ドバイからベオグラードまでのフライトはエミレーツ傘下のLCCのようで、座席は狭い。なので座っているのがしんどいので通路に突っ立ていた。意外と他の人も立っている。そしてやっと機内で水が出たので水分補給ができた。ドバイ空港では水が800円もするのでバカバカしくて我慢していたのだ。小さいカップに入った水を2杯貰い一気に飲み干す。機内は中東区域の上空のせいか暑い。6時間の妙に暑くて座り心地の悪いフライトが終わりベオグラードの空港、ニコラ・テスラ空港に到着した。空港の名前はテスラ博士からとられている。旅先としてはマイナーな国だがテスラ博士の名前を聞くと忘れられた国に何か企みがあったような気がしてくる。
空港はやはり社会主義仕様で照明も暗くて歓迎ムードはない。掲示板にはWelcomeと書かれたポスターがあったが、全くそういった気配はなく沈んだ灰色の景色だった。パスポートチェックを終えて、とりあえず現金を下ろそうとしたが、空港内のATMだと金額指定が大きい額ばかりではあったが、無一文なのでやむを得ず大きな額で引き出した。セルビアのレートは日本円とほぼ同じくらいなので計算する必要はない。
ガイドブックには空港から市内へのバスが出ているとのことだったが、数年前のガイドブックなので、記載してあるバスは見当たらず。みんなが並んでいるバスの運転手に聞くと不機嫌な顔で「シティ、センター」と言われた。チケットを買おうとすると大きな紙幣しかなったので「細かい額は持ってないのか?」と聞かれ、ないと言うと、かなり不機嫌そうに釣りの紙幣を一枚一枚、バン!バン!と車内の棚に叩くように返してきた。この時、相当怒っているというのと、なぜか海外のこの排他感に嬉しくなってしまい、いよいよ3年半ぶりに海外に到着した気持ちに高ぶってきた。
気候は秋晴れ。今年の日本の残暑の残る10月よりは涼しく感じられた。荷物をバスの後ろに入れろと言われたが、すでに荷物がいっぱいで入らないと運転手に告げるとまた苛立った表情で車の後ろを開けて荷物の整理を始めた。この時の顔は激怒寸前のようだったので近寄らないで話しかけずにいた。セルビア人はみな背が高くて厳ついのだ。




やっとバスが出発し1時間程度揺られ、窓からの景色は古びた社会主義の建築が寂しそうに見える。バスステーションで全員降りてホテルに向かう。道沿いの建物は壁のタイルが剥がれ落ちれていたり看板は年期が入っていてどれも時代を感じるものばかりだ。目の前を赤いトラムが走っていく。電線と車体がパンタグラフという器具で繋がっていて、結構な速さで荒い運転をしていた。ホテルへの道のりは坂が多く、どうやらベオグラードは上り下りの坂の多い街のようだ。街角の建物は落書きが多く、店は骨董品のような雑貨や流行からは遠い婦人服のブティックなどが連なっていた。





予約してあるホテルはホテル・モスクワというホテルだ。創業が1906年。100年以上も戦禍に耐えながら続いている宿なんて聞いてしまったら、値段はともかくとして泊まらない訳がない。坂を上り終えると広場に出てそこに緑の屋根の小さな城のような建物がホテルだった。ここで写真を撮影している人も多く、街の中心的シンボルのようであった。このホテルは「セルビア紀行 日本人が知らない東欧の親日国 」という現地駐在員だった著者、丸山純一氏が非常に薦めていたので予約をしてみたが、エントランスに入るとそこは18世紀頃の宮殿のようだった。壁の装飾、絵画、ふかふかと柔らかすぎる赤いソファ、1Fにはレストランがありピアノを弾いている音が聞こえてくる。エントランスでチェックインをして、スタッフの女性は英語はまぁ通じるが途中からフニャフニャして発音がよく分からなくなってしまった。部屋へ行くとそこは遠方から宮殿に一人で泊まりに来たらこういう狭い部屋へ通されるのだろうなという、こじんまりした角部屋だった。ベッド、壁紙、デスク、シャワールーム、全てが時代を感じるものばかりだ。使い勝手は良くはなく、時代物を楽しむという気持ちで解決させるしかない。セルビアのトイレや椅子は兎に角座高が高くて使いづらい。セルビア人の身長のせいだろうが、背中と腰を痛めていた自分にはきついものがあった。
時刻は夕方になりそうだったので、すぐに街へ繰り出す。夕食のレストランを探しにクネズミハイロ通りという街の中心を走る遊歩道を歩く。社会主義のユーゴスラビア時代の建物とビザンチン建築が交互に目の前に現れる。歩いている人の愛想はなく、ここはよそ者は入れないよ、というような雰囲気を醸し出している。アジア人はおらず、西欧の観光客も見かけなかった。セルビアの男性は背が高く、K1選手のミルコみたいな風貌の人や、髭をたくわえた人が多く、女性はアイシャドーが濃く、魔女のような女性を見かけた。並んでいる店も日本や西側諸国では見かけないブランドが多い。ここは異世界だ。



到着したばかりだが、意気揚々とレストランを探し歩く。スカダルリヤという地区に到着するとそこは石畳の歩道にレストランが何軒も並んでいる。風通しのいい街並みで寛げるような地区だ。とりあえずセルビア料理を食べようとそれの店に入る。メニューには色々書いてあったがスタッフがバーベキューがいいとお薦めしてきたのでそれと赤ワインを注文した。店内は半分テラスになっているような屋根付きの店で夕方なので少々風が入り寒いが洒落ている。
料理がテーブルに置かれるとポークグリルとソーセージ、サラミ、ポテトフライが添えられている。22時間のフライトを終え、もう出発から25時間くらい経っていたであろうか、赤ワインを一口飲み、ポークグリルを食べると、肩の力が一気に抜け落ちた。もうここがどこなのか分からなくなるような移動と時間軸、疲労感があり、状況の把握は明日からにしようと思った。しかしそんな寛いでいる間もなく、出迎えにセルビア音楽のバンドが演奏を始めた。どこかで聞いたような曲かはすぐ分かったが、ユーゴスラビアの誕生から終焉までを描いた映画「アンダーグラウンド」で始終鳴り響いていた民族音楽であった。
日が沈み満腹で店を出ると気温は一気に下がり真冬のようであった。冬服は持ってきておらず、明日からどうしようかと思ったが、足早にホテルに戻り、シャワーを浴びて寝ることにした。窓からはベオグラードの街並みが綺麗に、そして少しぼやけて見えていた。







