Hiro のすべての投稿

社会科見学派カメラマンDOKKIKIN TVによる、世界を踊りながら撮影した写真と記録。

Chloe

6月は特にこれといって出歩くこともないのだが、仕事柄コロナウィルスのワクチン接種を受けたら2回目接種後に発熱して倦怠感とともに体調の悪い5日間を過ごした。これから先、体調が酷く悪くなった話がSNSやらで拡散されるだろう、と思いながらベルサイユのばらを読んだ後のニュースで面白いものがあったのだが、ベルサイユ宮殿内にホテルができて宿泊できるというニュース。

https://www.cnn.co.jp/travel/35171755.html

https://airelles.com/en/destination/chateau-de-versailles-hotel/page/spirit-of-versailles

敷地内のど真ん中に滞在できるというもので宿泊費は1700€(約22万8000円)、この値段をどう捉えるかは、おそらくベルサイユのばらファンならば宿泊する方も結構いるのでは?部屋数は14室。ホテル内のレストランはアラン・デュカスがマリー・アントワネットに献上されたクラシックなフランス料理を提供するそうで面白い。最初は予約が埋まって予約できないだろうけど、どういった面子で泊るのかが少し疑問。大抵はカップル旅行なんだろうけど、気になるのは歴史オタクの人々。この方々が泊まったら興奮状態で夜も敷地内を歩き回って大盛り上がりをしてそうだ。なんてったってベルサイユ宮殿の夜だ、パーティーを開催してワインをあけるしかない。

そんなことを想像していたら、もうすぐパンデミックも終焉に近づいてきてるのだと感じるのだが、別のニュースでは、日経新聞では「10年後の日本の財政破綻率は50%」という記事。詳しくはないが、整合性が極めて高いDSGEモデルを使用してこの確率を出したそうだ。今回の新型コロナ対策によって、国の財政が悪化しているので、こういう結果が出たようだが、以前から破綻すると言われてきたのがここにきて前倒しになったようなものだろうか。にしても、この話や何年以内に大震災という話も恐怖感を煽っている側面があるので何とも言えないけど、確率で出すとそういう答えになってしまうので、きっとコロナ増税にして%を減らしていく策なのだろう。ただこの状況で増税になると、数字での計画よりも人々の疲弊が疲弊を呼びとんでもないことに繋がりそうだが。

そして今年のダボス会議のテーマが「グレートリセット」。だったのだがシンガポールにて開催される予定がウィルス拡大の恐れがあるため中止。しかし、テーマがテーマなのでまた再度開催するだろう。このグレートリセットは現状の経済や社会を一度リセットして作り直そうという趣旨のもので、以前このタイトルで本も出版されていた。パンデミックや世界経済、情勢からすると非常に分かりやすいテーマへの流れ。きっとみんなの思考もそういう方向へ向いていくのだろう。しかし、人間の歴史なんてリセットしてもしきれないくらいの失敗をしており、これから先の未来も失敗するし、失敗するのが本来の人間なわけで、このテーマに沿って話合ったから解決するかといえば流れは変わっても解決することはない。ただ生きているだけで問題を惹き起こし、毎年毎年を激動激動と言い放ち、いつもが激動なら激動でなくそれは日常なのではないかとも言えるその中で楽しい日々と憂鬱な日々を送るしかない。

先日はエルサルバドルではビットコインが法定通貨として採用されることが決議された記事もあった。こういったニュースを眺めていると、これはリーマンショックの時よりも、前置きというか下準備のニュースが色々ありすぎてまだ始まっていないアフターコロナはどうなってしまうのだろうか。

とは言っても、そんなことを考えているよりも音楽や読書や映画、食事のことを考えているだけでもう沢山なのだが。

最近、身体が疲れていた時に流していたのは、デューク・エリントンのクロエ。

Duke Ellington/Chloe

ボリス・ヴィアンの小説「日々の泡」にでてくるヒロインの名前もクロエ。この曲のタイトルからとったようですが、何とも気怠くてワクチン接種後の微熱にちょうど良い。

そういえば小説に登場するクロエは肺の中に睡蓮ができてしまう病になったのではなかっただろうか?

「ベルサイユのばら」を読み終えてビストロで鴨のコンフィを食べる

たまたまベルサイユのばらの文庫本を借りることができた。ベルサイユのばらは子供の頃にテレビでも見ていたし実家に置いてあった漫画も読んでいたので、内容はよく知っていたのだが今読み返してみても非常に面白い。読み終えた今、頭の中はすっかりフランス革命になってしまった。

マリーアントワネットの普段の生活は昼近くに起きてゆっくり身支度をし、さてこれから何をして遊ぼうか考える。お気に入りの女官たちを集めて、ベルサイユの一角にプチ・トリアノンという農家を見立てた家を建て女官たちと遊ぶ。夕方からは芝居を観に行き9時半頃から夕食をとり、賭博や舞踏会に繰り出す。

ルイ16世は狩猟に行くか錠前を作ることしかやることはなく、バスチーユ監獄が暴徒に襲われた時には日記に何も書いていない。この王様は狩猟のことしか日記には書かないそうだ。

この二人はたまたまその地位についてしまったが為に、このような運命を辿ったのであろうが、それが今からたった200年前。それほど昔ではない当時にやっと人権というものを人々は認識して革命を起こして今に至るということを考えると、このわずか200年前は人の知識というものは多くの人々に広めるにはかなりの時間を費やしたのだ。

漫画の中にはロベスピエールやベルナールシャトレ、オルレアン公と若い法律家、新聞記者などがパレ・ロワイヤルに集まりサロンを開き政治経済、文学、演劇、音楽について語りあっている。オスカルもそこへ参加することになり、ジャン・ジャック・ルソーを読むように勧められ、「世界が貴族のためだけにあるんじゃないってことがよくわかるよ」と告げられる。そして自宅でルソーの本を読んでいると、父親から「謀反人か平民の読む本だ!」と怒鳴られてしまう。

ベルサイユのばらで一番好きな登場人物は誰かと聞かれれば、子供の頃からロベスピエールであったがやはり革命家という響きに魅了されたし、おそらく自分は知らず知らずにうちに左の思考が染みついていたのかもしれない。そういえば昔、会社の上司から「お前は自分では分からないかもしれないけど、お前の考えていることは左なんだ!」と怒鳴られたれたことがあり、仕事帰りに書店で右と左についての本を探していたことがある。しかし自分は特に悪いことは何もしていないのだが。(笑)

