ロンドン留学記とベルリンからパリへの移動の記録 3 【2015.3.12-2015.3.28】

【3月14日(土曜)】

この日ホテルからWest Brompton駅近くのホームステイ先へ移動することになっており、朝食は前日と同じものをホテルでとり、13時にホームステイ先にチェックイン。ホスト夫婦と面会し部屋に案内してもらう。土産に”水戸の梅”を持参した。食べられるのかどうか不安だったが美味しい言いながら全部食べていた。10歳の女の子と3歳の男の子もいて家族は4人。

ホームステイ先の自分の寝室。上下どちらのベッドを使用しても良いと言われる。
リビング 夜はサッカーのチェルシー戦を見ながらビールを注がれる。

自分の荷物を整理し、近所を散策する。この辺りは5分も歩くとチェルシー、ケンジントンという高級住宅街にあたる。ここはロンドン市内では格段に富裕層の集まる場所にあたり芸能人や官僚などが多く住む最も高級な地域。亡きダイアナ妃の旧住居もこのあたりにある。10日間の滞在だったので、観光も含め交通の便もよいこの辺りのホームステイを希望してみた。こういった世界の中でも高級な場所に滞在してその空気を味わってみることも良い経験になる。日本には階級制度など今ではもう無いに等しいが、ロンドンでは階級制度はまだ健在といえる。有名なキングスロードまで歩き遅い昼食。昔は若者がたむろしていた通りだったが今では高級ブティックが並んだ通りになっている。この辺りのレストランの見た目は普通のレストランだが高級店並の価格だ。

ホームステイ先の近隣 チェルシー

チェーン店のPret a Manger。どこでもよく見かける店で手作りサンドイッチのチェーン店でオーガニックを謳っている。インターネットwifiが使えるので滞在中この店は時々使っていた。サンドイッチとコーヒーで£5.25。味は美味しい。

Pret a Mangerのサンドイッチ。
キングスロード。無印良品の店舗もこの通りにあり値段は日本の倍。

夕食はホームステイ先での初の食事。毎晩7時頃に用意される。この日はチキンナゲットとポテトフライ。それにグリーンピースと野菜の付け合せ。パン。ペプシ。美味しいとか不味いとかではなく、これは冷凍のチキンナゲットとポテトフライなのでお腹にたまるだけの食事であった。イギリス人は食にあまり気を使わないということがよく分かったが、明日からの食事が少し不安に思われた。

ホームステイ先の夕食。ビールは毎晩注がれる。

【3月15日(日曜)】

朝食はセルフでキッチンにあるものを何でも食べていいと言われ、何があるかと見ると、食パンとコーンフレークと牛乳という質素なもの。家族がみんなコーンフレーク等をささっと食べてすぐ出かけるような毎朝だった。

日中はカンデムタウンという街で日曜日なのでマーケットが開かれておりそこへ向かう。色々な店が出ていて屋台もたくさんあった。中華の屋台で酢豚を買ったが失敗。不味い。ロンドンならではの適当な味付けの£6。少し気を抜くとこういう外れを引くのが海外なので、こういった失敗を繰り返すことにより良い店を見つける判断力がつくと思い前向きに考える。

東ロンドン(East London)のホワイトチャペルにあるブリックレーンが今ロンドンでかなり盛り上がっている場所で、雑貨屋、レストラン、ビンテージショップなどが多数あり、こちらも日曜日なのでマーケットが開催されていた。この辺りはベトナミーズレストランが多くベトナミーズ通りのようなものができており、イスラム教徒も多く、デザイナー、文化人など多種多様な人種が集まり混沌としている。とにかくかなりの人であった。夕飯はホームステイ先にてバジルのパスタとハム。それにビールとワインを注いでくれた。ロンドンの家庭料理はこれだけでいいのだろうかと思ってしまうほど野菜が一つもなかった。量が多くお腹に貯まれば良いような食事である。

ブリックレーンのサンデーマーケット
ホワイトチャペルギャラリー
イーストロンドンからソーホーへ歩いてみたが非常に距離があり後悔した。
ホームステイ先の夕食
出発前にたまたま発売された雑誌、ロンドン特集のBRUTUS。これを読みながら歩いた。

ロンドン留学記とベルリンからパリへの移動の記録 2 【2015.3.12-2015.3.28】

【3月12日】

初日はホームステイ先のチェックインが3.14(土)からなのでロンドン到着後始めの2日間はホテル滞在にした。

飛行機はANAだったので機内食は和食が選べて美味しかった。機内食で美味しいのはANAと台湾のChina Airline、エールフランス、ルフトハンザくらいだと思う。自分が食べた航空会社でそれ以外で美味しいと思えた機内食はあまりない。現地のヒースロー空港に到着したのが、午後3時だったのでパディントン駅の近くにあるホテルに着いたらすぐ二度目の夕食をすませ近くを散策し就寝。時差は9時間戻る。夕食は機内ですでに食べ終わっていたので、簡単に近くの小売店で買ったサンドイッチと水と非常食用にスナック菓子のオレオ。たったこれだけで£4.26=767円。(サンドイッチ=£1.99、水£1.19、オレオ£1.08)やはり物価の高さを感じる。ホテルの周辺はすでに桜が咲いており夜桜が綺麗であった。

パディントン駅、ホテル周辺
ANAの機内食

【3月13日】

この日の朝は、宿泊費がキャンペーンプライスだったこともあり朝食は含まれていなかったのだが、お願いしたところ無料でつけてくれることになった。メニューは食パンとゆで卵とフルーツとヨーグルト。それに牛乳と珈琲等。ホテルはagodaホテルのサイトで検索しキャンペーンプライスでUS$62/1泊。エレベーターなしだが眺めの良い小さな部屋である。

