Hiro のすべての投稿

社会科見学派カメラマンDOKKIKIN TVによる、世界を踊りながら撮影した写真と記録。

SFファンタジーな三菱UFJ emaxis neo

投資のことなど考えるのは頭の中に空いているほんの隙間ですればいいくらいに考えていて、以前は博打のように個別株に投資して夢中になっている時期もあったのだが、それはそれで経験にはなるし、新聞は読むし、しかし新聞は取ったことはないが、ここぞという時はそこへ投資する時はある。しかし、日がな一日それのことを考えてしまっていては、本来やるべきことが手につかず一日を終えてしまい、しかし金はやはり金であってよほどの資産家でもない限り(資産家でも投資に夢中であるが)上手く生きていくには、そこからは逃れられない。というか、やらないという選択は自分にはない。なんだか真剣な投資家からは叱られそうな姿勢である。ていうかこんなの遊びじゃんね、人生も半分は遊びでしょ、どうせ。

そんなことを真剣に考えるよりも、自分はサングラスを新調しようと本当は都内で探そうかとも思っていたのだが、近所の眼鏡屋を物色しているとなかなか品物が置いてあり、Eyevanにするかオリバーにするか、試着していると何故だかGUCCIの形が自分に似合っており、いやGUCCIはちょっとなぁ、それよかはオリバーピープルだと迷っていればあれこれ話に乗ってくれた店員が、その形で在庫を何種類も取り寄せて準備するということに。やっぱりこの世はネットショッピングでは測れない昭和的なやり取りが必要になってきたりすることが稀にあり楽しい。全く関係のない話になってしまった。

話を戻すと今この混乱の中(何だか混乱って言葉を本当によく使うな、)人々が困っていることと言えばやはり金のことであろう。やはり投資による資産運用は昔から必要不可欠ではあったのだ。しかし、不思議がられるかもしれないが、僕はそこから少し離れたいとは前から思っていたのだが、(これは頭の中の情報量を減らして集中力を他のこと、例えば音楽や料理、映画や散歩など、笑。へ使いたいだけなどの理由だ)しかし最近のETFは種類も多く、よくできていることから少しくらいの信託報酬を払うくらいでチャートを眺める時間を大幅に減らせるということができるのならと、大体の投資先を投資信託にするようになった。

そこで昨年くらいに気になっていたのが、三菱UFJのeMAXIS Neo。これは、未来のテクノロジーに投資をするファンドで、何種類かの分野に分かれている。そのジャンルが面白いのだが、「遺伝子工学」、「ロボット」、「宇宙開発」、「ドローン」、「ナノテクノロジー」、「バーチャルリアリティ」、「自動運転」、「ウェアラブル」、「フィンテック」といった分野だ。もはやSFとファンタジーである(笑)

すでに自動運転のファンドは出来高が高くランキングも上位に食い込んでいる。もしかしたら、これが天井かもしれないしテスラの暴落の件もあり、なんとも言えないのだが、自分は「ナノテクノロジー」の分野は大いに飛躍するとカーツワイルのシンギュラリティの書籍を読んでいるため、そしてナノテクノロジーの進化の過程が脳に浸み込んでしまっているので、半信半疑だがここへ投資することにした。おそらく本当に価値がでてくるのは5年後から10年後かもしれないが、自動運転よりも衝撃的だと思っている。

2018年12月に10,000円で始まり、現在2021年1月22日で21,631円。バブルではある気もするが、この先この宝くじはどうなるだろうか。やはり投資は遊びだ。

2020年(前編)と2021年(後編)

2020年から2021年になったわけだが、新しい年が始まったというよりは、前の年から続いているような、というか後編が始まったとしか思えない。ラジオを聞いていたら2020年と2021年は合わせて1年になるようなことを話していたのだが確かにそんな感じだ。

2020年ってTwo thousand twentyでしょ?で、2021年がTwo thousand twenty one. 数年後は、「あー、トゥーサウザンとトウェンティワンの時ねー、あの時はああだった、こうだった、んだんだ」のように9.11や3.11のように語呂よく語られるようになるのだろう。一抹の不安は2021年が後編で終わればいいのだが、実際は2022年が完結の3部構成だったらそれはさすがに長編すぎる、と心配になってしまうのだが。

とにかくだ、今年は後半戦であって、夢も目標もなく、昨年と同じ生活が繰り返されることへの苛々と諦めしかない。まさに空洞の2年間。というか、今もって深刻化している状況で先が見えない。もう分かった、この1年で十分我々人類についてはあれやこれやとテレビでもネットでも動画でも雑誌でも取り上げたのだし、もうこれ以上に反省や考え直すことはない。人間がやりすぎた生き物であることも分かった。頼む、この檻から出してくれと全国民が思っているのなら、ありうるとすれば、今年国民は緊急事態など我慢できずに脱獄するということだろうか。

