ギターの練習を生活に加える

昨年くらいからギターをまた練習し直していて、実際は東京から出る時に、もうちっと練習し直すかとクラシックギターは引越しの度にずっと持ち歩いてたんですが、なかなか練習に向き合えず、クローゼットの中に神棚のように拝んでいたですが(笑)まぁ、やはりこんな時期で外出制限もされていたので、譜面を買ったりして練習してました。練習しているのはボサノバギターの基礎からです。学生の頃は何曲か練習して弾いていたんですが、今やってみるともう指で弦を押さえるだけで、指が痛くなってしまいます。が、半年もやってたら昔の感覚が少し戻ってきました。

それで練習していて思ったんですが、やっぱり楽器はいい。非常に楽しい。もうコード、特にボサノバのコードを押さえて鳴らした瞬間の音なんてもう、天使です、天使。雨の日になんか鳴らすともはや音響です。

自分は音楽好きなんで、あれですけど、誰しも本当に好きな曲って一曲あるじゃないですか?絶対的な曲。逆らえない曲?(笑)自分ではそれはブラジル音楽では超有名曲のコルコヴァードなんですが、これを弾いてみたかった、昔の話ですけど。で歳を取ったらボサノバでもやってたらいいかなと。以前、Nora Jonesのライブを武道館で見たんですが、彼女がアルバムの4枚目かな、その辺でポップス寄りになってきていて、それはそれで良いんだけれど、そんな売れ線のジャズミュージシャンがライブでカントリーブルースを演奏したんですよね、ちょっと土臭い。しかもカントリーのバンドまで結成して。そんなの受けないだろうとも思ったのですが、これに非常に感激して、ここまで売れてもジャズ、アメリカ音楽の原点に向かうんだなと思い、自分は当時DJをやったり、どっちかというと興味の方向は電子音楽だったんですが、クラシックギターを手に入れたんです。学生の頃からもっていたセミアコのギターはもうボロボロでしたので。

精神的に鬱や不安定な人なんて楽器をやればいいのになと本当に思う。自分は特に鬱とかそういうのはないですが、この楽器に集中する時間って、今になって本当に貴重だと実感しました。学生のころはね、よく弾いてましたけど。でもみんな止めてしまうんですよね、働きだすと。仕事に夢中になることを悪いとは言わないけど、そうなると音楽に向かう時間は自分で作らないと難しい。過去に音楽をやっていた人って本来は音楽家の精神が宿っているはずなので、社会人になってお金や経済のことが中心になって、音楽の才能をどこかに引っ込めてしまうのは勿体ない。音楽はもう卒業したとか意味がわからん。

とりあえず、今はイパネマの娘と、ワンノートサンバを毎日弾いています。このワンノートサンバのイントロなんか弾いて聞いたらクラっときますよ、ホントに。

ちょうどこんな時に菊地成孔さんがラジオで音楽家の育て方について話をされておりました。これも非常に良い話でした。

以下文

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せっかく音楽が好きな人をマウントとって音楽嫌いにさせた奴らは全員地獄行きです。一度でもやっちゃったなって経験がある人はすぐ懺悔してください、どこのお寺でも神社でも教会でもいいから懺悔してくださいね(笑)

音楽家の育て方として、まず音楽を嫌いにさせないで音楽において嫌な目を一切させずに育てば全員音楽家になれます。

音楽家になれない、音楽家になりたいのになれないというケースの90%以上は、楽しくやって調子良くいい気分でやったら誰かにダメ出しをされたという屈辱によって音楽が嫌いになることによって挫折しているので、才能がなくてなれないんじゃない。これはすごく大切なことで、音楽の才能っては人間に絶対備わっています。ただその音楽の才能の芽を摘んでしまうのはトラウマというか嫌な経験で、屈辱経験なので、屈辱経験と精神的外傷は別です。だからトラウマではないです。もし、さぞかし嫌な言い方されて、がっくりきて、音楽が嫌いになってしまったのならば、そんな奴はやっちまえばいい、殺っちまえばいいと思います(笑)

自分は音楽家に対して、「駄目だ、そんなのじゃ!」なんて言えやしなくて、潰されれば潰されるほど這い上がってくる、それが本物だなんていう考え方は、とにかく音楽でそれはないです。

音楽はやりたいようにやらせて、どんどんイイネイイネ言っていくうちにできてくるから。だから音楽は屈辱経験を与えず、のびのび演奏すれば絶対に才能が開花して肉体化しますのでそのことは忘れないでください。

最後に最近好きなジャズバンド、というかAndrea Motisというバルセロナ出身のジャズボーカル兼トランペット奏者。調べるとNora JonesやGregory Porterのプロデューサーと同じジェイ・ニューランドとブライアン・バッカスと記載してあったので、その辺りが好きな人は結構気に入りそうです。これを見てやはりセミアコが欲しくなりました。GibsonのES335を買うか買うまいか。以上。続く。

