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憂鬱の推移「セルビア ベオグラード 1」

10月中旬を過ぎて秋のはずなのが今年は夏が終わらず気温も高く9月の陽気の中、セルビアのベオグラードへ向かうこととなった。旅へ向かうとなれば本来、気持ちも高揚しているはずなのだが、それは憂鬱な気持ちでの出発となった。

今年はいい歳になった親が施設に入るかどうか検討してはいたのだが、ちょうどこの時に体調を壊してしまい緊急で入院となった。今回の旅は母親が入院してすぐの出発になってしまい非常に慌ただしく、そして疲れのせいか自分の体調もあまり優れない状態であった。疲労と背中の痛みがあったため出発の3日前に整体で施術をしてもらい、コンディションを整えながら、なんとか向かえそうな状態にした。しかし、到着してから大丈夫なのだろうか、などと不安も感じたがここまでくれば行くしかないし、悪いことが起こるかどうかなんて分からないと腹に決め、仕事を夕方に終えて空港へ向かい夜22:00発のフライトに乗り込んだ。時間がなく旅先の下調べはあまりできてはいない。

今回なぜセルビアにしたのかというと、このインフレと円安、そしてオーバーツーリズムの問題を考えると、行くべきではない国が多数出てきた。スペイン、ギリシャ、クロアチアなどは観光客が押し寄せてきており、観光場所にも規制がかかっている。そして夏場は暑くて観光どころではない。

3年ぶりなので、とにかくヨーロッパへ行きたかった。理由はただそれだけなのだが、特にロンドン。ロンドンは2度、一度は短期留学もしていた為、ロンドンに戻り気持ちを整理したかった。しかし、このインフレと円安の状態で到着してからの滞在費を考えると諦めざるをえなかった。ホテルだけでも1泊3万円前後からなのだ。楽しめるはずがない。そのような状態でヨーロッパで気軽に滞在できる場所はないのだろうかと調べていると、アルバニアという国が候補に挙がってきた。

そう、バルカン半島にある国々や東ヨーロッパは物価は安い。以前行った時もクロアチアやチェコなど物価がかなり安かったという記憶がある。そこから色々なプランを考え、

ギリシャからアルバニア→ボスニアヘルツェゴビア→セルビア→ブルガリア→トルコ。

こういったプランを考えたのだが、10日間しかないのだ、さすがに無理だ。アルバニアやボスニアヘルツェゴビナに行こうとすると交通の便が多くはないようなので、今回残念ながら見送り、足早に移動する旅は控えてじっくりと1,2か国に滞在することに決めた。

バルカン半島には昔、ユーゴスラビアという国があった。独立戦争による内戦で国は解体されてしまったが、そのユーゴスラビアの首都がセルビアのベオグラードなのである。そして隣国にあるハンガリー。第一次大戦はオーストリア、ハンガリー帝国の皇太子がサラエボで撃たれたことから始まったとされるが、セルビアの豚肉の関税問題でオーストリア、ハンガリー帝国と揉めたことも一因とも書いてあった。EUに所属していないセルビアと対照的なハンガリー。その二か国を見て回ることにした。

友人にセルビアのベオグラードってどうかな?とメールすると、「昔行きましたよ。街は退廃感MAXですね!(笑)」と返ってきた。ベオグラード行きはこの退廃感という言葉を聞いたことによって決めたようなものだ。

3年半ぶりの海外は台湾へ 6(最終話)

数時間だけ寝て、起きて朝9時頃になんとか集合場所のホテルのエントランスにヘロヘロで向かう。さすがに疲れた。O君は早朝に帰ってきたのに早朝に九分へ一人で出発してしまったらしい。今日は帰国するので午前中しか自由な時間がないため、残った3人は龍山寺へ向かう。地下鉄を乗り継ぎ寺へ向かう途中で朝食を食べようと思ったのだが、時間帯が早い為マクドナルドしか見当たらず、妙に混んでいる冷房が効いた店内でハンバーガーを食べる。中国語が飛び交う朝の台湾はなんとも落ち着く。

龍山寺に到着すると日差しが強くなっておりかなり暑い。O君から無事に九分に着いたと連絡があり、こちらは龍山寺を観覧する。この暑さなのに拝観者は多くみな念仏を唱えている。寺は中国にはよくあるような寺であったのでさっと見歩いて終わってしまった。それからは特にすることもなく、3人は空港へ向かわないとならないので、デパ地下の飲食店で小籠包と牛肉麺を食べる。フライトは15時頃なのだが、O君だけは20時のフライトなので九分でしばらく遊んでいるのだろう。空港への列車へ乗り、もう遊ぶだけ遊んで満足なので、3人ともいい具合に遊び疲れた表情でつり革を掴んで窓の外の景色を見ていた。空港に到着して、それじゃまた東京でとK君と別れた。

自分ともう一人が空港で土産を買おうと物色していると、やはり空港価格、そこに円安も絡んできたので、どれも高い。とはいえ久しぶりの海外なのでパイナップルケーキを買っていく。今年の5月にコロナが5類になったばかりなので海外へ行く人はまだ多くない。土産だけでも海外からの物が渡されればパンデミックも終わりになったのだと実感しやすいだろう。フライトの出発時刻までの時間、アイスコーヒーを飲みながら寛ぐ。こういった時間さえも3年ぶりなので、自分の過去と現在が絡みあい不思議と気持ち良さでいっぱいになる。