今このコロナ禍で人々が気付いたことはと言えば、「しまった、やりすぎだった」こと以外に何もない、とは菊地成孔さんのラジオでの発言。人はやりすぎる為にこの世に繁殖した生き物で繁殖もしすぎ、なわけで、かのジョルジュ・バタイユもそう仰っており、「生きることは狂ったように、だが永遠にサイコロを投げることだ」と。

このブログを書いている時に、実は近々行う予定の、某専門学校から講師依頼の文書が届き、それの台本を書いていたのだが、緊急事態宣言の為に延期になり、ならば休暇になると思っていたら、話の内容をテキストに書いて送れとのことで、またテキストを書くのかとまさに今、同時進行で書いている。話す内容の中に学生に向けての言葉などがあるのだが、この空洞の2年間において、それをどう伝えればよいのか考えていたが、世の中の悪い歯車の話などをするよりは、着眼力を身に着けて物事の本質をつかみとる力をつけるにはどうすればよいか、を話すことの方が学び(笑)があるのでは、と思った為、それがテーマにはなった。

それにしてもこの年齢にもなると、実際には特にこちらから熱心に学生にむけて何かを伝える気力などそれほどなく、依頼されれば勿論するが、もしくは学生から質問があれば返答するくらいのモチベーションになっている。しかし、もしも何か新しいことをするなら若いやつとツルめという言葉があり、自分は若い人は大好きであり一緒に行動するのも楽しいのだが、おそらく同じ目線で話合うのと講義はまた違ったものなのだろう。まぁ、これまでめちゃくちゃな生活をしてきたわけで、自分などよりも管理職やインテリゲンチャの優秀な人など五万といるので、そちらから学生に向けて話したほうが良いと思われるのだが、何故自分が選ばれるかが、いつも謎だ。でもおそらくこれは自分に課されたミッションなのだと思い、ひたすらテキストを書くことにする。それに普通のインテリの優秀な方が学生に話をすれば、学生たちは普通のインテリ人として繁殖する可能性があるわけで、目障り此の上ない。やはり、自分が話をするべきなのか?

新年のご挨拶と、Offsonarの動画編集に対するコメント返信

新年あけましておめでとうございます。新年と言っても年末年始はほとんど仕事でキッチンで過ごしていたので、もう寝不足でしょうがないです。なので世間は失業やら解雇やら言われているのが信じられないくらいです。そして気づいたら今日はもう1月7日。社会はロックダウンやらトランプのおっさん支持者がワシントンに大集合してたりと(自分もTwitterを見てたらワシントンへ行きたくなってしまいましたが)、こんな日まで働いてたらワーカホリックと何ら変わらないとも思いますが、忙しい中で時間を作って映像の編集作業をしているので、何とか完成したとも言えます。そんな先日配信した、バルセロナのダンスミュージックフェスのOFFSonarの感想を友人のO君(男性)が丁寧に書いてくれました。

「以下O君(男性)の感想文」↓

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あけましておめでとーございまーす

ひろたんのYoutube、クリスマス前くらいには見終えてたんですが、いろいろ考えてるうちに今日になってしまったよー!

75分、ガッツリ見させてもらいました!

個人的にはアリでした!ひろたんがFBにも投稿してた外人のコメントと一緒でここまでフッテージを垂れ流してるのはリアリティ番組ハンパない!!!

そこは間違いないッス!「あの現場にいだんだよ」感はすごいし、それを画像と音でこっそりつなげて違和感なく繋げてるのとか、ひろたんがFBで言わなきゃ自分もわかんなかった!!

あとは、ヒロたんの思いがどっちなんだろー。ってとこですかね。

再生数を伸ばしたい。なのか、自己満なのか。

自己満だったらあれはいいと思う!超絶リアルだし、そこにいるかのような感じだし。ただ、再生数伸ばしたいなら説明が必要かもしれません。あとはタイムラインとか、ヒロたんの感情とかを動画の中に入れたほうが、感情移入というか、わかりやすいかも。

ああいうイベントに行きなれてたり、最初から行きたいやつが見たらあの音楽に飲み込まれてる街全体の雰囲気とか超伝わるけど、見る側の意識が高くないと追えない部分はありそうでした。

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以上、という内容でした。

とにかく今回の映像の現場のリアル感が少数ながら伝わったことが良かったのと、繋げているのが気づかれてなかったのがDJ仕事としては嬉しかったです。いやー、気付かないもんですね。とにかく曲と曲の繋ぎ目はフェードアウイトインで何度もやり直ししたので、普通に聴いていたら粗はほとんど目立たないと思います。それが現場感を出す上で非常に重要になってるんですよね。

この作品を作ろうと思った時に思い浮かんだのが、映画「ウッドストック」(笑)

