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社会科見学派カメラマンDOKKIKIN TVによる、世界を踊りながら撮影した写真と記録。

ロンドン留学記とベルリンからパリへの移動の記録 8 【2015.3.12-2015.3.28】

【3月22日(日曜日)】

朝食はホテルで食べると別途7ユーロで、大した食事でもなさそうなので近くのカフェで食べる。3ユーロ程度でパンと珈琲が買えるのでロンドンに比べると非常に安く感じる。晴れたのでアレクサンダー広場へ向かう。

観光地を回るつもりだったが、ベルリンはクラブミュージックが有名で様々なクラブやバーがある。ロンドンに留学していた時にクラスにイタリア人のDJがいて、彼はベルリンに詳しくお薦めの店を何件か教えてくれた。その一つの店が世界最高峰のクラブ、ベルグハイン(Berghain)であった。彼が「ベルリンに行くならここは絶対行くべきだ、エントランスでチェックがあったり地下はゲイが多いけど上の階にあるPANORAMA BARは一般人でも大丈夫だ」と言うので行ってみた。店は金曜の夜から月曜の朝まで36時間エンドレスでやっており再入場も何回でも可能だ。しかし、とにかく入場チェックが厳しく内部の写真は絶対に撮ってはならない。場所も分かりづらい、なので最初に昼間に行ってみることにしてみた。

Berghain ベルグハイン 日中からドスドスと低音が外へ漏れている。

近づくにつれて団地の中でドスドス低音が響いてきて、それらしき建物は巨大な廃墟。この外観と雰囲気だけでも強烈だった。少数の人々が並んでおり、自分の番になって入口へ近づくと厳ついドアマンにジロっと見られ「あ~、一人か?」と聞かれ、一人だと言うと、「ダメだな」と首を振られあっさり退散。悔しいがしょうがない。

予定を街の観光に切り替えアレクサンダー広場へ戻り、テレビ塔、ベルリン大聖堂を見る。テレビ塔はやはりかっこいい。昼食はドイツ料理を食べようと思い、広場の近くにあるニコライ地区でツム・ヌスバウムスという店に入る。ドイツの定番料理のアイスバインを薦められ食べる。アイスバインは豚足を塩で茹でたもの。味はこれだったら日本で食べる豚足の方が好みだった。豚足に味が染みておらず、クセがあり量もかなりある。が、ビールはなかなか美味しかった。ブランデンブルグ門、ホロコースト記念碑を回る。ちょうどテレビの撮影をしており、ユダヤ人が何人もいて取材を受けていた。Tシャツの背中に「meet2respect Juden und Muslime」と書いてあった。今年はISISのニュースだらけなので、こういった集まりが多いようだ。ロンドン滞在中もチュニジアでのISISによる観光客襲撃事件を何度もニュースで流していた。

左手にドイツ料理店のツム・ヌスバウムス
アイスバイン
ユダヤ人ホロコースト記念碑
日曜日なので閉まっている店が多い。

夕方フリードリヒスハイン地区へ向かう。この辺りはカフェや雑貨屋が多く、ナイトライフのメッカであるそうだ。壁は落書きが多く面白そうな雰囲気の場所だったが日が暮れて来た為、一度ホテルへ戻る。夜になり、一度入店を断られたベルグハインに再度向かう。夜ならば人も多くて紛れるから大丈夫ではないかと思いエントランスに並ぶ。行く前に入店方法をインターネット上で情報を調べてみた。そこに書いてあったのは”全身黒で固めると入れやすい”ドアマンとしっかり目を合わせると入れやすい” ”団体ははねられる” ”キャピキャピしてるとはねられる” ”ドイツ語を話せない観光客ははねられる”といくつか出てきたが真相は分からないそうだ。玄人でもはねられたり、1日目は入れても次の日は入れないことも良くあるそう。すべてはドアマンによって一瞬で落とされるかどうか決められてしまうという恐怖感。しかし懲りずに夜にもう一度行き再戦してみようと22時に向かってみた。夜だと道程が暗く雰囲気は悪い。建物自体も廃墟である。エントランスに並んでいると前の1人、3人組、次の3人組が次々と断られはねられていく。ドアマンは昼間とは違う人だったので大丈夫かと思ったのだが、10秒ほど全身を見られやはり帰れの合図。 入れない人たちは苦笑いながら帰っていった。行った人や、行ってみたい人がいたらぜひ挑戦して話を聞かせてほしいものだ。悔しいベルリンの思い出になった。遅い夕食は駅のスタンドでカレーヴルスト。ホテルへ戻り就寝。