自分は3年前に何を目指しどこへ向かっていたのだろうか。突然パンデミックにより生活が中断されてしまい、その中断が3年以上にも及んだのだ。意識が不明瞭になっていたことがここに来て分かってきたような感じだった。様々なことがフラッシュバックしてくる。空港から外を見ると飛行機が滑走路を走っている。数年前はこの景色を南米や欧米で見てたりしていたのだが、まだまだそこは遠い昔の場所ような感じさえもする。

年内に10日間の休暇が取れるのだが、どこへ行ってみようか、遠い場所には果たして行くことができるのだろうか。まだこの時、欧米などはパンデミックによる三年の月日による壁があり、とにかく遠いという印象であった。

3年半ぶりの海外は台湾へ 5

時刻は16時。全員、ホテルの部屋で各自休息をとっている。台北に来てから2日目、動きっぱなしなので時々休憩を入れながら行動をしている。そして今夜は夜市場へ行くことになっている。その前に午前中に飲んだ高山茶が美味しすぎたので、茶器の専門店に行くことにした。

エントランスでみんなと待ち合わせ、ホテルから茶器店までUberで向かい、洒落た店内の茶器を端から端まで見渡し、なんとか4000円程度の見合った急須と湯呑のセットを購入。買ったのは自分だけだったが、帰国後、茶器が欲しいと他の面々は呟いていた。日も沈み始めていて、あまり時間もないのでそこから街へ出るとその周辺は飲食店が並ぶ信義区エリアで念願のマンゴーかき氷を食べることができた。これがなかなか巨大なマンゴーで新鮮でかなり美味しかった。南国で夕暮れ時にマンゴーを食べられることがあまりにも幸せすぎるのだが、これだけに終わらず、ここから夜市へ向かう。ちなみ店の名前は思募昔(スムージー)本館。

向かった先は臨江街夜市。かなり賑わっているがあまり観光客はおらず、台湾人が多いローカルな夜市らしい。出店の料理はなかなか手を出しづらいそれが何なのよく分からないメニューが多いのであるが、台南料理の屋台があったのでそこで牛肉麺と豚肉のロースのようなものをつまみながらビールを呑む。美味い。昨日の高級店の味からするとやはり台湾のローカル店のほうが格別だ。

もう一軒、K君オススメの小籠包の店があるということで向かっていった。裏道の小道を歩いていき、本当にこんなところにあるのか、というようなところに入口だけ妙に明るいその店があった。周りが暗いから店だけ明るく目立っているのだが、入口で店員が何人かで忙しそうに小籠包を包んでいる。列ができていたのでしばらく並んでいたのだが、どうしてこんなに夏の台湾、中国、香港などの夜は気持ちが良いのだろうか。以前行った時の夏の香港や上海の夜の空気を思い出せずにいられない。この感覚はどうしようもなく自分に染み込んでしまったようで、夏になるともうどうしようもなくこの湿度と気温の中に溶け込んでみたくなってしまうのだ。

店の中に入れるとカウンターに通された。店内は広くはなく、長居するような店ではなかった。出された小籠包を一口食べて、みんなで悲鳴をあげ、ここが今回の台北で一番美味しい店に認定された。こんなに美味い小籠包は食べたことがない。何というか小籠包が生きてるようにぷりぷりしていて、熱々でやられてしまった。店の名前は「正好、鮮肉小籠湯包」来れるものならまた次回来てみたい。

そこからまたしばらく歩き今度は適当に牛肉麺の店に入る。牛肉麺を食べ終えた僕等は一度ホテルに戻る。ここからは自由行動になるのだが、O君が昨日行けなかったクラブに行きたいと昨日と同じ球技場エリアへ向かってみた。K君はサウナへ行くということでクラブへは3人で行ったのだが、時間は23時の土曜。やはり金曜の夜よりはまだ客が集まっていない。

場所を変えようかともう一件、他の場所で目当てのクラブがあったのでそちらへ向かうことにした。Uberで向かったのだが違う場所で降ろされ、なかなか場所が見当たらす、歩きながら探すとFitness Centre という看板のところに人が並んでおり並んでみるとそこがPawnshopという海外からもDJが来てプレイするところだった。中に入ると今までの夜市の雰囲気はとはガラッと変わり東京、海外のクラブにいるような雰囲気でかなり盛り上がってる。酒を呑みながらテクノミニマルの選曲で気持ち良く揺れていた。だが深夜2時を回っても目玉のフランスからのDJが出ない為、椅子で思わず寝てしまった。O君は明日、一人で九分へ行くということで遅くならないようにホテルへ戻ることにした。

外に出ると台湾の女の子二人から日本人ですか??と声をかけられ、しばらく話す。日本語は自分で勉強しているそうでかなり流暢であった。台北に来てから日本語を勉強している人が多いがそれほど日本に対して憧れのようなものがあるのだろうか。そこに男の子も来て電気グルーヴが好きなんです、なんてことを言われて盛り上がっていたのだが、もう眠すぎてUberを拾いホテルへ帰宅した。時刻は午前3時を過ぎていた。