緊急事態下での資格受験

資格試験の受験のために久しぶりに緊急事態宣言中の都内へ出てみると、週末の朝だったせいもあるかもしれないが、街中の人はまばらであった。東京モノレールで会場まで向かうと途中ホームに設置してあったフライトの掲示板はキャンセル表示だらけで、おぉぉヤバい感じだなと不穏な中、試験を受ける。

試験は某医療資格(管〇栄〇士)の試験である。病院では何人かは持っている必要がある必須試験だ。しかし、この資格の受験資格を得るのが物凄い大変で(もはや試験内容よりもだ)、一般の社会人からこの資格を目指すとなると、最低6年もかかる。まず、専門学校に2年(4大卒であれば卒業と同時に受験可能)、就職して実務経験3年。そこから試験日まで1年の計6年。おそろしいほどの手間と時間だ。6年間といえば小学1年生が6年生になって学校を卒業するくらいのものだ、物凄いだろう。そんな成長と成長の毎日の6年間を想像すると、自分の中年の場合のこの6年間は小学生のそれに比べてそれほど進化はない。あったといえばなかなか予約のとれない香港のレストランの龍景軒に行くときの自分の名前はウィリアムになっていて、今後もこのレストランに行くときはウィリアムだったり、別の名前が自分に付くのだろうという進化くらいだ。

話は戻って、試験会場にいくとそこにいる受験者は9割方は女子だ。20代から30代くらいまでが大半で男はややいるが非常に少ない、いても20代の男子だ。そこに自分が受験をしに行くとなると、「んんっっ?」「なんかいる」と目が合う女子が多い、ような気がしてならない、気のせいかもしれないが、見られているような気がする。いや、はっきりと目が合っていた。確かにこんなおじさんで受験している奴は自分くらいなもので(前に書いた通り一般の人が受験するのは非常に難しい)よくここに入れたな的な、雰囲気としては女性専用車両に入ったようなものだからしょうがない。この人は一体、何回受験しているのだろう??きっと数十回受験に失敗しているのだろうなど思われているのであろうか、こうなるともはや試験会場の元老院だ。自分の場合は歳の割に少し若く見えるのもあって多少誤魔化せるかもしれないが、はっきりいって他の受験生の親みたいなものだ。ちなみに今回は勉強をサボっており思い出受験である。思い出したくはないが。

帰りに新橋で降りて飲み屋周辺を歩くと人は少なく、しかも20時には閉まってしまう。店は空いていて、緊急事態宣言解除後よりも安全そうではある。しかし、これが大恐慌前の風景になるのかどうか分からないが、東京モノレールでフライトのキャンセルだらけの羽田空港前で降りて、女子ばかりの会場で試験を受けて、緊急事態の街を観察してと、まさに世紀末的な1日でもあって、なんだか調子が良くなってきてしまった。

向田邦子没後40年特別展

向田邦子没後40年特別イベント「今、風が吹いている」に出ることになったと、友人の永井さんから連絡があって、なんのこっちゃよく分からんと思ったら、青山のスパイラルで向田邦子展を開催していて、その開催内でドキュメンタリー映画の「向田邦子の贈り物」という映画上映会があり、その映画に出演するということだった。というか、自分で調べないと何に出るのか全く分からない永井さんのメールの内容だった(笑)

https://www.spiral.co.jp/topics/art-and-event/mukodakuniko

向田邦子といえば、ああそういえば昔、「おしゃれの流儀」というエッセイを読んだのと(昭和の文化おしゃれ人で何とも素敵な東京生活を綴った内容)と、確か旅好きで30代後半から海外を駆け足で周り、台湾の帰りに飛行機が墜落して亡くなったんだなと、昔買ったブルータスを見てみると、そうそう北アフリカのチュニジア、アルジェリア、モロッコのマグレブ3国を旅してそのエッセイも書いていたので後で読もうと思ってた「女の人差し指」、

そ、れ、よ、り、だ!!

永井さんが映画に出ると言っていたので、そのドキュメンタリーの製作出演者を見てみると、一覧に“角田光代”先生の名前が並んでいるじゃないか!!それに西加奈子先生の名前も。角田光代、永井尋己、西加奈子って名前が、3人の名前が同じ一覧に載っている!!

全然文壇と関係ないのに、文壇の人達と並んでいる!(笑)

これは映画のイベントの日は自分もスパイラルへ行きたい、と思っていたのが、あえなく緊急事態の為、中止でオンライン配信になりました。

あー、びっくりした。イベントが開催されてたら、永井さんと文壇の人達が並んで立ってたかもしれない、なんでそこにいるんだ???と(笑)

永井さんはCGクリエイターとして参加しているそうです。それでこの映画はオンラインで2/27から配信されることになったので、こちらから見ることができるそうです。(宣伝)https://members.tvuch.com/mukoda/