今になってベルサイユのばら読み終えると、誰が一番好きかということはなかなか決められず、一人一人が重要な位置にいて誰一人が欠けてもこの革命は起きなかったのだと思うと、非常に難しいパズルのようだ。悪く描かれている貴族がいなければ革命は起きないし、マリーアントワネットがいなければ良かったのかと言えば、あの税金を使った贅沢三昧の生活がなければ国民も行動しなかった。

初めてフランスのパリに行った時、友人からコンシェルジュリーへは行ったほうがいいと勧められていた。コンシェルジェリーはマリーアントワネットが収容されていた最期の牢獄であり、実際のそれを見てみて動揺し悲しい気持ちになった。行ったことがある人は知っていると思うが、中には貴族の人形が牢獄に詰め込まれていたり、マリーアントワネットは机に向かい座っており、こちらに背中を向けており少しゾッとしる。僕はベルサイユ宮殿に行った次の日にここへ行ったのだが、その落差が激しすぎるので少し消沈した気分になりパリを歩いていたように思う。大体、観光名所になっているコンコルド広場やバスチーユなど今は普通の広場ではあるが、ベルサイユのばらを過去に読んでいる自分としては革命の血の流れた場所でそれほど穏やかな場所のイメージではなかった。しかし、もしパリに行くのであればベルサイユのばらは読んでから行ったほうが格段にいい。

漫画には首飾り事件を起こしたジャンヌ、宮廷のデュバリー伯夫人、ポリニャック夫人などが資産を狙う金の亡者になっており日々贅沢と浪費によって敵を作り、アントワネットも好き嫌いがあるようで何人もの敵を作ってしまう。

しかし、調べてみるとこのポリニャック夫人、彼女は革命が始まるや否や資産を全てもってオーストリアへ逃げて家族と共に暮らすことになる。しかし、偶然にも病死したのはマリーアントワネットが処刑された年と同じだったそうだ。対して革命家であったロベスピエールであったが彼も断頭台で処刑されることとなる。過ぎ行く時の中で様々なものが白く塗りつぶされていくのだ。

フランス革命のことを考えだすと止まらいのでこの辺で終わりにするが、この貴族と平民の身分制度が二極化を表しており、今現在とこれから先に、また二極化の現象があるとすれば(実際は今も起こっているのだろうが)このようなものなのだろう。二極化された人と人の差は何かと言うと「たまたまそうだった」というようなことでもあろうし、「その時とった行動はどういう行動だったのか」、ということもフランス革命から読み解ける。

革命は誰にも止められない。一部の人々のエゴや欲に振り回された民衆はいつか暴徒化する。これから先の時代に身分制度があるとすれば、貴族と平民の関係は、貴族をホワイトカラーだとすれば平民は一般人であり(全てではないがここにブルーカラーが入るのであろうか)それは言い換えれば奴隷でもある。しかし、機械化が進めばホワイトカラーも含め、奴隷のような仕事は機械が請け負うようになり、全ての民衆が貴族のような生活をすることになる。

貴族であれば格上の生活ができ安泰かというとそんなことはなく、ベルサイユ宮殿内での煩わしい人間関係や欲望に人々はまたもや悩まされるのだ。マリーアントワネットは普段の生活では何もしないで良かった。家事も育児もだ。

そんなアントワネットの言葉は「私は退屈が恐ろしいのです。」

この言葉は、すべき仕事がなくなった未来の人々にも起こりえることであろうし、ましてや今のパンデミック下で動くことのできない不自由で憂鬱な生活にも当て嵌まるような気がする。

読み終えたあと、偶然近くにいた友達と千葉の柏市に行くことになり、たまたま通りすがったフレンチビストロのMa Cuisine(マ・キュイジーヌ)という店で男二人が鴨肉のコンフィとまぐろのコンフィを食べる。鴨肉は身は柔らかく皮はパリっとしており美味い。

お酒は飲めない状況下だが、フランス料理の店内にいると頭の中ではまだまだフランス革命が続いてしまう。いや、もしかすると今のこの状況も革命の最中なのか?

賭場

ビットコインと東京オリンピックのことについては最早、巷のあらゆるところで騒いでいる状況になっているので書くのはやめていたのだが、ビットコインに関しては最近の暴落、オリンピックに関しては緊急事態宣言により、今この瞬間、相当おもしろくなったので少しだけ記す。

今年、前代未聞の面白いことが二つあって、一つはビットコイン。もう一つは東京オリンピックだ。本題のビットコインについては後記するが、まずは東京オリンピック。自分の叔父は前東京オリンピック1964年時に聖火ランナーとして力走しており、オリンピックには若干縁があるような気がする気になっている(笑)。(本当はそれほど興味はなかった)というか去年までは興味はなかったが今年のオリンピックはそれとは違い、興味津々だ。
こんな普通でないオリンピックは未だかつてなく、今まで見たことも経験したこともない非常に実験的なオリンピックを体験できることが非常に楽しみだ。こんなコロナ禍でおそらく無観客で行われる大会で競技する選手は変性意識状態にでもなり、そんな競技は世界中から注目され、近代オリンピック史上最高の成功を納めるかもしれない。もし自分が聖火ランナーだったら、そんな状況下で走ってみたいものだ、辞退などしないで。
「東京オリンピック?あ〜、ありゃ駄目だねぇやらない方がいい」といった輩達は何も考えてない評論家を気取ってるバカなのでどうでもよく、ビットコインに関しては、よく知らないし如何わしいとだけ言う輩は普通のバカだ。そしてビットコインを持ってる連中はもっと大バカな博徒だ。
そんな大バカに今回の暴落で一層火がついた。
因みに勝負事については、フロイトはチェスは2人でやるものではなく4人でやるものだと話しているそうだ。勝ちたいプレーヤーAと負けたいプレーヤーA、勝ちたいプレーヤーBと負けたいプレーヤーBだ。
勝ったプレーヤーは勝ちたい対戦相手を打ち破ったのではない。負けたいプレーヤーを呼び寄せたのだ。
なので、人々の希望が一点に集中しすぎると頓挫する。
そして皆が失敗すると考える東京オリンピックは成功する。と大恐慌のラジオから話を聞いたが、しかしだ。ビットコインは人々の思惑が半々でせめぎあっており、どちらに賽が投げられるか分からない。

