グレートコンジャンクション

12月21日のグレートコンジャンクション。木星と土星の大接近を見ることができた。そして月。カメラを持っていったのだけど、星を撮影するのは難しい。シャッターを切れど、なかなか切れない。しかし何度もシャッタースピードを調整しながらシャッターを切っていたら楽しくなってしまい月の表情を撮ることができた。

今回の大接近は400年ぶりということで、当時はポルトガルやスペインが来航し、その後鎖国が始まる時代の転機だった。この木製と土星の大接近をグレートコンジャンクションといい、世界の表情が変わり時代が大転換期を向かえると言われている。二つの惑星は正反対の特性を持っていて、それは木星は拡大や増殖、土星は縮小、固めるといった内側へ向かう特性。この正反対の作用を持つ惑星同士が重なるとどういう影響を地球に与えるかが重要視されているそうだ。

そして普段、占いなどは信じないのだけど、この21日と22日のグレートジャンクションは占星術関連では大々的なイベントのようで、時代が変わると話題になっている。地の時代から風の時代へと変わると言われていて、いやいや、こんな話をすると「テメェもついにあっちの世界へ行っちまったか」と呆れられるかもしれないが。

しかし自粛要請のニュースなんかを見ているよりは外で星空を見て占星術の話に耳を傾けていたほうが、宇宙に想いを巡らせることができて現代社会化見学をしているよりは数倍マシだ。もはや現実と宇宙とどちらがスピリチュアルなのか分からなくなりそうな部分もある。

この件について書くと、風の時代になると、もうすでに始まってはいるけど、人々とのコミュニケーションの質が変わり、今までは場というもの(職場や学校等)に集って人々は出会っていたが、これからはそういった機会が激減し、自分達のもっている情報や価値観を中心とするコミュニティが発展していくそうだ。情報の価値が上がりそれがビジネスに繋がり、お金という物質ではなくシェアリングや情報交換、物質以外の交換が増えていくとのこと。

風の時代の特徴として精神性の高さ。今までは、教科書などから情報を習得していたが、これからは自分から情報を発信し、自己発現していくことが大切な時代になる。

水瓶座のエネルギーは山羊座が作り上げた社会的システムをぶち壊し、地の時代の信念や価値観を壊すことになり、新しい社会を作り上げるということが水瓶座の本質なのだそうだ。水瓶座は地の時代の価値観を崩壊させていくので、自分たちが正しいと思っていたことがどんどん崩れていき、今後もしそこに囚われているとますます悪い状況になってしまう。なので自身を透明なニュートラルな心に回帰させることが必要になる。そして人々の価値観が変わっていき善悪の境界を越えていく。これからは自分が正しい真実だと思っている以外を持っている人との出会いがあり、お互いを認識しあうことになる。そこでのパートナーとの出会いが非常に重要になるとのことだ。

この時期は自己の内なる葛藤に執着するのをやめて心を軽い状態にし、これからは今ある地域でなくもっと拡大された世界で生きるということを意識し、意識という内部で情報を得て経験を積んでいくことができるように変わっていく、こういったことに日々意識を向けているといずれそういった方向に入りやすくなるそうだ。

自分が何を考えどんな人で今どのような状態なのかをしっかり覚知していくことが大切であり、しっかり自立していくことが重要。しかし情報が多すぎるのでその中で自己を確立しないと情報に翻弄されてしまうのだとか。

そして風の時代が安定すれば正義を貫き何かをジャッジするような意識を持つ人々はいなくなるとのこと。

すでに新しい世界のモデルはすでに出来上がっていて、その社会は上手くいくのだが、それが実現するのにはまだ時間がかかるので、今はそれに対応する我々の準備が必要な時期である。

いやー、ヤバい内容だな(笑)とも思いますが、まぁ今日12月22日は占星術、天文学界では大々イベントですので、こんな話も大いに結構ということにしてみます。

1870年クリスマス      パリのレストランの献立

1870年のクリスマス、パリのコンコルド広場の近くにあったレストランのフレンチのメニューの献立表を眺めるのが好きで、(この献立表は菊地成孔さんの過去のテキスト「歌舞伎町のミッドナイト・フットボール」に収録。)たまに思い出した時に引っぱり出してくるのだが、今年のこの世間の様相からして、非常に事態な事を連日連夜と騒ぎになっており、しかもニュースを見ていたらパンデミックにはクリスマスも年末年始も関係ないと飲食店経営者が言うようなことを言っていたので、またこのメニュー表を引っ張り出してしまいました。

これ豪華なメニューなんです。ワインは高価なロマネコンティや当時40年前の物も入っている。ただよく見ているとアントレの後に、ネズミと猫のローストと書いてあって何だかおかしいぞ、となってきます。象のコンソメスープもあるし。