ちなみに、自分の旅音楽の映像も最初の回から作り方を教えてもらっていたのは実は永井さんからなんですね。最初は全然分からない中、色々と教えてもらって、素人ながらなんとか試行錯誤してやってきておりますが、また最近ファンから以下のコメントがあり「Fuckin’ on point all the time! Respect.」もうどういう意味やねん、これは。(笑)世界へ向けて配信すると結構反響があるものだなと、この「どんだけ俺の映像が好きなんだアメリカ人」にはいずれ飯でも奢ってやりたいなとは思っております。

そんな自分の動画ですが、角田光代先生の影響なくしては、この動画はありえなかったくらい先生のエッセイは大概読んでるので、こう永井さんから角田光代先生に繋がるというのはなかなか嬉しいもので、イベントは開催してほしくはありました。旅といえば沢木耕太郎が人気がありますが、角田先生のはフワフワとした内容の中にじわじわと、そして急に突き刺さるような書き方をする文体がはっとさせてくれて心を動かしてくれる。最近もエッセイは書いていて、「大好きな街に用がある」というエッセイを読んだのですが、角田先生もそれなりに年を重ねているので内容も少しずつ変わってきていて長年読んでいても飽きない。

今の時代、書店には並ぶ本は、いつも売れそうな内容の薄い自己啓発や役に立つ経営事業や、メンタル、AI、科学と未来といった本ばかりが並んでいるので、向田邦子のような文系の本は大事であって、こういった文化を科学の進歩によって失ってほしくはない。

文系vs理系になってしまうのですが、本来自分は文系なので、未来科学の生き残り戦略本なんかより、文学の方が重要だとは思ってしまい、それのみだとこの先、埋没して生き残れないとも思うかもしれないが、生き残る残らないといったことは各自の思考や信念に確実性があれば括りは問わず残る、もしくは満ち足りた破滅。それにAIという一単語で簡単に括られるほど人や文化は単純なものではないのは分かってはいる。理解はしているが、明治維新時に日本のこれまでの文化をあっさり埋葬するような風潮にはしたくないといった気持ちで昭和平成のインターネット前の文化を再確認する必要はまだまだ沢山ある。

SFファンタジーな三菱UFJ emaxis neo

投資のことなど考えるのは頭の中に空いているほんの隙間ですればいいくらいに考えていて、以前は博打のように個別株に投資して夢中になっている時期もあったのだが、それはそれで経験にはなるし、新聞は読むし、しかし新聞は取ったことはないが、ここぞという時はそこへ投資する時はある。しかし、日がな一日それのことを考えてしまっていては、本来やるべきことが手につかず一日を終えてしまい、しかし金はやはり金であってよほどの資産家でもない限り(資産家でも投資に夢中であるが)上手く生きていくには、そこからは逃れられない。というか、やらないという選択は自分にはない。なんだか真剣な投資家からは叱られそうな姿勢である。ていうかこんなの遊びじゃんね、人生も半分は遊びでしょ、どうせ。

そんなことを真剣に考えるよりも、自分はサングラスを新調しようと本当は都内で探そうかとも思っていたのだが、近所の眼鏡屋を物色しているとなかなか品物が置いてあり、Eyevanにするかオリバーにするか、試着していると何故だかGUCCIの形が自分に似合っており、いやGUCCIはちょっとなぁ、それよかはオリバーピープルだと迷っていればあれこれ話に乗ってくれた店員が、その形で在庫を何種類も取り寄せて準備するということに。やっぱりこの世はネットショッピングでは測れない昭和的なやり取りが必要になってきたりすることが稀にあり楽しい。全く関係のない話になってしまった。

話を戻すと今この混乱の中(何だか混乱って言葉を本当によく使うな、)人々が困っていることと言えばやはり金のことであろう。やはり投資による資産運用は昔から必要不可欠ではあったのだ。しかし、不思議がられるかもしれないが、僕はそこから少し離れたいとは前から思っていたのだが、(これは頭の中の情報量を減らして集中力を他のこと、例えば音楽や料理、映画や散歩など、笑。へ使いたいだけなどの理由だ)しかし最近のETFは種類も多く、よくできていることから少しくらいの信託報酬を払うくらいでチャートを眺める時間を大幅に減らせるということができるのならと、大体の投資先を投資信託にするようになった。

そこで昨年くらいに気になっていたのが、三菱UFJのeMAXIS Neo。これは、未来のテクノロジーに投資をするファンドで、何種類かの分野に分かれている。そのジャンルが面白いのだが、「遺伝子工学」、「ロボット」、「宇宙開発」、「ドローン」、「ナノテクノロジー」、「バーチャルリアリティ」、「自動運転」、「ウェアラブル」、「フィンテック」といった分野だ。もはやSFとファンタジーである(笑)

すでに自動運転のファンドは出来高が高くランキングも上位に食い込んでいる。もしかしたら、これが天井かもしれないしテスラの暴落の件もあり、なんとも言えないのだが、自分は「ナノテクノロジー」の分野は大いに飛躍するとカーツワイルのシンギュラリティの書籍を読んでいるため、そしてナノテクノロジーの進化の過程が脳に浸み込んでしまっているので、半信半疑だがここへ投資することにした。おそらく本当に価値がでてくるのは5年後から10年後かもしれないが、自動運転よりも衝撃的だと思っている。