ビットコイン通貨が700万円に届いたのが今月14日なので一週間前。ある程度の区切りで下げる習性があるので下がるのは当然なのだが、今回のは700万円から560万円まで一気に下げた。そして、これだけ話題になっていて参加者も増えると(ここは大きな賭場であって投資とは言い難く、それが悪いことではないが非常に露骨で品の悪い場所ではある、が僕はそんな博徒が集まるところが好きだ。)こういった15%の下げで以前に比べてかなり騒がれているのということがどれだけ通貨購入者の数が増えたかを物語っていて、去年の夏はもっと大きな下落相場があった。どちらかと言うとそちらの方が今より怖く、テスラのような企業の後ろ盾もなかったので非常に信用度のない通貨だった。しかし、その時のボラティリティは非常に激しくこれは何かがありそうだと感じた。こういった時に張る決断は何らかの温度差を数字やチャートの動きで感じるので説明ができないのだが、昨年、1ビットコイン=100万円の時。知人にビットコインが良さそうだと話しても数人にはスルーされた。確かにしっかり投資をしている輩からすると如何わしいことこの上なく(それにしても、しっかりした投資と投機の違いが本当に分からなくなってきた。全てがギャンブル資本主義ではないのだろうか、保険もNISAやidecoなども含めて。)話すのはせずにいる。しかし、これだけのボラティリティがあって結果が出るのであれば正しいや間違いといったことで判別することはできないのではないか。


思い出してほしいのは、リーマンショックの後の株価のリバウンド、あの時はソフトパンクの株価が一時500円くらいまで下がり会社が、なくなってしまうのかと思うくらいの状況だったが、今の株価を見るとそんなことはなく持ち直しているどころかかなりの価格になっている。それと3.11の震災の後、東京電力の株価も暴落し、その後のリバウンドでは物凄い勢いでの上下を繰り返した。震災前は2000円くらいだった株価は一時100円台まで下げたがそこから300円台まで上がったりとしていたが、大半の人はもう覚えてないかもしれない(笑)その時のトレードは非常に巨大な資金が動いた。その時の雰囲気に今回の仮想通貨の値動きも似ていてちょっとした事件にも思える。違うのはストップ高もストップ安もなく24時間動いていること、前代未聞ということだ。これが今まで見たことも経験したこともないところで、ブロックチェーンの詳しい説明なんかはそういった資料を読めば分かると思うので、僕の場合は博打的な感覚でしかやっていない。ニュースの記事など色々とあるけれど最後は自分の感覚を信じるしかなく、負ける時は負けだ。
本当に色々な識者が様々な分析をして専門的なことを話すが、博徒(投資家?)の中にはそんな説明をひっくり返るようなことをする連中もいるので全ては信用できない、イーロンマスク然り。
賭け事なので勝ち負けの結果は全く分からないが、自分の中ではフルベットしても良い考えだ。フルはしねーけど、笑(逃げ時、逃げ道、逃げ所の方が大事だ)

今日、テスラモータースが決算発表で予想を上回る過去最高益を叩き出した、ビットコインの売却益も含めて。イーロンマスクは自分のビットコインは一切売却はしていないと付け加えて発言している。いずれは火星への往復チケットを1ビットコインで売り出す気なのだろうか。

私的音楽記録談 2020~2021(紹介しきれないので今回のはVol.1とします。)

最近聴いている音楽でその中でもよく聴いていた曲をあげていくことにしてみた。特にこの1年間は在宅していることも多かったのでホームリスニングに集中できると色々探してはいた。しかし1年前のコロナ禍初期は幾分落ち着かず音楽に今一つ集中できなく、憂鬱そしてメランコリックな曲を聴いていたように思う。

前置きはぬきにして、特にランキング形式で書いていくようなことはなく、これから思い出しながら挙げていくので新旧問わず、ポップスからテクノ、ジャズ、ブラックミュージック、現代音楽まで順序はランダムだ。

それでは「私的音楽記録談」

Jenevieve/medallion

90年代的なR&B。HIPHOPもテクノも90年代的なのが流行ってるのか。これはPVも90’sのようで見ていて格好良い。

あと最近、聴いて驚いたのは、藤井風。彼は天才かと思うくらい歌も作曲も完璧で大物になりそうな若干23歳。

藤井風、曲名は「何なんw」

PVもマンハッタンを練り歩いており、彼はR&Bをやっているのかと思い、この曲って何かを思い出すんだよなと考えていたら、SWVや過去のR&Bの曲が頭に浮かんだのだけど、TLCのBaby-Baby-Babyをちょっと思い出した。

と言っても曲は全然違ってますね。元ネタとかあるのかな。

「神様助けてヤバメヤバメヤバメ」と歌うところが好き。

Sam Gendel/Eternal loop

サックス奏者Sam Gendelの自宅録音盤。ジャズと映画音楽の全編物憂い曲調、だが非常に居心地の良い音楽。かけっぱなしにしてしまうと気持ち良すぎて一日が終わっている。

心地が良いと言えば、

Maye/ Tú

マイアミのSSWだそうです。ラウンジーなラテンミュージック。

バカンスに行きたくなります。

このノリで次の曲へ。

The Marias-Ruthless

LAのネオソウルグループと紹介されてました。これは良いですね。PVもボーカルの娘もかわいい。これもバカンスに行きたくなる、映像はクルーズ船。

あとはコロナ禍ということもあり、結構静かめなピアノソロの曲をよく聞いてたんですが、

Jhon Hicks/After the morning

分かる人はすぐ分かるヌジャベスのネタになっている曲です。これは本当良い曲。

このまま一緒にJazz PianoのFumio ItabashiのWataraseも続けて聴いていきます。

このままJazz Vocalに続けて、

Outside Inside /Torun Eriksen

Troye Sivan – Take Yourself Home

Troye Sivan、美男子シンガーとのことですが、これは落とされます。

Heavenly – Cigarettes After Sex

Cigarettes After Sexのこの曲もダウナーでアンビエントで聴いてると落とされます。でも良い曲。

Miyu Hosoi/Jardin

これぞ2020年の夜に鳴ってしまうような曲。美しいです。

あのAutechreも新しい曲を出してました。音楽家みんなが創作活動していますね。

Autechre/r cazt

丁度こういった時期に聞く音楽かなと。

次はガンダムのメインテーマを菊地成孔さんがやっていて、聴いてなかったので聴いたらフリーキーで格好良かったです。2016年の曲です。

ガンダム・サンダーボルトテーマ

世界的に評価の高いTigran Hamasyan

ジャズ、クラシック、アルメニア民謡が混ざっていて映像も面白い。

いかん、紹介しきれないのでまた次回に続けるということにします。

最後はCarlos Cipaのメランコリックピアノです。

Carlos Cipa – Dreamlessly (on Blüthner Grand, 1935)