3年半ぶりの海外は台湾へ 4

めちゃくちゃ頭が痛い。昨晩クラブで飲みすぎたアルコールのせいでかなりの頭痛で朝の集合時間にホテル1階のエントランスでみんなと会った。これから台湾の朝食をみんなで食べに行くのだが全く食欲がない。しかし、みんなに昨夜のクラブの写真を見せると、いいなー!行きたかったと羨ましがられて、こんな体調だが全く後悔はない。

朝食を食べに外へ出ると台北の夏の空が青く広がり今日も暑くなりそうだ。地元の人たちで集まる李記豆漿という店に入ると中国語が全く読めずどんなメニューなのかよく分からないが、写真などを見せて豆乳のスープと揚げパンとウーロン茶と適当に注文した。しかし、二日酔いの為、スープを飲み、パンを一口、それでほとんど終了(笑)でも後悔はしていない。味はと言えば身体が通常時であればあっさりしていてきっと美味しい朝食だったのだろう。

今日の目的地はお茶を購入するため、事前に調べた徳興茶業というお茶の卸店に行く。中は大きなドラム缶が何個も置いてあり、非常に古くからあるような建物。店長は日本語が話せて、ここから1時間くらいの試飲会が始まった。台湾のウーロン茶で有名なのは高山茶という銘柄で、ここにはそのお茶が松竹梅の種類で売られていた。お茶の淹れ方から飲み方まで色々と教えてもらい、一番高級なお茶まで飲むことができて、みんなで爆買い。というほどでもないが、結構買っていた。日本で買うよりも7割くらい安いのではないだろうか。一番良い高山茶が150g2700円くらいで購入できたが、帰国して日本のお茶専門店で見るとたった30gが2800円くらいで売られていた。なので、とんでもなく安いのだ。

お茶を買い終えた僕等はMeowvelousという友達推薦のレストランへ向かった。Uberに乗り込み東へ向かう。Googleの情報だと台湾料理というよりアメリカンな感じだったのだが、到着してみると結構混んでいてしばらく待たされた。ここで食べた料理がどれもこれもが美味しくて、それが冷やし中華みたいな麺やチキンナゲットやポテトフライなどなどジャンクな感じなのだがかなり美味かった。ジャンクの台湾アレンジなのだろうか。ここはまた行きたい。ウェイター女子に美味しかったと伝えると日本語で返事をされて、話してみると結構上手な日本語を話してきた。盛り上がって話していると毎年日本に観光に来ているそうだ。

店を出て地下鉄に乗り迪化街で降りて街を散策する。原宿のような街並みを男40代4人で歩く。洒落た書店やカフェ、洋品店があちこちにある。もうこうなったら行くしかないということでスイーツを食べに夏樹甜品という杏仁豆腐や豆花(トウファ)の有名店に入る。ここも行列ができていて、外の蒸し暑い席なら確保できたのでそこで食べていると、いきなりスコールが降り出して、それを見ながらトウファを食べていた。

なかなか雨は止まず、待ちかねた僕らは駅まで小走りで向かった。いったんホテルに戻り各自部屋で小休憩。時刻は16時。夕立をただ眺めていたりホテルの部屋で小休憩をしたり、相当楽しい40代の夏の旅行である。

3年半ぶりの海外は台湾へ 3

ちょうど雑誌のブルータスで台湾が特集されていたその巻頭のほうにGubai Socialというレストランが今注目されていると特集されていたので、これはもう予約しておこうと楽しみに予約していた。18時に予約していたので、中正記念堂から急いで4人で地下鉄で向かう。101の駅で降りてレストランの入っているデパート新光三越へ向かうと街並みはまるで丸の内。東京の夜も台北の夜も夏の夜は素晴らしいと思いながら足早にレストランに到着すると、評判の割に席は満席ではなく、ほどよく空いていた。

まぁ、ここから注文したメニューが評判の割には、僕たちの口に合わないのか、経験値が少なくて理解できないのか、民族の舌感の違いか分からないのだが、全く理解できないオンパレードだった。これ美味しいのか?(笑)

牛肉麺が有名らしいのだが、当日それはなく、他のメニューを注文していった。以下日本語表記→トリュフ味の臭豆腐、バスク風味のかき焼き餅、シュシュ特製のウナギ焼き、伊勢海老イーフーメン、三角バラの煮込み入り焼きそば。どうやら台湾料理をアレンジして西洋風にしているのか、現地の人からは面白いのかもしれないが、自分達には特に面白くも美味しくもなく、唸ってしまった。あ、特に辛口の批評とかしたいわけではなく、誰か解説してくれるのなら教えてもらいたいくらいだ。

臭豆腐は台湾特有の味なので、好きではないがこれは面白い。それ以外の料理は、ウナギなんかはかば焼き三太郎の味じゃないの?とか、焼きそばはカレーソースが載ってるような鉄板焼きの焼きそばだったり、。それと伊勢海老イーフーメンは注文の間違いで出てきてしまったもので、食べてみたらこれも生ぬるい出来加減。

