寂と海水。始まったばかりの八重山諸島であったが、最早ここが旅の最終地点になってしまうくらい幻想的な光景だった。

ちょうど昼になり近くに食事ができるところが何軒かあったので昼食を食べに行ってみた。海が展望できる定食屋でアイスコーヒーと八重山蕎麦と炊き込みご飯のセットを注文した。海を見ながらアイスコーヒーを飲むことなど本州でしかも11月のこの季節にできるものではなく幸福感でいっぱいになってしまう。店は10人も座れないくらいの席数であったが家族や二人組の客が入れ替わって出て行った。この時期にここへ来られるこができた幸運な人々。相当なタイミングと運を掴んでいなければ今この瞬間ここにいることはできなかっただろう。それくらい観光客の少ない本来の石垣島は素晴らしく思える。

この後も山の中を北へ向かって車を走らせ、時折、小道に入るとハイビスカスの花が咲いていたり常に飽きさせない発見がある。サトウキビ畑と山々と夏の青空の中、車を走らせることが日々の生活から自分を解放させてくれるのは勿論、今回の旅は2年間の居室内生活を強いられていたのであって感動の度合いが違う。違いすぎて面食らってしまうくらいだ。

石垣島サンセットビーチに少し立ち寄り、目的地の平久保埼灯台に到着する。石垣島の最北端だ。駐車場は満車で車が並んでいるほどだった。車を停め灯台の方へ上っていくと結構な観光客の数。久しぶりに人を見た気がした。灯台からの海の眺望は素晴らしく、本当に日本の南まで来たのだと感じられた。

時間が15時を回っていたので港へ戻ることにした。日が暮れればこの辺りは真っ暗になってしまう。帰りに明石ビーチへ立ち寄り太陽が沈み始めるのを少し見て(ここには数人の人々がくつろいでいた。)また車を走らせると、サンセットを待っている人達が座っている堤防があった。自分も車を停めてしばらく待っているとどんどん空の色が変わっていく。雲が多かったので日が隠れてしまい、こんなものかとまた車に乗り込み走っていると、右手に燃えるような太陽が海に飲み込まれていく様が見えた。

ホテルへ戻った時には日は沈んでおり、夕食の前に星空を見に近くのスポットまで車を走らせたが月の光が強く星はよく見えなかった。それから夕食をとりに沖縄料理屋へ行く。食べたものは、島豆腐のにんにくしょうゆ、イラブチャーのフライ、てびち。初めて食べた料理であったがどれも美味しかった。店を出てまたファミリーマートで翌朝の朝食のおにぎりと味噌汁を買ってホテルへ戻る。明日は波照間島へ行けるかどうか考えながら就寝した。

島と海の世界-八重山諸島2

レンタカーを借りる手続きが終わり、とりあえずホテルがある方向へ車を走らせる。とにかく電柱と電線、サトウキビ畑しかなく真っ直ぐ進むのみ。ホテルは中心地(石垣島の南方)の離島ターミナルのすぐ近くにある。14時をまわっていたが、昼食を食べてなかったのでどこかで食べたいが何もない。伊藤忠が進出しているのかファミリーマートだけは時折発見する。

中心地のような街並みが見えてきてすぐ船のターミナルへ向かう。今回の目的地である波照間島への運行状況を調べるためだ。駐車場に車を停め安栄観光というフェリー会社へ行くと色々な行先のフェリーの運航状況が電光掲示板に表示されており、波照間島は「×欠航」と書いてあった。明日の状況はどうか聞いてみると当日の朝6時頃にはっきりするということ。今日は夕方近くになっているので、明日また来ることにして、ホテルにチェックインして遅い昼食を食べにいくことにした。

ホテルはWBFというそれほど宿泊費の高くはない素泊まりするにはちょうど良いホテル。しかし室内にはベッドが3つもあった。窓からの眺めは寂れた港町、すこし南米の街並みにも見えた。昼食を食べようと思ったが、すでに15時をまわっていて店は閉まっている。そして石垣島の街並みは先日行った金沢を歩いた自分には少し朽ち果てたような商店街に見えた。とはいえ港町だ。結局だんだんに、この雰囲気が好きになっていく。

ホテルの部屋からの眺め

至る所に居酒屋があるが、大きな看板に「八重山そば」と書いてある店が営業していたので入ってみると、ものすごい数の来店した人の名刺が壁に貼ってあった。そこで食べた八重山そばは非常にあっさりした薄味でもコクのある美味しいそばで、店主が色々と話しをしてくれた。石垣島の物価は非常に高く、家賃も相当で東京と変わらない。移住したい人も多いが、不便なことも多くインターネットで何かを買うにしても離れ島への特別な送料がかかってしまう。そして、「内地」という言葉を使っていた。ここで初めて「内地」という言葉を聞いた。沖縄の人たちは本州のことを内地と呼ぶ。同じ日本国内でありながら、やはり差別的な言い方にも聞こえるが、まだ到着したばかりでその島の人々の意思のようなものはよく分からなかったが、優しいものではなかったと思う。

店を出て街中をぶらぶら歩くが、やはり港町だ、少し変わった建物やビル、居酒屋があちこちにあり、あとは土産物屋だ。考えたら何もない南の島へ行こうと南下してきたのだから都会があるわけがない。

石垣島へ来ようと思ったのは、10年ほど前に知り合いから「国内だと石垣島もいいんですよ、何もなくて。ただ砂浜で寝ているだけでいい。星空はものすごい綺麗だし。」と聞いていたのでずっと頭の片隅にはあった。その人が来た時は今よりもっと何もなかったのだろう。

何もないということ。何もないからこそ、そこに価値があるように思い日本最南端の島である波照間島へ行こうと思った。おそらく波照間島にはあまり人が足を踏み入れていない昔の石垣島のような光景が残っているはずだ。

ホテルに一旦戻り少し休んでから夜また街に繰り出す。だんだんと居酒屋が開店し始めて人も出てきた。島料理と看板が出ていた店に入り、海ブドウ、ゴーヤチャンプルー、グルクンの唐揚げ、オリオンビールを注文した。久しぶりの沖縄料理でどれも美味い。これからの夕食が一週間の間、一人居酒屋になる。ホテルへ戻り明日のプランを考え、波照間行きのフェリーが運航すれば予定通り波照間島。運航しなければ石垣島を車で一周することに決めて就寝。予定は明日の朝に分かる。