内容は詳しくは覚えていないけど、アメリカは70年代にあった3日間のロックフェスの映画です。ジミヘンやジャニス、WHOといった面々がとにかく本気で演奏していて見ている客も本気。商業主義がなく、ひたすらリズムに合わせて体を夢中に動かしているああいった雰囲気を作ってみたかったんです。因みにあれって編集しているのはマーティン・スコセッシ監督です。OFFSonarも色々なレーベルが集まってイベントを行っているので全く商業主義ではないとは言い切れないけど、さすがにミニマルテクノというジャンルで商業をしようとする人はそんなに多くはないと思われ、みんなひたすらその場を心底楽しんでおり、まさに狂乱の渦。こんなのは日本では開催されないだろうし、しかもプロフェッショナルなカメラで撮影している人もいないので、これは作らないとならないと自分のミッションとしました。

テクノミュージックは僕が聴いていたのは90年代の頃で普段はそれほど聞いてはいなかったのが、この2,3年くらいによく聴くようになりました。それは、あのダークで落とされる曲調が今の混沌の時代に妙に似合うから。そして、2019年のOFFSnonar、あの時期のああいったフェスの開催はやばい。もう世界がめちゃくちゃになりそうな一歩手前をあの場で感じることができて、少し狂気すら感じました。実際にその後すぐパンデミックになるのですが。

そして何度も書いているCharlotte de Witte,僕は彼女を女というよりは男として見えていて選曲もたくましい。昔はアイドル的なとも言われていたけどそんなことはなく、非常にっかっこいい。煙草を吸いながらプレイするトップDJの女性もなかなかいないだろう。

映画「ウッドストック」ではジャズ・ミュージシャンのマイルス・デイビスも出演していてこれの一番記憶に残っているのが、ジョニ・ミッチェルとマイルスがすれ違うところでマイルスがめちゃくちゃ怖い。そんな舞台袖を撮りたくてフッテージを長めにして、盛り上がっていないかもしれないけど、DJが次のDJにチェンジする時って個人的に好きな瞬間なんです。そういったイベントの現場感を出したかった。

そして「僕の思いが、再生数を伸ばしたい。なのか、自己満なのか。」

なんですが、ここまで書いてきて分かったんですが、作業に没頭しちゃってて何も考えていないですね。そうそう、考えられなかった。最初は考えましたよ、こんなに長いんじゃ再生されないよなー、と。完成した後にもね。でも作業を始めたらそんなのどうでもよくなって、自分で撮った動画に自分が興奮してました。感情表現に関してはフッテージでよくカメラがブレる瞬間にそれを感じてもらえればいいかなと、見てくれる人の想像に任せることにしました。というか想像してほしい。なので自己満の部分もありますが、思いは「見る側への問題定義」です。(笑)

そして最後の感想で、

「ああいうイベントに行きなれてたり、最初から行きたいやつが見たらあの音楽に飲み込まれてる街全体の雰囲気とか超伝わるけど、見る側の意識が高くないと追えない部分はありそうでした。」

これはその通りだと思います。僕としては、逆に見る側への願いとして、追ってほしいという想いがあって、意識高くなってほしいなんて言ったら超おこがましいのですが、フェスってのはこれのことを言うのであって、規制に守られ過ぎたフェスや音楽なんてのはリアルじゃないし、本当にフェスに行くってのはそんな規則もルールも危ういところへ行くものなので(昔はライブハウスやクラブってのは少し怖いところだった。)何か違う感覚が見えてくるんです。来ている連中の意識が高いから、うかうかしていられない気持ちや、クリエイターも多いので自分は何を表現しているのか?自分の好きな音楽というものをどれだけ好きなのか、理解しているのか?と試されているような感覚もあります。海外旅行もそうですが、日本にいるのとは全く違い、守られていない環境へ行くからこそ真実が見えるわけで、この映像は言葉では伝わらないし、真実を見たいなら映像を見て自分で考えてもらいたい、そして現場へ行ってほしい、という気持ちも含まれてます。

まとまったかな?

こういった解説は制作後になると色々と発見があって説明できるけれど、実際の制作中は没頭していて、1クリップ1クリップを繋げる時に(今回は曲のテンポと映像の両方)にいちいち興奮して作業していました。やってみて分かったのは、またフェスの映像を撮りたい。それをまた編集したいということです。現場の音だけでもここまでできることが分かったので、DOKKINKIN TVの旅の映像も音楽なしで現場感を伝えらえる作品を作ることも考えていこうと思っています。

2020年総括、そして寒月

今年2020年ももうすぐ終わる。今年は転職や引っ越しをし、かなり慌ただしくも挑戦できた1年だった。そんな中でこのホームページの立ち上げができたことが自分の中では大きかった。10年前から作ろうとは思っていたのだが、なかなか作ることができず、ホームページが必要かどうかかも分からず時間が過ぎていた。実際はSNS等で書くこともできるのだが、ここにきて思ったのはやはり自分の出したいコンテンツのボリュームが大きくなってきており、Facebookなどの媒体ではそれを整理しづらい量になってきたから。