フリードリヒスハイン地区
治安は良くないそうだが個人的には好きな雰囲気だ
夜のBerghain
ベルグハインへ行くときはOstbahnhof駅を降りて歩く。

ロンドン留学記とベルリンからパリへの移動の記録 7 【2015.3.12-2015.3.28】

【3月21日(土曜日)】

飛行機の出発時間が朝9時の為、朝5時半に起床。地下鉄も走っていない時間帯なので途中のア-ルズコート駅までバスで5分程で移動し、アールズコート駅からヒースロー空港まで電車で約40分。今回はベルリンまでLCCのジャーマンウィングスで移動だったので、他の遠い場所にある空港になるかと思っていたが中心から近いヒースローからのフライトだった。しかし、安い便だけに早朝の出発である。ロンドン-ベルリン間で片道£75。買った時期が遅かったのでLCCの割りにはやや高めの日本円で14,000円。荷物を預けたので追加料金がかかるので止むを得ない。この後、3/24にジャーマンウィングスがフランスで墜落する。今回、ジャーマンウィングス等のLCCでイギリス、ドイツ、フランスを移動したので、墜落した時、友人数人から安否のメールが届く。どこの航空会社が落ちたのか調べると自分も乗っていた航空会社だったので驚く。前々から言われてきたパイロット不足の問題に関係するような内容だったので、今後は真剣に問題解決に向かってもらいたい。

ヒースロー空港に到着後、朝食を食べに店を探すが、やはりどこも値段が高い。適当にコンビニでドリンク、サンドイッチ、スナック3セットで£3.99のものにする。ロンドンの昼食でこれを買っている人をよく見かけたが、昼にサンドイッチにスナックなどで身体は持つのだろうか。しかも、たったこれだけで日本円で700円。早くユーロ通貨圏に移動したいと思う。 飛行機に乗り、すぐ寝てしまったが自分の頭がかなり揺れていたらしく、となりのイギリス人がこの枕を使えと貸してくれた。貸すほうも貸すほうだが、あっさり借りるほうも借りるほうだと思いながら寝心地が良くまた寝てしまった。この時マスクをしていたので、何でマスクをしている?と聞かれ、機内は乾燥しているからだと答えるが理解しなかったようで怪訝な顔をされる。まず海外でマスクをしている人はいない。よっぽどの病気にならない限りマスクはしないし、もし使用していたら人は遠ざかるだろう。

午後12:00にベルリンのテーゲル空港に到着し、バスで中央駅へ向かう。ここから電車を乗り継いでホテルへ。ホテルは西ベルリン側のBulowstraBe駅近く。東ベルリン側は高級ホテルばかりで、西側には一般向けのホテルが色々とある。泊まったホテルはUS$48/1泊。部屋に荷物を置き、街に出るが生憎の雨でかなり冷え込む。日本の正月明けの頃のような気温だった。

中央駅

午後はまず有名なウンターデンリンデン通りに行く。見るものは色々あるが雨の為、歩く気もせず、余ったポンドをユーロに両替し、昼食を食べていなかったので午後4時頃にカリーヴルストで有名なファストフードの立ち食いスタンドに行く。焼きソーセージの上にケチャップとカレーパウダーが振りかけてあるシンプルなものだが、自家製のケチャップや独自のスパイスを使ったりしているので、店によって味が違うようだ。ソーセージは確かに美味しいので滞在中は小腹が空いた時に時々食べていた。この後も雨は止まず、マクドナルドでwifiが使用できたのでしばらくそこでベルリンでの予定を立てる。朝も早かった為、夜の外出はせずホテルへ戻り就寝。 今回はイギリスのポンドが余ったため、両替所で両替をしたが、普通はキャッシングをして現地ATMから現地通貨をおろしている。両替の手数料は非常に高くキャッシングの利息の方が安いからだ。日本に戻ってすぐ返済することもできるので、現地通貨の取得はキャッシングに限る。ATMは大体どの街中にもあるので、インドなどの奥地に行かなければ見つかるだろう。

ロンドン留学記とベルリンからパリへの移動の記録 6 【2015.3.12-2015.3.28】

ホワイトチャペルギャラリー

【3月20日(金曜日)】

明日の土曜日、ドイツのベルリンに発つのでロンドンでの最終日。あっという間の10日間だった。午前中は行こうと思っていたがなかなか行くことができなかったホワイトチャペルギャラリー。ここもブリックレーン近くにあり、ほぼ毎日ブリックレーン周辺に来てしまった。ホワイトチャペルギャラリーは現代アートのミュージアムで建物は教会のような作りになっていてみんなくつろいでいた。午後の授業でクラスメイトと写真を撮り、その後学校の修了証をもらいに事務所に行くと、同じ日程で卒業する日本人に会いパブに行くことになった。毎週金曜日は学校近くのパブにみんな集まるようだ。ここで数人の日本人と話しビールを呑む。大学生から社会人まで様々な人であった。こういった環境で会う日本人は目的が同じなのですぐ話は盛り上がる。ロンドンのパブはホワイトビールからエールビール、黒ビールと色々な銘柄があり、時々試飲させてくれることもあり楽しめる。3日も通えば友達もできるだろう。家に帰り最後の夕食。焼肉とジャガイモとビーンズ。ビーンズ三昧の一週間であった。明日の出発のパッキングをし就寝。

学校のランチでによく使ったPret a Mangerのサラダ。これとコーヒーで£6.25
ホームステイ先の夕食

【今回、ロンドンで有名なレストランには行かず庶民的な店をメインに回った。前回はオーガニックレストランに行ったのでその時の記録をここに付け足しておく。】

(2013年8月某日)

