自宅のリスニングルームの機材の更新、へ向けて(まだ終わっていない)

自宅のリスニングルームのオーディオシステムの更新をしていくことにした。リスニングルームと言っても自宅自体がリスニングルームのような物ではあるが。この十数年間、特に何の問題もなくオーディオ機材を買い替えることもなくずっと使用してきたが、特にオーディオオタクというまでは予算をかけてはいないので中途半端と言えばそうだが、音楽好きなのでなるべくは環境を整えるようにはしていて一応そういう環境は作った。

今使用している機材が、2001年頃に購入したシステムで、アンプはDENONのPMA-1500RⅡ、CDプレーヤーはDCD-755、ターンテーブルはテクニクスのMk3。スピーカーはJBLの4302。当時では結構話題になってたモデルでCDが成熟期に入った時期だったように今思う。なのでCDを聞くには自分も含めて一般の人が聞く分には十分と言えるほどの音質だとは思っていたが、いつの間にか音楽はCDから配信へと変わり、去年と今年で在宅時間が多くなり配信で大いに聞くようになった。

聴き方としてはiPhoneなりiPadなりをヘッドフォンの出力からアンプに繋ぐだけで聴いていたのだが、まぁこれだと音質は良くない。直で繋ぐだけだとヘッドフォンで聴く音をただスピーカーから出力しているだけなので、そういった音だ。しかし、ここ数年のあいだ配信はBGM程度にかけて聴いていたのだが、夏も来て外出もできないので(もう秋だが)音質改善作業をしてみることにした。

自分も最新のオーディオにはそれほど詳しくはないのだが、まず、タブレットとアンプを繋ぐ間に挟むUSB DACというアダプターが必要なのだが、これで音をアナログ変換して出力してくれる。Apple Musicがハイレゾ配信を始めたこともありDACは必要なのだが、色々なDACが発売していて選びきれないので****カメラにメールで問い合わせをしたらメールの返信ではなくダイレクトに電話がかかってきて驚いた。しかも結構なテンションでだ(笑)この系統の人たちはこういう質問を投げかけると、いつも嬉しそうに親切にそして情熱的に事細かに説明してくれる。なので大好きだ。因みに今はDAC等の機材をネットワークプレーヤーと呼んでいる。そうなると自分の持っている機材群はもはやアナログ時代の機材だ。

今回、いくつかの機材を紹介していくので試しにアフェリエイトに挑戦してみようかと今思った(笑)そう思って色々とアフェリエイトサイトに登録したり、サイトの作り方を調べて作りこんだら時間が経ってしまった。とにかく機材を紹介してみる。

まずは量販店の薦めるUSB DAC。

そこそこのアンプを持っているのならと、一押しはmarantzのND8006ネットワークCDプレーヤー。価格は12万円ほどしてしまうが、CDプレーヤーとUSB DAC,そしてWi-Fiとbluetoothでの接続もできる。音質もmarantzならではということで、これを聞いてほぼこれに決めた。CDプレーヤーがダブってしまうがまぁいい。


マランツ Marantz ND8006/FN CDプレーヤー シルバーゴールド [ハイレゾ対応][ND8006FN]

2種目がDENON,DNP800ENネットワークプレーヤー。これは4万円程の価格。しかしUSBはなく無線のWi-Fi,bluetoothで聴くことになる。


デノン Denon DNP-800NE/SP ネットワークオーディオプレーヤー プレミアムシルバー [ハイレゾ対応][DNP800NESP]

3機種目がお手頃の価格のifi AudioのZen Pac。2万円程。ハイレゾ音源にも対応している。


ハイレゾ対応 USB-DAC iFI-Audio アイファイオーディオ ZEN DAC バランス出力対応 据え置き 家庭用 アンプ 【送料無料】【1年保証】

といった機種で、買うならmarantzにすることにしたのだが、まだ買っていない。それを買う前に実は別のことをしなければならず、それは今使っているスピーカーの高さを変えることだ。このあたりからオーディオオタク的な内容になるのだが、やはり以前バンドやDJをやっていた人であればスピーカーの高さや位置、振動などには頭を使ってしまうものであり、一度現場を体験したのであれば、そういう思考の生き物になってしまうように刷り込まれているのでしょうがない。

そこでスピーカースタンドを購入した。メーカーはtaocでBTS50Lというスタンド。こちらもメーカー側が親切に説明してくれて自分の4302のスピーカーであるとブックシェルフ型のやや大きめのサイズなので天板の大き目な50Lが良いとのことだった。このスタンドにセッティングしてみて聴いてみると、劇的に音が変わった。スタンドの下には昔自分で作ったコンクリートスタンドが敷いてある。ここまで劇的に変わるのならばとインシュレーターも購入してセッティングしてみた。これもtaoc製でTITE-33S4。振動減衰と振動遮断効果から、低域から中低域にかけて音の輪郭が明瞭になる効果があり、それに伴い全体の音像もクリアになるとメールに書いてあった。それにしても馴染みのない人からするとただの鉄の塊なのだが、そこそこ値段はする(笑)


TAOC BST50L スピーカースタンド 1本 BST-50L


TITE-33S4 タオック TAOCインシュレーターTITE-33S【4個1組】 TAOC

しかしタブレットでも配信音源だとヘッドフォンoutからの直繋ぎでDACを持っていないので音質が完璧ではない。そこで試しにCDをかけようと探してみると懐かしきFree SoulのオムニバスのCDが色々出てきた、それ以外はほとんど処分してしまっている。そしてこのFree SoulのCDをかけると、めちゃくちゃ音がいい(曲も良いが)。SoulとFunkなだけあってベースとリズムが良い具合に絡みそれらが弾んでスピーカーから鳴っている。