それ以外の立ち上げた理由もあり、やはり今年のパンデミックにより、僕たちの生活がぐっと未来へ近づいてきてしまった気がするからだ。それに伴いテレワーク等のテクノロジーもどんどん発展するだろう。直近の気になったニュースではスカイマーク社が来年4月から週休3日制を導入、副業も認めている。それとLCCのピーチは定額乗り放題を検討しているということ。これはまさに僕が数年前に未来がそうなったらいいし、そうなっていくのだろうと考えていたことだ。しかし、それはもっと先のことだと思っていたのが、まさかこんなに早くなるとは。

この「週休3日」と「サブスクリプションモデルのエアチケット」、これは言い換えると、僕らの余暇が増えてどこにでも移動できる未来を表している。休みは今の時点では3日とはなっているが、技術が進めばもっと休みは増える。良いようにも聞こえるが、職を失うという怖い面もある。

おそらく、乗り放題はいったん中止になったりもするだろうが、最終的には例えば季節が春から夏になる時と同じように寒い日と暑い日が交互に交わりながら変わっていくのだと思う。そして僕たちの休日。副業を勧めてはいるが、ここが問題で、空いた時間を他の会社で仕事をすればいいのかと言えば、今は良くても、この先他の会社でも航空会社と同じようにテクノロジーは進展していくのだ。要するに人はあぶれる。そんな中で時間を持て余した人々はどうするのか、何をするのか。

つまりほとんどの人々は働く必要のない社会で生活することになる。これは大きな問題であり喜んでいる状況ではない。それはお金を稼ぐ等の問題ではないのだ。人というものは、生きがいがないと生きていくのが非常に困難な生き物だ。一日一日と何かをしないと生きていけない。何もするなと言われてもしないわけにはいかない生き物なのだ。

ちなみにある実験では何もするなと地面に座らされた人は我慢できず、その時何をしたかといえば、地面に指で絵を描き始めたそうだ。昨年に行ったスペインのバルセロナ。失業者は多く治安の悪くなってしまった所にいる若者たちも今何がしたいかと言えば、仕事がしたくてたまらないということだった。

仕事が僕たちから奪われる未来。何をするかというと、地面に絵を描くことと同じように、PCでもスマートフォンでもタブレットでもいいので、インターネットの世界へ飛び込むしかない。そこに自分のホームがあれば、そこを拠点にして様々なことを発信していくことができる。今、書いていることは、あくまで僕の意見であって、どうなるかなんて分からないが今のところ自分ではそう感じる。これもホームページを立ち上げた理由の一つだ。

ブログは自分の人生を切り売りすることと言われているが、そうブログは売れるのだ。ブログでなくても自分の得意ジャンルならばなんでもよい。とにかく早いうちにこちらの世界に拠点を作っておけば今後動きやすいのだ。

会社で働くもの結構、会社事業を立ち上げることも結構だが、それとは別に生きがいとしてインターネット内での個人の拠点も作っておくことがこれからの時代必要になってくる。会社は存続するがそこで働く人員規模は縮小していく。ホームページやブログなど発信していくことを恥ずかしく感じることも理解できる、実際に自分もそうだ。しかし、旧社会の生き方をするのか、新社会の生活をするかはこの壁を乗り越えられるかどうかにかかっているのだと思う。江戸時代末期から明治維新に移り替わる時と同じように。

それと僕らのお金は?これも直近ですでに日経平均は最高額を叩き出し、アメリカ株も好調だ。前にも書いたが仮想通貨の値上がりも物凄いことになっている。実体経済から離れためちゃくちゃな話であり、それはつまり金余りの状況だ。しかし失業者や貧困に喘ぐ人々が増えている。ベーシックインカムの話もいずれは政府から発表せざるをえない時が来るかもしれない。そうなれば全国民が、全人類が生活最低の資金だけは確保できるということだ。最低とはいえ、この時代であれば普通の生活をしていくことは可能だと思う。要するに全ての人々が一律に金持ちになる。ただし、先ほど述べたが仕事はないのだ。生活する資金と時間はあるが、することがない。これでは路頭に迷ったと同然だ。今いる社会でも金持ちには金持ちなりの悩みがあり、何もしないでも金が入ってくるということ。そうなるとやる気が起きず、ただただ日が過ぎていってしまう。そこで必要なのは本当の生きがいを見つけるということなのだ。お金と幸せはやはり別物だ。

このことをしっかりと心に留めておこうと思う。

それと年の瀬に素晴らしい選曲のmixが届いた。

今は亡きnujabesのマネージャーを務めていたKoizumi Takumiさんとnujabesの音楽性を伝えてきたレコード店「tribe」のFKさんのJazzの選曲。nujabeの世界観を聴いていると、今年あった色々なことを洗い落としてくれるような感覚になる。