8月のロンドンの音楽ホールは満席。エディンバラのバグパイプ祭、ミリタリータトゥは完売。バッキンガム宮殿の内部見学は予約で埋まっていたからロンドンについて調べたことはレストランだけだった。
 イギリス料理は不味いという話しは良く聞くが、ここ数年でかなり改善されてロンドンはオーガニックブームだということが色々なところに書いてある。実際ロンドンを歩いてみると野菜の写真の看板が目立つ。スコットランドから下りてきてロンドンに着いて始めに行ったレストランはキングスロード近くにあるDaylesford 。オーガニックブームの火付け役になったこの店は、料理の他にその日にコッツウォルズ地方で採れた野菜も売っていて、東京の青山にも店舗がある。ここで勧められて飲んだものが人参と生姜のミックスジュース。初めて来たロンドンのイメージはパブではなくて人参と生姜になった。持ち帰りたいくらいパンが美味い。一通り店内を見ると、この店は値段を気にしない客が来るような場所のようで値段が高い。キャベツが£4で約600円。この食べたランチ(モツァレラ、サーモン)は税込みで£40。(£1が約155円で税金は20%)ただ地下鉄の初乗りが£4.5で700円なのを考えるとこんな値段になるのだろうか。

【Daylesford ピムリコ店 コッツウォルズ地方でその日に採れた野菜や牛乳が届られ提供している。】

Time out誌という日本の’’ぴあ’’のような雑誌があり、そこでロンドンのレストランベスト50という特集を組んでいる。ミシェランの星つきレストラン等は除外されていて、値段とクオリティのバランスで選んだということで予約してみた。(これの2位は讃岐うどんの店で行列ができているそうだ)その中で1位になっていたフランス料理店のterroirs。美味かったのはワイン。Virgin atlanticのサイトで調べるとオーガニックやバイオダイナミック農法で作ったブドウを使ったもの。バイオダイナミック農法のことは良く知らないが本当に美味しくて昼からがぶがぶ飲める。

【フランス料理店 Terroirs】

南米料理が注目というので行ってみたレストランのLIMA。アマゾニアンナッツとジャイアントコーンとダック、海藻とキャッサバと黒鯛を食べたけど、はっきりした味は分からなかった。日本人には物足りない味付けのような気もした。
 レストランによって驚くほど美味しかったり理解できなかったりするけど、ロンドンのレストランを色々回ると当たりや外れもあって、平均してどれも美味しい東京のレストランより楽しめると思う。ロンドンの観光名所をとばして、僕のiPhoneの中はレストランの地図の画像でいっぱいになっていた。

【ペルー料理店 LIMA】

(2013年8月某日)

ロンドンのスーパーはほとんど無人で会計はセルフサービスになっていた。店内は警備員が歩いているだけで、レジのスタッフも一人くらいしかいない。自分で品物のバーコードを機械で読み取って買うのだが、初めは慣れていないのでスタッフのいるところで買おうとした。しかしスタッフからセルフでやってくれと言われ自分で何度かバーコードを読み取りながら買った。便利なのか不便なのかイマイチ分からない複雑な気分になる。このことを人と話すとそれじゃ雇用がなくなるという話にはなる。これからは日本も移民が増えてレジやタクシーなどの仕事は移民の人達が雇用されていくのかと思っていたが、レジがコンピューター化されたら、そもそも人の仕事がない。それだとますます失業率も悪くなるのかといえば、そうではなくコンピューター化されて人が働かなくて良い社会になる。過去にいた駅の改札で切符を切る人はいなくなっているし、今はレジだけの話かもしれないが、今後もの凄い速さで他の物もコンピューター化されていったらみんな何をするのだろうか。

ロンドン留学記とベルリンからパリへの移動の記録 5 【2015.3.12-2015.3.28】

【3月18日(水曜日】

ショーディッチ(Shoreditch)

この日もブリックレーン近くにあるショーディッチに向かう。イーストロンドンの勢いはここにあり、ウェストロンドンが高級エリアならばイーストロンドンはクリエイターが集まるエリア。自分も雰囲気的にイーストの方が馴染む。ただイスラム教徒が非常に多く治安はあまり良くはないが、最近は改善されたようだ。このショーディッチハイストリート沿いにはアジアン料理のレストランが並んでいる為、また友人お勧めのベトナム料理屋へ向かう。レストランはどこも高いし、ステイ先でも料理は油が多いので、胃に優しいアジア料理店は重宝する。昔は海外に来たら、現地での食事をしなければと思っていたが、最近は回数が増えたせいか、そういった気負いがなくなり、無理せずアジア料理店や和食の店を探すようになった。少し長い滞在になればなるほど、日本人の体質に合った食生活を求めるようになる。

昼食はCay Treというベトナミーズで野菜が沢山入ったフォー。これで約£10。午後の授業を終え帰宅。この日の夕食はファラフェルとコーンスープ。ファラフェルはゴマソースがかかったヒヨコ豆のコロッケ、ピクルスをパンに挟んで食べるもので、イスラエル料理かと尋ねると中東ならどこでも食べられるとの返事。家庭料理でファラフェルが出るとは思わなかったが、ステイ先の夫婦はマケドニアとクロアチア出身なので昔から作っていたのだろうか。