2018年12月に10,000円で始まり、現在2021年1月22日で21,631円。バブルではある気もするが、この先この宝くじはどうなるだろうか。やはり投資は遊びだ。

2020年(前編)と2021年(後編)

2020年から2021年になったわけだが、新しい年が始まったというよりは、前の年から続いているような、というか後編が始まったとしか思えない。ラジオを聞いていたら2020年と2021年は合わせて1年になるようなことを話していたのだが確かにそんな感じだ。

2020年ってTwo thousand twentyでしょ?で、2021年がTwo thousand twenty one. 数年後は、「あー、トゥーサウザンとトウェンティワンの時ねー、あの時はああだった、こうだった、んだんだ」のように9.11や3.11のように語呂よく語られるようになるのだろう。一抹の不安は2021年が後編で終わればいいのだが、実際は2022年が完結の3部構成だったらそれはさすがに長編すぎる、と心配になってしまうのだが。

とにかくだ、今年は後半戦であって、夢も目標もなく、昨年と同じ生活が繰り返されることへの苛々と諦めしかない。まさに空洞の2年間。というか、今もって深刻化している状況で先が見えない。もう分かった、この1年で十分我々人類についてはあれやこれやとテレビでもネットでも動画でも雑誌でも取り上げたのだし、もうこれ以上に反省や考え直すことはない。人間がやりすぎた生き物であることも分かった。頼む、この檻から出してくれと全国民が思っているのなら、ありうるとすれば、今年国民は緊急事態など我慢できずに脱獄するということだろうか。

今このコロナ禍で人々が気付いたことはと言えば、「しまった、やりすぎだった」こと以外に何もない、とは菊地成孔さんのラジオでの発言。人はやりすぎる為にこの世に繁殖した生き物で繁殖もしすぎ、なわけで、かのジョルジュ・バタイユもそう仰っており、「生きることは狂ったように、だが永遠にサイコロを投げることだ」と。

このブログを書いている時に、実は近々行う予定の、某専門学校から講師依頼の文書が届き、それの台本を書いていたのだが、緊急事態宣言の為に延期になり、ならば休暇になると思っていたら、話の内容をテキストに書いて送れとのことで、またテキストを書くのかとまさに今、同時進行で書いている。話す内容の中に学生に向けての言葉などがあるのだが、この空洞の2年間において、それをどう伝えればよいのか考えていたが、世の中の悪い歯車の話などをするよりは、着眼力を身に着けて物事の本質をつかみとる力をつけるにはどうすればよいか、を話すことの方が学び(笑)があるのでは、と思った為、それがテーマにはなった。

それにしてもこの年齢にもなると、実際には特にこちらから熱心に学生にむけて何かを伝える気力などそれほどなく、依頼されれば勿論するが、もしくは学生から質問があれば返答するくらいのモチベーションになっている。しかし、もしも何か新しいことをするなら若いやつとツルめという言葉があり、自分は若い人は大好きであり一緒に行動するのも楽しいのだが、おそらく同じ目線で話合うのと講義はまた違ったものなのだろう。まぁ、これまでめちゃくちゃな生活をしてきたわけで、自分などよりも管理職やインテリゲンチャの優秀な人など五万といるので、そちらから学生に向けて話したほうが良いと思われるのだが、何故自分が選ばれるかが、いつも謎だ。でもおそらくこれは自分に課されたミッションなのだと思い、ひたすらテキストを書くことにする。それに普通のインテリの優秀な方が学生に話をすれば、学生たちは普通のインテリ人として繁殖する可能性があるわけで、目障り此の上ない。やはり、自分が話をするべきなのか?

新年のご挨拶と、Offsonarの動画編集に対するコメント返信

新年あけましておめでとうございます。新年と言っても年末年始はほとんど仕事でキッチンで過ごしていたので、もう寝不足でしょうがないです。なので世間は失業やら解雇やら言われているのが信じられないくらいです。そして気づいたら今日はもう1月7日。社会はロックダウンやらトランプのおっさん支持者がワシントンに大集合してたりと(自分もTwitterを見てたらワシントンへ行きたくなってしまいましたが)、こんな日まで働いてたらワーカホリックと何ら変わらないとも思いますが、忙しい中で時間を作って映像の編集作業をしているので、何とか完成したとも言えます。そんな先日配信した、バルセロナのダンスミュージックフェスのOFFSonarの感想を友人のO君(男性)が丁寧に書いてくれました。

「以下O君(男性)の感想文」↓

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あけましておめでとーございまーす

ひろたんのYoutube、クリスマス前くらいには見終えてたんですが、いろいろ考えてるうちに今日になってしまったよー!

75分、ガッツリ見させてもらいました!

個人的にはアリでした!ひろたんがFBにも投稿してた外人のコメントと一緒でここまでフッテージを垂れ流してるのはリアリティ番組ハンパない!!!