1年半ぶりのロンドン散策。パディントン駅からハイドパーク、バッキンガム宮殿まで歩き、衛兵交代式を見る。

ハイドパークでブラジルから観光で来たという男性に写真を頼まれ撮ってあげた後、紙幣のデザインの話しをされブラジルの紙幣を見せられた。日本に興味があり日本の紙幣はどのようなデザインか見たいとのことだったが、小額のポンド紙幣しか持っていないことを伝えると残念がられた。その後、日本の観光地やサッカー選手の話しをされ、どうしても日本の紙幣が見たいとせがまれたが断った。一度、財布の中味にあるポンド紙幣を見せたが、日本円ではないので帰っていった。何か怪しいと思い後で調べると有名な詐欺師であった。ここで日本紙幣を見せると、その中から何枚かマジックのように何枚か引き抜いてしまう。留学生の日本人もやられた人もいるそうだ。以前別の場所で似たような詐欺に引っかかったことがあるが、サッカー選手の名前が出てきた時に怪しいと思ったがまさにそれであった。実際に日本円は持ってはいたのだが、自分のそれは非常に取り出しにくいところに入れてある。財布やiPhoneも自分でも取り出しにくいほどでスリには警戒している。

Soho
チャイナタウン
C&R CAFE

その後、トラファルガー広場を通り、中心のピカデリーサーカス駅へ。この駅の近くに中華街があり、友人から安くて美味い店を何件か教えてもらっていたため、昼食はマレーシア料理のレストラン、C&R CAFE。人気メニューは海南チキンライス。飯が汁を吸っていてばくばく食べられて美味しい。学生食堂のような雰囲気。ジャスミンティーがついて£8.5。ロンドンにしては比較的安い。東京と同じか少し高い金額。駅の近くに日本の食材を扱っているスーパーを見つけ中を見ると調味料は色々と置いてあり味噌の種類も豊富。途中、喫茶店に寄り珈琲、£1.8。

大英博物館、コヴェントガーデンを回り、夕食は現地に数店舗あるスーパーのM&Sでサンドイッチを買いホテルで食べる。遅い時間に行ったので値引きされていて£1.35。通常は£2なのでロンドンのサンドイッチは大体400円と考えればいいだろう。

ピカデリーサーカス駅 
大型電光掲示板に映る日本企業で最後まで残ったTDK。この10日後の3月24日を最後にTDKも掲示板から撤退することとなった。
Sohoにある日本の料理食材専門店。中国、韓国の食材も取り揃えている。

ロンドン留学記とベルリンからパリへの移動の記録 1 【2015.3.12-2015.3.28】

【以前、と言ってももう今から5年前に書いたテキストになるが、ロンドンに語学留学をしたことがあり、短期の語学留学ではあったが非常に忘れられない記憶なので、またここにあげてみようと思う。ロンドンからドイツ・ベルリン、フランス・パリへと移動しており、これはヨーロッパ周遊としても快適でもう一度行ってみたい旅程の一つ。長い記録なので数回に分けてあげていこうと思う。】

何故ロンドンにしたのかという理由は、まずこの旅程は飛行機のマイレージが貯まっていた為、ヨーロッパ内の空港ならば他国へのアクセスが簡単ということもあり、どの国でも良いというあいまいな理由から始まっている。

 空席が出たのが、往路はイギリス・ロンドンで復路がフランス・パリからの帰国というチケットだった。因みに初め行きたい国はスペインだった。スペインはとにかく食が安価で美味しい。ロングステイをしながら食生活を見てくるということを体験してみたかった、これが最初の目的である。だが、1月に体調を崩したことがあるため、医療機関、治安ともに問題のないロンドンで滞在をすることにした。

 ロンドンといえば、1年半前に訪れたことがあり、とにかく物価が高く貧乏旅行で行ったつもりでも、食生活も買い物でも全てが高級な生活になってしまったという思い出がある。イギリスは戦争に負けたことのない国である。グリニッジ標準時や母国語の英語を持つ世界の覇権国家であり、世界の首都でもある。そしてポンド通貨の価値は世界の中でも高く、過去に$1=360円という時代があったが、調べるとその時に£1=1,000円だったそうだ。そんな物価の高い都市に滞在するということはどのようなことなのか、果たして通常の生活をすることは可能なのか、現地の人々の生活を観察しながら試してみたく思い、それを実行することにした。

 物価が高いと何度も書いてしまったが、ロンドンにはそれでも見るべきところが色々とある。ロンドンにはオーガニックブームがあり今ではそれが定着した感があり、街中のオーガニックレストランは賑わっている。和食のレストランも人気で讃岐うどん店やラーメン屋などはよく見かける。イギリスは飯が不味いという話は過去のもので、確かに他国に比べると不味いものも多々あるが、事前に調べれば美味しい店もフレンチからタイ、ベトナム、中華料理等、多数見つけることができる。

 今回は安い費用で、しかし健康的で美味しいものが食べられる生活を目的にしているので、まずは滞在先をどのようにするか考えた。ロンドンのホテルは高い。£1=180円ということは、東京の約2倍の物価である。何をするにしても2倍の金額がかかる。それにVATという消費税が20%。地下鉄の初乗りは£4.5で£1=180円の時期だと日本円で約810円である。オイスターカードという日本でいうスイカカードがあり、これを利用すると若干安くなり、初乗り£2.1で約380円。ロンドンはゾーンが1から6に分かれていて、ゾーンの移動が遠くなればこの金額も上がる。ロンドン滞在日数は10日間。これを全てホテル滞在にすると、滞在費と食費でかなりの金額になることが考えられた。ホテルは安くても街の中心のゾーン1,2で滞在するなら小さな部屋でもかなりの値段になる。食費も外食すれば定食程度でも一回で2,000円はする。

これをどうすればいいか考え、語学留学をホームステイでという手段を思いついた。一週間の留学をして、ホームステイにすれば食事も提供されキッチンもある。語学も勉強できるのであれば一石二鳥だ。ちなみにロンドンは英語が母国語ということもあり、意外と安い学校があるという話は聞いていた。何件か学校を問い合わせをした結果、ロンドン留学センターという現地の代理店の紹介で、Frances King校が午後のレッスンとホームステイ(1,2ゾーン)で1週間で総額£423ということでそこに入学することにした。食事がついて、英語の授業が受けられ、ホームステイなので24時間英語漬けになれることを考えれば高くはないだろう。そしてロンドンの家庭での食生活を垣間見ることができるのである。気分は高まった。