まぁ、いいんですけど値段が許容範囲ならば。ただね、結構高いんですよね、ここのお値段。台湾に来たら短い期間内で色々なものを食べたいのに4人で4万円越え(笑)焼きそばなんて屋台でたべるような代物だったのだが一皿3000円近くする。店の雰囲気は開放感があってお酒を呑むのにもいいと思たんだけど残念。店を出てからはこれのブーイングが始まってしまい帰国後もこのレストランについて論争することになってしまう。

ブルータスにもグバミにも裏切られ、しかしのほほんと外に出て街中を歩くと結構な人の賑わい。弾き語りと唄っている娘とそれを取り囲む面白い恰好の女の子たち。そのまま夜市まで行って4人でぶらぶら歩いていた。夏の夜に無邪気にだらだら歩いていると台北の街に溶けていくようで気持ちがいい。

で、ここから羽田組の二人はホテルに戻ることになる。そりゃ早朝便で来ていてほとんど寝てないのだから疲れているだろう。しかし自分ともう一人は、盛り上がっていそうなクラブを見つけて向かうことにする、自分達も疲れてはいるのだが、なにせ金曜日、金曜日なのである。そこから地下鉄に乗り込み、未知の場所、スポーツ施設や公園がある場所。花博公園というらしい、到着すると球場の周りでダンサーが何人も踊っている。これは何かあるだろうと期待しながら奥へ向かうとBARや小さいクラブが大音量で欧米人もたくさん飲んで騒いでいた。

室内のクラブより、BARの外にDJブースがある店の方がめちゃくちゃな騒ぎになっていて盛り上がっており、曲はヒット曲がなんでもかかり、ダンサーが交代で出てきてバトっている。楽しすぎて深夜2時頃まで遊んでしまった。やはり夜空の下のクラブはいい、しかも夏だ。考えたら今までコロナ禍だったので、こういう空間は3年ぶりなんじゃないだろうかか。その後タクシーでホテルへ戻り、数時間寝て、みんなの待ち合わせの朝の時間に何とか起きた。結構な二日酔いだ。

3年半ぶりの海外は台湾へ 2

木曜夜の便、エバー航空の20時40分便に乗るため、きっかり2時間前にはチェックインカウンターで手続きを終えて、ゲートへ向かった。腹が減っていたので夕食を食べようと男二人で店を探すが、どこも値段が妙に高い。こんなに高かっただろうか。LCCのターミナルの方が色々と安くて良かった。ちょっとケチだが無駄に金を落としたくないのでコンビニでサンドイッチを買い、フードコート的な場所でビールを飲む。

搭乗時間になり乗り込んだエバー航空機内にはなんとテレビモニターが搭載されており、この近距離移動でこんな豪華な飛行機に乗れることに少し優越感のようなしかし勿体無さも感じ、夏のバカンスが到来したのかと気分が上がってきた。そしていつの間にかどこかへ行ってしまったパンデミック。

機内食も美味しくてあっという間に台北の桃園空港に到着した。到着してすぐ観光局で実施している2万円分の電子マネー抽選会場へ向かう。事前にキャンペーンに登録していたのだが、二人ともあえなく外れる。23時を過ぎていたので、少し眠かったのだが予約していたカプセルホテルをゆるりと探す。意外と分かりづらい場所にあったのだがチェックインをして、英語はあまり通じず適当な会話で鍵とバスタオルを借りる。部屋はハシゴで2階へ上がるような部屋でまぁこんなものだろうか。他の部屋は扉が閉まっていてもうみんな寝ていた。なんとかシャワーを浴びて就寝。1時頃には寝れたのだろうか、そこから朝の8時まで熟睡してしまい、時差があるので日本時間だと9時だ。日本でアマゾンで購入した3日間使い放題のsimカードに入れ替える。しばらくすると羽田組の飛行機が着陸したらしくlineがきているのが確認できた。急いで着替えてチェックアウトしてターミナルへ向かう。ここで思いがけない誤算があったのだが。

ターミナルで連絡を取り合いながら集合しようとするが、なかなか会えない。30分過ぎても会うことができず、羽田組から連絡があった。自分達はターミナル2に到着して成田組はターミナル1だからこれから電車でそっちに向かうと。とにかくこれだけ人数が集まると大体のことが適当になってしまい、しかし特にイライラもなく寛容になってしまっている。

そしてやっと4人全員集合することができ、台北市内へ向かうことにする。バスが安いのでバスで行こうとサンドイッチとコーヒーを買って乗り込む。空港の外はかなりの湿度と気温でいよいよ南国にきたという陽気だった。40オーバーの男4人がサンドイッチを食べながらバスでわいわい騒ぎながら旅行するなんてそうそうあるだろうか?集まった4人、きみらは全員最高だ、最高に真面目にふざけている。死ぬまでその調子でやっていてほしい。

市内まではバスで1時間ほどかかり、もう昼になっていたので到着してすぐ天厨菜館というレストランへ行く。北京ダックが安価で食べられるのでまるまる1羽を注文してみた。店員がその一羽を見せてくれてから捌いてくれる。台湾ビールを飲みながら海老チリやら適当に中華料理を摘まみながら寛ぐ。7月21日の快晴の昼の台北で北京ダックを囲みながらビールを飲むというそれは最高の時間で、これは毎年開催したほうがいいんじゃないかと本気で考えてしまった。