パリの市民はこれらを珍味として楽しんだわけではなく、そう、この年パリは戦争中でプロセイン軍(後のドイツ)に街を包囲されて市民たちは食糧の窮乏状態に陥ってしまっていたんです。1870年9月から翌年の1月28日の休戦協定が締結されるまでパリの市民は普段目をつけない食材にまで食糧の対象とせざるを得なかった。摂氏マイナス13度の中、餓死者と凍死者の数はこの冬だけで5000人に達したそうです。

そして供された象にはちゃんと名前がありました。カストルとポルックスという名称で兄弟だったそうです。そう、実この2頭は動物園にいた象なんです。カンガルーもクマもきっと動物園の動物で、ダムダム弾で殺された象は27,000フランの値段でM. Deboosという肉屋が購入し1ポンド40フランで売り捌いたという記録が残っています。猫やネズミは近くの下水あたりから捕まえてきたんでしょう。

フランスでクリスマスのディナーはレヴェイヨンと言って聖なる勤めなのだそう。絶対にやらなくてはならない。裏路地からネズミと猫を捕まえてでもやらなくてはならない、ソースやワインは高級な物を添えて。食べ終わった後、店を出て餓死者と凍死者を焼いて暖をとるんでしょうけど、すごいクリスマスですよね。

当時のメニューには、例えば、Cuissot de Loup, Sauce Chevreuil (オオカミの臀部のシカソース)、Terrine d’Antilope aux truffes(アンテロープのテリーヌ、トリュフ添え)、Civet de Kangourou(カンガルーのシチュー)、Chameau rôti à l’anglaise(ラクダのロースト英国風)などがあって、イギリスの週刊誌の編集者のトーマス・ボウルズはこの時パリに滞在していたが、ラクダ、アンテロープ、犬、ロバ、ラバ、象を食べたが、象は一番好みに合わなかった」と話しているそうです。

やはり同じ時期に滞在していたイギリスの政治家ヘンリー・ラボーチャーは、以下のような文章を書いている。

「昨日、私は夕食にポルックスの切り身を食した。ポルックスとその兄、カストルの2頭の象は殺された。象の肉は固く、粗く、油っぽかった。私としては英国の人々が牛肉やマトンを入手することができる限りにおいては、象肉はお勧めしない。」

さて今年のクリスマスはどうなるのでしょう?

無人の羽田空港

友人のO君がこんな写真を送り付けてくるものだから(実際はSNSのO君の投稿写真に自分が高揚して、この写真ブログで使いたいから貰えないかな?とお伺いしたのだが)恐怖感を通りこして、「いよいよ来たかー」と、気持ちが盛り上がってしまい、不謹慎ながらこんな状況に興奮しており未来に対する期待感も膨らんでしまっています。

こういう時は自分を含めてどうしてもシリアスなことを話してしまいがちになる人が多くなるのは分かるが、そんな下向きな話ばかりをしてもしょうがなく、しかしこの状況を楽しんでいるなどと書くと不謹慎だと言われてしまうので、何も言えないまま過ごすしかない状況でひっそりするしかないのだろうか?

そしてこの無人の羽田空港の写真。何なのだ、これは(笑)O君も言ってたけど、まるで第三次大戦中のようで、本当にもう危ないから早く帰ったほうがいいぞと言いたくなる。空港で働く人やその他の仕事を失った人には申し訳ないけど、いずれはテクノロジーの進歩によって完全無人の空港が現れるとは思うが、いきなり出てくると焦りと未来を覗いているようで楽しんでしまう気持ちが同時に起こってしまうので、もはやO君のようにアルコールに頼るしかないのだろうけど(その空港で呑んでたようだ)、そういえば先日のニュースで香港の活動家の周庭さんが禁固刑10ヵ月と書いてあったのだが、それと同時にアンジャッシュ・渡部健の不倫ニュースもテレビで流れていて、どーでもいいなと思っていたら、奥さんが佐々木希だったということを知らなかったので、「えぇ奥さん佐々木希だったのか」と数年前のananの香港特集の表紙の佐々木希を思い出し、また香港へ行ける日のことを考えながら、この空港の写真を見ております。こんなに香港や香港特集の表紙のニュースが連日流れているのに香港で飲茶を食べれないなんて舌がおかしくなりそうです。

もう、年内はみかんとコタツを囲んで年を越すしかないのか、まぁコタツなど持ってないので年末年始の自粛期間をどう過ごせばよいのか。とにかく来年か再来年は香港のレストランをぐるっと一周回り、いやいや香港は危険だろうと言われるが、たとえそこへ中国本土が押し寄せてきてもレストランと料理人とその味は変わらないだろうし、むしろ、いずれは本土の味覚との混合感も出てきてもの物凄い料理が開発されるかもしれないと考えてたらやっぱり楽しくなってきた、不謹慎ながら。いや、楽しくなるなら不謹慎でいいんじゃないか?