Frances King

https://www.francesking.com/

ロンドン留学センター

https://www.london-ryugaku.com/

映画「ノマドランド」

理想としては最高の生き方であり、実現しようとすれば様々な困難な場面と向き合うことになる。しかし、家から外の世界に出るということはそういうことであり、多くの事を見て体験することができる後者の方を僕は好む。やはりワイルドに生きたほうがいいし、みんなその方向へ向かっていってほしいという想いがあるから、こうしてテキストを書いている趣旨もある。特に歳を重ねていくにつれて自分に残された時間も限りがでてくる。そこで今までの自分や取り囲まれていた環境と決別しなければならないのだが、それは容易ではない。勇敢さが必要だ。

車上で生活するのか、路上か、それとも住居を転々とするのかは、手段こそ違うが移動しながら生活するということは同じだ。それは旅へと繋がり、それはつまるところノマドの生活だ。僕の場合はノマドという言葉は昔から頭の片隅にはあったが、特にそれに拘りはなく、ノマドの生活をしたいといった強い願望もないのだが、しかし転々と住まいや仕事を数年おきに変えているので非常に緩いノマド生活の様でもあった。その間、他の場所、特に海外へはちょくちょく出向いているので、地に足を固める気などはさらさらない。

この映画「ノマドランド」を見て、これに出演している人々の会話や言葉を聞いていると自分の考えと共通している意見が多々あった。そこには実際にノマドライフを送っている人を出演させているので、リアルにグレイトフルデッドみたいな老人が出てきたりする。今でこそノマドというライフスタイルに付加価値がついたようなものだが、言わば日雇いの浮浪者つまりホームレスとの違いはなんなのだろう?という疑問に対しては、「ホームレスでではなくハウスレス」という返答が返ってくる。

今現在のノマドというスタイルは現状の金融システムから離れ、今までの自身のキャリアと決別し、見栄を捨てて自分の見たいものや会いたい人を探し続けながら移動するということで、保守的な生活、つまり安定した収入、マイホームと家族、見た目を重んじる人からすれば、すこし変わっている人と思われてしまう。

映画ではキャンピングカーで移動している。これも非常に楽しそうな生活だ。この映画ではリーマンショックでのサブプライムローン問題で仕事や街を失った人を題材にしているのだが、今後こういったノマドの生活をする人は増えるだろう。パンデミック後の世界。仕事を失った人々、思考を変えた人々、テクノロジーの恩恵を受けた人々。数年後の未来、住居も車もシェアされていく時代。そんな自由な時代に一つの地点に留まる理由があるのだろうか。

主人公のファーンは逞しい。まだまだテクノロジーの進歩のない時代、歳も還暦を過ぎているにも関わらず、日雇いの季節労働者として転々と仕事を変え移動していく。肉体労働の仕事を手早く済ませ住まいでもあるキャンピングカーへと戻る。彼女のその力強い生きる源はどこから来るのだろうかと考えると、やはり素晴らしくドラマティックな風景や出会う人々との場面があるからなのだ。それは外の世界でしか巡り合えない。

映画「ポンヌフの恋人」

映画「ポンヌフの恋人」を見た。見たと言っても初めて見たのは16か17歳の頃で、この時に何回も見た。しばらく見てなかったのだけど、動画配信で良い画質で見てみたいとは思っていても、なかなか配信に巡り会えなくて、そんな折にAmazon Primeで見ることができた。今年は監督のレオス・カラックスの新作も公開するし、このポンヌフに関しては今年30周年なのだそうだ。30年。そんなに経ってるのか、笑

さて、このフランス映画、今見てもかなり面白い。当時は何というかカラックスなんかに刷り込まれてた部分もあるので夢中で見てしまっていたが、今落ち着いて見るとどうかと言えば、ジュリエット・ビノシュとアレックス役のドン・ラヴァンの二人の浮浪者のポンヌフ橋での生活がとんでもなく重苦しい映像で撮られており浮浪者ファッションが物凄くカッコいい。

話の内容の大半は暗い。そして二人の感情が、ぶつかり合って熱い。暗くて熱くてどろどろしていて、あまつさえ浮浪者での生活が汚いので見た目も酷い。そんな生活の中での純愛と傷を労るような話でもはや全てが真っ暗になってしまいそうなところでパリの街に革命200周年の花火が上がり二人が橋で踊るシーンは素晴らしい。それ以外にも素晴らしいシーンが多くあって、昔何度も見ていたのに忘れてしまっていた。

この映画以外にもカラックスではポンヌフの前作の「汚れた血」もAmazon Primeで配信していて、出演しているジュリー・デルピーは驚くほど綺麗で、今は映画監督にまでなっているが、これらの90年代の映画はやはり今ある映画の原点なのだ。

Chloe

6月は特にこれといって出歩くこともないのだが、仕事柄コロナウィルスのワクチン接種を受けたら2回目接種後に発熱して倦怠感とともに体調の悪い5日間を過ごした。これから先、体調が酷く悪くなった話がSNSやらで拡散されるだろう、と思いながらベルサイユのばらを読んだ後のニュースで面白いものがあったのだが、ベルサイユ宮殿内にホテルができて宿泊できるというニュース。

https://www.cnn.co.jp/travel/35171755.html

https://airelles.com/en/destination/chateau-de-versailles-hotel/page/spirit-of-versailles

敷地内のど真ん中に滞在できるというもので宿泊費は1700€(約22万8000円)、この値段をどう捉えるかは、おそらくベルサイユのばらファンならば宿泊する方も結構いるのでは?部屋数は14室。ホテル内のレストランはアラン・デュカスがマリー・アントワネットに献上されたクラシックなフランス料理を提供するそうで面白い。最初は予約が埋まって予約できないだろうけど、どういった面子で泊るのかが少し疑問。大抵はカップル旅行なんだろうけど、気になるのは歴史オタクの人々。この方々が泊まったら興奮状態で夜も敷地内を歩き回って大盛り上がりをしてそうだ。なんてったってベルサイユ宮殿の夜だ、パーティーを開催してワインをあけるしかない。

