「Travel/海外旅行」カテゴリーアーカイブ

ブエノス・アイレス 2014

2014年の財政破綻中のアルゼンチンのブエノス・アイレス滞在中に書いた記録を読み返すと面白いことが書いてあった。


「おかしな国だけど、数年後の世界で他にこういった国が増えてもおかしくはない状況にいるし、この流れを抑えることは無理だろう。結局、最終的にはどんな状況でも自分の価値観で楽しんだ者の勝ちのように思う。」


このコロナウィルスの騒ぎの後に、新しい社会が来るのは明らかで、もう元の社会には戻らないだろう。スペイン風邪の時には第二波、第三波が来て相当の死者が出ていて、今はまだ第一波の状態。これから経済は破綻して世界恐慌にもなりかねない、そして何かに統制されることもありえる。高級品や嗜好品も売れなくなり、新しい思想も生まれる。だから、なるべく早く自分の価値観を変えておかないと、新しい社会が来るまでの数年間が辛い生活になり、生活を続けられないように思う。
2014年に自分が書いた、「最終的には自分の価値観で楽しんだ者の勝ち」と言ってるように、自分の新しい価値観を早めに考える必要があるのだと思う。
もう世界は180度変わってしまうのだろうから。

以下~2014年12月末から2015年1月にかけての記録

帰りの便の乗り継ぎがかなりあって、なかなか書くことができず遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
帰りはブエノスアイレス→サンチアゴ→リマ→パナマ→マイアミ→デンバー→成田、というトランジットで帰国。ただただ長いフライトだった。途中体調を崩し新年はリマの空港ホテルでゆっくりしてたものの、アットホームな宿で何故かメキシコのボーイスカウト達と三食ともに食事するという不思議なところだった。
さて、破綻騒ぎのブエノスアイレス。自分の財布の中身も破綻するのではないかというくらいの物価の高さだった。インフレの為ガイドブックに記載してある値段とは全く変わっている。とは言え、地球儀に棒をブスっと刺すとその先端はアルゼンチンに突き出るわけで、日本から一番遠い最果ての地ということもあり、ここまで来ると、やっとここまで逃げてこられたな、くらいな安堵感もあった。そんなアルゼンチンで今、とんでもないことになっているのは両替。レートには公式のものと非公式なものがある。非公式なものとは闇、闇両替。何だかよく分からないけど、念の為、レートが大体幾らくらいか過去のものを調べてみたのだが、この表のようになる。

2013年1月
US$1=4.93アルゼンチンペソ
闇両替=6.45ペソ
2014年1月US$1=5.5ペソ
闇両替=9.9ペソ

公式と非公式でかなりの開きがある。要するに国を通して両替するより、地下と取り引きした方が歩合が良いということになる。クレジットカードも使ってはいけないと現地の人からは聞いた。持っていくべきはUS$紙幣。特にUS$100はレートが高いそうだ。もう国民が自国通貨を信用しておらずドルを欲しがってるということになるのだろうか。
フロリダ通りという道がある。僕の場合はホテルからすぐだったのでちょっと歩いてみると、すぐカンビオ!カンビオ!と言う掛け声が鳴り響いていた。カンビオというのは両替という意味で、若い兄ちゃんからお姉さんまで何人も立っている。これは違法なのだけど警察も見て見ぬふりをしているようだ。試しに「幾ら?」と聞いてみるとレートはUS$1=12.7 とのこと。12.7ペソと言えば最新のガイドブックには5.5ペソと書いてあったので、これって倍以上か!?と思い正規の両替店に確認するとUS$1=8.44ということ。こちらも上がっていた。アルゼンチンペソの価値が日々下がっていってるってことで最後はどうなるのだろうか。
この闇取り引きをする場合、通りで話し合い、話がつけば地下室に移動して両替を済ませる。ただしニセ札も混じっていたりするそうだ。問題はUS$からアルゼンチンペソへの両替はどこでも簡単にできるけれど、その逆はできない。ペソからUS$はよっぽど整った書類がないと無理なのだそうだ。これは、もう国の信用が全くないということ、他国の金は使えるけど、自国通貨は自国でしか使えないなんておかしな話しです。
そんな潰れそうな国の中で、みんな楽しそうに歌ったり踊ったりしていて、最終的にはお金ではなく、みんなその時の生活を楽しんでる、というものを垣間見れることができました。それにみんなどうにかお金を稼ごうと、自分達で作った物を出店で売ってるのだけど、この商品の質が本当に良くできている。