ホテルにチェックインして1時間ほど休憩してからお決まりだが台北101へ向かう。地下鉄は以前来た時に買った悠々カードをまだ持っていたのでそれを使い移動した。男4人の地下鉄移動もただただ楽しい。101タワーの高層階へ行き市内を見下ろす。まぁ眺めは最高にいいのだが、単純に高層階からの眺めというものではある。ただ久しぶりに来た台北ではあるのでウーロン茶を買ったり、ぶらっと中を歩いてあちこち眺めていた。そしてこの4人でウーロン茶を買って飲んでるだけでも楽しいというのがおかしい。そこから中正記念堂へ移動して中を観覧する。ここは初めて来たのだが、歴史的な建物だったので台湾に来たのだなという気持ちになり、しかし時間がないので夜のディナー、このディナーの為に日本から店を予約して楽しみにしていた「グバミ ソーシャル」いうレストランへ向かった。

3年半ぶりの海外は台湾へ 1

5月に沖縄へ行った時にはすでにコロナは5類になっていたのでもう海外へは通常通り渡航することはできたのだが、いかんせんパスポートの期限が切れていたので新たに作ってみた。

久しぶりのパスポートの更新に市役所へ向かい、顔写真を撮影して、この顔写真がこれからは顔認証システムで使われるからとしっかりと輪郭をチェックされた。申請から10日ほどでパスポートができて受け取り、この新しいパスポートを手に取るとこの3年のコロナ禍の垢が落ちていくような感覚になる。移動の制限が溶けたような感覚。考えると最後に海外へ行ったのは2019年10月のジョージア(旧グルジア)だった。

なんてことに浸ってる間もなく、さて台湾に行くかと思い友達3人に「来月あたり台湾にでも行ってみるかな」とメールをすると、「弾丸で行ってみますか!」とか「誘ってくれてありがとう!台湾めっちゃ行ってみたかった!」などと、前向き、いや、前のめり過ぎな返答があった。日にちを決めて2泊3日なら全員が集まりやすいかと7月の金土日の週末を提案すると、「調整するのでちょっと待って!」と言うオー君が一番最初にエアチケットを取ってしまい自分は焦ってしまった。行動力があるというか、行動力が未知の人に声をかけた為、自分の予想とは違う速さの波に乗っかってしまい話が勝手にどんどん進んでいく。

もうここからは集まった男4人の自然の流れに任せて1ヵ月後の台風シーズンの台湾旅行を楽しみとしながら日々を過ごした。なぜならオー君が作ったlineグループに毎日のように必要な情報や不要な情報が届くのだから。出発するまでの1ヵ月間、そのlineグループで泊まるホテルや目的地、飛行機などを話し合ったが、さんざん話し合って決まったのはやっとホテルだけだった。みんな一緒のホテル。

最初は別々に泊まることも考えたのだが、まぁ折角、歳も40代の男が4人も揃うことはないので、同じホテルに泊まることにしてみた。提案としては九份に行くかどうするか、どこのレストランへ行くか、クラブはどうするか、あたりが上がってはいた。

出発の飛行機は成田発組が自分ともう一人、羽田発組が2人だった。自分たちは木曜の夜の20時40分の便、エバー航空で行くことにした。チケットは往復約6万円。しかし夜の23時半に到着するので桃園空港にあるカプセルホテルに泊まれて、朝から動けるのでこの飛行機に乗ることにした。その日の仕事を終え、夕刻家から車を成田空港へ走らせた。

5月の沖縄 3

沖縄3日目。朝起きて昨日と同じようなホテルのブッフェを食べる。3日目くらいから沖縄の気候に慣れてきて居心地がいい。初夏の朝は最高だ。今日の予定は特に決めておらず南の方へでも向かってみるかくらいだったので、朝インフォメーションセンターへ行って一緒にプランを考えてもらうことにした。

インフォメーションセンターのスタッフに話を聞くと、やはり南方を薦めてくれて、斎場御獄、平和記念公園、ひめゆりの塔、など今まで行ったことがないところだったのでそれらを周ることにした。近くのカフェで珈琲の飲んでからの出発。

南の方へ車で向かうとこちらも北側と同じように海が綺麗で、窓からはエメラルドグリーンのビーチが見える。もう何もする気がしないくらい平和だ。

那覇市内から1時間程度で斎場御獄というパワースポットのような観光名所に到着する。パワースポットというより、昔から祈願をする場所で大きな岩がある聖地なのだそうだ。まぁパワースポット観光地なんてそれほどでもないと思っていたらとんでもなかった。森の中に入り、大きな岩があるところへ歩くと漂う空気が違っていた。とにかく空気が澄んでいて気持ちがいい。たまたま観光客が途切れ、一人きりで大きな岩の前に立っていたのだが、木々が風に揺られてその音が波の音のようにざわめき、風が身体を通り過ぎていった。これは何かがある場所だと確信するほどで、調べると人によってはやはり何かを感じる人もいるそうだ。自分にはただただ気持ちがよかった。ちなみにここを訪問してからはなんだか身体の調子が色々と良くなった気がする。