そして今夜は寒月。Bill EvansのMoon Beamsをかけてみた。

音楽はいい。そこに音楽があれば、それだけで不都合なことは取り除かれていく。

REJOICE MIX for K.O.L Radio

OFFSonar july 2019 barcelona

This footage is a three-day documentary at the Music Festival Sonar and Off Sonar on July 18, 19 and 20, 2019 in Barcelona. Various famous DJs appeared there. Charlotte de Witte, Anna,Ida Engberg , Âme b2b Dixon,etc. This video and sound have some rough parts, but I was able to capture the enthusiasm of the actual audience. I want you to turn up the volume and see it. And I hope this festival will be held again soon. Charlotte de Witte footage can be seen after 25 minutes.

この映像は2019年7月18日、19日、20日にスペイン、バルセロナで行われたOFFSonar、そしてSonarのフェスティバルの3日間のドキュメンタリーである。 3日間すべてを撮影できてはいないが、撮影した映像を編集してみて改めて本当に最高だったことを実感することができた。 様々なDJが出演したが、その中でも特にCharlotte de Witteのプレイは凄まじく、この年のこの瞬間が一番脂がのっていた時期のように思う。編集した映像と音は粗い部分があるが、実際の客の熱狂ぶりも撮れており、現地の様子がよくわかると思う。今年2020年には開催されなかったが、遠くない日にまた開催されることを願う。

OFFSonarについては後日、追記します。

グレートコンジャンクション

12月21日のグレートコンジャンクション。木星と土星の大接近を見ることができた。そして月。カメラを持っていったのだけど、星を撮影するのは難しい。シャッターを切れど、なかなか切れない。しかし何度もシャッタースピードを調整しながらシャッターを切っていたら楽しくなってしまい月の表情を撮ることができた。

今回の大接近は400年ぶりということで、当時はポルトガルやスペインが来航し、その後鎖国が始まる時代の転機だった。この木製と土星の大接近をグレートコンジャンクションといい、世界の表情が変わり時代が大転換期を向かえると言われている。二つの惑星は正反対の特性を持っていて、それは木星は拡大や増殖、土星は縮小、固めるといった内側へ向かう特性。この正反対の作用を持つ惑星同士が重なるとどういう影響を地球に与えるかが重要視されているそうだ。

そして普段、占いなどは信じないのだけど、この21日と22日のグレートジャンクションは占星術関連では大々的なイベントのようで、時代が変わると話題になっている。地の時代から風の時代へと変わると言われていて、いやいや、こんな話をすると「テメェもついにあっちの世界へ行っちまったか」と呆れられるかもしれないが。

しかし自粛要請のニュースなんかを見ているよりは外で星空を見て占星術の話に耳を傾けていたほうが、宇宙に想いを巡らせることができて現代社会化見学をしているよりは数倍マシだ。もはや現実と宇宙とどちらがスピリチュアルなのか分からなくなりそうな部分もある。

この件について書くと、風の時代になると、もうすでに始まってはいるけど、人々とのコミュニケーションの質が変わり、今までは場というもの(職場や学校等)に集って人々は出会っていたが、これからはそういった機会が激減し、自分達のもっている情報や価値観を中心とするコミュニティが発展していくそうだ。情報の価値が上がりそれがビジネスに繋がり、お金という物質ではなくシェアリングや情報交換、物質以外の交換が増えていくとのこと。

風の時代の特徴として精神性の高さ。今までは、教科書などから情報を習得していたが、これからは自分から情報を発信し、自己発現していくことが大切な時代になる。

水瓶座のエネルギーは山羊座が作り上げた社会的システムをぶち壊し、地の時代の信念や価値観を壊すことになり、新しい社会を作り上げるということが水瓶座の本質なのだそうだ。水瓶座は地の時代の価値観を崩壊させていくので、自分たちが正しいと思っていたことがどんどん崩れていき、今後もしそこに囚われているとますます悪い状況になってしまう。なので自身を透明なニュートラルな心に回帰させることが必要になる。そして人々の価値観が変わっていき善悪の境界を越えていく。これからは自分が正しい真実だと思っている以外を持っている人との出会いがあり、お互いを認識しあうことになる。そこでのパートナーとの出会いが非常に重要になるとのことだ。

この時期は自己の内なる葛藤に執着するのをやめて心を軽い状態にし、これからは今ある地域でなくもっと拡大された世界で生きるということを意識し、意識という内部で情報を得て経験を積んでいくことができるように変わっていく、こういったことに日々意識を向けているといずれそういった方向に入りやすくなるそうだ。

自分が何を考えどんな人で今どのような状態なのかをしっかり覚知していくことが大切であり、しっかり自立していくことが重要。しかし情報が多すぎるのでその中で自己を確立しないと情報に翻弄されてしまうのだとか。