外に出ることが難しくなっているが、意外とすることは色々とあり(ちなみにTVとアンプを接続して映画の音を鳴らすだけでも映画の見方が変わるほど音が広がる)映画と音楽があって、ワインとつまみでも用意すれば最高の環境は作れてしまう。秋に向けてこういう場所作りをしてくのもいい。自分の年齢もそういう頃合いになった。

謎の球体「CS60」による整体施術を受けてきた

身体のメンテナンスのため、ある施術を受けてきた。菊地成孔さんのライブが最高にごきげんだったという話をブログに書いていた吉本ばなな先生がお薦めする不思議な球体による整体施術。そしてその吉本ばなな先生と同じ学校の先輩だったという高城剛さんも薦めるこの施術は、いや、この施術の説明をする前に個性的な3人が繋がってしまったことに今気が付いた(笑)吉本ばなな先生は菊地さんと高城さんの間に挟まれているのか(笑)この3人、向かう先は違えど、おかしな大人揃いである。

ばなな先生のブログ「よしばないいもん」ではこう書いていた。『成孔さんの最高にごきげんな、そしてすばらしいライブに行った後でお鮨なんて、これ以上の誕生日の過ごし方があるだろうか。
恋、全てのものに瞬間の恋をして生きていきたいと切に思った。
音楽はそういうことを教えてくれる。』

菊地さんのライブに行った後に美味い鮨を食べるなんて最高だという思いと、そういえば菊地さんも整体には非常に気を使っており色々と試行錯誤しているので、みんな身体の悩みでは繋がっているようだ。

自分も以前ぎっくり腰を二度ほど経験しており、酷い時は4,5日寝たきりになってしまった。その時は病院へ車で運んでもらいそのまま面倒くさいから入院しちゃえと言うことになり、入院してリハビリになってしまった。それからしばらくは様々なストレッチ法を試していて、酷いぎっくり腰にはなっていない。しかし、海外はジョージアへ行った時(2019年の10月)カタールのドーハ経由で12時間程移動時間がかかるのだが、飛行機を降りて少し歩いた時に左足に痛みが走り歩けなくなってしまった。これはもしかしてエコノミーシンドロームかと思ったのだが、特にそういったことはなく帰国後MRIを撮ったりしたが異常はなくヘルニアの疑いも晴れた。しかし、腰の張りや左足の痛みは調子が良い時もあれば悪い時もあり、悪い時の方が多いので、これが歳を重ねるというものなのだろうかと、With神経痛をきめていた。

しかし、やはり痛みが酷い時は整体院へ通い、近所の診療所でたまたま当たったスタッフの方がインドのアーユルヴェーダのライセンス(実際正式なライセンスがあるのかそれに関して詳しくはないが)インドへ研修に行き勉強してきたそうで、その先生からストレッチ法を教えてもらった。そこではブロック注射の施術もして、かなり良くはなった。しかしそれでもまだ少し痛みや足の重たさも残っているので、これは歳のせいかとWith老化現象を決め込んでいた。

そんな折、自分の母親が足腰が痛くて歩けない、病院に行っても治らないというので、そういえば以前、吉本ばなな先生と高城剛さんが薦めていた謎の球体施術があったことを思い出し、もう親も歳なので色々と試してみるものいいかと医院を調べてみると、青山にあった医院の支部が全国に増えていた。

この施術は、はっきり言ってだが、ぱっと聞き怪しい(笑)謎の不思議な球体CS60を使用するのだが、これを開発した西村久光先生という方がいて、稽古着を着た集団で世界中を周っており、身体に不調を唱える人々の身体をこの球体でなぞるだけで痛みは消えてしまうというのだ。ひじょ~に怪しい(笑)

もう少し調べるとこの球体には量子デヴァイスという科学では判明できない仕組みもあり、高城さんもこれからの医療には西洋医学、東洋医学以外に波動などの力学を含んだ代替医療も絡んでいくと説明しており、本人も前置きで「すいません、今から怪しい話をしますね」とは話していた。ばばな先生はブログで『難病が治るとかそういううわさよりもなによりも、とにかくまず肩こりと頭の重さが取れるのがすごいと思う。』と書いている。たしかに施術者の見た目や、謎の球体やらインドやらで、どこかの宗教団体の活動としか思えない。

しかし、気になる肝心なことは、施術された人たちが言うのは『理由は分からないけど治ってしまう』ということだった。そんなことを憶えてはいたのだが、2年くらい前は支部もそれほどなかったのではないだろうか。青山にあるのは知ってはいたが、なかなか予約して通う気にはなれなかった。今回は自分の母親の足腰の痛みと自分のメンテナンスもあり、一つの支部のとあるところが都内の密からは程遠い山奥(笑)の方にあったので行ってみることにした。

初日は母親しか予約が取れなかったので自分はできなかったが、施術はこの球体CS60を足の裏側から足、腰、お腹、脇腹、首、頭、顔を擦っていく。人によってはかなり痛みを感じる人もいるそうだ。そして施術後、母親の足腰の痛みは消えた。

本人も身体が軽くなった、今までの施術では一番良いかもしれないと言い、その経過を見ると一週間は痛みがなかったそうだ。先生に聞くと、最初は1,2週間のスパンで通ってもらい、だんだんと痛みは和らいでいくのでそうなったら月一のペースで通うことになるケースが多いようだ、そして、もし診療に行くなら早めがいいということ。