ホームステイ先での夕食”ファラフェル”

 以前、イスラエルを訪れたことがあり、その時はこのファラフェルとイスラム教徒の店でシュワルマというスライスした羊肉をパンに挟んだケバブの一種を良く食べていた。初めイスラエルはエルサレムにあるメアシュリームという街で食べたのだが、店内や売店が超正統派と呼ばれるシルクハットにロングジャケットを着用した揉み上げの長いユダヤ人ばかりだったので、日本人の自分がかなり目立ちじろじろ見られたことがあるので、思い出があるメニュ-である。

ユダヤ人の友人からも閉鎖的なメアシュリームで食べたことに驚かれた。イスラエルのレストランはユダヤ教徒で色々な決まり事があるので、一般のレストランとコーシェルと呼ばれるレストランに分かれる。ひづめが分かれてて反芻する肉しか食べてはいけないなどの決まりがあり、マクドナルドもこの二つに分かれて出店しているので面白い。

コーシェルでステーキを食べたが、肉の血を抜かなければ食べてはいけない決まりがありパサパサで美味しくはなかった。エルサレムは危険な場所と報道されているが、首都のエルサレムは旧市街と新市街に別れており、街並みはほぼヨーロッパの様で綺麗なところだった。ここに行くと、ユダヤ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒が直径2km位の小さな旧市街の中で分かれて嘆きの壁を中心に生活しており、何冊もの世界情勢の本を読むよりも今の世界で起きている問題が一目で理解できる場所である。そして今いるロンドンで生活する人々を想像すると欧米人のようだが、兎に角イスラム教徒が目立つ。実際ロンドナーと呼ばれる人々は4割程度であとは移民なのだそうだ。街中の高級ブティック、レストランはベールを被ったムスリム達でいっぱいでデパートのハロッズやハーベイニコルスの中はまるで中東に来たような錯覚さえ覚える。

ピカデリーサーカス。ベールを被ったムスリムの姿をよく見かける。2013年8月撮影。
デパート内の高級店はムスリムに占領されている状態。中国人より多い。
イーストロンドン

【以前、訪れたイスラエルの画像】

エルサレムにあるメアシュリームという街。2013年4月撮影。
エルサレム旧市街の入り口の門
エルサレムのファストフード店のファラフェル。ピクルスが大量に入っている。
旧市街で食べたシュワルマ
エルサレムの新市街。街並みはヨーロッパのようである。数年前、テロ行為のインティフィーダーによりこの辺りの建物が爆破された。

【3月19日(木曜日)】

留学生とのホームパーティ。刺身を購入してきて手巻き寿司を作って食べた。

途中までしか見ていなかったナショナルギャラリーに行く。ロンドンの博物館やミュージアムは無料のところが多く、大英博物館も無料だ。物価は高くてもロゼッタストーンやエジプトのミイラで有名な大英博物館が無料であれば見ない手はない。ほぼ毎日、午前中はミュージアム巡りとなった。

ナショナルギャラリー

前日に友人からショーディッチにあるソルトビーフのベーグル店が有名だとメールがあり、日本でソルトビーフのベーグルなど見たことがないので向かってみる。ロンドンブリッジを渡り向かったがwifiが繋がらなく場所が分からないので人に聞きながら向かったが行列ができていたのですぐ分かった。

BEIGEL BAKEは有名なジャンクフードの店でベーグルは柔らかくてマスタードをつけたソルトビーフは厚く、これに胡椒をかけながら立ち食いする。かなり美味しく、これで£3.7。衛生面では微妙なところだ。

 午後の授業は大分クラスに打ち解けてきたこともありクリス・ブラウンとハンバーガーが大好きなフランス人の女性と話していた。来週パリに向かうので、この女性がパリ在住ということでパリのレストランを色々と教えてもらう。現地に住む人から教えてもらったレストランで外れはほとんどない。このパリジェンヌはフレンチより和食やアジア料理が好きなようだった。栄養士の話をすると、味噌汁を作ってほしいと何度もせがまれた。そんなにヘルシーなら納豆も食べてみたいと毎日のように言っていた。

 夜は学校で知り合った日本人にホームパーティに誘われ、チェルシーにあるマンションに向かう。手巻き寿司と味噌汁を作りイタリア人が大勢来るので食べさせたいとのことであった。予約してあった刺身を店に取りに主催者の30代の男性と店に向かう。仕事を辞めて6ヶ月間学校に通っているそうでいきいきしている。刺身の値段は確かかなりの値段がした。3パックで1万円くらいしていたように思う。手巻き寿司はイタリア人に大好評で握り方を教えてあげながらの食事になった。あっという間に完食し、共同キッチンがイタリア、ブラジル、韓国、タイ、日本人、トルコ人と多国籍スタンディングバーのようになり、トルコ人にウォッカのような酒を散々飲まされ、ステイ先の門限があるのでアルコールが回る前に10時過ぎに帰宅。