その後向かった先は平和記念公園。沖縄といえば戦争の歴史があるので、いつかは行かないととは思っていたが、沖縄=南国のビーチなので少し避けていたのかもしれない。公園の淵の方へ向かうと慰霊碑がたくさん立ってあり、人の名前が市町村ごとに書かれてある。修学旅行生が沢山いて、ガイドがこの崖から戦時中に何人も飛び降りたと話していた。去年、鹿児島の知覧にある特攻隊記念館へ行っていたので、まぁその続きを見ることになるとは覚悟していたが、資料館の中は壮絶な展示物であった。知覧から飛び立った特攻隊はここで戦艦に突撃していき、市民は巻き沿いに合うことになる。想像していた通り、重苦しい内容の資料館を後にして向かった先はひめゆりの塔。

ここは女学園を卒業後に病院の看護要員として従軍していた女性たちが激しい戦闘に巻き込まれて多くの学徒隊が死亡し、その慰霊碑がある場所。資料館へ入ると当時の女学校での楽しそうな学園生活からだんだん戦争に巻き込まれていく経過の写真や資料が展示されている。

いつも思うのだが、こんなにも幸せに満ちた景色が国策によって数年で灰色の景色に変わってしまうことに驚く。女生徒たちは病院へ行って働いてもすぐに帰れると思っていて文房具なども持参していったが病院とは防空壕での従事であり、ほとんど前線だったと書いてある。上からの指示で行くしかないのだろうが、全体主義の当時は逃げることもできないのだろうし。

というか、今現在でも国の政策によって自分達もある程度は制御コントロールされてはいるし、それは巧妙なやり方でもあるのでなかなか気づかない。知らないうちにこの防空壕で命を落としかねないのと同じ状況へ持っていかれてる可能性もある。コロナ禍の最中も国の政策に振り回されっぱなしだった。今後も様々なことが以前よりも、国策を越えてインターネット内部や世界から起こるのかもしれないと考えながらひめゆりの塔を後にする。

解決策は個々人の構えと潮流の波に上手く乗れるかの備えなのだとは思うが、そもそも解決策が通用するような単純な世界ではなくなっていく気もするが。でも各個人の選択肢は結構自由に選べる時代ではあるので、結局は自分次第。まぁ100年前の全体主義よりは比べ物にならないくらい楽しめる時代だとは思えると、自分的には楽しくてしょうがない。成功するかしないかよりも、楽しいかどうかが自分が求めているものだったりする。それこそアイデアと工夫。

腹が減っていたので色々店を探すが、なかなか見つからず15時過ぎに、よね食堂という蕎麦屋に入る。ここでやっと食べることができた、てびち蕎麦。かなりの量の豚足で口の中がコラーゲンまみれになった。帰りのフライトが18時だったのでファストフードのA&Wで例のビールみたいなジュース?をさっさと飲んで近くにあったビーチーをぶらっと歩き、レンタカーを返却して那覇空港へ向かう。

二泊三日の沖縄というのは短いようだが意外とちょうどいい期間で過ごせる日程だった。特に5月ね、この季節は本当にいい。GWはかなり値段が上がるみたいだが、それを過ぎれば格安だ。以前は11月に来たがその時の季節も夏の再来のようで良かった。

家に戻ってからパスポートを申請した。今年はどこか海外へ行こうかとは思っていたが、まずは近場で、香港、台湾あたりで検討していた。ということを友達に話すと、参加者が一人から三人に増えて、もしかすると男4人で台湾へいくかもしれないことになった。40代後半で男4人で行くことなんてそうそうないとは思うのだが笑える。本当に行けたらかなり楽しそうだ。これも複雑になってしまった社会に対する解決策の一つでもあったりする。なかなか選択はしないし誰も信じないが。

5月の沖縄 2

沖縄那覇2日目、起きてホテルのラウンジへ朝食を食べに行く。ラウンジは中韓国系の客でいっぱいで家族連れが多い。メニューは沖縄ブッフェで、まぁ普通のホテルの朝食。

比べてみると前に泊まったヒューイットリゾートホテルの方が洗練されてて心地良かったけど、色々と宿泊してみないとホテル通になれないのでなるべく色々なところへ泊るようにしている。にしても良いホテルというものは何でこんなに少ないんだろうか。

今日も予報は雨か曇りで空は曇ってはいる。予定を決めていないので、まずは朝のコーヒーを飲みにカフェを探しにいく、が朝の時間に開いている店はあまりなく、車で30分くらい北上したあたりにSTICK BY ME ESPRESSOというカフェがあったので向かってみた。ホテルの外に出ると曇ってはいるが初夏の南国の風が吹いているだけで気持ちがいい。北へ向かえばアメリカンヴィレッジもあるのでそちらも一緒に回ることにした。