ということで別日で自分も予約ができたので施術してもらうことなった。先生の腕にはアース線が巻いてあり、自分の身体から放出された電気をアースで逃がしているそうだ。そういえば以前勉強した内容で細胞小器官のミトコンドリアはATP生成をしてエネルギー産生をする。その時にミトコンドリア内の電子伝達系が電子を放出する。この電気のことのようだ。昔の人はこの電気を地面の土に放出していたが今はできなくなってしまっているので、電気を放出させミトコンドリアを活性化させる必要がある。

自分の場合はまず左足に痛みがあるので、何ヵ所か球体で擦ると痛むところがあった。今は昨日施術したのだがまだふくらはぎのあたりが痛む。他の部位は痛むというよりは首は痛かったが、脇腹がくすぐったくてしょうがなかった。うひゃひゃひゃと笑ってしまうくらいだ。この光景もまた怪しい(笑)しかしだ、施術後に立ってみると足が妙に軽い。飛び回れそうな勢いだ。10年くらい若返ったような感覚。効果は2,3日後から出るそうなので、今はまだ揉み返しのような痛みはあるが、何かが違う。身体が少し軽くそして柔らかくなったような、そういうことよりも、あぁ、もう一度施術してもらいたい。With CS60、そんな気持ちになった。

もしかすると、あの球体の神秘的な何かに憑かれてしまったのだろうか。

追記:というような紹介文を書くと怪しいものを冗談半分で語っているだけになると困るので真面目に話すと、まだ一度しか施術していないが実際に効果はあるような前向きな気持ちになっている。月一のペースで3,500円/30分、7,000円/60分という価格帯ならばマッサージにいくような感覚で行ってもいいのではないだろうか。

ロンドン留学記「あとがき」

ロンドン留学記の「あとがき」を書いてみることにした。留学記のテキストは当時ロンドンから帰ってきてから書いたものなので(2015年の5月頃)、もう6年も前になる。しかしたった6年でこんなにも世の中は変わってしまったし自分も変わった。(自分はこんなにも変わったのに世の中はこんなにも変わっていないともいえる)と今回ブログに投稿し読み返してみて改めてそう思った。因にこのテキストは当時仕事を辞めて通っていた某専門学校へ提出し、講義資料として使い授業を行った。

当時はSNSはもちろん盛り上がってはいたが、インスタグラムやYoutubeなんかはそうでもなかったし、自動翻訳ソフトもまだまだ微妙であったし、AIやテクノロジーの話題も今ほどではく、スーパーのレジ打ちも今より沢山いた。何よりそんなに海外へ行く人は直近の2019年頃より多くはなかった。やはり2015年から2019年へ向けて人の行動はタガを外してやりすぎてしまったようだ。

今日は台風が来ているので外は大雨で部屋でフランスギャルをかけている。フランスギャルなんて18歳の頃以来で久々に聴いているのだが、apple musicで最近ロスレスハイレゾ音源の配信が始まり色々とオーディオ周りの整理をしており、旧譜を検索しているとそういえば友達が先日レコード屋でフランスギャルのドーナツ盤を買っていたのを思い出してかけてみた。ハイレゾではない。しかしこれからハイレゾ用のアンプのDACを購入しないとならないとフランスギャルの旧音を聞きながら考えていた。大雨もフランスギャルも悪くない。時代は月額制のハイレゾ音源配信へ変わった。

当時のテキストで、最初はスペインへ一か月間行こうと思っていたのを1月に体調を壊したこともあり、ロンドンに変えたと書いているが、この体調を壊したというのはその時の年末年始に南米を縦断しており、その期間と内容があまりにもハードだったためだ。旅程は「日本→マイアミ→ペルー→ボリビア→アルゼンチン→マイアミ→日本」。ボリビアの標高4000mの山を越えて高山病とインフルエンザになりアルゼンチンで発熱し、ペルー、マイアミのホテルでずっと寝込んでいた。帰りの飛行機は日本まで約2日半ほどかかるので身体は悲鳴を上げていた。それでも何とか日本へ帰国し、医者へ行くと即入院となり重度のインフルエンザ肺炎と診断され隔離される。医師から「その状態でよく立っていられるな」と言われ、看護士から何か必要なものあれば買ってきましょうか?と言われたので財布の中を見るとアルゼンチンの偽札だろうと思われるペソとUSドルしか入っておらずお願いできなかった(笑)意識は朦朧としており死んでもおかしくない状況で、あれが自分の唯一の臨死体験ではあった。

まず、肺の中が3/4真っ白で呼吸ができない。息を吸うと胸が痛むので苦しい。それは呼吸器をつける手前であった。個室で10日間くらい点滴を受け、食事の味覚はなく、とにかく眠り続けていたが、起きて意識がはっきりした時に航空会社へ電話して3月の旅程の行先をスペインからロンドンへ変更して欲しいと頼んだのだ、身体は半分死んだような状況なのに(笑)というか、この時1月で出発が3月だったので、これからスペインで美味い物を食べまくるのは難しい、ロンドンに変更しようと考えて予約をし直した自分も今思っても馬鹿だなと思う。結局3週間も入院し無事退院することができた。テレビではISISが日本人の人質を殺害していたニュースを流していたりとしている状況で、世界が荒れていたが一度臨死体験のようなものをすると恐れという感覚が何故かなくなってしまい、とにかく自由の身になったのでそのままロンドンへ出発してしまった。