ブリックレーンにあるベーグルベイク

ロンドン留学記とベルリンからパリへの移動の記録 4 【2015.3.12-2015.3.28】

【3月16日(月曜)】

月曜から学校が始まり、初日はクラス分けのスピーキングテストがある為、昼までに行かなければならず、朝はいつも通り食パンとコーンフレークと珈琲のみ。午前中ナショナルギャラリーを少しだけ見て、昼に学校へ。テストを受ける為、ほとんど時間がなかったので学校のすぐ近くのバーガーキングで昼食。これで£6。スピーキングテストの結果、先生から一つ上のレベルでやってみるよう言われUpper intermediate(中級上)のクラスに入れてもらえることになった。 ロンドンに来る前に日本で学校のwebで試験を受けたが、その時の結果はintermediateであった。上のクラスになると周りの生徒のレベルが上がるからこちらとしては勉強になる。自分みたいなレベルがいるとやや迷惑になってしまうが。

午後のクラスはフランス人が多く、その他はイタリア人、スペイン人、ブラジル人、中国人、韓国人、日本人は自分ともう一人。もう一人の日本人は後で分かったが綺麗な顔立ちだと思ったらある芸能事務所に所属して女性だった。その合計9人。先生のブリティッシュアクセントが非常に面白い。帰りにスーパーで水をまとめて購入。ロンドンの水道水は飲めると言われたが、体調管理の為なるべく購入した水を飲むようにした。家では浄水器があるが、硬水の為、白いものが機器にこびりついている。キッチン周辺にも白いものがついており、シャワーで髪を洗うと髪の毛ががさがさになってしまう。スーパーで食材を見ると野菜やパンは手頃な値段だった。キッチンがあれば自炊して安く済ませそうである。夕飯はピラフの上にソーセージがのったもの。やはり量は多い。

この日の夕食

【3月17日(火曜)】

朝食を食べ、授業は午後2時からの為、シャーロックホームズ博物館へ。ここはロンドンの伝統的な家具や雑貨などが室内に置いてあり、ホストに見ることを薦められたので行ってみた。ワトソン氏の書斎や被っていた帽子、パイプなども置いてあり古いインテリアに囲まれた部屋で興味深い。入場料£10。

見終わった後はロンドンで食べたかったフィッシュ&チップス。またブリックレーンの方へ行き、創業1945年のpoppiesという店で。ビネガーをたっぷりかけてタルタルソースをかけて食べる。これはシンプルで本当に美味い。一度食べたらしばらくは食べなくても良いが、このランチとドリンクの紅茶で£13.7。

 

学校で14時からの授業を受ける。周りの生徒の何が優れているかと言えばリスニング力とボキャブラリーの数のようだ。Intermediateレベルだとなかなか伸び悩む時期なので英語が楽しくない時期。もう初歩に戻ってコツコツやるしかない。どうしても返答が単調になってしまって自分でも退屈だと思ってしまう。
 Advanceのレベルの人は畳みかけるような重文や関係詞を使って話すことができて自分からすると羨ましい。Beginnerが英語の楽しさを知る時期だとすればIntermediateレベルの人は英語の厳しさを知る時期なのだそうだ。とは言え、通ってる学校はグロスター駅にあって、授業の後はキングス・クロス駅のPlatform9 3/4を通って大英図書館で自習ができ、家に帰ればまたホームステイ先での会話が必要になるという環境。これなら最初の基礎から復習し直すモチベーションだけでも出てくる。今回一週間だけの留学だがヨーロピアンと一緒に勉強するというのは効果的だ。夕食は昼に続きフィッシュ&チップスとビーンズ、サラダであった。

キングスクロス駅の9と3/4プラットフォーム。写真を撮影してくれるサービスがある。
キングスクロス駅。ここから特急がでており、前回に来た時はイギリス北部のヨークとスコットランドへ行った。
大英図書館
この日の夕食

ロンドン留学記とベルリンからパリへの移動の記録 3 【2015.3.12-2015.3.28】

【3月14日(土曜)】

この日ホテルからWest Brompton駅近くのホームステイ先へ移動することになっており、朝食は前日と同じものをホテルでとり、13時にホームステイ先にチェックイン。ホスト夫婦と面会し部屋に案内してもらう。土産に”水戸の梅”を持参した。食べられるのかどうか不安だったが美味しい言いながら全部食べていた。10歳の女の子と3歳の男の子もいて家族は4人。

ホームステイ先の自分の寝室。上下どちらのベッドを使用しても良いと言われる。
リビング 夜はサッカーのチェルシー戦を見ながらビールを注がれる。

自分の荷物を整理し、近所を散策する。この辺りは5分も歩くとチェルシー、ケンジントンという高級住宅街にあたる。ここはロンドン市内では格段に富裕層の集まる場所にあたり芸能人や官僚などが多く住む最も高級な地域。亡きダイアナ妃の旧住居もこのあたりにある。10日間の滞在だったので、観光も含め交通の便もよいこの辺りのホームステイを希望してみた。こういった世界の中でも高級な場所に滞在してその空気を味わってみることも良い経験になる。日本には階級制度など今ではもう無いに等しいが、ロンドンでは階級制度はまだ健在といえる。有名なキングスロードまで歩き遅い昼食。昔は若者がたむろしていた通りだったが今では高級ブティックが並んだ通りになっている。この辺りのレストランの見た目は普通のレストランだが高級店並の価格だ。