以上。だけではないのですが、書き終わらないのでまたいつか次回、この企画で書いてみます。

新疆ウイグル自治区で行われた尋問手続きとその手順と所要時間

最近、ウイグルかウィルスなのか見間違えるくらいニュース欄でこの文字を見ることが多い。昨日も訪米した菅首相らも対中国に対しての協力姿勢を示していることをTVのニュースで放送しており、その裏の番組ではリーゼント刑事を放送していた。今後、海外へ行く人の中には世界を牛耳る国がアメリカよりも、日本のリーゼント刑事率いる徳島県警よりも、中国になっているかもしれない奇妙な世界の中で(もちろん僕はリーゼント刑事派だ)たまたま中国公安から尋問される機会も増えるのではないかと思い、そこで行われる尋問の状況について書いてみた。

今月は、ユニクロの柳井さんのウイグルについてのノーコメント問題が話題に上がっていたが、僕は柳井さんのノーコメントについては自分も少し近いところがあり、もちろん柳井さんはビジネスをかなりシビアに考えているので自分のとは全く違うし、実は余談だが僕は数年前に柳井さんの自宅へ二、三回行ったことがあったりする、当時の自分の上司が邸宅を建築しており、自分が行ったのはその建築中にだが、まるでそれは広大な敷地にある城のようだった。

僕は昔、世田谷に住んでいたことがあり部屋は1階だったのだが、二階に住んでいる学生が夜中友達を呼んで騒いでいたので何度か注意したのだが、学生はユニクロでバイトをしていて帰りも遅くなるので深夜になっても生活音がするのは仕方がないと主張してきた。そのことを当時の会社で話すと、上司が「今日、柳井さんと会うから話してきてやるよ、どこのユニクロのバイト?」と言うので、「いやいや、そんなユニクロの社長から直接バイトに話がいったら学生めちゃくちゃびっくりするでしょーよ(笑)」と僕は言い、上司は「直接の方がいいじゃねーか(笑)」と言っていた。結局この問題については自分で対処したが。

そしてこのウイグル問題、何故ノーコメントであまり話したくないのかと言えば、兎に角危険だからだ。僕は2018年の11月に新疆ウイグル自治区でプチ弾圧された。中国に行ってプチ整形してきたのではないです、プチ弾圧です、中国の公安に連行されて。その時にされた威嚇と取り調べが非常に自分に恐怖感を与え、少し前に香港の活動家である周庭さんが取り調べを受けた後「今回のは、、、怖かったです。。」と話していたのを見て、彼女の気持ちに共感を覚えるくらいプチっと脳裏に焼き付いている。なのであの時のことは口にチャックをして一切漏らさないようにしており、しかし誰かと酒を飲み交わしている時はついつい思いっきり喋っているのだがそれは内緒だ。あとは髪を切ってくれるバーバーのお兄さんがこの弾圧の話が好きでよく聞いてきたりするので、髪を切る度話していて、周りにいる客にも聞こえている。しかしながら、これからここに書く詳細はオフレコにしてほしい。

2018年の11月はまだウイグル問題はメディアに公開される直前(ウイグル特集を組んだNewsWeek誌発売の2週間前くらい)で、だが現地では強制収容所へ連行されているウイグル人が多くその真只中であり、しかし実は僕はこのことについて当時ほとんど知らず猛火の中へ飛び込むようなものだった。それよりも旅好きの友人が数年前に目的地であるウルムチに行ったことを僕に話してくれたのだが、そこには80年代の中央アジアの風景や人々との交流を彷彿とさせるような内容で、全盛期の地球の歩き方の時代を感じとることができた。しかも現地のウイグル人達と焼肉の出店が立ち並び、俺の写真を撮ってくれとせがまれ写真を撮りまくったそうなのだ。そして自分の母親もウルムチから西安、シルクロードに行ったことがあり、その素晴らしさを聞かされていた。

そんな回想を巡らせながら男友人と二人で現地へ向かい、搭乗した飛行機を降りてウルムチの空港を出ると大きな装甲車が出口で僕等を出迎えてくれた。

カメラを向けて装甲車を撮影すると中から4、5人くらいの軍人が一斉にこちらを見た。これは撮ってはダメなのか隣に立っていた何かの係らしき人に聞くと「いいからいいから」というようなことを言うので大丈夫かと思ったが、装甲車の中からはとにかくこちらを凝視しており、妙な気がしたのでやめて街へ向かうバスに乗り込む。

ちなみにウルムチへ行くには北京経由で、成田空港を22時頃に出発し、北京空港にて一泊夜を明かして早朝の便に乗り、朝の10時くらいに到着した。ホテルを探し「胜利路」(Shengli Road)という現地のウイグル民族が多く住んでいる地点を目指す。街中は長閑で中国の地方都市のようでそこにはビル街があり、大陸のど真ん中に発展した都市があることが不思議で街中を散策した。歩いていると公安から立ち入り禁止を告げられたり、中国の赤い国旗は妙にワザとらしく街頭に数多く掲げられていた。街中は漢字とアラビック文字と英語の交じった文字で書かれた看板があちこちにあり、大陸のど真ん中にある文化と人種の最大交流地点なのだということを意識させてくれる。そして事はウルムチで有名なバザール「二道橋市場」という大きなショッピングモールである複合施設であり見た目はモスクのようだが、そこへ向かう途中に起こった。