ロンドン留学の時のようなことは、今の自分ではもう体験することはできないが、体験というよりかは当時と同じように感じることはまず無理だ、自分も歳をとっていい感じのおやじになってしまっている。ではあるが、こうなった今の方が別の楽しみ方ができるので、実際ここ数年の欧州の旅は非常に緩くて楽しい。やはり30代というのはまだまだ若い。40代になると受け皿の範囲も広くなり色々なことが許容できるようになる。

当時は食に非常に興味があり、今も勿論あるにはあるが、だいぶ肩の力も抜けてしまい、ステイホームもあってか過去の自分のように、音楽と映画ばかりに興味があった頃のような生活に戻っている。それも非常に楽しい。英語の勉強も続けてはいる。この後、何をするかについては、目標はあるのだが、もう少し時間がかかりそうだ。(Fire)Financial Independence, Retire Earlyというライフスタイルが流行っている、というかは流行るほど誰でも簡単にできるものではなく、これだけが全てではないが、このライフスタイルとその後のライフスタイルを明確にできた者は社会の中で面白い変化をしていきそうだとは思っている。Fire(早期リタイア)という言葉のみだと批難もあると思うが、ではない。リタイアが重要ではではなく、Fireのライフスタイル(作業工程とでも言うのか)はどうでもよく、その先の何を始めるかが重要で社会は変わる。変えた者やこれから変えていくであろう者たちの集まりがどの場所であるかは分からないが、いずれ世界のどこかであるだろう。そこはおそらく国家とか権力といったものとは関係もなく、相当な熱気になっているはずだ。

最初の写真はパリで宿泊していたアパートのエントランスで、ここを様々な連中が通っていた。

ロンドン留学記とベルリンからパリへの移動の記録 13 (最終話)【2015.3.12-2015.3.28】

【3月27日(金曜日)】

パリで久しぶりの快晴。到着後はほとんどの日が雨であった。今日の夕方5時に日本へ戻るので多少時間はある。凱旋門に行ったことがなかったので、そこへ向かう。シャンゼリゼ通りも警備が厳しい。スーパーのMonoprixでBonne Mamanのお菓子を土産に買い、アパートに14時まで荷物を置かせてもらっていたので、それのパッキング。空港へ向かう前にフランスパンのサンドイッチを買いシャルルドゴール空港へ向かう。

飛行機の隣の席に70歳くらいだろうか、男性とその家族が座っていた。ミュンヘンに住んでいる日本人で、子ども2人は孫であった。今回、初めて日本へ孫を連れていくのでかなりご機嫌で一緒にビールとワインを飲みながら盛り上がる。もともと音響メーカーに勤めていてステレオ製品をヨーロッパで売り歩いていたそうだ。留学していたことを話すと、留学して英語を学ぶことが本当に必要なのだろうか、語学を学ぶことより、まずはするべきことがあってそれに語学が付随して必要になってくる。ただ語学だけ海外で勉強しているのはあまり賛同できない。自分達は海外で製品を売るという環境で英語もドイツ語も現場で覚えるしかなかったということだった。

自分もその通りだと思う。では何故、留学をして英語を覚えるのだろうか。それは初めはほんの海外旅行のつもりだけだった。レストランのメニュー表を読んだりコンサートのチケットを買えればいいだけだったのだが、いつの間にか英語でなければ意思の疎通ができない人達が回りに増えてしまったからなのだ。今回の2週間の滞在でいったい何人の人と出会い話をしただろう。詐欺師から学生や子供、仕事づくめのロンドンの中心地に住む夫婦、日本人やヨーロピアンの学生達、レストランの給仕。それらの人達は旅に出る度に、自分にもう一度考えさせられる何かを与えてくれ、いつも再出発できる新しい気持ちにしてくれる。物価や値段のことをこと細かく書いてみたが、終わってみればそんな金額などどうでもいいと思うくらい、旅から得られる見返りは大きい。そして人が成長するということは、こういったことなのだと思う。  

初めて行った海外は友人と一緒に行ったグアム旅行だった。飛行機を降りた時に感じた海外独特の匂いは今も変わらない。そんな友人達と行ったパック旅行がいつの間にかただの観光旅行とは少し違う海外滞在へと変わっていった。少しづつだが自分も変わっていったのだと思う。日本人の悩みなど、海外で生活する人達の問題に比べると、まったく桁違いに小さいものなのだ。初めの頃の自分の持っていた価値観と今の価値観では全くといっていいほど違う。今、世界を見渡すと物で溢れている国とそうでない国がある。旅に出て、そういう違った国々を回ると本当に必要なものは何か、大切なものは何かということに少しづつ気付いたような気がする。この、実際に世界で見たり聞いたりするということは、テレビやインターネットではなく、自分の目で時代そのものを直視するということでもあるのだ。

近年では日本人は海外に出ることが少なくなったと言われている。だがこの1,2年くらいで、昨年訪れた東南アジアのフィリピン、セブ島では日本人の語学留学生が増え、学校内では熱気が感じられた。海外では誰も助けてくれずトラブルにあることもあるが、それ以上に助けてくれる人もいる。今回の移動中も色々な場所で知り合った友人達から色々な情報を書いたメッセージを頂いた。欧米諸国と東南アジア、第3世界と呼ばれる発展途上国などを見てきた彼らは語学とともに国際感覚を養っている。東南アジアの発展する速度は早い。数年後、東南アジアが世界の中心になるような気にさえなってしまう。日本の景気後退が叫ばれて久しいが、今後を担う日本人達は国内では見かけることができない場所で次の時代へ向けての道筋を探しており、人生を本気で楽しんでいる。そこにこれからの日本人の可能性があるように思う。