そんなことを想像していたら、もうすぐパンデミックも終焉に近づいてきてるのだと感じるのだが、別のニュースでは、日経新聞では「10年後の日本の財政破綻率は50%」という記事。詳しくはないが、整合性が極めて高いDSGEモデルを使用してこの確率を出したそうだ。今回の新型コロナ対策によって、国の財政が悪化しているので、こういう結果が出たようだが、以前から破綻すると言われてきたのがここにきて前倒しになったようなものだろうか。にしても、この話や何年以内に大震災という話も恐怖感を煽っている側面があるので何とも言えないけど、確率で出すとそういう答えになってしまうので、きっとコロナ増税にして%を減らしていく策なのだろう。ただこの状況で増税になると、数字での計画よりも人々の疲弊が疲弊を呼びとんでもないことに繋がりそうだが。

そして今年のダボス会議のテーマが「グレートリセット」。だったのだがシンガポールにて開催される予定がウィルス拡大の恐れがあるため中止。しかし、テーマがテーマなのでまた再度開催するだろう。このグレートリセットは現状の経済や社会を一度リセットして作り直そうという趣旨のもので、以前このタイトルで本も出版されていた。パンデミックや世界経済、情勢からすると非常に分かりやすいテーマへの流れ。きっとみんなの思考もそういう方向へ向いていくのだろう。しかし、人間の歴史なんてリセットしてもしきれないくらいの失敗をしており、これから先の未来も失敗するし、失敗するのが本来の人間なわけで、このテーマに沿って話合ったから解決するかといえば流れは変わっても解決することはない。ただ生きているだけで問題を惹き起こし、毎年毎年を激動激動と言い放ち、いつもが激動なら激動でなくそれは日常なのではないかとも言えるその中で楽しい日々と憂鬱な日々を送るしかない。

先日はエルサルバドルではビットコインが法定通貨として採用されることが決議された記事もあった。こういったニュースを眺めていると、これはリーマンショックの時よりも、前置きというか下準備のニュースが色々ありすぎてまだ始まっていないアフターコロナはどうなってしまうのだろうか。

とは言っても、そんなことを考えているよりも音楽や読書や映画、食事のことを考えているだけでもう沢山なのだが。

最近、身体が疲れていた時に流していたのは、デューク・エリントンのクロエ。

Duke Ellington/Chloe

ボリス・ヴィアンの小説「日々の泡」にでてくるヒロインの名前もクロエ。この曲のタイトルからとったようですが、何とも気怠くてワクチン接種後の微熱にちょうど良い。

そういえば小説に登場するクロエは肺の中に睡蓮ができてしまう病になったのではなかっただろうか?

「ベルサイユのばら」を読み終えてビストロで鴨のコンフィを食べる

たまたまベルサイユのばらの文庫本を借りることができた。ベルサイユのばらは子供の頃にテレビでも見ていたし実家に置いてあった漫画も読んでいたので、内容はよく知っていたのだが今読み返してみても非常に面白い。読み終えた今、頭の中はすっかりフランス革命になってしまった。

マリーアントワネットの普段の生活は昼近くに起きてゆっくり身支度をし、さてこれから何をして遊ぼうか考える。お気に入りの女官たちを集めて、ベルサイユの一角にプチ・トリアノンという農家を見立てた家を建て女官たちと遊ぶ。夕方からは芝居を観に行き9時半頃から夕食をとり、賭博や舞踏会に繰り出す。

ルイ16世は狩猟に行くか錠前を作ることしかやることはなく、バスチーユ監獄が暴徒に襲われた時には日記に何も書いていない。この王様は狩猟のことしか日記には書かないそうだ。

この二人はたまたまその地位についてしまったが為に、このような運命を辿ったのであろうが、それが今からたった200年前。それほど昔ではない当時にやっと人権というものを人々は認識して革命を起こして今に至るということを考えると、このわずか200年前は人の知識というものは多くの人々に広めるにはかなりの時間を費やしたのだ。

漫画の中にはロベスピエールやベルナールシャトレ、オルレアン公と若い法律家、新聞記者などがパレ・ロワイヤルに集まりサロンを開き政治経済、文学、演劇、音楽について語りあっている。オスカルもそこへ参加することになり、ジャン・ジャック・ルソーを読むように勧められ、「世界が貴族のためだけにあるんじゃないってことがよくわかるよ」と告げられる。そして自宅でルソーの本を読んでいると、父親から「謀反人か平民の読む本だ!」と怒鳴られてしまう。

ベルサイユのばらで一番好きな登場人物は誰かと聞かれれば、子供の頃からロベスピエールであったがやはり革命家という響きに魅了されたし、おそらく自分は知らず知らずにうちに左の思考が染みついていたのかもしれない。そういえば昔、会社の上司から「お前は自分では分からないかもしれないけど、お前の考えていることは左なんだ!」と怒鳴られたれたことがあり、仕事帰りに書店で右と左についての本を探していたことがある。しかし自分は特に悪いことは何もしていないのだが。(笑)

今になってベルサイユのばら読み終えると、誰が一番好きかということはなかなか決められず、一人一人が重要な位置にいて誰一人が欠けてもこの革命は起きなかったのだと思うと、非常に難しいパズルのようだ。悪く描かれている貴族がいなければ革命は起きないし、マリーアントワネットがいなければ良かったのかと言えば、あの税金を使った贅沢三昧の生活がなければ国民も行動しなかった。

初めてフランスのパリに行った時、友人からコンシェルジュリーへは行ったほうがいいと勧められていた。コンシェルジェリーはマリーアントワネットが収容されていた最期の牢獄であり、実際のそれを見てみて動揺し悲しい気持ちになった。行ったことがある人は知っていると思うが、中には貴族の人形が牢獄に詰め込まれていたり、マリーアントワネットは机に向かい座っており、こちらに背中を向けており少しゾッとしる。僕はベルサイユ宮殿に行った次の日にここへ行ったのだが、その落差が激しすぎるので少し消沈した気分になりパリを歩いていたように思う。大体、観光名所になっているコンコルド広場やバスチーユなど今は普通の広場ではあるが、ベルサイユのばらを過去に読んでいる自分としては革命の血の流れた場所でそれほど穏やかな場所のイメージではなかった。しかし、もしパリに行くのであればベルサイユのばらは読んでから行ったほうが格段にいい。