STICK BY ME ESPRESSOに到着して店内を見ると、内装は50’sAmericanでかなり好きな雰囲気。赤いニットキャップの店員がコーヒーを入れてくれる。そして音楽がレコードで鳴っているのだが、スピーカーシステムが家具調スピーカーで、これもノスタルジーな音を出していた。今時、店内で配信でない音楽がかかってるなんて本当珍しい。曲はジェファーソンエアプレインみたいなサイケガレージバンドのようなギターがぎゃんぎゃん鳴っている曲が午前中からかかっており。隣には白人女性2人組がパンケーキを食べている。もうこの時点で映画のゴーストワールドのイーニドとレベッカが駄弁ってる空気感が満点なのだが、そこにアメ車なのかは分からないけど古い車がブワン!と店の前に停車して、中からリーバイスの501を履いた50’s調の日本人の男が入ってきた。注文したコーヒーがFireKingのカップか?に注がれてきた。カップの裏面の文字を気にしながら飲んでいたらやはりFireKingだった。よく見たらカウンターの棚にはそんなマグカップが沢山並んでいて、店内を色々見まわすと結構集めたなーってくらい色々な家具が置いてある。そして、このコーヒーがまた少し薄めのアメリカンコーヒーで、ごくごく飲んでしまうようなティーのようでそれはそれで良かった。しばらくするとまた古い旧車が停まり、アロハシャツを着た男が入ってきた。年配の夫婦やアメリカ人だと思う家族が入ってきたりと雰囲気は最高のカフェだった。ここは再訪リストに入れておくことにする。

カフェを出て車でアメリカンヴィレッジに向かう。アメリカンヴィレッジはまだオープン前だったので閉まってる店が多かったのだが、海沿いに行くと眺めのいいカフェが何軒か開いていて平日月曜なのに観光客も結構入っていた。ヴィレッジの街中はまぁアメリカ的な雑貨が並んだショッピングモールのような感じで軽く散歩して車に乗り込み北の残波岬へ向かう。この時にはもう空は晴れていた。残波岬に灯台があり、登ることができるのだが、階段が結構キツくなんとか登り終えて外に出ると物凄い強風で飛ばされそうになり、しかし海の眺めは最高で写真を撮って退散する。

腹が減ったので今日は人気店に行こうと北へ向かう。波羅密というちょっと珍しい感じのレストランがあったのでそこか、古宇利大橋近くのL LOTAと迷ったが、洋食を食べたくてL LOTAに決めた。二日連続で古宇利大橋に来てしまったが、晴れの日の古宇利大橋の海は光の反射で海が透き通り昨日とは全く違っていた。到着したL LOTAでは人は結構入っていたが予約なしで座れて本部牛のランイチのロティは軟らかくて沖縄の野菜も味わい深かった。スタッフも丁寧な接客で沖縄で食べた中で一番美味しかったメニューかもしれない。テラスからの眺めも橋が一望できて最高のロケーションであった。

その後、道の駅許田、やんばる物産センターに寄り、ブセナビーチへ向かう。ここにブセナテラスというホテルがビーチのすぐ近くにあるのだが、これを覗いたらやばかった。一泊5万円くらいするらしいのだが、ブセナビーチはマジで綺麗すぎてホテルの部屋から歩いてそこまで行けてしかもプール付きだ。これは泊まってみたいが、ビーチしかない場所でこの値段、金持ちか新婚しかいないんじゃないだろうか。

そこから万座ビーチへ移動して万座毛という絶壁を見てみた。ここも観光客は多くてカメラに向かって自撮りで解説している女子たちもいた。那覇市内へ戻る途中、アンティークショップに寄り道しながら帰る。アメリカの雑貨とフィギュアのアンティークは見ていて飽きない。

那覇へ戻り、街中へ向かう。栄町市場へ行くが閉まっている店が多く入った店は食事が出てくるのがあまりにも遅くて、いまきの芽という居酒屋へ移動した。ここの沖縄料理は最高に美味しくてこれも再訪リストに入れることにした。街中をぶらつき、また適当に沖縄そば屋を探すと24時間チェーンの牛丼屋で沖縄そばがあったので入ってみる。意外とそばは美味しくて、そのままホテルに戻りベッドに倒れこむ。それにしても大したことを何もしてないけれども何故か充実した一日だった。南国は滞在しているだけで満たされてしまう。

5月の沖縄 1

もうあっという間に5月も終わりかけている。今年は月日が進むのがものすごく早く感じる、4/29以降、コロナ明けからスケジュールがどんどん埋まっていってGWに天王洲アイルでラテンを聴きながらのカクテル飲み放題パーティ、「ラテン・カリビアン スピリッツフェスタ」なんてのに友達何人かで集まって気が付いたら新橋に移動していて9時間ぐらい呑んでた。さすがに吞みすぎて次の日ぐったりしてしまったので、酒を止めた(笑)いや、それは嘘で少なくとも平日の家飲みは止めたというか減らした。もう外出制限が解ければ通常通り飲み会があったりするので、それでもうお腹いっぱいだ。それにしても昼間のカクテルパーティでは何人ものバーテンダーがいてモヒートやらテキーラやらをシャカシャカ振って、屋外で呑んで久々に南国の太陽を浴びた。