宿泊したパリのアパート

ロンドン留学記とベルリンからパリへの移動の記録 12 【2015.3.12-2015.3.28】

【3月26日(木曜日)】

以前、パリを訪れた時に行ったレストランがあった。バスチーユ広場の近く、すこし路地を入った所にあるテラスを見れば店はすぐ思い出せた。カウンターに座り給仕の顔を見ると以前来た時と同じ男で、注文を取りにきた時に、数年前にここに来たことを話すと、あぁ、覚えてるよと言うので、本当に覚えているのかと聞き返すと、だってその同じ席に座って話したじゃないかと言った。その瞬間、まるでその時に戻ったような感覚になった。

 4年ほど前、スペインからフランスへ鉄道や飛行機を乗り継いで来たのだが、当時は今ほど鉄道や格安航空での移動もそれほど馴染みがなく会話とともに苦労していた。スペインのマドリッドからバルセロナ、そしてボルドーからパリまでの移動は想像すると欧州遊泳のようで良さそうな響きだが、乗りたい鉄道も飛行機も日程や時刻が合わず、行き当たりばったりでマドリッドのアトーチャ駅のチケットカウンターの前で諦め顔でしばらくスーツケースの上に座って考え込んでいた。結局、マドリッドからボルドーまで行くのに一度パリまで飛行機で飛んで、そのパリからボルドーへ飛び戻り、ボルドーからパリまでTGVの列車に乗って移動するという行ったり来たりの旅路になってしまった。空港ではスペイン語も英語もろくに話せず、LCCのチケットも買い方がよく分からず今考えれば、予定も立てずによく移動していたものだ。

 その旅が終わりに近づいた頃にこのレストランに入り、メニューに書いてあるフランス語を一つ一つ英語で説明してくれたのがこの彼だった。その時食べた料理が美味しく、珈琲を頼むと、今は昼だ、朝ではないとワインを飲まされ、見渡せば周りも皆酔っ払っていた。やっと目的地に着いて旅の最後に酒盛り場に到着したような感じだった。

 当時は何か新しいことがやりたくて、この旅に出掛けたり英語の勉強をやり始めた時期だった。生活も何かが物足りなくて退屈していたのだろう。しかしそんなことはない、退屈などしていなかったのだ。これほど満たされていた時期は他にはない。 その男とまた4年後に会おうと別れた。今後の人生で4年ごとに数えると、このレストラン、パリに来ることは何度あるのだろう。彼に会える機会は一生のうち僅か数回しかないのだ。

・Pizza alla marinara
・Crabe,gazpacho de puntarelle et ail des ours
・Pomme de terre,shintake et ceuf de truite
Coucou de Rennes,carottes,epinards et crème d’ail

バスチーユにあるレストランLA GAZZETTA

ランチはリーズナブルに食べることができる。

セットで19ユーロ。

この日のメニュー

-Assortiment D’entrees-

・Pizza alla marinara

・Crabe,gazpacho de puntarelle et ail des ours

・Pomme de terre,shintake et ceuf de truite

-Plats au choix-

・Rigatoni au ragout de volaille

・Ceuf poche et choux

・Poulpe,fenouil,orange et olives

・Coucou de Rennes,carottes,epinards et crème d’ail

-Formaggi-7€-

・Montasio,Monte Veronese,Ubriacato al Barbera

-Dolci-5€-

・Gateau a l’orange,Tarte aux pommes Canada,Soupe de poires et au lait

-Vins au verre-

・Blanc:Chablis 6€,Rouge:Causse toujours,Rouge de l’Herault 6.7€,Rouge:M.P.N rouge leger de la Drome 5€

-前菜の盛り合わせ-

・ピッツァ マリナーラ(トマト、アンチョビ、オレガノ、ニンニク)

・蟹とガスパッチョ、プンタレッレと熊のニンニク和え

・新竹とイクラとじゃがいものソース

-下記から一皿-

・鶏肉のスープパスタ

・キャベツとゆで卵

・ククーデレンネの鶏肉とほうれん草、人参、ニンニクのクリーム添え

昼間はRepublique駅界隈を歩く。雑貨屋、セレクトショップ、古着屋、レストラン等が賑わっており、一軒一軒見て回り、姪の土産にTシャツを買う。たまたまシャルリエブドの集会が行われていた公園があり集会が行われた後が残ったままだった。夜はオルセー美術館に行く。

ロンドン留学記とベルリンからパリへの移動の記録 11 【2015.3.12-2015.3.28】

【3月25日(水曜日)】

朝はベーカリーでパンを買おうと思い、せっかくなので人気店のアルノーデルモンテルでヴィエワズリーダマンドというアーモンドスライスが入ったパンを買う。中はもちもちで外はカリカリのパン。それと適当にフランスパンを買う。フランスパンは一つ大体1ユーロ。歩きながら食べてカフェに入る。フランスでのブラックコーヒーの注文の仕方を忘れていて、アンカフェと注文するとエスプレッソが出てくる。国によってコーヒーの注文の仕方が違うのでいつも混乱する。

ベーカリーのアルノーデルモンテル
ヴィエワズリーダマンド
3人組のアーミーが巡回しているのをよく見かけた。

この日はセーヌ川沿いを適当に歩き街を散策する。以前行ったことがあるマリーアントワネットが幽閉されていたコンシェルジェリーを見ようと思ったが、かなりの行列ができていたため諦める。