そして風の時代が安定すれば正義を貫き何かをジャッジするような意識を持つ人々はいなくなるとのこと。

すでに新しい世界のモデルはすでに出来上がっていて、その社会は上手くいくのだが、それが実現するのにはまだ時間がかかるので、今はそれに対応する我々の準備が必要な時期である。

いやー、ヤバい内容だな(笑)とも思いますが、まぁ今日12月22日は占星術、天文学界では大々イベントですので、こんな話も大いに結構ということにしてみます。

1870年クリスマス      パリのレストランの献立

1870年のクリスマス、パリのコンコルド広場の近くにあったレストランのフレンチのメニューの献立表を眺めるのが好きで、(この献立表は菊地成孔さんの過去のテキスト「歌舞伎町のミッドナイト・フットボール」に収録。)たまに思い出した時に引っぱり出してくるのだが、今年のこの世間の様相からして、非常に事態な事を連日連夜と騒ぎになっており、しかもニュースを見ていたらパンデミックにはクリスマスも年末年始も関係ないと飲食店経営者が言うようなことを言っていたので、またこのメニュー表を引っ張り出してしまいました。

これ豪華なメニューなんです。ワインは高価なロマネコンティや当時40年前の物も入っている。ただよく見ているとアントレの後に、ネズミと猫のローストと書いてあって何だかおかしいぞ、となってきます。象のコンソメスープもあるし。

パリの市民はこれらを珍味として楽しんだわけではなく、そう、この年パリは戦争中でプロセイン軍(後のドイツ)に街を包囲されて市民たちは食糧の窮乏状態に陥ってしまっていたんです。1870年9月から翌年の1月28日の休戦協定が締結されるまでパリの市民は普段目をつけない食材にまで食糧の対象とせざるを得なかった。摂氏マイナス13度の中、餓死者と凍死者の数はこの冬だけで5000人に達したそうです。

そして供された象にはちゃんと名前がありました。カストルとポルックスという名称で兄弟だったそうです。そう、実この2頭は動物園にいた象なんです。カンガルーもクマもきっと動物園の動物で、ダムダム弾で殺された象は27,000フランの値段でM. Deboosという肉屋が購入し1ポンド40フランで売り捌いたという記録が残っています。猫やネズミは近くの下水あたりから捕まえてきたんでしょう。

フランスでクリスマスのディナーはレヴェイヨンと言って聖なる勤めなのだそう。絶対にやらなくてはならない。裏路地からネズミと猫を捕まえてでもやらなくてはならない、ソースやワインは高級な物を添えて。食べ終わった後、店を出て餓死者と凍死者を焼いて暖をとるんでしょうけど、すごいクリスマスですよね。

当時のメニューには、例えば、Cuissot de Loup, Sauce Chevreuil (オオカミの臀部のシカソース)、Terrine d’Antilope aux truffes(アンテロープのテリーヌ、トリュフ添え)、Civet de Kangourou(カンガルーのシチュー)、Chameau rôti à l’anglaise(ラクダのロースト英国風)などがあって、イギリスの週刊誌の編集者のトーマス・ボウルズはこの時パリに滞在していたが、ラクダ、アンテロープ、犬、ロバ、ラバ、象を食べたが、象は一番好みに合わなかった」と話しているそうです。

やはり同じ時期に滞在していたイギリスの政治家ヘンリー・ラボーチャーは、以下のような文章を書いている。

「昨日、私は夕食にポルックスの切り身を食した。ポルックスとその兄、カストルの2頭の象は殺された。象の肉は固く、粗く、油っぽかった。私としては英国の人々が牛肉やマトンを入手することができる限りにおいては、象肉はお勧めしない。」

さて今年のクリスマスはどうなるのでしょう?

無人の羽田空港

友人のO君がこんな写真を送り付けてくるものだから(実際はSNSのO君の投稿写真に自分が高揚して、この写真ブログで使いたいから貰えないかな?とお伺いしたのだが)恐怖感を通りこして、「いよいよ来たかー」と、気持ちが盛り上がってしまい、不謹慎ながらこんな状況に興奮しており未来に対する期待感も膨らんでしまっています。

こういう時は自分を含めてどうしてもシリアスなことを話してしまいがちになる人が多くなるのは分かるが、そんな下向きな話ばかりをしてもしょうがなく、しかしこの状況を楽しんでいるなどと書くと不謹慎だと言われてしまうので、何も言えないまま過ごすしかない状況でひっそりするしかないのだろうか?