世の中のゴールデンウィーク中、自分は普通に仕事だったのだが、たまたま3連休が5月の下旬にあったので沖縄の那覇に行ってみた、M君に声をかけて。

沖縄に行くのは2021年の11月に行っていたから、1年半ぶり。前回はコロナ禍のたまたま感染者ゼロの時で10日間滞在していたが、最初に着いた石垣島はガラガラで独り占めだった、のが今回はもう普通。とにかく普通に観光客でいっぱい。那覇への便は早朝6時40分なので成田空港近くの東横インに泊まって、その近くのパーキングに車を停めて成田空港で夜に飲み会をやり、早起きして送迎バスでターミナルへ行った。

飛行機に乗りあっという間に那覇空港に到着してレンタカー店の送迎バスで店まで送ってもらい、3日間のレンタルでガソリン代込みで2万円くらい。安い。ゴールデンウィーク中は1日4万円してたというから、沖縄へ行くなら5月中旬以降はいいかもしれない。予報は雨だが空は晴れていて、沖縄は天気予報が当てにならないとスタッフが言っていた。スタッフの女の子は日焼けしていて、街中の人はTシャツ短パンサンダルで、自分も着替えたくなったのだが、すでに家を出る時から短パンだったので、サンダルに履き替えて上着を脱ぐだけだった。長いパンツは持ってきていない。

予定をほとんど決めていないので、とにかく本島の北へ車を走らせる。高速道路は走り易くて、時間の流れ方が緩やかになっている。本島中部、伊計島というところにビーチがあるというので、そこへ向かってみた。両サイドにめちゃくちゃ綺麗な海が見える道を車で走りながら到着した伊計ビーチではすでに泳いでいる人達がいて、空は曇ってはいるがもう夏であった。海は透明のエメラルドグリーンで、これを見ているだけで十分だ。いる人は少なくてなんとなくアジアの少しへんぴな場所のビーチにでも来たような気分になる。今回はこうやって本島のビーチを色々探しにいくのがいいのではないだろうかとプランを何となく考える。

昼近くになっているので腹が減り、また北へ車を走らせる。北と言えば有名な古宇利大橋なのでそこへ向かうとパラパラ雨が降ってきた。飯屋も特に探してなかったので、橋のすぐ近くにタコライスの店があったからそこで食べる。もう腹ペコだったので何を食べても美味い、そして雨はそこそこ降っている。

食べている間降っていた雨が止んだので、橋近くの物販に移動しマンゴーとパイナップルを食べて(こんなところでマンゴーが食べられるとは思わなかった)古宇利大橋下のビーチをぶらぶら歩く。ここは観光客で賑わっている。前回ここに来たのは4年前くらいだろうか、2021年の時はレンタカーが全て貸出中で借りられなくて来られなかった。

ここから南へ戻ることにして途中、瀬底ビーチへ行く。どーんと大きなヒルトンホテルがあり、ビーチでは外国人も寛いでいる。あちこち砂浜を見にいくだけの時間というのは実にいい。足だけ海水に浸り、海を眺めて砂浜を歩き、海の匂いと音を感じるだけということが、南国の緩い時間の過ごし方であって、それ以外は夜に酒と美味しい食事があれば贅沢だ。

もう夕方になっていたのでホテルへチェックインをしに向かう。ホテルは逸の彩温泉リゾートホテルというところで、まぁどちらかというとファミリー向けホテル。屋外プールと温泉があって宿泊客は外国人が多い。国際通りからすぐなので、荷物を置いて飲み屋を探しに行く。前に友達にお勧めしてもらった「浮島」というクラフトビール専門店があるというので夕暮れ時を歩いて向かう。もう初夏の夕暮れで暑くもない過ごしやすい気温でゆらゆら歩いていると、もう通りで呑んでる人達がたくさんいる。

浮島に入り、クラフトビール飲み比べセットで3種類のビールが飲めるのでそれを注文してみる。キンキンに冷えたクラフトビールがきて二人で一気に飲み干した。今回、まだ旅行支援が使えるのでホテルは20%オフ、一日2000円のクーポン券が貰えてしまうという、まだまだ旅行者に優しい旅行シーズンだ。那覇で夕暮れ時に飲むビールは最高で、そのまま飲み屋を探しに行く。適当に良さげな料亭風の静かな沖縄料理屋に入りカウンターに座り、島ラッキョウ、スーチキ、ゴーヤチャンプルー、鶏の炭火焼きなどを注文して泡盛を飲む。全てが美味しくて、沖縄は年に2,3回は来た方がいいのではと思ってしまった。2泊3日ならば余裕で来られる。

ほろ酔いで街に出ると国際通りはまるで新宿のように人だかりで歩道は人人人だった。ホテルで夜のラーメンサービスがあったのでホテルのラウンジに行くと人だかりでラーメンは終了していた。ここも外国人でいっぱい。どうしても沖縄そばが食べたくて外に出てそば屋を探す。適当に店が見つけてそこで蕎麦を食べてホテルに戻る。沖縄そばを食べると一気に沖縄へ来た感じがする。

部屋に戻るとすぐに眠くなったがなんとか風呂に入ってすぐに寝た。まだ初日なのに一日が長く感じる。沖縄時間のせいだろうか。