昼食は遅く夕方になったが、ロンドンに留学していた時のクラスメイトのフランス人がパリ在住の女性だったので、色々とお薦めのレストランをメールで送ってくれた。 彼女のお薦めのムール貝が有名なレストランChez Leonに行く。パリ市内にあるチェーン店でシャンゼリゼ通りにもあるが、モンパルナスの店が比較的空いているとのこと。ムール貝のワイン蒸しとチップスで12.5ユーロ。シンプルな料理でこれにレオンビールをつけて一時間以上楽しめる。ロンドンではフィッシュ&チップス、ベルリンではウィンナー&チップス、パリではムール貝&チップスになった。夜はルーブル美術館へ。水曜日は夜9時まで開館していて空いている。

パリの街並みは特に変わっていないが、ミリタリーの部隊がかなり多くなっていた。ノートルダムやルーブル前に迷彩服を着たセキュリティが何人もいて駅も警察の数がかなり多い。そこで結構色々と聞かれる、何やってる?ホテルはどこだ?等。それにしてもノートルダム寺院と迷彩 服、なかなかすごい組み合わである。

Chez Leonのムール貝とチップスのセット
夜のルーヴル美術館は空いていて見学しやすい。
ルーヴル館外

ロンドン留学記とベルリンからパリへの移動の記録 10 【2015.3.12-2015.3.28】

【3月24日(火曜日)】

朝、4時半に起きて準備をし、空港へ向かう。5時半頃にホテル前からバスが途中の駅まで走っていて電車に乗り換え空港へ。ドイツの時刻表に遅れはない。フライトは9時、テーゲル空港より簡素な作りのシェーネフェルト空港。LCCのカウンターが多くパリへはeasy jetで向かう。この間62ユーロ。荷物を預けたのこの金額だが手ぶらなら5,000円程度だった。(この時期1ユーロ=約130円)

11時にオルリー空港に着く。北駅前に降りるとパリはそのままのパリだった。雨が降っていると水はけが悪かったり、道にゴミは落ちてるしで汚いけど綺麗な街並みで歯がゆい場所だ。

今回は北駅近くのアパートをサイトのairbnbで探してみたが、安い部屋がどんどん出てくる。roomoramaというサイトもあり、こちらでも同じ部屋を募集しておりクーポンが使えるのと大家に連絡を取るのに業者を通すのでこちらで決めてみた。前にairbnbで予約をしたとき大家から返信が遅かったことがあったのだが、こちらはスムーズに予約できた。扱っている部屋数はairbnbの方が多い。 パリの街はエスカルゴと言われており、それは20の区が中心部を1区として時計回りの渦巻き状になっている。10区内であればどこへ行くのにも近く便利だ。1区のあたりはルーブルである。ただやはり宿泊費は高くつく。以前来た時は1ユーロ=100円程であったので4区のあたりで10,000円くらいだった。短期の滞在の場合は忙しく動くことがあるので中心に滞在するようにしている。しかし中心で安い宿泊先を探すのはなかなか難しい。それが最近になってairbnbのような直接に世界中の家主と交渉ができるようなサービスが始まり驚いている次第だ。当然、今後トラブルも出てくるとは思うが、まずは少しリスキーで面倒なところもあるが一度試してみることで今後の振る舞いを考えることができる。

パリ北駅

当日、大家と一度会ったあと、クリーニングするからもう一度来てくれと言われた後に大家と会えず少し待つことになったが数千円で北駅前から徒歩2,3分でキッチンもついたワンルームなら良い。下手にビジネスホテルをとってもパリ市内は値段が高いので、それならこちらの方がキッチンもあり快適だ。家賃は 50USD/泊、日本円で6,244円。ベルリンからの飛行機で使ったeasy jetも62ユーロで、節約すれば交通と宿泊費は減らせる。それに今回は国際学生証というカードを作った。これがあると美術館などが半額近くで入場できる。

そして今、自分のカード入れの中身は少し面白いことになっている。世界中で地下鉄のICカードは普及しており、日本の場合スイカカードが有名だ。この数年、何カ国か行き来しているうちにそれらの国のICカードが何枚も増えてしまった。今回のロンドンでのオイスターカード、香港、台北、パリ、ニューヨーク、バンコク、そして日本。グローバルという言葉を良く耳にするようになったが、そんな本を読むよりも、このカードが写っている写真を見ると、これがグローバルなのだと自分では勝手に思っている、空港から街に向かう時にこのカードがあれば、すぐに電車に乗ることができる。

バンコクのラビットカードは最近できたようで、いちいちチケットを買っていた時に比べて市内での乗り降りがかなり便利になった。ICカードがあると時間が有効に使え、やはり小銭が増えないことがいいし、場所によってはコンビニでも使える。それにしても、切符を切る職員もいなくなったし、最近は香港でパスポートのスタンプも廃止されていた。EU内ではシェンゲン協定があるため、一度EU内に到着した後の国境間のチェックはない。成田空港でも申請すればスタンプ無しで出国できるし、国境の感覚が薄くなってるように感じる。それに何ヶ国かのICカードを持ってるだけで、海外が本当に近所に思えてしまう。50年後はこのカードが一枚になってるだろうか。いや、この速さなら10年後あたりにそうなっているのかもしれない。

大家とすれ違いになり部屋に入れない間、他の住民の夫婦が大家に電話をしてくれたりと親切にしてくれた。マンションを修繕するために電気工事業者が来ていて、その住民が立会いをしながらだったのでフランス語の洪水になった。何人かの住民ともすれ違うので、ボンジュール、ボンソワール、エクスキュースモアと挨拶しなければならない。フランス語は全くダメだが挨拶だけは現地語でしないと特にフランス人は話してくれない。なにせ貴族がいる国だ。