そしてこの無人の羽田空港の写真。何なのだ、これは(笑)O君も言ってたけど、まるで第三次大戦中のようで、本当にもう危ないから早く帰ったほうがいいぞと言いたくなる。空港で働く人やその他の仕事を失った人には申し訳ないけど、いずれはテクノロジーの進歩によって完全無人の空港が現れるとは思うが、いきなり出てくると焦りと未来を覗いているようで楽しんでしまう気持ちが同時に起こってしまうので、もはやO君のようにアルコールに頼るしかないのだろうけど(その空港で呑んでたようだ)、そういえば先日のニュースで香港の活動家の周庭さんが禁固刑10ヵ月と書いてあったのだが、それと同時にアンジャッシュ・渡部健の不倫ニュースもテレビで流れていて、どーでもいいなと思っていたら、奥さんが佐々木希だったということを知らなかったので、「えぇ奥さん佐々木希だったのか」と数年前のananの香港特集の表紙の佐々木希を思い出し、また香港へ行ける日のことを考えながら、この空港の写真を見ております。こんなに香港や香港特集の表紙のニュースが連日流れているのに香港で飲茶を食べれないなんて舌がおかしくなりそうです。

もう、年内はみかんとコタツを囲んで年を越すしかないのか、まぁコタツなど持ってないので年末年始の自粛期間をどう過ごせばよいのか。とにかく来年か再来年は香港のレストランをぐるっと一周回り、いやいや香港は危険だろうと言われるが、たとえそこへ中国本土が押し寄せてきてもレストランと料理人とその味は変わらないだろうし、むしろ、いずれは本土の味覚との混合感も出てきてもの物凄い料理が開発されるかもしれないと考えてたらやっぱり楽しくなってきた、不謹慎ながら。いや、楽しくなるなら不謹慎でいいんじゃないか?

投資先のローテーション・ビットコイン,S&P500,積立NISA,金

1ビットコインが200万円を越えた。2017年の年末にも超えたことがあり、その時は仮想通貨バブルでみんなが群がるので他のXRP(リップル通貨)やイーサリアム通貨も値上がり続け、2018年1月になってからどんどん下がっていった。自分もその時に少しプラスになったが結局はマイナスになっていた。そしてコインチェック社にてNEMコインが盗まれ取引停止になってしまいNHKのニュースではNEMコインのロゴが画面に映っていて驚いた。そしてしばらく取引停止が続き、取引が再開された時には仮想通貨全体が値下がりしている状態だった。

でも僕は仮想通貨のブロックチェーンの世界は非常に好きで、これに将来利便性があるのかどうか、儲かるのかどうかは分からないが、夢があるので、ある意味信仰しても良いような気分になっている、まるで宗教のように。

まず国で作っている通貨を超越したところにあるのも興味深いし、世界中の通貨から購入でき国の経済動向との関係が小さいのはまるで金のようだ。そしてその金額も24時間変化していく。投機対象になってしまのが問題になっているが、それは経済の活性化では必要な行為の一つであると思うので、僕は深く考えていない。少しずつ積み立てていけばビットコインの値段の乱降下は激しいが、ドルコスト平均法で購入していれば、不測の事故があってもそれほどマイナスにはならないと思う。

なによりも今2020年12月現在で200万円だが来年には400万円、いずれは4000万円になるという予測も発表されている。理由は様々な企業もビットコインを必要として買い始めビットコインの枚数は21,000,000枚と決まっているので値段は上がっていくそうだ。

全ての投資先を仮想通貨だけに向けるのは現実的ではないので、自分の場合は、投資信託8割、個別株1割、仮想通貨1割とローテーションしている。

投資信託はアメリカ株価指数のS&P500、積み立てNISAに外国先進国株、他には金、個別株はその時の状況によって変えていく。S&P500は初めはただ人気があるからと買っていたが、調べるともはやこれしかないというくらい運用しやすい投資先だと思う。アメリカの500社を厳選して選んだ指数で入れ替えも行われるので期待ができるしアメリカが潰れない限り安心だろう。それにアメリカが終われば世界も終わってはずだ。それと最近話題だったfireという早期リタイヤの投資手段でも年利5%手法として用いられていた。積み立てNISAは20年間の積み立てができて最高800万円まで複利で積み立てしていったものが無税というのであればやらない手はない。

仮想通貨以外のそれらは現実的な資金を運用するためにある程度シビアに考えていて、以前は個別株ばかりに投資して儲かった時もあったが精神的に疲弊したので最近はやっていない。そしてビットコインに関しては夢に対して積み立てているようなものだ。

2020年12月3日の実際の状況はといえば、200万円を越えたり180万円になったりしている。所謂、ヨコヨコの動きだが、この勢いならば年末に300万円越えもおかしくなさそうな雰囲気だ。今年の夏頃は100万円くらいで少し買っておいたので良かったが結構高くなったものだ。それでも今後の将来からするとまだまだ安い時期かもしれないので、少額ながら買い続けるようにしよう。