歩いていると寺院のような建物があり、なぜか壁の上部には有刺鉄線が施されていた。何も考えずに、あぁモスクか、と写真を一枚撮影するとスチャダラパーのボーズ似の公安の一人がこちらへ向かってきた。ちょっとこっちへ来るように誘導され、危険な雰囲気は全くなく旅行者へ対する何らかの確認でもするのかと思ったのだが、ここへ入れと言われるとそこに街の交番のようなものがあり、建物は何というかカップケーキの大と小を二段に重ねたような円錐のベージュ色の2階建ての建物で窓には鉄格子が嵌めてあり、外からは見えないようになっている。こんな愛らしく奇妙な建物の中へ興味深く入ると役人用のデスクと折り畳みの椅子くらいしか物はなくて、がらんとしていた。そこで2,3人の公安に監視されながらしばらく待っていると、2階から上官らしき人物が西日に照らされながら階段を下りてきた。その光景は何というか再現された一昔前の戦時中の映画のような雰囲気だった。この公安から中国語で色々と話させるが英語が全く通じない。そこで一緒に来た友人がgoogle音声翻訳を使い自動翻訳を始めた。これがなかなか優秀で多少コミュニケーションがとれたが、いかんせんこの地区は電波が悪い。レンタルwifiも非常に遅くインターネットやSNSも規制されている。自分もその自動音声翻訳を使い始めるが言語設定が英語から中国語への翻訳となっており、あまつさえ電波が悪く変更がスムーズに変えられない中、友人の日本語と相手の中国語と自分の英語とで混乱状況になってしまった。そうこうすると、公安が話す内容が翻訳機に表示された。「ここでしばらく待ってください、座ってください」。またしばらくすると、外から今度は軍隊が7,8人中へ入ってきて、みな長銃を構えたデザート迷彩を来た軍の連中で、僕等が携帯電話を触っていると、携帯を触るなと注意してきて、その長銃を全員で床にドドドド!!!と突いて威嚇してきた。その時は、自分はそういう威嚇に対しては割と落ち着いていて、ちょっと面倒事かな、というか面倒くさいと思い早く処理が終わるのを待っていた。現地時刻で夕刻の4時だ。

そうすると、「よしOK」のようなことを公安が言うので、あぁこれで終わりか、解放されるのかと思ったら、パトカーのような車が来て、これに乗れと言われ連行されることになった。この時、どこへ連れていかれるのか分からず恐怖を感じた。着いたところは大きなグレーの建物で入口の扉も非常に高い位置までありそれが頑丈に閉まっている。日本でいうところの警察署の本署のようなものだろうか。中へ入りベンチに座って待っていると、隣にも何人かの連行されたウイグル人も座っていた。自分達の番になり窓口に呼ばれ若い男性の公安との質問回答が始まり、またもやgoogle音声翻訳の出番となった。ここでも日本語と中国語と英語の入り混じった混乱のやり取りで(友人は日本語、自分は英語を話す人物だと思われてしまった、google音声翻訳に英語で話して中国語へ変換というのは相当大変なのは英語力が中級レベルの人なら分かるだろう)公安からの質問は、「取材許可証は持っていますか?」ということを何度も聞かれた。どうやら相手は自分達を記者だと思っているようだった。記者ではないと説明し旅行に来ていると伝えてもなかなか話が伝わらず、パスポートとカメラの中身を全てチェックすることになりカメラをもっていかれた。その後に続く質問は、「職業は何ですか?日本のなんという企業で働いているのですか?社員証はありあすか?」、パスポートを見て「あなたはイスラム国に数か国へ行っていますが、目的はなんですか?」等と続き、滞在日数、今後の予定などを聞かれ、翌日のシルクロード行きのバスのチケットがあったのでそれを見せて、職業の説明については、料理人風に包丁で物を切るゼスチャーをすると、公安は「あー、シェフかーOKOK」と笑い何故か受けた。そして疑うことなく納得し(なぜこれで納得なのかよく分からないが)、戻ってきたカメラの中を見てまた笑っている面もあった。そして、またしばらく待って下さいと言われ、ウイグル人達とベンチで待機することになる。もはやこの雰囲気は虐めである。その時、トイレに行きたくて、トイレに行かせてもらい、よく考えたら昨晩は北京の空港で一夜明かしており、そのまま行動をしているので、ゆっくりしていた時間はなかったのだ。

その間、友人は目の前で尋問を受けており、一生懸命話を続けている。その待機している間、様々なことが頭の中を過ぎり、今夜はここで一晩明かすことになるのだろうか、いやそもそも一晩で済むのか?伊藤忠の香港で逮捕された社員は数年間日本へ帰られていない、この尋問の時間が延びると帰りのフライトに間に合わないが、帰りのフライトの時間は公安に伝えたので、2日後のフライトであれば早く帰国してもらいたいと思っているはずだがどうか、ここで提供される飯の味は食べられるものなのか?布団はあるのか?絶対寒いはずだ、そして確実にアンコンフォタブルだろ、ここは(笑)等と考えていた。

友人の話が通じたのか再度自分も呼ばれ、出て行っていいと言われ解放されることとなった。最後の頃は公安もいいお兄ちゃんのような雰囲気になっていた。外に出ると空が青く高くやっと出られたと出所の喜びを全身で感じた(笑)トータル時間3時間半くらいだったと思う。とにかく腹が減っていたので中央アジア料理の店を探しにバザール「二道橋市場」へ向かう。そこは入口に検問所があり、入る人々は顔認証システムで身元を確認してから中へ入れるような物騒な雰囲気であった。自分達は外国人なので別室での検問になる。滞在中はこういった身元確認が何度も続き、旅好きの友人の話していた異国情緒あふれる自由な中央アジアの風情はもはやそこにはなく、非常に不自由で監視されている中央アジアだった。

過去の海外での出来事の中でも一番危険を感じたのがこの中国での尋問の件であったと思う。騙されたり、病気になったりしたことはあったが、このような恐怖感は他にはない。中国へ行くのはしばらく止めておこうとさえなった。

このウルムチ滞在の後、数ヵ月してからスウェーデンのストックホルムへ行った。その帰りの便はストックホルムからフランクフルトを経由して日本へ帰国するものだったのだが、天候が荒れており飛行機が飛ばなくなった。スタッフに相談しに行くと、フランクフルトに一泊するしかないと言われたが、他の便を探してもらい、ダイレクトフライトが見つかり、しかしそれは中国国際航空だった。北京経由の羽田行き。北京での乗り継ぎもしたくない気分であったがここは止むを得ない。便を変更するため特別の経路で空港を移動する。

搭乗ゲートへ入る前に専用のカウンターで前に並んでいた外国人が何処へ行きますか?とスタッフから質問され、「ウルムチ」と答えていた。もし彼が悪運を持っているとすれば、現地でそれが尽き果てるのかどうか。