そこは間違いないッス!「あの現場にいだんだよ」感はすごいし、それを画像と音でこっそりつなげて違和感なく繋げてるのとか、ひろたんがFBで言わなきゃ自分もわかんなかった!!

あとは、ヒロたんの思いがどっちなんだろー。ってとこですかね。

再生数を伸ばしたい。なのか、自己満なのか。

自己満だったらあれはいいと思う!超絶リアルだし、そこにいるかのような感じだし。ただ、再生数伸ばしたいなら説明が必要かもしれません。あとはタイムラインとか、ヒロたんの感情とかを動画の中に入れたほうが、感情移入というか、わかりやすいかも。

ああいうイベントに行きなれてたり、最初から行きたいやつが見たらあの音楽に飲み込まれてる街全体の雰囲気とか超伝わるけど、見る側の意識が高くないと追えない部分はありそうでした。

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以上、という内容でした。

とにかく今回の映像の現場のリアル感が少数ながら伝わったことが良かったのと、繋げているのが気づかれてなかったのがDJ仕事としては嬉しかったです。いやー、気付かないもんですね。とにかく曲と曲の繋ぎ目はフェードアウイトインで何度もやり直ししたので、普通に聴いていたら粗はほとんど目立たないと思います。それが現場感を出す上で非常に重要になってるんですよね。

この作品を作ろうと思った時に思い浮かんだのが、映画「ウッドストック」(笑)

内容は詳しくは覚えていないけど、アメリカは70年代にあった3日間のロックフェスの映画です。ジミヘンやジャニス、WHOといった面々がとにかく本気で演奏していて見ている客も本気。商業主義がなく、ひたすらリズムに合わせて体を夢中に動かしているああいった雰囲気を作ってみたかったんです。因みにあれって編集しているのはマーティン・スコセッシ監督です。OFFSonarも色々なレーベルが集まってイベントを行っているので全く商業主義ではないとは言い切れないけど、さすがにミニマルテクノというジャンルで商業をしようとする人はそんなに多くはないと思われ、みんなひたすらその場を心底楽しんでおり、まさに狂乱の渦。こんなのは日本では開催されないだろうし、しかもプロフェッショナルなカメラで撮影している人もいないので、これは作らないとならないと自分のミッションとしました。

テクノミュージックは僕が聴いていたのは90年代の頃で普段はそれほど聞いてはいなかったのが、この2,3年くらいによく聴くようになりました。それは、あのダークで落とされる曲調が今の混沌の時代に妙に似合うから。そして、2019年のOFFSnonar、あの時期のああいったフェスの開催はやばい。もう世界がめちゃくちゃになりそうな一歩手前をあの場で感じることができて、少し狂気すら感じました。実際にその後すぐパンデミックになるのですが。

そして何度も書いているCharlotte de Witte,僕は彼女を女というよりは男として見えていて選曲もたくましい。昔はアイドル的なとも言われていたけどそんなことはなく、非常にっかっこいい。煙草を吸いながらプレイするトップDJの女性もなかなかいないだろう。

映画「ウッドストック」ではジャズ・ミュージシャンのマイルス・デイビスも出演していてこれの一番記憶に残っているのが、ジョニ・ミッチェルとマイルスがすれ違うところでマイルスがめちゃくちゃ怖い。そんな舞台袖を撮りたくてフッテージを長めにして、盛り上がっていないかもしれないけど、DJが次のDJにチェンジする時って個人的に好きな瞬間なんです。そういったイベントの現場感を出したかった。

そして「僕の思いが、再生数を伸ばしたい。なのか、自己満なのか。」

なんですが、ここまで書いてきて分かったんですが、作業に没頭しちゃってて何も考えていないですね。そうそう、考えられなかった。最初は考えましたよ、こんなに長いんじゃ再生されないよなー、と。完成した後にもね。でも作業を始めたらそんなのどうでもよくなって、自分で撮った動画に自分が興奮してました。感情表現に関してはフッテージでよくカメラがブレる瞬間にそれを感じてもらえればいいかなと、見てくれる人の想像に任せることにしました。というか想像してほしい。なので自己満の部分もありますが、思いは「見る側への問題定義」です。(笑)

そして最後の感想で、

「ああいうイベントに行きなれてたり、最初から行きたいやつが見たらあの音楽に飲み込まれてる街全体の雰囲気とか超伝わるけど、見る側の意識が高くないと追えない部分はありそうでした。」

これはその通りだと思います。僕としては、逆に見る側への願いとして、追ってほしいという想いがあって、意識高くなってほしいなんて言ったら超おこがましいのですが、フェスってのはこれのことを言うのであって、規制に守られ過ぎたフェスや音楽なんてのはリアルじゃないし、本当にフェスに行くってのはそんな規則もルールも危ういところへ行くものなので(昔はライブハウスやクラブってのは少し怖いところだった。)何か違う感覚が見えてくるんです。来ている連中の意識が高いから、うかうかしていられない気持ちや、クリエイターも多いので自分は何を表現しているのか?自分の好きな音楽というものをどれだけ好きなのか、理解しているのか?と試されているような感覚もあります。海外旅行もそうですが、日本にいるのとは全く違い、守られていない環境へ行くからこそ真実が見えるわけで、この映像は言葉では伝わらないし、真実を見たいなら映像を見て自分で考えてもらいたい、そして現場へ行ってほしい、という気持ちも含まれてます。

まとまったかな?