僕はビットコインで儲けようとは考えてなく、1ビットコインが何らかの切符、つまりチケットになるかもしれないことに思いを馳せることにしている。

DOKKINKIN TV PRODUCTIONS       動画配信に関する企画書

HongKong Oct 2018 雨傘運動直前の香港

写真を撮り歩く活動も楽しいのだが、映像にしてみたいと思ったのは過去の記録を見ると、映像制作用にカメラを新調したのが2017年の10月頃だった。購入したのはLumixのGH5で当時は(現在もだが)映像を撮るカメラとしてはこれの使い勝手が一番良かった。カメラに関しては何とか10年くらいは食いついてきたが、最初の頃に比べると少しはマシになってきたような程度だ。映像は最初、何をどういう風に撮っていいのかもわからず、それは今も思考錯誤して撮って編集している。2017年頃からYoutuberが色々と登場してGH5を使用している人は多かった。やはり自撮りしやすいし、4Kでも撮影できてフレーム数も多く撮れる。

自分の場合は、何故映像を撮るのかと聞かれるが、始めは旅の記録を何かに残せないのか、旅の素晴らしさを伝えたい等あった。旅ばかり行っていると何というか観光というものに飽きてくる。毎日観光するということは受け身であって、やはり人は自分から何かを生み出すという作業がなければ生きていけないのだ。そう気付いたこともあり、もともと音楽と映画に傾倒していた身としては、見る風景や通り過ぎる人の表情が映画のように見えるようになってくる。そこにイヤホンから入る音楽があれば尚更それは増長する。それが海外という環境であれば、かなり面白い映像になるのではないだろうかと思い始めた企画だ。

しかし、ネーミングが酷い。いつか必ず後悔すると思っていたが、(2018年4月にDOKKIKIN TV香港編の動画を始めている)実際そうなった。このネーミングだと人に真面目に話すときに非常に伝えづらい。何故こんなネーミングかという理由は、センスのあるネーミングにしてしまうと、あまりブラックユーモアのない映像になってしまうと思い、このネームが映像の中にあればそうそうカッコよくはならない、もともとブラックユーモアのある映像を作りたい自分としては活動する上で道を外すことのない黒いネーミングかと思った。そしてこのネーミングは20代の頃に様々なミュージシャンの前説をステージでやってきた時の名残であって(漫才コンビであった、’’おばけえんとつ’’でよく使っていたギャグ。相方は音楽ライターのフジジュンで、当時周りの人達は出版社のオリコンで働いていてよく一緒に遊んでいた。)それは一つの自分の中の活動としては、同時進行でDJ活動もしていたので、映像としてはそのブラックユーモアと音楽の混ざった感覚は今も同じなのかと今この時になって思った。

それと始めるきっかけを与えてくれたのがRichie Oillyという映像作家。

彼の映像を見て自分も作りたいと思った。今でも参考に見ているが、いつになったらこんな叙情的な映像を作れるのだろうか。こうなってくるとキャストが必要になってくる。なので日々キャストは探しているつもりだが。

音楽はテクノミュージックにした。自分の映像は何回も繰り返されるべきだと思ったからだ。最後は電源を切れば終了する、そんな映像、ミニマルというのは所謂永遠なわけで、止まらない。一生踊り続けていたい自分と一生移動し続けたいという気持ちの融合。何のために生きているのかいえば、僕等は快楽のために生きているのだ。

Youtubeの説明欄には社会科見学派カメラマンDOKKIKIN TVによる、世界を踊りながら撮影した記録と書いた。皮肉めいた笑いと熱狂的な音楽、それを世界の中で鳴らしたいという衝動。そして今はパンデミック最中。一番最近配信した映像はスウェーデンのストックホルム編。その後、2019年の10月ジョージアで撮影して以来、主だった撮影はできておらず、ジョージア編の制作も始まってはいない。これは24フレームで撮影してある。

パンデミック過日、いや果実なのだろうか。今のそれはまるで戦時中であり、コロナが収束しパンデミック後の世界を撮りたいと思っている。この冬到来の大空襲の後、来春には世界は焼け野原状態になっており、そんな状況下の真只中、自分は興奮している。僕は今まさにその映像が撮りたいのである。

もはやこうなると映像制作がもはや、かっこいいとか悪いとか、旅の映像とかいった話ではない。唯々、この移ろいゆく世界を、その現実を撮るのみだ。僕は平和を謳い戦争に反対する気など全くといっていいほどない。戦争などはいつの間にか勝手に起こるものだし、パンデミックも同様、政治家だろうが誰にもどうする術もない。僕達は生き残るために逃げ回るしかなく、運が良ければかすり傷一つもなく済む。僕は世の中をそういうふうに考えている。

以上が映像に関する企画書だ。これは計画書なので世界の状況や自分の精神状態によって変わっていくとは思うが、その時はもう一度この企画書を読むことにしよう。自分は戦場という状況にいることからブレないようにするために。

龍景軒
重慶大厦 Chungking Mansions