ウルムチに関しては以下の2本の動画を制作しているので興味のある方はこのリンクから。

最後に友人の書いているブログTOKYO.IS.THE.REASONにて良き時代であったウルムチの紀行文と写真が載せてあるのでリンクを貼っておきます。ほんの数年前なのに、こんなウルムチはいまや見ることはできません。

ギターの練習を生活に加える

昨年くらいからギターをまた練習し直していて、実際は東京から出る時に、もうちっと練習し直すかとクラシックギターは引越しの度にずっと持ち歩いてたんですが、なかなか練習に向き合えず、クローゼットの中に神棚のように拝んでいたですが(笑)まぁ、やはりこんな時期で外出制限もされていたので、譜面を買ったりして練習してました。練習しているのはボサノバギターの基礎からです。学生の頃は何曲か練習して弾いていたんですが、今やってみるともう指で弦を押さえるだけで、指が痛くなってしまいます。が、半年もやってたら昔の感覚が少し戻ってきました。

それで練習していて思ったんですが、やっぱり楽器はいい。非常に楽しい。もうコード、特にボサノバのコードを押さえて鳴らした瞬間の音なんてもう、天使です、天使。雨の日になんか鳴らすともはや音響です。

自分は音楽好きなんで、あれですけど、誰しも本当に好きな曲って一曲あるじゃないですか?絶対的な曲。逆らえない曲?(笑)自分ではそれはブラジル音楽では超有名曲のコルコヴァードなんですが、これを弾いてみたかった、昔の話ですけど。で歳を取ったらボサノバでもやってたらいいかなと。以前、Nora Jonesのライブを武道館で見たんですが、彼女がアルバムの4枚目かな、その辺でポップス寄りになってきていて、それはそれで良いんだけれど、そんな売れ線のジャズミュージシャンがライブでカントリーブルースを演奏したんですよね、ちょっと土臭い。しかもカントリーのバンドまで結成して。そんなの受けないだろうとも思ったのですが、これに非常に感激して、ここまで売れてもジャズ、アメリカ音楽の原点に向かうんだなと思い、自分は当時DJをやったり、どっちかというと興味の方向は電子音楽だったんですが、クラシックギターを手に入れたんです。学生の頃からもっていたセミアコのギターはもうボロボロでしたので。

精神的に鬱や不安定な人なんて楽器をやればいいのになと本当に思う。自分は特に鬱とかそういうのはないですが、この楽器に集中する時間って、今になって本当に貴重だと実感しました。学生のころはね、よく弾いてましたけど。でもみんな止めてしまうんですよね、働きだすと。仕事に夢中になることを悪いとは言わないけど、そうなると音楽に向かう時間は自分で作らないと難しい。過去に音楽をやっていた人って本来は音楽家の精神が宿っているはずなので、社会人になってお金や経済のことが中心になって、音楽の才能をどこかに引っ込めてしまうのは勿体ない。音楽はもう卒業したとか意味がわからん。

とりあえず、今はイパネマの娘と、ワンノートサンバを毎日弾いています。このワンノートサンバのイントロなんか弾いて聞いたらクラっときますよ、ホントに。

ちょうどこんな時に菊地成孔さんがラジオで音楽家の育て方について話をされておりました。これも非常に良い話でした。

以下文

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せっかく音楽が好きな人をマウントとって音楽嫌いにさせた奴らは全員地獄行きです。一度でもやっちゃったなって経験がある人はすぐ懺悔してください、どこのお寺でも神社でも教会でもいいから懺悔してくださいね(笑)

音楽家の育て方として、まず音楽を嫌いにさせないで音楽において嫌な目を一切させずに育てば全員音楽家になれます。

音楽家になれない、音楽家になりたいのになれないというケースの90%以上は、楽しくやって調子良くいい気分でやったら誰かにダメ出しをされたという屈辱によって音楽が嫌いになることによって挫折しているので、才能がなくてなれないんじゃない。これはすごく大切なことで、音楽の才能っては人間に絶対備わっています。ただその音楽の才能の芽を摘んでしまうのはトラウマというか嫌な経験で、屈辱経験なので、屈辱経験と精神的外傷は別です。だからトラウマではないです。もし、さぞかし嫌な言い方されて、がっくりきて、音楽が嫌いになってしまったのならば、そんな奴はやっちまえばいい、殺っちまえばいいと思います(笑)

自分は音楽家に対して、「駄目だ、そんなのじゃ!」なんて言えやしなくて、潰されれば潰されるほど這い上がってくる、それが本物だなんていう考え方は、とにかく音楽でそれはないです。

音楽はやりたいようにやらせて、どんどんイイネイイネ言っていくうちにできてくるから。だから音楽は屈辱経験を与えず、のびのび演奏すれば絶対に才能が開花して肉体化しますのでそのことは忘れないでください。

最後に最近好きなジャズバンド、というかAndrea Motisというバルセロナ出身のジャズボーカル兼トランペット奏者。調べるとNora JonesやGregory Porterのプロデューサーと同じジェイ・ニューランドとブライアン・バッカスと記載してあったので、その辺りが好きな人は結構気に入りそうです。これを見てやはりセミアコが欲しくなりました。GibsonのES335を買うか買うまいか。以上。続く。

緊急事態下での資格受験

資格試験の受験のために久しぶりに緊急事態宣言中の都内へ出てみると、週末の朝だったせいもあるかもしれないが、街中の人はまばらであった。東京モノレールで会場まで向かうと途中ホームに設置してあったフライトの掲示板はキャンセル表示だらけで、おぉぉヤバい感じだなと不穏な中、試験を受ける。

試験は某医療資格(管〇栄〇士)の試験である。病院では何人かは持っている必要がある必須試験だ。しかし、この資格の受験資格を得るのが物凄い大変で(もはや試験内容よりもだ)、一般の社会人からこの資格を目指すとなると、最低6年もかかる。まず、専門学校に2年(4大卒であれば卒業と同時に受験可能)、就職して実務経験3年。そこから試験日まで1年の計6年。おそろしいほどの手間と時間だ。6年間といえば小学1年生が6年生になって学校を卒業するくらいのものだ、物凄いだろう。そんな成長と成長の毎日の6年間を想像すると、自分の中年の場合のこの6年間は小学生のそれに比べてそれほど進化はない。あったといえばなかなか予約のとれない香港のレストランの龍景軒に行くときの自分の名前はウィリアムになっていて、今後もこのレストランに行くときはウィリアムだったり、別の名前が自分に付くのだろうという進化くらいだ。