こういった解説は制作後になると色々と発見があって説明できるけれど、実際の制作中は没頭していて、1クリップ1クリップを繋げる時に(今回は曲のテンポと映像の両方)にいちいち興奮して作業していました。やってみて分かったのは、またフェスの映像を撮りたい。それをまた編集したいということです。現場の音だけでもここまでできることが分かったので、DOKKINKIN TVの旅の映像も音楽なしで現場感を伝えらえる作品を作ることも考えていこうと思っています。

2020年総括、そして寒月

今年2020年ももうすぐ終わる。今年は転職や引っ越しをし、かなり慌ただしくも挑戦できた1年だった。そんな中でこのホームページの立ち上げができたことが自分の中では大きかった。10年前から作ろうとは思っていたのだが、なかなか作ることができず、ホームページが必要かどうかかも分からず時間が過ぎていた。実際はSNS等で書くこともできるのだが、ここにきて思ったのはやはり自分の出したいコンテンツのボリュームが大きくなってきており、Facebookなどの媒体ではそれを整理しづらい量になってきたから。

それ以外の立ち上げた理由もあり、やはり今年のパンデミックにより、僕たちの生活がぐっと未来へ近づいてきてしまった気がするからだ。それに伴いテレワーク等のテクノロジーもどんどん発展するだろう。直近の気になったニュースではスカイマーク社が来年4月から週休3日制を導入、副業も認めている。それとLCCのピーチは定額乗り放題を検討しているということ。これはまさに僕が数年前に未来がそうなったらいいし、そうなっていくのだろうと考えていたことだ。しかし、それはもっと先のことだと思っていたのが、まさかこんなに早くなるとは。

この「週休3日」と「サブスクリプションモデルのエアチケット」、これは言い換えると、僕らの余暇が増えてどこにでも移動できる未来を表している。休みは今の時点では3日とはなっているが、技術が進めばもっと休みは増える。良いようにも聞こえるが、職を失うという怖い面もある。

おそらく、乗り放題はいったん中止になったりもするだろうが、最終的には例えば季節が春から夏になる時と同じように寒い日と暑い日が交互に交わりながら変わっていくのだと思う。そして僕たちの休日。副業を勧めてはいるが、ここが問題で、空いた時間を他の会社で仕事をすればいいのかと言えば、今は良くても、この先他の会社でも航空会社と同じようにテクノロジーは進展していくのだ。要するに人はあぶれる。そんな中で時間を持て余した人々はどうするのか、何をするのか。

つまりほとんどの人々は働く必要のない社会で生活することになる。これは大きな問題であり喜んでいる状況ではない。それはお金を稼ぐ等の問題ではないのだ。人というものは、生きがいがないと生きていくのが非常に困難な生き物だ。一日一日と何かをしないと生きていけない。何もするなと言われてもしないわけにはいかない生き物なのだ。

ちなみにある実験では何もするなと地面に座らされた人は我慢できず、その時何をしたかといえば、地面に指で絵を描き始めたそうだ。昨年に行ったスペインのバルセロナ。失業者は多く治安の悪くなってしまった所にいる若者たちも今何がしたいかと言えば、仕事がしたくてたまらないということだった。

仕事が僕たちから奪われる未来。何をするかというと、地面に絵を描くことと同じように、PCでもスマートフォンでもタブレットでもいいので、インターネットの世界へ飛び込むしかない。そこに自分のホームがあれば、そこを拠点にして様々なことを発信していくことができる。今、書いていることは、あくまで僕の意見であって、どうなるかなんて分からないが今のところ自分ではそう感じる。これもホームページを立ち上げた理由の一つだ。

ブログは自分の人生を切り売りすることと言われているが、そうブログは売れるのだ。ブログでなくても自分の得意ジャンルならばなんでもよい。とにかく早いうちにこちらの世界に拠点を作っておけば今後動きやすいのだ。

会社で働くもの結構、会社事業を立ち上げることも結構だが、それとは別に生きがいとしてインターネット内での個人の拠点も作っておくことがこれからの時代必要になってくる。会社は存続するがそこで働く人員規模は縮小していく。ホームページやブログなど発信していくことを恥ずかしく感じることも理解できる、実際に自分もそうだ。しかし、旧社会の生き方をするのか、新社会の生活をするかはこの壁を乗り越えられるかどうかにかかっているのだと思う。江戸時代末期から明治維新に移り替わる時と同じように。

