ロンドン留学記の「あとがき」を書いてみることにした。留学記のテキストは当時ロンドンから帰ってきてから書いたものなので(2015年の5月頃)、もう6年も前になる。しかしたった6年でこんなにも世の中は変わってしまったし自分も変わった。(自分はこんなにも変わったのに世の中はこんなにも変わっていないともいえる)と今回ブログに投稿し読み返してみて改めてそう思った。因にこのテキストは当時仕事を辞めて通っていた某専門学校へ提出し、講義資料として使い授業を行った。
当時はSNSはもちろん盛り上がってはいたが、インスタグラムやYoutubeなんかはそうでもなかったし、自動翻訳ソフトもまだまだ微妙であったし、AIやテクノロジーの話題も今ほどではく、スーパーのレジ打ちも今より沢山いた。何よりそんなに海外へ行く人は直近の2019年頃より多くはなかった。やはり2015年から2019年へ向けて人の行動はタガを外してやりすぎてしまったようだ。
今日は台風が来ているので外は大雨で部屋でフランスギャルをかけている。フランスギャルなんて18歳の頃以来で久々に聴いているのだが、apple musicで最近ロスレスハイレゾ音源の配信が始まり色々とオーディオ周りの整理をしており、旧譜を検索しているとそういえば友達が先日レコード屋でフランスギャルのドーナツ盤を買っていたのを思い出してかけてみた。ハイレゾではない。しかしこれからハイレゾ用のアンプのDACを購入しないとならないとフランスギャルの旧音を聞きながら考えていた。大雨もフランスギャルも悪くない。時代は月額制のハイレゾ音源配信へ変わった。
当時のテキストで、最初はスペインへ一か月間行こうと思っていたのを1月に体調を壊したこともあり、ロンドンに変えたと書いているが、この体調を壊したというのはその時の年末年始に南米を縦断しており、その期間と内容があまりにもハードだったためだ。旅程は「日本→マイアミ→ペルー→ボリビア→アルゼンチン→マイアミ→日本」。ボリビアの標高4000mの山を越えて高山病とインフルエンザになりアルゼンチンで発熱し、ペルー、マイアミのホテルでずっと寝込んでいた。帰りの飛行機は日本まで約2日半ほどかかるので身体は悲鳴を上げていた。それでも何とか日本へ帰国し、医者へ行くと即入院となり重度のインフルエンザ肺炎と診断され隔離される。医師から「その状態でよく立っていられるな」と言われ、看護士から何か必要なものあれば買ってきましょうか?と言われたので財布の中を見るとアルゼンチンの偽札だろうと思われるペソとUSドルしか入っておらずお願いできなかった(笑)意識は朦朧としており死んでもおかしくない状況で、あれが自分の唯一の臨死体験ではあった。
まず、肺の中が3/4真っ白で呼吸ができない。息を吸うと胸が痛むので苦しい。それは呼吸器をつける手前であった。個室で10日間くらい点滴を受け、食事の味覚はなく、とにかく眠り続けていたが、起きて意識がはっきりした時に航空会社へ電話して3月の旅程の行先をスペインからロンドンへ変更して欲しいと頼んだのだ、身体は半分死んだような状況なのに(笑)というか、この時1月で出発が3月だったので、これからスペインで美味い物を食べまくるのは難しい、ロンドンに変更しようと考えて予約をし直した自分も今思っても馬鹿だなと思う。結局3週間も入院し無事退院することができた。テレビではISISが日本人の人質を殺害していたニュースを流していたりとしている状況で、世界が荒れていたが一度臨死体験のようなものをすると恐れという感覚が何故かなくなってしまい、とにかく自由の身になったのでそのままロンドンへ出発してしまった。
ロンドン留学の時のようなことは、今の自分ではもう体験することはできないが、体験というよりかは当時と同じように感じることはまず無理だ、自分も歳をとっていい感じのおやじになってしまっている。ではあるが、こうなった今の方が別の楽しみ方ができるので、実際ここ数年の欧州の旅は非常に緩くて楽しい。やはり30代というのはまだまだ若い。40代になると受け皿の範囲も広くなり色々なことが許容できるようになる。
当時は食に非常に興味があり、今も勿論あるにはあるが、だいぶ肩の力も抜けてしまい、ステイホームもあってか過去の自分のように、音楽と映画ばかりに興味があった頃のような生活に戻っている。それも非常に楽しい。英語の勉強も続けてはいる。この後、何をするかについては、目標はあるのだが、もう少し時間がかかりそうだ。(Fire)Financial Independence, Retire Earlyというライフスタイルが流行っている、というかは流行るほど誰でも簡単にできるものではなく、これだけが全てではないが、このライフスタイルとその後のライフスタイルを明確にできた者は社会の中で面白い変化をしていきそうだとは思っている。Fire(早期リタイア)という言葉のみだと批難もあると思うが、ではない。リタイアが重要ではではなく、Fireのライフスタイル(作業工程とでも言うのか)はどうでもよく、その先の何を始めるかが重要で社会は変わる。変えた者やこれから変えていくであろう者たちの集まりがどの場所であるかは分からないが、いずれ世界のどこかであるだろう。そこはおそらく国家とか権力といったものとは関係もなく、相当な熱気になっているはずだ。
最初の写真はパリで宿泊していたアパートのエントランスで、ここを様々な連中が通っていた。