話は戻って、試験会場にいくとそこにいる受験者は9割方は女子だ。20代から30代くらいまでが大半で男はややいるが非常に少ない、いても20代の男子だ。そこに自分が受験をしに行くとなると、「んんっっ?」「なんかいる」と目が合う女子が多い、ような気がしてならない、気のせいかもしれないが、見られているような気がする。いや、はっきりと目が合っていた。確かにこんなおじさんで受験している奴は自分くらいなもので(前に書いた通り一般の人が受験するのは非常に難しい)よくここに入れたな的な、雰囲気としては女性専用車両に入ったようなものだからしょうがない。この人は一体、何回受験しているのだろう??きっと数十回受験に失敗しているのだろうなど思われているのであろうか、こうなるともはや試験会場の元老院だ。自分の場合は歳の割に少し若く見えるのもあって多少誤魔化せるかもしれないが、はっきりいって他の受験生の親みたいなものだ。ちなみに今回は勉強をサボっており思い出受験である。思い出したくはないが。

帰りに新橋で降りて飲み屋周辺を歩くと人は少なく、しかも20時には閉まってしまう。店は空いていて、緊急事態宣言解除後よりも安全そうではある。しかし、これが大恐慌前の風景になるのかどうか分からないが、東京モノレールでフライトのキャンセルだらけの羽田空港前で降りて、女子ばかりの会場で試験を受けて、緊急事態の街を観察してと、まさに世紀末的な1日でもあって、なんだか調子が良くなってきてしまった。

向田邦子没後40年特別展

向田邦子没後40年特別イベント「今、風が吹いている」に出ることになったと、友人の永井さんから連絡があって、なんのこっちゃよく分からんと思ったら、青山のスパイラルで向田邦子展を開催していて、その開催内でドキュメンタリー映画の「向田邦子の贈り物」という映画上映会があり、その映画に出演するということだった。というか、自分で調べないと何に出るのか全く分からない永井さんのメールの内容だった(笑)

https://www.spiral.co.jp/topics/art-and-event/mukodakuniko

向田邦子といえば、ああそういえば昔、「おしゃれの流儀」というエッセイを読んだのと(昭和の文化おしゃれ人で何とも素敵な東京生活を綴った内容)と、確か旅好きで30代後半から海外を駆け足で周り、台湾の帰りに飛行機が墜落して亡くなったんだなと、昔買ったブルータスを見てみると、そうそう北アフリカのチュニジア、アルジェリア、モロッコのマグレブ3国を旅してそのエッセイも書いていたので後で読もうと思ってた「女の人差し指」、

そ、れ、よ、り、だ!!

永井さんが映画に出ると言っていたので、そのドキュメンタリーの製作出演者を見てみると、一覧に“角田光代”先生の名前が並んでいるじゃないか!!それに西加奈子先生の名前も。角田光代、永井尋己、西加奈子って名前が、3人の名前が同じ一覧に載っている!!

全然文壇と関係ないのに、文壇の人達と並んでいる!(笑)

これは映画のイベントの日は自分もスパイラルへ行きたい、と思っていたのが、あえなく緊急事態の為、中止でオンライン配信になりました。

あー、びっくりした。イベントが開催されてたら、永井さんと文壇の人達が並んで立ってたかもしれない、なんでそこにいるんだ???と(笑)

永井さんはCGクリエイターとして参加しているそうです。それでこの映画はオンラインで2/27から配信されることになったので、こちらから見ることができるそうです。(宣伝)https://members.tvuch.com/mukoda/

ちなみに、自分の旅音楽の映像も最初の回から作り方を教えてもらっていたのは実は永井さんからなんですね。最初は全然分からない中、色々と教えてもらって、素人ながらなんとか試行錯誤してやってきておりますが、また最近ファンから以下のコメントがあり「Fuckin’ on point all the time! Respect.」もうどういう意味やねん、これは。(笑)世界へ向けて配信すると結構反響があるものだなと、この「どんだけ俺の映像が好きなんだアメリカ人」にはいずれ飯でも奢ってやりたいなとは思っております。

そんな自分の動画ですが、角田光代先生の影響なくしては、この動画はありえなかったくらい先生のエッセイは大概読んでるので、こう永井さんから角田光代先生に繋がるというのはなかなか嬉しいもので、イベントは開催してほしくはありました。旅といえば沢木耕太郎が人気がありますが、角田先生のはフワフワとした内容の中にじわじわと、そして急に突き刺さるような書き方をする文体がはっとさせてくれて心を動かしてくれる。最近もエッセイは書いていて、「大好きな街に用がある」というエッセイを読んだのですが、角田先生もそれなりに年を重ねているので内容も少しずつ変わってきていて長年読んでいても飽きない。

今の時代、書店には並ぶ本は、いつも売れそうな内容の薄い自己啓発や役に立つ経営事業や、メンタル、AI、科学と未来といった本ばかりが並んでいるので、向田邦子のような文系の本は大事であって、こういった文化を科学の進歩によって失ってほしくはない。

文系vs理系になってしまうのですが、本来自分は文系なので、未来科学の生き残り戦略本なんかより、文学の方が重要だとは思ってしまい、それのみだとこの先、埋没して生き残れないとも思うかもしれないが、生き残る残らないといったことは各自の思考や信念に確実性があれば括りは問わず残る、もしくは満ち足りた破滅。それにAIという一単語で簡単に括られるほど人や文化は単純なものではないのは分かってはいる。理解はしているが、明治維新時に日本のこれまでの文化をあっさり埋葬するような風潮にはしたくないといった気持ちで昭和平成のインターネット前の文化を再確認する必要はまだまだ沢山ある。