大家を待っている間、すぐ近くのイスラムの料理屋でナンとカレー。6ユーロ。店内をよく見るとハラルと書いてあった。シャルリ・エブドの件があったからか欧米人が一人もいなかった。店員は親切だったがその件を考えパリではムスリムの店舗には入るのをなるべく避けようと思った。その後、大家と会うことができ部屋に案内される。キッチンに鍋や食器が置いてあり使っても良いとのこと。この金額でこの部屋と場所なら悪くない。

ワンルームアパート
アパートの窓からの眺め

荷物を置きスーパーを探しがてらオペラ地区へ向かう、部屋からオペラ座まで徒歩で約30分程。しばらく和食を食べていなかったので野菜やヨーグルト、水を買い込む。日本からは味噌と粉末のだしの素は持ってきているので、夕食は豚汁を作る。どうしても味噌や納豆を食べないと胃腸の調子が悪くなるので、この程度の滞在でも味噌は必要だ。パリのアパートでゆっくり夕飯を作るというのもなかなか良いものだ。

ロンドン留学記とベルリンからパリへの移動の記録 9 【2015.3.12-2015.3.28】

数少なくなった残存するベルリンの壁。ポツダム広場。

【3月23日(月曜日)】

この日は1日ベルリンの壁を探して終わった。歴史が渦巻いているような街を数日の滞在だけだとそれほど見て回れず、ほとんどが「素顔のベルリン」(中村真人著)という本を読みながら過ごした。この本はただのガイドブックと違ってドイツ史についての記載が主でナチス時代、東西時代の壁の解説は事細かい。デビッドボウイが滞在していたアパートの記載もあって、ポツダム通り辺りを歩きながら読んでいると、治安が悪く刹那的な雰囲気に惹かれて76年から79年までハウプト通りに住んでた彼はここでヒーローズを含むベルリン三部作を生み出したということ書いてあった。

着いた時から感じていたが、過去が繋がっているからなのか確かに場所によって退廃的な雰囲気がある。もう少しそれが理解できるよう見て回りたかったが、明日はフランスへ向かう。最終着地点はパリだ。

デヴィット・ボウイが滞在していたアパート周辺。
レストラン ムッターホッペ
定番のドイツ料理が食べられるということでザウアーブラーテンという料理を食べる。牛肉をソテーしてから煮込んだもの。残念ながらソースが肉に浸み込んでなく、不味くはないが自分にはそれほど美味しくは感じられなかった。肉は4切れもあった。
カリーヴルストの人気店 CURRY36
大通りのウンターデンリンデンの周辺にあるコンチェルトハウスや教会。高級店が立ち並ぶ銀座のような街並みだが人はそれほど多くはなかった。

ロンドン留学記とベルリンからパリへの移動の記録 8 【2015.3.12-2015.3.28】

【3月22日(日曜日)】

朝食はホテルで食べると別途7ユーロで、大した食事でもなさそうなので近くのカフェで食べる。3ユーロ程度でパンと珈琲が買えるのでロンドンに比べると非常に安く感じる。晴れたのでアレクサンダー広場へ向かう。

観光地を回るつもりだったが、ベルリンはクラブミュージックが有名で様々なクラブやバーがある。ロンドンに留学していた時にクラスにイタリア人のDJがいて、彼はベルリンに詳しくお薦めの店を何件か教えてくれた。その一つの店が世界最高峰のクラブ、ベルグハイン(Berghain)であった。彼が「ベルリンに行くならここは絶対行くべきだ、エントランスでチェックがあったり地下はゲイが多いけど上の階にあるPANORAMA BARは一般人でも大丈夫だ」と言うので行ってみた。店は金曜の夜から月曜の朝まで36時間エンドレスでやっており再入場も何回でも可能だ。しかし、とにかく入場チェックが厳しく内部の写真は絶対に撮ってはならない。場所も分かりづらい、なので最初に昼間に行ってみることにしてみた。

Berghain ベルグハイン 日中からドスドスと低音が外へ漏れている。

近づくにつれて団地の中でドスドス低音が響いてきて、それらしき建物は巨大な廃墟。この外観と雰囲気だけでも強烈だった。少数の人々が並んでおり、自分の番になって入口へ近づくと厳ついドアマンにジロっと見られ「あ~、一人か?」と聞かれ、一人だと言うと、「ダメだな」と首を振られあっさり退散。悔しいがしょうがない。

予定を街の観光に切り替えアレクサンダー広場へ戻り、テレビ塔、ベルリン大聖堂を見る。テレビ塔はやはりかっこいい。昼食はドイツ料理を食べようと思い、広場の近くにあるニコライ地区でツム・ヌスバウムスという店に入る。ドイツの定番料理のアイスバインを薦められ食べる。アイスバインは豚足を塩で茹でたもの。味はこれだったら日本で食べる豚足の方が好みだった。豚足に味が染みておらず、クセがあり量もかなりある。が、ビールはなかなか美味しかった。ブランデンブルグ門、ホロコースト記念碑を回る。ちょうどテレビの撮影をしており、ユダヤ人が何人もいて取材を受けていた。Tシャツの背中に「meet2respect Juden und Muslime」と書いてあった。今年はISISのニュースだらけなので、こういった集まりが多いようだ。ロンドン滞在中もチュニジアでのISISによる観光客襲撃事件を何度もニュースで流していた。