それと僕らのお金は?これも直近ですでに日経平均は最高額を叩き出し、アメリカ株も好調だ。前にも書いたが仮想通貨の値上がりも物凄いことになっている。実体経済から離れためちゃくちゃな話であり、それはつまり金余りの状況だ。しかし失業者や貧困に喘ぐ人々が増えている。ベーシックインカムの話もいずれは政府から発表せざるをえない時が来るかもしれない。そうなれば全国民が、全人類が生活最低の資金だけは確保できるということだ。最低とはいえ、この時代であれば普通の生活をしていくことは可能だと思う。要するに全ての人々が一律に金持ちになる。ただし、先ほど述べたが仕事はないのだ。生活する資金と時間はあるが、することがない。これでは路頭に迷ったと同然だ。今いる社会でも金持ちには金持ちなりの悩みがあり、何もしないでも金が入ってくるということ。そうなるとやる気が起きず、ただただ日が過ぎていってしまう。そこで必要なのは本当の生きがいを見つけるということなのだ。お金と幸せはやはり別物だ。

このことをしっかりと心に留めておこうと思う。

それと年の瀬に素晴らしい選曲のmixが届いた。

今は亡きnujabesのマネージャーを務めていたKoizumi Takumiさんとnujabesの音楽性を伝えてきたレコード店「tribe」のFKさんのJazzの選曲。nujabeの世界観を聴いていると、今年あった色々なことを洗い落としてくれるような感覚になる。

そして今夜は寒月。Bill EvansのMoon Beamsをかけてみた。

音楽はいい。そこに音楽があれば、それだけで不都合なことは取り除かれていく。

REJOICE MIX for K.O.L Radio

OFFSonar july 2019 barcelona

This footage is a three-day documentary at the Music Festival Sonar and Off Sonar on July 18, 19 and 20, 2019 in Barcelona. Various famous DJs appeared there. Charlotte de Witte, Anna,Ida Engberg , Âme b2b Dixon,etc. This video and sound have some rough parts, but I was able to capture the enthusiasm of the actual audience. I want you to turn up the volume and see it. And I hope this festival will be held again soon. Charlotte de Witte footage can be seen after 25 minutes.

この映像は2019年7月18日、19日、20日にスペイン、バルセロナで行われたOFFSonar、そしてSonarのフェスティバルの3日間のドキュメンタリーである。 3日間すべてを撮影できてはいないが、撮影した映像を編集してみて改めて本当に最高だったことを実感することができた。 様々なDJが出演したが、その中でも特にCharlotte de Witteのプレイは凄まじく、この年のこの瞬間が一番脂がのっていた時期のように思う。編集した映像と音は粗い部分があるが、実際の客の熱狂ぶりも撮れており、現地の様子がよくわかると思う。今年2020年には開催されなかったが、遠くない日にまた開催されることを願う。

OFFSonarについては後日、追記します。

グレートコンジャンクション

12月21日のグレートコンジャンクション。木星と土星の大接近を見ることができた。そして月。カメラを持っていったのだけど、星を撮影するのは難しい。シャッターを切れど、なかなか切れない。しかし何度もシャッタースピードを調整しながらシャッターを切っていたら楽しくなってしまい月の表情を撮ることができた。

今回の大接近は400年ぶりということで、当時はポルトガルやスペインが来航し、その後鎖国が始まる時代の転機だった。この木製と土星の大接近をグレートコンジャンクションといい、世界の表情が変わり時代が大転換期を向かえると言われている。二つの惑星は正反対の特性を持っていて、それは木星は拡大や増殖、土星は縮小、固めるといった内側へ向かう特性。この正反対の作用を持つ惑星同士が重なるとどういう影響を地球に与えるかが重要視されているそうだ。

そして普段、占いなどは信じないのだけど、この21日と22日のグレートジャンクションは占星術関連では大々的なイベントのようで、時代が変わると話題になっている。地の時代から風の時代へと変わると言われていて、いやいや、こんな話をすると「テメェもついにあっちの世界へ行っちまったか」と呆れられるかもしれないが。

しかし自粛要請のニュースなんかを見ているよりは外で星空を見て占星術の話に耳を傾けていたほうが、宇宙に想いを巡らせることができて現代社会化見学をしているよりは数倍マシだ。もはや現実と宇宙とどちらがスピリチュアルなのか分からなくなりそうな部分もある。

この件について書くと、風の時代になると、もうすでに始まってはいるけど、人々とのコミュニケーションの質が変わり、今までは場というもの(職場や学校等)に集って人々は出会っていたが、これからはそういった機会が激減し、自分達のもっている情報や価値観を中心とするコミュニティが発展していくそうだ。情報の価値が上がりそれがビジネスに繋がり、お金という物質ではなくシェアリングや情報交換、物質以外の交換が増えていくとのこと。