漫画には首飾り事件を起こしたジャンヌ、宮廷のデュバリー伯夫人、ポリニャック夫人などが資産を狙う金の亡者になっており日々贅沢と浪費によって敵を作り、アントワネットも好き嫌いがあるようで何人もの敵を作ってしまう。

しかし、調べてみるとこのポリニャック夫人、彼女は革命が始まるや否や資産を全てもってオーストリアへ逃げて家族と共に暮らすことになる。しかし、偶然にも病死したのはマリーアントワネットが処刑された年と同じだったそうだ。対して革命家であったロベスピエールであったが彼も断頭台で処刑されることとなる。過ぎ行く時の中で様々なものが白く塗りつぶされていくのだ。

フランス革命のことを考えだすと止まらいのでこの辺で終わりにするが、この貴族と平民の身分制度が二極化を表しており、今現在とこれから先に、また二極化の現象があるとすれば(実際は今も起こっているのだろうが)このようなものなのだろう。二極化された人と人の差は何かと言うと「たまたまそうだった」というようなことでもあろうし、「その時とった行動はどういう行動だったのか」、ということもフランス革命から読み解ける。

革命は誰にも止められない。一部の人々のエゴや欲に振り回された民衆はいつか暴徒化する。これから先の時代に身分制度があるとすれば、貴族と平民の関係は、貴族をホワイトカラーだとすれば平民は一般人であり(全てではないがここにブルーカラーが入るのであろうか)それは言い換えれば奴隷でもある。しかし、機械化が進めばホワイトカラーも含め、奴隷のような仕事は機械が請け負うようになり、全ての民衆が貴族のような生活をすることになる。

貴族であれば格上の生活ができ安泰かというとそんなことはなく、ベルサイユ宮殿内での煩わしい人間関係や欲望に人々はまたもや悩まされるのだ。マリーアントワネットは普段の生活では何もしないで良かった。家事も育児もだ。

そんなアントワネットの言葉は「私は退屈が恐ろしいのです。」

この言葉は、すべき仕事がなくなった未来の人々にも起こりえることであろうし、ましてや今のパンデミック下で動くことのできない不自由で憂鬱な生活にも当て嵌まるような気がする。

読み終えたあと、偶然近くにいた友達と千葉の柏市に行くことになり、たまたま通りすがったフレンチビストロのMa Cuisine(マ・キュイジーヌ)という店で男二人が鴨肉のコンフィとまぐろのコンフィを食べる。鴨肉は身は柔らかく皮はパリっとしており美味い。

お酒は飲めない状況下だが、フランス料理の店内にいると頭の中ではまだまだフランス革命が続いてしまう。いや、もしかすると今のこの状況も革命の最中なのか?

賭場

ビットコインと東京オリンピックのことについては最早、巷のあらゆるところで騒いでいる状況になっているので書くのはやめていたのだが、ビットコインに関しては最近の暴落、オリンピックに関しては緊急事態宣言により、今この瞬間、相当おもしろくなったので少しだけ記す。

今年、前代未聞の面白いことが二つあって、一つはビットコイン。もう一つは東京オリンピックだ。本題のビットコインについては後記するが、まずは東京オリンピック。自分の叔父は前東京オリンピック1964年時に聖火ランナーとして力走しており、オリンピックには若干縁があるような気がする気になっている(笑)。(本当はそれほど興味はなかった)というか去年までは興味はなかったが今年のオリンピックはそれとは違い、興味津々だ。
こんな普通でないオリンピックは未だかつてなく、今まで見たことも経験したこともない非常に実験的なオリンピックを体験できることが非常に楽しみだ。こんなコロナ禍でおそらく無観客で行われる大会で競技する選手は変性意識状態にでもなり、そんな競技は世界中から注目され、近代オリンピック史上最高の成功を納めるかもしれない。もし自分が聖火ランナーだったら、そんな状況下で走ってみたいものだ、辞退などしないで。
「東京オリンピック?あ〜、ありゃ駄目だねぇやらない方がいい」といった輩達は何も考えてない評論家を気取ってるバカなのでどうでもよく、ビットコインに関しては、よく知らないし如何わしいとだけ言う輩は普通のバカだ。そしてビットコインを持ってる連中はもっと大バカな博徒だ。
そんな大バカに今回の暴落で一層火がついた。
因みに勝負事については、フロイトはチェスは2人でやるものではなく4人でやるものだと話しているそうだ。勝ちたいプレーヤーAと負けたいプレーヤーA、勝ちたいプレーヤーBと負けたいプレーヤーBだ。
勝ったプレーヤーは勝ちたい対戦相手を打ち破ったのではない。負けたいプレーヤーを呼び寄せたのだ。
なので、人々の希望が一点に集中しすぎると頓挫する。
そして皆が失敗すると考える東京オリンピックは成功する。と大恐慌のラジオから話を聞いたが、しかしだ。ビットコインは人々の思惑が半々でせめぎあっており、どちらに賽が投げられるか分からない。

ビットコイン通貨が700万円に届いたのが今月14日なので一週間前。ある程度の区切りで下げる習性があるので下がるのは当然なのだが、今回のは700万円から560万円まで一気に下げた。そして、これだけ話題になっていて参加者も増えると(ここは大きな賭場であって投資とは言い難く、それが悪いことではないが非常に露骨で品の悪い場所ではある、が僕はそんな博徒が集まるところが好きだ。)こういった15%の下げで以前に比べてかなり騒がれているのということがどれだけ通貨購入者の数が増えたかを物語っていて、去年の夏はもっと大きな下落相場があった。どちらかと言うとそちらの方が今より怖く、テスラのような企業の後ろ盾もなかったので非常に信用度のない通貨だった。しかし、その時のボラティリティは非常に激しくこれは何かがありそうだと感じた。こういった時に張る決断は何らかの温度差を数字やチャートの動きで感じるので説明ができないのだが、昨年、1ビットコイン=100万円の時。知人にビットコインが良さそうだと話しても数人にはスルーされた。確かにしっかり投資をしている輩からすると如何わしいことこの上なく(それにしても、しっかりした投資と投機の違いが本当に分からなくなってきた。全てがギャンブル資本主義ではないのだろうか、保険もNISAやidecoなども含めて。)話すのはせずにいる。しかし、これだけのボラティリティがあって結果が出るのであれば正しいや間違いといったことで判別することはできないのではないか。