ホームステイ先の近隣 チェルシー

チェーン店のPret a Manger。どこでもよく見かける店で手作りサンドイッチのチェーン店でオーガニックを謳っている。インターネットwifiが使えるので滞在中この店は時々使っていた。サンドイッチとコーヒーで£5.25。味は美味しい。

Pret a Mangerのサンドイッチ。
キングスロード。無印良品の店舗もこの通りにあり値段は日本の倍。

夕食はホームステイ先での初の食事。毎晩7時頃に用意される。この日はチキンナゲットとポテトフライ。それにグリーンピースと野菜の付け合せ。パン。ペプシ。美味しいとか不味いとかではなく、これは冷凍のチキンナゲットとポテトフライなのでお腹にたまるだけの食事であった。イギリス人は食にあまり気を使わないということがよく分かったが、明日からの食事が少し不安に思われた。

ホームステイ先の夕食。ビールは毎晩注がれる。

【3月15日(日曜)】

朝食はセルフでキッチンにあるものを何でも食べていいと言われ、何があるかと見ると、食パンとコーンフレークと牛乳という質素なもの。家族がみんなコーンフレーク等をささっと食べてすぐ出かけるような毎朝だった。

日中はカンデムタウンという街で日曜日なのでマーケットが開かれておりそこへ向かう。色々な店が出ていて屋台もたくさんあった。中華の屋台で酢豚を買ったが失敗。不味い。ロンドンならではの適当な味付けの£6。少し気を抜くとこういう外れを引くのが海外なので、こういった失敗を繰り返すことにより良い店を見つける判断力がつくと思い前向きに考える。

東ロンドン(East London)のホワイトチャペルにあるブリックレーンが今ロンドンでかなり盛り上がっている場所で、雑貨屋、レストラン、ビンテージショップなどが多数あり、こちらも日曜日なのでマーケットが開催されていた。この辺りはベトナミーズレストランが多くベトナミーズ通りのようなものができており、イスラム教徒も多く、デザイナー、文化人など多種多様な人種が集まり混沌としている。とにかくかなりの人であった。夕飯はホームステイ先にてバジルのパスタとハム。それにビールとワインを注いでくれた。ロンドンの家庭料理はこれだけでいいのだろうかと思ってしまうほど野菜が一つもなかった。量が多くお腹に貯まれば良いような食事である。

ブリックレーンのサンデーマーケット
ホワイトチャペルギャラリー
イーストロンドンからソーホーへ歩いてみたが非常に距離があり後悔した。
ホームステイ先の夕食
出発前にたまたま発売された雑誌、ロンドン特集のBRUTUS。これを読みながら歩いた。

ロンドン留学記とベルリンからパリへの移動の記録 2 【2015.3.12-2015.3.28】

【3月12日】

初日はホームステイ先のチェックインが3.14(土)からなのでロンドン到着後始めの2日間はホテル滞在にした。

飛行機はANAだったので機内食は和食が選べて美味しかった。機内食で美味しいのはANAと台湾のChina Airline、エールフランス、ルフトハンザくらいだと思う。自分が食べた航空会社でそれ以外で美味しいと思えた機内食はあまりない。現地のヒースロー空港に到着したのが、午後3時だったのでパディントン駅の近くにあるホテルに着いたらすぐ二度目の夕食をすませ近くを散策し就寝。時差は9時間戻る。夕食は機内ですでに食べ終わっていたので、簡単に近くの小売店で買ったサンドイッチと水と非常食用にスナック菓子のオレオ。たったこれだけで£4.26=767円。(サンドイッチ=£1.99、水£1.19、オレオ£1.08)やはり物価の高さを感じる。ホテルの周辺はすでに桜が咲いており夜桜が綺麗であった。

パディントン駅、ホテル周辺
ANAの機内食

【3月13日】

この日の朝は、宿泊費がキャンペーンプライスだったこともあり朝食は含まれていなかったのだが、お願いしたところ無料でつけてくれることになった。メニューは食パンとゆで卵とフルーツとヨーグルト。それに牛乳と珈琲等。ホテルはagodaホテルのサイトで検索しキャンペーンプライスでUS$62/1泊。エレベーターなしだが眺めの良い小さな部屋である。

1年半ぶりのロンドン散策。パディントン駅からハイドパーク、バッキンガム宮殿まで歩き、衛兵交代式を見る。

ハイドパークでブラジルから観光で来たという男性に写真を頼まれ撮ってあげた後、紙幣のデザインの話しをされブラジルの紙幣を見せられた。日本に興味があり日本の紙幣はどのようなデザインか見たいとのことだったが、小額のポンド紙幣しか持っていないことを伝えると残念がられた。その後、日本の観光地やサッカー選手の話しをされ、どうしても日本の紙幣が見たいとせがまれたが断った。一度、財布の中味にあるポンド紙幣を見せたが、日本円ではないので帰っていった。何か怪しいと思い後で調べると有名な詐欺師であった。ここで日本紙幣を見せると、その中から何枚かマジックのように何枚か引き抜いてしまう。留学生の日本人もやられた人もいるそうだ。以前別の場所で似たような詐欺に引っかかったことがあるが、サッカー選手の名前が出てきた時に怪しいと思ったがまさにそれであった。実際に日本円は持ってはいたのだが、自分のそれは非常に取り出しにくいところに入れてある。財布やiPhoneも自分でも取り出しにくいほどでスリには警戒している。