SFファンタジーな三菱UFJ emaxis neo

投資のことなど考えるのは頭の中に空いているほんの隙間ですればいいくらいに考えていて、以前は博打のように個別株に投資して夢中になっている時期もあったのだが、それはそれで経験にはなるし、新聞は読むし、しかし新聞は取ったことはないが、ここぞという時はそこへ投資する時はある。しかし、日がな一日それのことを考えてしまっていては、本来やるべきことが手につかず一日を終えてしまい、しかし金はやはり金であってよほどの資産家でもない限り(資産家でも投資に夢中であるが)上手く生きていくには、そこからは逃れられない。というか、やらないという選択は自分にはない。なんだか真剣な投資家からは叱られそうな姿勢である。ていうかこんなの遊びじゃんね、人生も半分は遊びでしょ、どうせ。

そんなことを真剣に考えるよりも、自分はサングラスを新調しようと本当は都内で探そうかとも思っていたのだが、近所の眼鏡屋を物色しているとなかなか品物が置いてあり、Eyevanにするかオリバーにするか、試着していると何故だかGUCCIの形が自分に似合っており、いやGUCCIはちょっとなぁ、それよかはオリバーピープルだと迷っていればあれこれ話に乗ってくれた店員が、その形で在庫を何種類も取り寄せて準備するということに。やっぱりこの世はネットショッピングでは測れない昭和的なやり取りが必要になってきたりすることが稀にあり楽しい。全く関係のない話になってしまった。

話を戻すと今この混乱の中(何だか混乱って言葉を本当によく使うな、)人々が困っていることと言えばやはり金のことであろう。やはり投資による資産運用は昔から必要不可欠ではあったのだ。しかし、不思議がられるかもしれないが、僕はそこから少し離れたいとは前から思っていたのだが、(これは頭の中の情報量を減らして集中力を他のこと、例えば音楽や料理、映画や散歩など、笑。へ使いたいだけなどの理由だ)しかし最近のETFは種類も多く、よくできていることから少しくらいの信託報酬を払うくらいでチャートを眺める時間を大幅に減らせるということができるのならと、大体の投資先を投資信託にするようになった。

そこで昨年くらいに気になっていたのが、三菱UFJのeMAXIS Neo。これは、未来のテクノロジーに投資をするファンドで、何種類かの分野に分かれている。そのジャンルが面白いのだが、「遺伝子工学」、「ロボット」、「宇宙開発」、「ドローン」、「ナノテクノロジー」、「バーチャルリアリティ」、「自動運転」、「ウェアラブル」、「フィンテック」といった分野だ。もはやSFとファンタジーである(笑)

すでに自動運転のファンドは出来高が高くランキングも上位に食い込んでいる。もしかしたら、これが天井かもしれないしテスラの暴落の件もあり、なんとも言えないのだが、自分は「ナノテクノロジー」の分野は大いに飛躍するとカーツワイルのシンギュラリティの書籍を読んでいるため、そしてナノテクノロジーの進化の過程が脳に浸み込んでしまっているので、半信半疑だがここへ投資することにした。おそらく本当に価値がでてくるのは5年後から10年後かもしれないが、自動運転よりも衝撃的だと思っている。

2018年12月に10,000円で始まり、現在2021年1月22日で21,631円。バブルではある気もするが、この先この宝くじはどうなるだろうか。やはり投資は遊びだ。

2020年(前編)と2021年(後編)

2020年から2021年になったわけだが、新しい年が始まったというよりは、前の年から続いているような、というか後編が始まったとしか思えない。ラジオを聞いていたら2020年と2021年は合わせて1年になるようなことを話していたのだが確かにそんな感じだ。

2020年ってTwo thousand twentyでしょ?で、2021年がTwo thousand twenty one. 数年後は、「あー、トゥーサウザンとトウェンティワンの時ねー、あの時はああだった、こうだった、んだんだ」のように9.11や3.11のように語呂よく語られるようになるのだろう。一抹の不安は2021年が後編で終わればいいのだが、実際は2022年が完結の3部構成だったらそれはさすがに長編すぎる、と心配になってしまうのだが。

とにかくだ、今年は後半戦であって、夢も目標もなく、昨年と同じ生活が繰り返されることへの苛々と諦めしかない。まさに空洞の2年間。というか、今もって深刻化している状況で先が見えない。もう分かった、この1年で十分我々人類についてはあれやこれやとテレビでもネットでも動画でも雑誌でも取り上げたのだし、もうこれ以上に反省や考え直すことはない。人間がやりすぎた生き物であることも分かった。頼む、この檻から出してくれと全国民が思っているのなら、ありうるとすれば、今年国民は緊急事態など我慢できずに脱獄するということだろうか。

今このコロナ禍で人々が気付いたことはと言えば、「しまった、やりすぎだった」こと以外に何もない、とは菊地成孔さんのラジオでの発言。人はやりすぎる為にこの世に繁殖した生き物で繁殖もしすぎ、なわけで、かのジョルジュ・バタイユもそう仰っており、「生きることは狂ったように、だが永遠にサイコロを投げることだ」と。

このブログを書いている時に、実は近々行う予定の、某専門学校から講師依頼の文書が届き、それの台本を書いていたのだが、緊急事態宣言の為に延期になり、ならば休暇になると思っていたら、話の内容をテキストに書いて送れとのことで、またテキストを書くのかとまさに今、同時進行で書いている。話す内容の中に学生に向けての言葉などがあるのだが、この空洞の2年間において、それをどう伝えればよいのか考えていたが、世の中の悪い歯車の話などをするよりは、着眼力を身に着けて物事の本質をつかみとる力をつけるにはどうすればよいか、を話すことの方が学び(笑)があるのでは、と思った為、それがテーマにはなった。

それにしてもこの年齢にもなると、実際には特にこちらから熱心に学生にむけて何かを伝える気力などそれほどなく、依頼されれば勿論するが、もしくは学生から質問があれば返答するくらいのモチベーションになっている。しかし、もしも何か新しいことをするなら若いやつとツルめという言葉があり、自分は若い人は大好きであり一緒に行動するのも楽しいのだが、おそらく同じ目線で話合うのと講義はまた違ったものなのだろう。まぁ、これまでめちゃくちゃな生活をしてきたわけで、自分などよりも管理職やインテリゲンチャの優秀な人など五万といるので、そちらから学生に向けて話したほうが良いと思われるのだが、何故自分が選ばれるかが、いつも謎だ。でもおそらくこれは自分に課されたミッションなのだと思い、ひたすらテキストを書くことにする。それに普通のインテリの優秀な方が学生に話をすれば、学生たちは普通のインテリ人として繁殖する可能性があるわけで、目障り此の上ない。やはり、自分が話をするべきなのか?