左手にドイツ料理店のツム・ヌスバウムス
アイスバイン
ユダヤ人ホロコースト記念碑
日曜日なので閉まっている店が多い。

夕方フリードリヒスハイン地区へ向かう。この辺りはカフェや雑貨屋が多く、ナイトライフのメッカであるそうだ。壁は落書きが多く面白そうな雰囲気の場所だったが日が暮れて来た為、一度ホテルへ戻る。夜になり、一度入店を断られたベルグハインに再度向かう。夜ならば人も多くて紛れるから大丈夫ではないかと思いエントランスに並ぶ。行く前に入店方法をインターネット上で情報を調べてみた。そこに書いてあったのは”全身黒で固めると入れやすい”ドアマンとしっかり目を合わせると入れやすい” ”団体ははねられる” ”キャピキャピしてるとはねられる” ”ドイツ語を話せない観光客ははねられる”といくつか出てきたが真相は分からないそうだ。玄人でもはねられたり、1日目は入れても次の日は入れないことも良くあるそう。すべてはドアマンによって一瞬で落とされるかどうか決められてしまうという恐怖感。しかし懲りずに夜にもう一度行き再戦してみようと22時に向かってみた。夜だと道程が暗く雰囲気は悪い。建物自体も廃墟である。エントランスに並んでいると前の1人、3人組、次の3人組が次々と断られはねられていく。ドアマンは昼間とは違う人だったので大丈夫かと思ったのだが、10秒ほど全身を見られやはり帰れの合図。 入れない人たちは苦笑いながら帰っていった。行った人や、行ってみたい人がいたらぜひ挑戦して話を聞かせてほしいものだ。悔しいベルリンの思い出になった。遅い夕食は駅のスタンドでカレーヴルスト。ホテルへ戻り就寝。

フリードリヒスハイン地区
治安は良くないそうだが個人的には好きな雰囲気だ
夜のBerghain
ベルグハインへ行くときはOstbahnhof駅を降りて歩く。

ロンドン留学記とベルリンからパリへの移動の記録 7 【2015.3.12-2015.3.28】

【3月21日(土曜日)】

飛行機の出発時間が朝9時の為、朝5時半に起床。地下鉄も走っていない時間帯なので途中のア-ルズコート駅までバスで5分程で移動し、アールズコート駅からヒースロー空港まで電車で約40分。今回はベルリンまでLCCのジャーマンウィングスで移動だったので、他の遠い場所にある空港になるかと思っていたが中心から近いヒースローからのフライトだった。しかし、安い便だけに早朝の出発である。ロンドン-ベルリン間で片道£75。買った時期が遅かったのでLCCの割りにはやや高めの日本円で14,000円。荷物を預けたので追加料金がかかるので止むを得ない。この後、3/24にジャーマンウィングスがフランスで墜落する。今回、ジャーマンウィングス等のLCCでイギリス、ドイツ、フランスを移動したので、墜落した時、友人数人から安否のメールが届く。どこの航空会社が落ちたのか調べると自分も乗っていた航空会社だったので驚く。前々から言われてきたパイロット不足の問題に関係するような内容だったので、今後は真剣に問題解決に向かってもらいたい。

ヒースロー空港に到着後、朝食を食べに店を探すが、やはりどこも値段が高い。適当にコンビニでドリンク、サンドイッチ、スナック3セットで£3.99のものにする。ロンドンの昼食でこれを買っている人をよく見かけたが、昼にサンドイッチにスナックなどで身体は持つのだろうか。しかも、たったこれだけで日本円で700円。早くユーロ通貨圏に移動したいと思う。 飛行機に乗り、すぐ寝てしまったが自分の頭がかなり揺れていたらしく、となりのイギリス人がこの枕を使えと貸してくれた。貸すほうも貸すほうだが、あっさり借りるほうも借りるほうだと思いながら寝心地が良くまた寝てしまった。この時マスクをしていたので、何でマスクをしている?と聞かれ、機内は乾燥しているからだと答えるが理解しなかったようで怪訝な顔をされる。まず海外でマスクをしている人はいない。よっぽどの病気にならない限りマスクはしないし、もし使用していたら人は遠ざかるだろう。

午後12:00にベルリンのテーゲル空港に到着し、バスで中央駅へ向かう。ここから電車を乗り継いでホテルへ。ホテルは西ベルリン側のBulowstraBe駅近く。東ベルリン側は高級ホテルばかりで、西側には一般向けのホテルが色々とある。泊まったホテルはUS$48/1泊。部屋に荷物を置き、街に出るが生憎の雨でかなり冷え込む。日本の正月明けの頃のような気温だった。

中央駅

午後はまず有名なウンターデンリンデン通りに行く。見るものは色々あるが雨の為、歩く気もせず、余ったポンドをユーロに両替し、昼食を食べていなかったので午後4時頃にカリーヴルストで有名なファストフードの立ち食いスタンドに行く。焼きソーセージの上にケチャップとカレーパウダーが振りかけてあるシンプルなものだが、自家製のケチャップや独自のスパイスを使ったりしているので、店によって味が違うようだ。ソーセージは確かに美味しいので滞在中は小腹が空いた時に時々食べていた。この後も雨は止まず、マクドナルドでwifiが使用できたのでしばらくそこでベルリンでの予定を立てる。朝も早かった為、夜の外出はせずホテルへ戻り就寝。 今回はイギリスのポンドが余ったため、両替所で両替をしたが、普通はキャッシングをして現地ATMから現地通貨をおろしている。両替の手数料は非常に高くキャッシングの利息の方が安いからだ。日本に戻ってすぐ返済することもできるので、現地通貨の取得はキャッシングに限る。ATMは大体どの街中にもあるので、インドなどの奥地に行かなければ見つかるだろう。