思い出してほしいのは、リーマンショックの後の株価のリバウンド、あの時はソフトパンクの株価が一時500円くらいまで下がり会社が、なくなってしまうのかと思うくらいの状況だったが、今の株価を見るとそんなことはなく持ち直しているどころかかなりの価格になっている。それと3.11の震災の後、東京電力の株価も暴落し、その後のリバウンドでは物凄い勢いでの上下を繰り返した。震災前は2000円くらいだった株価は一時100円台まで下げたがそこから300円台まで上がったりとしていたが、大半の人はもう覚えてないかもしれない(笑)その時のトレードは非常に巨大な資金が動いた。その時の雰囲気に今回の仮想通貨の値動きも似ていてちょっとした事件にも思える。違うのはストップ高もストップ安もなく24時間動いていること、前代未聞ということだ。これが今まで見たことも経験したこともないところで、ブロックチェーンの詳しい説明なんかはそういった資料を読めば分かると思うので、僕の場合は博打的な感覚でしかやっていない。ニュースの記事など色々とあるけれど最後は自分の感覚を信じるしかなく、負ける時は負けだ。
本当に色々な識者が様々な分析をして専門的なことを話すが、博徒(投資家?)の中にはそんな説明をひっくり返るようなことをする連中もいるので全ては信用できない、イーロンマスク然り。
賭け事なので勝ち負けの結果は全く分からないが、自分の中ではフルベットしても良い考えだ。フルはしねーけど、笑(逃げ時、逃げ道、逃げ所の方が大事だ)

今日、テスラモータースが決算発表で予想を上回る過去最高益を叩き出した、ビットコインの売却益も含めて。イーロンマスクは自分のビットコインは一切売却はしていないと付け加えて発言している。いずれは火星への往復チケットを1ビットコインで売り出す気なのだろうか。

私的音楽記録談 2020~2021(紹介しきれないので今回のはVol.1とします。)

最近聴いている音楽でその中でもよく聴いていた曲をあげていくことにしてみた。特にこの1年間は在宅していることも多かったのでホームリスニングに集中できると色々探してはいた。しかし1年前のコロナ禍初期は幾分落ち着かず音楽に今一つ集中できなく、憂鬱そしてメランコリックな曲を聴いていたように思う。

前置きはぬきにして、特にランキング形式で書いていくようなことはなく、これから思い出しながら挙げていくので新旧問わず、ポップスからテクノ、ジャズ、ブラックミュージック、現代音楽まで順序はランダムだ。

それでは「私的音楽記録談」

Jenevieve/medallion

90年代的なR&B。HIPHOPもテクノも90年代的なのが流行ってるのか。これはPVも90’sのようで見ていて格好良い。

あと最近、聴いて驚いたのは、藤井風。彼は天才かと思うくらい歌も作曲も完璧で大物になりそうな若干23歳。

藤井風、曲名は「何なんw」

PVもマンハッタンを練り歩いており、彼はR&Bをやっているのかと思い、この曲って何かを思い出すんだよなと考えていたら、SWVや過去のR&Bの曲が頭に浮かんだのだけど、TLCのBaby-Baby-Babyをちょっと思い出した。

と言っても曲は全然違ってますね。元ネタとかあるのかな。

「神様助けてヤバメヤバメヤバメ」と歌うところが好き。

Sam Gendel/Eternal loop

サックス奏者Sam Gendelの自宅録音盤。ジャズと映画音楽の全編物憂い曲調、だが非常に居心地の良い音楽。かけっぱなしにしてしまうと気持ち良すぎて一日が終わっている。

心地が良いと言えば、

Maye/ Tú

マイアミのSSWだそうです。ラウンジーなラテンミュージック。

バカンスに行きたくなります。

このノリで次の曲へ。

The Marias-Ruthless

LAのネオソウルグループと紹介されてました。これは良いですね。PVもボーカルの娘もかわいい。これもバカンスに行きたくなる、映像はクルーズ船。

あとはコロナ禍ということもあり、結構静かめなピアノソロの曲をよく聞いてたんですが、

Jhon Hicks/After the morning

分かる人はすぐ分かるヌジャベスのネタになっている曲です。これは本当良い曲。

このまま一緒にJazz PianoのFumio ItabashiのWataraseも続けて聴いていきます。

このままJazz Vocalに続けて、

Outside Inside /Torun Eriksen

Troye Sivan – Take Yourself Home

Troye Sivan、美男子シンガーとのことですが、これは落とされます。

Heavenly – Cigarettes After Sex

Cigarettes After Sexのこの曲もダウナーでアンビエントで聴いてると落とされます。でも良い曲。

Miyu Hosoi/Jardin

これぞ2020年の夜に鳴ってしまうような曲。美しいです。

あのAutechreも新しい曲を出してました。音楽家みんなが創作活動していますね。

Autechre/r cazt

丁度こういった時期に聞く音楽かなと。

次はガンダムのメインテーマを菊地成孔さんがやっていて、聴いてなかったので聴いたらフリーキーで格好良かったです。2016年の曲です。

ガンダム・サンダーボルトテーマ

世界的に評価の高いTigran Hamasyan

ジャズ、クラシック、アルメニア民謡が混ざっていて映像も面白い。

いかん、紹介しきれないのでまた次回に続けるということにします。

最後はCarlos Cipaのメランコリックピアノです。

Carlos Cipa – Dreamlessly (on Blüthner Grand, 1935)