Soho
チャイナタウン
C&R CAFE

その後、トラファルガー広場を通り、中心のピカデリーサーカス駅へ。この駅の近くに中華街があり、友人から安くて美味い店を何件か教えてもらっていたため、昼食はマレーシア料理のレストラン、C&R CAFE。人気メニューは海南チキンライス。飯が汁を吸っていてばくばく食べられて美味しい。学生食堂のような雰囲気。ジャスミンティーがついて£8.5。ロンドンにしては比較的安い。東京と同じか少し高い金額。駅の近くに日本の食材を扱っているスーパーを見つけ中を見ると調味料は色々と置いてあり味噌の種類も豊富。途中、喫茶店に寄り珈琲、£1.8。

大英博物館、コヴェントガーデンを回り、夕食は現地に数店舗あるスーパーのM&Sでサンドイッチを買いホテルで食べる。遅い時間に行ったので値引きされていて£1.35。通常は£2なのでロンドンのサンドイッチは大体400円と考えればいいだろう。

ピカデリーサーカス駅 
大型電光掲示板に映る日本企業で最後まで残ったTDK。この10日後の3月24日を最後にTDKも掲示板から撤退することとなった。
Sohoにある日本の料理食材専門店。中国、韓国の食材も取り揃えている。

ロンドン留学記とベルリンからパリへの移動の記録 1 【2015.3.12-2015.3.28】

【以前、と言ってももう今から5年前に書いたテキストになるが、ロンドンに語学留学をしたことがあり、短期の語学留学ではあったが非常に忘れられない記憶なので、またここにあげてみようと思う。ロンドンからドイツ・ベルリン、フランス・パリへと移動しており、これはヨーロッパ周遊としても快適でもう一度行ってみたい旅程の一つ。長い記録なので数回に分けてあげていこうと思う。】

何故ロンドンにしたのかという理由は、まずこの旅程は飛行機のマイレージが貯まっていた為、ヨーロッパ内の空港ならば他国へのアクセスが簡単ということもあり、どの国でも良いというあいまいな理由から始まっている。

 空席が出たのが、往路はイギリス・ロンドンで復路がフランス・パリからの帰国というチケットだった。因みに初め行きたい国はスペインだった。スペインはとにかく食が安価で美味しい。ロングステイをしながら食生活を見てくるということを体験してみたかった、これが最初の目的である。だが、1月に体調を崩したことがあるため、医療機関、治安ともに問題のないロンドンで滞在をすることにした。

 ロンドンといえば、1年半前に訪れたことがあり、とにかく物価が高く貧乏旅行で行ったつもりでも、食生活も買い物でも全てが高級な生活になってしまったという思い出がある。イギリスは戦争に負けたことのない国である。グリニッジ標準時や母国語の英語を持つ世界の覇権国家であり、世界の首都でもある。そしてポンド通貨の価値は世界の中でも高く、過去に$1=360円という時代があったが、調べるとその時に£1=1,000円だったそうだ。そんな物価の高い都市に滞在するということはどのようなことなのか、果たして通常の生活をすることは可能なのか、現地の人々の生活を観察しながら試してみたく思い、それを実行することにした。

 物価が高いと何度も書いてしまったが、ロンドンにはそれでも見るべきところが色々とある。ロンドンにはオーガニックブームがあり今ではそれが定着した感があり、街中のオーガニックレストランは賑わっている。和食のレストランも人気で讃岐うどん店やラーメン屋などはよく見かける。イギリスは飯が不味いという話は過去のもので、確かに他国に比べると不味いものも多々あるが、事前に調べれば美味しい店もフレンチからタイ、ベトナム、中華料理等、多数見つけることができる。

 今回は安い費用で、しかし健康的で美味しいものが食べられる生活を目的にしているので、まずは滞在先をどのようにするか考えた。ロンドンのホテルは高い。£1=180円ということは、東京の約2倍の物価である。何をするにしても2倍の金額がかかる。それにVATという消費税が20%。地下鉄の初乗りは£4.5で£1=180円の時期だと日本円で約810円である。オイスターカードという日本でいうスイカカードがあり、これを利用すると若干安くなり、初乗り£2.1で約380円。ロンドンはゾーンが1から6に分かれていて、ゾーンの移動が遠くなればこの金額も上がる。ロンドン滞在日数は10日間。これを全てホテル滞在にすると、滞在費と食費でかなりの金額になることが考えられた。ホテルは安くても街の中心のゾーン1,2で滞在するなら小さな部屋でもかなりの値段になる。食費も外食すれば定食程度でも一回で2,000円はする。