風の時代の特徴として精神性の高さ。今までは、教科書などから情報を習得していたが、これからは自分から情報を発信し、自己発現していくことが大切な時代になる。

水瓶座のエネルギーは山羊座が作り上げた社会的システムをぶち壊し、地の時代の信念や価値観を壊すことになり、新しい社会を作り上げるということが水瓶座の本質なのだそうだ。水瓶座は地の時代の価値観を崩壊させていくので、自分たちが正しいと思っていたことがどんどん崩れていき、今後もしそこに囚われているとますます悪い状況になってしまう。なので自身を透明なニュートラルな心に回帰させることが必要になる。そして人々の価値観が変わっていき善悪の境界を越えていく。これからは自分が正しい真実だと思っている以外を持っている人との出会いがあり、お互いを認識しあうことになる。そこでのパートナーとの出会いが非常に重要になるとのことだ。

この時期は自己の内なる葛藤に執着するのをやめて心を軽い状態にし、これからは今ある地域でなくもっと拡大された世界で生きるということを意識し、意識という内部で情報を得て経験を積んでいくことができるように変わっていく、こういったことに日々意識を向けているといずれそういった方向に入りやすくなるそうだ。

自分が何を考えどんな人で今どのような状態なのかをしっかり覚知していくことが大切であり、しっかり自立していくことが重要。しかし情報が多すぎるのでその中で自己を確立しないと情報に翻弄されてしまうのだとか。

そして風の時代が安定すれば正義を貫き何かをジャッジするような意識を持つ人々はいなくなるとのこと。

すでに新しい世界のモデルはすでに出来上がっていて、その社会は上手くいくのだが、それが実現するのにはまだ時間がかかるので、今はそれに対応する我々の準備が必要な時期である。

いやー、ヤバい内容だな(笑)とも思いますが、まぁ今日12月22日は占星術、天文学界では大々イベントですので、こんな話も大いに結構ということにしてみます。

1870年クリスマス      パリのレストランの献立

1870年のクリスマス、パリのコンコルド広場の近くにあったレストランのフレンチのメニューの献立表を眺めるのが好きで、(この献立表は菊地成孔さんの過去のテキスト「歌舞伎町のミッドナイト・フットボール」に収録。)たまに思い出した時に引っぱり出してくるのだが、今年のこの世間の様相からして、非常に事態な事を連日連夜と騒ぎになっており、しかもニュースを見ていたらパンデミックにはクリスマスも年末年始も関係ないと飲食店経営者が言うようなことを言っていたので、またこのメニュー表を引っ張り出してしまいました。

これ豪華なメニューなんです。ワインは高価なロマネコンティや当時40年前の物も入っている。ただよく見ているとアントレの後に、ネズミと猫のローストと書いてあって何だかおかしいぞ、となってきます。象のコンソメスープもあるし。

パリの市民はこれらを珍味として楽しんだわけではなく、そう、この年パリは戦争中でプロセイン軍(後のドイツ)に街を包囲されて市民たちは食糧の窮乏状態に陥ってしまっていたんです。1870年9月から翌年の1月28日の休戦協定が締結されるまでパリの市民は普段目をつけない食材にまで食糧の対象とせざるを得なかった。摂氏マイナス13度の中、餓死者と凍死者の数はこの冬だけで5000人に達したそうです。

そして供された象にはちゃんと名前がありました。カストルとポルックスという名称で兄弟だったそうです。そう、実この2頭は動物園にいた象なんです。カンガルーもクマもきっと動物園の動物で、ダムダム弾で殺された象は27,000フランの値段でM. Deboosという肉屋が購入し1ポンド40フランで売り捌いたという記録が残っています。猫やネズミは近くの下水あたりから捕まえてきたんでしょう。

フランスでクリスマスのディナーはレヴェイヨンと言って聖なる勤めなのだそう。絶対にやらなくてはならない。裏路地からネズミと猫を捕まえてでもやらなくてはならない、ソースやワインは高級な物を添えて。食べ終わった後、店を出て餓死者と凍死者を焼いて暖をとるんでしょうけど、すごいクリスマスですよね。

当時のメニューには、例えば、Cuissot de Loup, Sauce Chevreuil (オオカミの臀部のシカソース)、Terrine d’Antilope aux truffes(アンテロープのテリーヌ、トリュフ添え)、Civet de Kangourou(カンガルーのシチュー)、Chameau rôti à l’anglaise(ラクダのロースト英国風)などがあって、イギリスの週刊誌の編集者のトーマス・ボウルズはこの時パリに滞在していたが、ラクダ、アンテロープ、犬、ロバ、ラバ、象を食べたが、象は一番好みに合わなかった」と話しているそうです。

やはり同じ時期に滞在していたイギリスの政治家ヘンリー・ラボーチャーは、以下のような文章を書いている。

「昨日、私は夕食にポルックスの切り身を食した。ポルックスとその兄、カストルの2頭の象は殺された。象の肉は固く、粗く、油っぽかった。私としては英国の人々が牛肉やマトンを入手することができる限りにおいては、象肉はお勧めしない。」

さて今年のクリスマスはどうなるのでしょう?