以上。だけではないのですが、書き終わらないのでまたいつか次回、この企画で書いてみます。

新疆ウイグル自治区で行われた尋問手続きとその手順と所要時間

最近、ウイグルかウィルスなのか見間違えるくらいニュース欄でこの文字を見ることが多い。昨日も訪米した菅首相らも対中国に対しての協力姿勢を示していることをTVのニュースで放送しており、その裏の番組ではリーゼント刑事を放送していた。今後、海外へ行く人の中には世界を牛耳る国がアメリカよりも、日本のリーゼント刑事率いる徳島県警よりも、中国になっているかもしれない奇妙な世界の中で(もちろん僕はリーゼント刑事派だ)たまたま中国公安から尋問される機会も増えるのではないかと思い、そこで行われる尋問の状況について書いてみた。

今月は、ユニクロの柳井さんのウイグルについてのノーコメント問題が話題に上がっていたが、僕は柳井さんのノーコメントについては自分も少し近いところがあり、もちろん柳井さんはビジネスをかなりシビアに考えているので自分のとは全く違うし、実は余談だが僕は数年前に柳井さんの自宅へ二、三回行ったことがあったりする、当時の自分の上司が邸宅を建築しており、自分が行ったのはその建築中にだが、まるでそれは広大な敷地にある城のようだった。

僕は昔、世田谷に住んでいたことがあり部屋は1階だったのだが、二階に住んでいる学生が夜中友達を呼んで騒いでいたので何度か注意したのだが、学生はユニクロでバイトをしていて帰りも遅くなるので深夜になっても生活音がするのは仕方がないと主張してきた。そのことを当時の会社で話すと、上司が「今日、柳井さんと会うから話してきてやるよ、どこのユニクロのバイト?」と言うので、「いやいや、そんなユニクロの社長から直接バイトに話がいったら学生めちゃくちゃびっくりするでしょーよ(笑)」と僕は言い、上司は「直接の方がいいじゃねーか(笑)」と言っていた。結局この問題については自分で対処したが。

そしてこのウイグル問題、何故ノーコメントであまり話したくないのかと言えば、兎に角危険だからだ。僕は2018年の11月に新疆ウイグル自治区でプチ弾圧された。中国に行ってプチ整形してきたのではないです、プチ弾圧です、中国の公安に連行されて。その時にされた威嚇と取り調べが非常に自分に恐怖感を与え、少し前に香港の活動家である周庭さんが取り調べを受けた後「今回のは、、、怖かったです。。」と話していたのを見て、彼女の気持ちに共感を覚えるくらいプチっと脳裏に焼き付いている。なのであの時のことは口にチャックをして一切漏らさないようにしており、しかし誰かと酒を飲み交わしている時はついつい思いっきり喋っているのだがそれは内緒だ。あとは髪を切ってくれるバーバーのお兄さんがこの弾圧の話が好きでよく聞いてきたりするので、髪を切る度話していて、周りにいる客にも聞こえている。しかしながら、これからここに書く詳細はオフレコにしてほしい。

2018年の11月はまだウイグル問題はメディアに公開される直前(ウイグル特集を組んだNewsWeek誌発売の2週間前くらい)で、だが現地では強制収容所へ連行されているウイグル人が多くその真只中であり、しかし実は僕はこのことについて当時ほとんど知らず猛火の中へ飛び込むようなものだった。それよりも旅好きの友人が数年前に目的地であるウルムチに行ったことを僕に話してくれたのだが、そこには80年代の中央アジアの風景や人々との交流を彷彿とさせるような内容で、全盛期の地球の歩き方の時代を感じとることができた。しかも現地のウイグル人達と焼肉の出店が立ち並び、俺の写真を撮ってくれとせがまれ写真を撮りまくったそうなのだ。そして自分の母親もウルムチから西安、シルクロードに行ったことがあり、その素晴らしさを聞かされていた。

そんな回想を巡らせながら男友人と二人で現地へ向かい、搭乗した飛行機を降りてウルムチの空港を出ると大きな装甲車が出口で僕等を出迎えてくれた。

カメラを向けて装甲車を撮影すると中から4、5人くらいの軍人が一斉にこちらを見た。これは撮ってはダメなのか隣に立っていた何かの係らしき人に聞くと「いいからいいから」というようなことを言うので大丈夫かと思ったが、装甲車の中からはとにかくこちらを凝視しており、妙な気がしたのでやめて街へ向かうバスに乗り込む。

ちなみにウルムチへ行くには北京経由で、成田空港を22時頃に出発し、北京空港にて一泊夜を明かして早朝の便に乗り、朝の10時くらいに到着した。ホテルを探し「胜利路」(Shengli Road)という現地のウイグル民族が多く住んでいる地点を目指す。街中は長閑で中国の地方都市のようでそこにはビル街があり、大陸のど真ん中に発展した都市があることが不思議で街中を散策した。歩いていると公安から立ち入り禁止を告げられたり、中国の赤い国旗は妙にワザとらしく街頭に数多く掲げられていた。街中は漢字とアラビック文字と英語の交じった文字で書かれた看板があちこちにあり、大陸のど真ん中にある文化と人種の最大交流地点なのだということを意識させてくれる。そして事はウルムチで有名なバザール「二道橋市場」という大きなショッピングモールである複合施設であり見た目はモスクのようだが、そこへ向かう途中に起こった。