おかしな国だけど、数年後の世界で他にこういう国が増えてもおかしくはない状況の中にいるし、この流れを抑えることはまず無理だろう。結局、最終的にはどんな状況でも自分の価値観で楽しんだ者の勝ちのように思う。

何かからの解放

国がデフォルトして機能しなくなった国ではどういう生活になるのか。
2014年の12月のアルゼンチンのブエノス・アイレスを歩くと、失業者はとにかく現金が必要になるので、物を作ってそれを売る。いつもマーケットが並んでいて、ここで手作りの工芸品やらTシャツ、革ベルト、どうでもいい物も売ってはいるのだが、作った物のクオリティが高い。そして国の通貨の信頼がなくなっていてUSドルでしか購入ができない。
街はお祭り騒ぎで、ストリートでタンゴで踊ったり歌ったりしている。
この2014年のインフルエンザが流行した不況の夏は、何かから解放された個人の時代の先駆けだったのかもしれない。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

インフルエンザとデフォルト

国がデフォルトすると現金があまり下ろせない。ギリシャ危機の時もアルゼンチンの騒ぎの時も普通には下ろせなかった。2014年のブエノスアイレスでのUSドルからアルゼンチンペソへの両替は闇両替を使用してのおそらく偽札だった。
大袈裟かもしれないが、今回のウィルス問題からすると、デフォルトする国やデフォルトしていることに気が付かない国がどんどん出てきそうだ。それがもし自分の国だったり、他国のデフォルトに巻き込まれることを考えると今何を準備するべきか。
そういえば、この時のブエノスアイレスでも夏にインフルエンザが流行ってたな。インフルエンザとデフォルトって何か関係があるのか?

DOKKINKIN TV シルクロード編

ドッキンキンTVのシルクロード編が完成しました!
ウルムチ からトルファンへ移動して、オアシスやブドウ園を回りましたが、ここへ来る途中での検問も厳しく顔認証を何度かすることになりました。
タイトルはNovember stepsとして(武満徹からとってるですが、誰も気づいてくれていないようです)アップロードしました。是非チェックしてみてください。オープニングは例のアレです。

DOKKINKIN TV ベルギー編

DOKKINKIN TV の新作、Bergium編が完成しました。
今年の1月、今でも続いていますが、ちょうどBrexitで騒いでいた時のEU本部のあるブリュッセル。騒いでいるとはいえ、街中はチョコレート天国で、ムール貝とベルギービールを飲んでからのクラブFUSEに向かうとDJはAdriatiqueで入場制限するほど。
ちなみにその次の週末はCharlotte de Witte。
そこからのアントワープシックスの街、アントワープへ向かい、Dries Van Nottenの本店を物色し、できれば王立芸術アカデミーの門構えも撮影したかったのですが、さすがに3泊4日の滞在は短すぎでの断念、Ann Demeulemeester本店も断念、Maison Margiela本店も断念。
それにしても初めて訪れたベルギーは古い港町を歩くことができ非常に良い街でした。街の雰囲気はヨーロッパの中で一番好きになりました。次回、周辺のオランダにも足を延ばしたいですね。
DOKKINKIN TVのチャンネル登録もよろしくお願いします。

ベルギー・ブリュッセル~アントワープ

深夜便を利用しての二泊四日の短いベルギー滞在。なぜ短い期間しかないのに来るのかと考えると、もちろん仕事もあるし、なかなか休みが取れないということが大きな理由だが、短い期間でも行けるものなら行ってみたいという気持ちの方が大きい。そういう気持ちが膨らんだのか、ここ最近は二泊や三泊のプランばかりが続いている。そしてそんな短い期間でヨーロッパなど行くことは可能なのか?ということも考えてしまうが、ここ最近のスマートフォンの進化はすさまじく機能も定着してきて、昔のように行き先や営業時間をいちいち本で調べながら街を歩く必要がなくなり、あらゆることが短時間でこと済ませられるようになった。そういう作業に慣れれば時間にも余裕が生まれ、短い期間だろうがプランを詰め込むことができる。

少し前まではホテルの予約や目的地へ到着するまでに今よりは手間がかかった。それはそれで移動中での非常に楽しい作業なのだが、それは昔の話し。昔は良かったという話しに留め、旅の今の新しい楽しみ方を楽しめば良いと思う。そして大体こういう短期間で忙しく移動していると、そんなに短い期間では折角の旅行が勿体ないのでは?ということも言われるが、僕から言わせてもらうと行かないほうが逆に勿体ないのでは、と考えてしまう。

二日目にブリュッセルから電車で40分ほどで行くことができるアントワープ。街中は王立芸術アカデミー校もあるせいか、そういった雰囲気、店があるのはもちろん、尖っていてそして洗練された人達が歩いている。到着する中央駅は19世紀に建てられ、内装も外装も非常に古く360度全てに目が行ってしまい、それを見ているだけですぐ時間が経ってしまう。アントワープの駅は時間が止まっていて永遠に存在するような気がしてしまうが、僕たちにある時間は有限だ。僕たちの普段抱えている仕事や生活で抱えている問題の全ては本当に必要なことなのだろうか。もし本当に必要でないことが多く含まれるのであれば、自分達で無駄な問題を作りだし、そこに時間やお金を消費し、人生の貴重な時間を浪費していたりはしないだろうか?