これをどうすればいいか考え、語学留学をホームステイでという手段を思いついた。一週間の留学をして、ホームステイにすれば食事も提供されキッチンもある。語学も勉強できるのであれば一石二鳥だ。ちなみにロンドンは英語が母国語ということもあり、意外と安い学校があるという話は聞いていた。何件か学校を問い合わせをした結果、ロンドン留学センターという現地の代理店の紹介で、Frances King校が午後のレッスンとホームステイ(1,2ゾーン)で1週間で総額£423ということでそこに入学することにした。食事がついて、英語の授業が受けられ、ホームステイなので24時間英語漬けになれることを考えれば高くはないだろう。そしてロンドンの家庭での食生活を垣間見ることができるのである。気分は高まった。

Frances King

https://www.francesking.com/

ロンドン留学センター

https://www.london-ryugaku.com/

映画「ノマドランド」

理想としては最高の生き方であり、実現しようとすれば様々な困難な場面と向き合うことになる。しかし、家から外の世界に出るということはそういうことであり、多くの事を見て体験することができる後者の方を僕は好む。やはりワイルドに生きたほうがいいし、みんなその方向へ向かっていってほしいという想いがあるから、こうしてテキストを書いている趣旨もある。特に歳を重ねていくにつれて自分に残された時間も限りがでてくる。そこで今までの自分や取り囲まれていた環境と決別しなければならないのだが、それは容易ではない。勇敢さが必要だ。

車上で生活するのか、路上か、それとも住居を転々とするのかは、手段こそ違うが移動しながら生活するということは同じだ。それは旅へと繋がり、それはつまるところノマドの生活だ。僕の場合はノマドという言葉は昔から頭の片隅にはあったが、特にそれに拘りはなく、ノマドの生活をしたいといった強い願望もないのだが、しかし転々と住まいや仕事を数年おきに変えているので非常に緩いノマド生活の様でもあった。その間、他の場所、特に海外へはちょくちょく出向いているので、地に足を固める気などはさらさらない。

この映画「ノマドランド」を見て、これに出演している人々の会話や言葉を聞いていると自分の考えと共通している意見が多々あった。そこには実際にノマドライフを送っている人を出演させているので、リアルにグレイトフルデッドみたいな老人が出てきたりする。今でこそノマドというライフスタイルに付加価値がついたようなものだが、言わば日雇いの浮浪者つまりホームレスとの違いはなんなのだろう?という疑問に対しては、「ホームレスでではなくハウスレス」という返答が返ってくる。

今現在のノマドというスタイルは現状の金融システムから離れ、今までの自身のキャリアと決別し、見栄を捨てて自分の見たいものや会いたい人を探し続けながら移動するということで、保守的な生活、つまり安定した収入、マイホームと家族、見た目を重んじる人からすれば、すこし変わっている人と思われてしまう。

映画ではキャンピングカーで移動している。これも非常に楽しそうな生活だ。この映画ではリーマンショックでのサブプライムローン問題で仕事や街を失った人を題材にしているのだが、今後こういったノマドの生活をする人は増えるだろう。パンデミック後の世界。仕事を失った人々、思考を変えた人々、テクノロジーの恩恵を受けた人々。数年後の未来、住居も車もシェアされていく時代。そんな自由な時代に一つの地点に留まる理由があるのだろうか。

主人公のファーンは逞しい。まだまだテクノロジーの進歩のない時代、歳も還暦を過ぎているにも関わらず、日雇いの季節労働者として転々と仕事を変え移動していく。肉体労働の仕事を手早く済ませ住まいでもあるキャンピングカーへと戻る。彼女のその力強い生きる源はどこから来るのだろうかと考えると、やはり素晴らしくドラマティックな風景や出会う人々との場面があるからなのだ。それは外の世界でしか巡り合えない。

映画「ポンヌフの恋人」

映画「ポンヌフの恋人」を見た。見たと言っても初めて見たのは16か17歳の頃で、この時に何回も見た。しばらく見てなかったのだけど、動画配信で良い画質で見てみたいとは思っていても、なかなか配信に巡り会えなくて、そんな折にAmazon Primeで見ることができた。今年は監督のレオス・カラックスの新作も公開するし、このポンヌフに関しては今年30周年なのだそうだ。30年。そんなに経ってるのか、笑

さて、このフランス映画、今見てもかなり面白い。当時は何というかカラックスなんかに刷り込まれてた部分もあるので夢中で見てしまっていたが、今落ち着いて見るとどうかと言えば、ジュリエット・ビノシュとアレックス役のドン・ラヴァンの二人の浮浪者のポンヌフ橋での生活がとんでもなく重苦しい映像で撮られており浮浪者ファッションが物凄くカッコいい。

話の内容の大半は暗い。そして二人の感情が、ぶつかり合って熱い。暗くて熱くてどろどろしていて、あまつさえ浮浪者での生活が汚いので見た目も酷い。そんな生活の中での純愛と傷を労るような話でもはや全てが真っ暗になってしまいそうなところでパリの街に革命200周年の花火が上がり二人が橋で踊るシーンは素晴らしい。それ以外にも素晴らしいシーンが多くあって、昔何度も見ていたのに忘れてしまっていた。

この映画以外にもカラックスではポンヌフの前作の「汚れた血」もAmazon Primeで配信していて、出演しているジュリー・デルピーは驚くほど綺麗で、今は映画監督にまでなっているが、これらの90年代の映画はやはり今ある映画の原点なのだ。