歩いていると寺院のような建物があり、なぜか壁の上部には有刺鉄線が施されていた。何も考えずに、あぁモスクか、と写真を一枚撮影するとスチャダラパーのボーズ似の公安の一人がこちらへ向かってきた。ちょっとこっちへ来るように誘導され、危険な雰囲気は全くなく旅行者へ対する何らかの確認でもするのかと思ったのだが、ここへ入れと言われるとそこに街の交番のようなものがあり、建物は何というかカップケーキの大と小を二段に重ねたような円錐のベージュ色の2階建ての建物で窓には鉄格子が嵌めてあり、外からは見えないようになっている。こんな愛らしく奇妙な建物の中へ興味深く入ると役人用のデスクと折り畳みの椅子くらいしか物はなくて、がらんとしていた。そこで2,3人の公安に監視されながらしばらく待っていると、2階から上官らしき人物が西日に照らされながら階段を下りてきた。その光景は何というか再現された一昔前の戦時中の映画のような雰囲気だった。この公安から中国語で色々と話させるが英語が全く通じない。そこで一緒に来た友人がgoogle音声翻訳を使い自動翻訳を始めた。これがなかなか優秀で多少コミュニケーションがとれたが、いかんせんこの地区は電波が悪い。レンタルwifiも非常に遅くインターネットやSNSも規制されている。自分もその自動音声翻訳を使い始めるが言語設定が英語から中国語への翻訳となっており、あまつさえ電波が悪く変更がスムーズに変えられない中、友人の日本語と相手の中国語と自分の英語とで混乱状況になってしまった。そうこうすると、公安が話す内容が翻訳機に表示された。「ここでしばらく待ってください、座ってください」。またしばらくすると、外から今度は軍隊が7,8人中へ入ってきて、みな長銃を構えたデザート迷彩を来た軍の連中で、僕等が携帯電話を触っていると、携帯を触るなと注意してきて、その長銃を全員で床にドドドド!!!と突いて威嚇してきた。その時は、自分はそういう威嚇に対しては割と落ち着いていて、ちょっと面倒事かな、というか面倒くさいと思い早く処理が終わるのを待っていた。現地時刻で夕刻の4時だ。

そうすると、「よしOK」のようなことを公安が言うので、あぁこれで終わりか、解放されるのかと思ったら、パトカーのような車が来て、これに乗れと言われ連行されることになった。この時、どこへ連れていかれるのか分からず恐怖を感じた。着いたところは大きなグレーの建物で入口の扉も非常に高い位置までありそれが頑丈に閉まっている。日本でいうところの警察署の本署のようなものだろうか。中へ入りベンチに座って待っていると、隣にも何人かの連行されたウイグル人も座っていた。自分達の番になり窓口に呼ばれ若い男性の公安との質問回答が始まり、またもやgoogle音声翻訳の出番となった。ここでも日本語と中国語と英語の入り混じった混乱のやり取りで(友人は日本語、自分は英語を話す人物だと思われてしまった、google音声翻訳に英語で話して中国語へ変換というのは相当大変なのは英語力が中級レベルの人なら分かるだろう)公安からの質問は、「取材許可証は持っていますか?」ということを何度も聞かれた。どうやら相手は自分達を記者だと思っているようだった。記者ではないと説明し旅行に来ていると伝えてもなかなか話が伝わらず、パスポートとカメラの中身を全てチェックすることになりカメラをもっていかれた。その後に続く質問は、「職業は何ですか?日本のなんという企業で働いているのですか?社員証はありあすか?」、パスポートを見て「あなたはイスラム国に数か国へ行っていますが、目的はなんですか?」等と続き、滞在日数、今後の予定などを聞かれ、翌日のシルクロード行きのバスのチケットがあったのでそれを見せて、職業の説明については、料理人風に包丁で物を切るゼスチャーをすると、公安は「あー、シェフかーOKOK」と笑い何故か受けた。そして疑うことなく納得し(なぜこれで納得なのかよく分からないが)、戻ってきたカメラの中を見てまた笑っている面もあった。そして、またしばらく待って下さいと言われ、ウイグル人達とベンチで待機することになる。もはやこの雰囲気は虐めである。その時、トイレに行きたくて、トイレに行かせてもらい、よく考えたら昨晩は北京の空港で一夜明かしており、そのまま行動をしているので、ゆっくりしていた時間はなかったのだ。

その間、友人は目の前で尋問を受けており、一生懸命話を続けている。その待機している間、様々なことが頭の中を過ぎり、今夜はここで一晩明かすことになるのだろうか、いやそもそも一晩で済むのか?伊藤忠の香港で逮捕された社員は数年間日本へ帰られていない、この尋問の時間が延びると帰りのフライトに間に合わないが、帰りのフライトの時間は公安に伝えたので、2日後のフライトであれば早く帰国してもらいたいと思っているはずだがどうか、ここで提供される飯の味は食べられるものなのか?布団はあるのか?絶対寒いはずだ、そして確実にアンコンフォタブルだろ、ここは(笑)等と考えていた。

友人の話が通じたのか再度自分も呼ばれ、出て行っていいと言われ解放されることとなった。最後の頃は公安もいいお兄ちゃんのような雰囲気になっていた。外に出ると空が青く高くやっと出られたと出所の喜びを全身で感じた(笑)トータル時間3時間半くらいだったと思う。とにかく腹が減っていたので中央アジア料理の店を探しにバザール「二道橋市場」へ向かう。そこは入口に検問所があり、入る人々は顔認証システムで身元を確認してから中へ入れるような物騒な雰囲気であった。自分達は外国人なので別室での検問になる。滞在中はこういった身元確認が何度も続き、旅好きの友人の話していた異国情緒あふれる自由な中央アジアの風情はもはやそこにはなく、非常に不自由で監視されている中央アジアだった。

過去の海外での出来事の中でも一番危険を感じたのがこの中国での尋問の件であったと思う。騙されたり、病気になったりしたことはあったが、このような恐怖感は他にはない。中国へ行くのはしばらく止めておこうとさえなった。

このウルムチ滞在の後、数ヵ月してからスウェーデンのストックホルムへ行った。その帰りの便はストックホルムからフランクフルトを経由して日本へ帰国するものだったのだが、天候が荒れており飛行機が飛ばなくなった。スタッフに相談しに行くと、フランクフルトに一泊するしかないと言われたが、他の便を探してもらい、ダイレクトフライトが見つかり、しかしそれは中国国際航空だった。北京経由の羽田行き。北京での乗り継ぎもしたくない気分であったがここは止むを得ない。便を変更するため特別の経路で空港を移動する。

搭乗ゲートへ入る前に専用のカウンターで前に並んでいた外国人が何処へ行きますか?とスタッフから質問され、「ウルムチ」と答えていた。もし彼が悪運を持っているとすれば、現地でそれが尽き果てるのかどうか。

ウルムチに関しては以下の2本の動画を制作しているので興味のある方はこのリンクから。

最後に友人の書いているブログTOKYO.IS.THE.REASONにて良き時代であったウルムチの紀行文と写真が載せてあるのでリンクを貼っておきます。ほんの数年前なのに、こんなウルムチはいまや見ることはできません。