もし、そうであれば僅でいいので時間を作り、ここに来てみるといいと思う。そんなことを考えてしまうほどアントワープの中央駅は素晴らしく、暫し立ち止まり何かを考える時間を与えてくれる。

フィリピン・セブ島ITパークへの再訪

約三年半ぶりのセブのITパーク。

随分、建物が増えて変わってしまっていて驚いたが、確かに前に来た時は工事中の敷地があったので、それらが完成したようだ。テナントは募集中のようでこれからのように見える。3年ぶりに来ると街も変わっているが、自分の今住んでいる場所や仕事、そして考え方も三年前とは変わっていることを実感できる。方向性が変わったのか成長したのか歳を取ってしまったのか複雑な気にもなる。

2014年夏の語学留学での学校周辺はかなりの熱気があり、ITパーク中心のタクシー乗り場のあたりのバーはかなりの人で溢れていたのだが今はそれほど人はいない。マンゴーストリートのジュリアナも移転してしまいあの時の盛り上がりはなかった。今は語学学校のQQ Englishの隣のパークにあるピラミッドに歓楽地は移ったのだろうか。毎週末、この新しくできたピラミッド周辺ではナイトマーケットが開催されている。その場所を探しにいったのだが、アイランドホッピングの後で身体を冷やしたいこともあり、残念ながらたどり着けずホテルに戻ってしまった。現地で知りあった人から行った時の写真を見せてもらうと、かなりの人で活気がある様子。セブの活気がなくなったのではなかった。2014年の夏の熱気は場所を変えてジリジリと続いているようだ。

過去と現在の整理を香港で行う

これまでの数年間のことを整理すると、旅に出た時に異文化や言葉への興味が重要な指標になっていたように思うのだが、今の自分にとってそれはそれほど重要ではなく、そういった気持ちもあまりない。もちろん旅に出ることは大好きだが、きっと目的を違う別の方向へ向けてみたいと思うようになったのだろう。それは少し残念なことのようにも思えるが、例えばモチベーションの低下や、その事に飽きてしまった現状などだ。これは自分にとっては今迄興味があったことが当たり前になってしまい海外にいても日本にいてあまり変わらないという状態。しかし、このことは次の段階に進めるというタイミングが来たということであって、やり方次第ではもっと面白いことに繋がるのだ。 

実は今回の香港行きは香港に行くことだけが目的ではなく、香港の街中で何人かの友人と待ち合わせをするということがポイントで、皆スマートフォンを持ち合わせているし、元々旅慣れていた彼らのバックの中は何かしら面白い機材が入っていたりする。飲茶の店に入るとテーブルの上には僕達のカメラ機材がいくつも置かれていた。香港で何人かで待ち合わせるということ、これはLCCが一般化した社会なら物理的にはことさら簡単だ。日本から香港行きのチケットは今や片道1万円前後。ただスケジュールを合わせることだけがやっかいだ。そこで二泊三日ならばと予定を合わせて調整してみた。  

待ち合わせ場所は初めから決めてはなく、途中で連絡を取りながら九龍島の重慶大厦の一階ですれ違い様に声を掛け合い会うことができた。何だか新宿で会うみたいな感じだよねと話すと、友人から、もう新宿も外国人ばかりで香港も新宿も変わらないんですよと言われ、この数年間で人種の住処が少しずつ入れ替わっていることを実感した。こういう環境が当たり前になっていて、こういう話ができる人達が集まり何かをするとなれば、これはポストバックパッカーの集まりなので、何か次の面白いことへの話に繋がるし、未来への願望や想像力が湧いてくる。とにかく一緒に歩いているだけで面白いことが起こるのだ。 

中華料理で初めてミシェラン三つ星を獲得した龍景軒。値段はそれなりで、ワインリストの中身を見ると普通にシャトーマルゴー150万円と書いてあり数十万円のワインが並んでいる。この店の予約を取ろうと思えば三ヶ月程待つことになり非常に困難である。しかしそこに予約されている僕の名前は別人の名前になっているのだ。