投資先のローテーション・ビットコイン,S&P500,積立NISA,金

1ビットコインが200万円を越えた。2017年の年末にも超えたことがあり、その時は仮想通貨バブルでみんなが群がるので他のXRP(リップル通貨)やイーサリアム通貨も値上がり続け、2018年1月になってからどんどん下がっていった。自分もその時に少しプラスになったが結局はマイナスになっていた。そしてコインチェック社にてNEMコインが盗まれ取引停止になってしまいNHKのニュースではNEMコインのロゴが画面に映っていて驚いた。そしてしばらく取引停止が続き、取引が再開された時には仮想通貨全体が値下がりしている状態だった。

でも僕は仮想通貨のブロックチェーンの世界は非常に好きで、これに将来利便性があるのかどうか、儲かるのかどうかは分からないが、夢があるので、ある意味信仰しても良いような気分になっている、まるで宗教のように。

まず国で作っている通貨を超越したところにあるのも興味深いし、世界中の通貨から購入でき国の経済動向との関係が小さいのはまるで金のようだ。そしてその金額も24時間変化していく。投機対象になってしまのが問題になっているが、それは経済の活性化では必要な行為の一つであると思うので、僕は深く考えていない。少しずつ積み立てていけばビットコインの値段の乱降下は激しいが、ドルコスト平均法で購入していれば、不測の事故があってもそれほどマイナスにはならないと思う。

なによりも今2020年12月現在で200万円だが来年には400万円、いずれは4000万円になるという予測も発表されている。理由は様々な企業もビットコインを必要として買い始めビットコインの枚数は21,000,000枚と決まっているので値段は上がっていくそうだ。

全ての投資先を仮想通貨だけに向けるのは現実的ではないので、自分の場合は、投資信託8割、個別株1割、仮想通貨1割とローテーションしている。

投資信託はアメリカ株価指数のS&P500、積み立てNISAに外国先進国株、他には金、個別株はその時の状況によって変えていく。S&P500は初めはただ人気があるからと買っていたが、調べるともはやこれしかないというくらい運用しやすい投資先だと思う。アメリカの500社を厳選して選んだ指数で入れ替えも行われるので期待ができるしアメリカが潰れない限り安心だろう。それにアメリカが終われば世界も終わってはずだ。それと最近話題だったfireという早期リタイヤの投資手段でも年利5%手法として用いられていた。積み立てNISAは20年間の積み立てができて最高800万円まで複利で積み立てしていったものが無税というのであればやらない手はない。

仮想通貨以外のそれらは現実的な資金を運用するためにある程度シビアに考えていて、以前は個別株ばかりに投資して儲かった時もあったが精神的に疲弊したので最近はやっていない。そしてビットコインに関しては夢に対して積み立てているようなものだ。

2020年12月3日の実際の状況はといえば、200万円を越えたり180万円になったりしている。所謂、ヨコヨコの動きだが、この勢いならば年末に300万円越えもおかしくなさそうな雰囲気だ。今年の夏頃は100万円くらいで少し買っておいたので良かったが結構高くなったものだ。それでも今後の将来からするとまだまだ安い時期かもしれないので、少額ながら買い続けるようにしよう。

僕はビットコインで儲けようとは考えてなく、1ビットコインが何らかの切符、つまりチケットになるかもしれないことに思いを馳せることにしている。

DOKKINKIN TV PRODUCTIONS       動画配信に関する企画書

HongKong Oct 2018 雨傘運動直前の香港

写真を撮り歩く活動も楽しいのだが、映像にしてみたいと思ったのは過去の記録を見ると、映像制作用にカメラを新調したのが2017年の10月頃だった。購入したのはLumixのGH5で当時は(現在もだが)映像を撮るカメラとしてはこれの使い勝手が一番良かった。カメラに関しては何とか10年くらいは食いついてきたが、最初の頃に比べると少しはマシになってきたような程度だ。映像は最初、何をどういう風に撮っていいのかもわからず、それは今も思考錯誤して撮って編集している。2017年頃からYoutuberが色々と登場してGH5を使用している人は多かった。やはり自撮りしやすいし、4Kでも撮影できてフレーム数も多く撮れる。

自分の場合は、何故映像を撮るのかと聞かれるが、始めは旅の記録を何かに残せないのか、旅の素晴らしさを伝えたい等あった。旅ばかり行っていると何というか観光というものに飽きてくる。毎日観光するということは受け身であって、やはり人は自分から何かを生み出すという作業がなければ生きていけないのだ。そう気付いたこともあり、もともと音楽と映画に傾倒していた身としては、見る風景や通り過ぎる人の表情が映画のように見えるようになってくる。そこにイヤホンから入る音楽があれば尚更それは増長する。それが海外という環境であれば、かなり面白い映像になるのではないだろうかと思い始めた企画だ。

しかし、ネーミングが酷い。いつか必ず後悔すると思っていたが、(2018年4月にDOKKIKIN TV香港編の動画を始めている)実際そうなった。このネーミングだと人に真面目に話すときに非常に伝えづらい。何故こんなネーミングかという理由は、センスのあるネーミングにしてしまうと、あまりブラックユーモアのない映像になってしまうと思い、このネームが映像の中にあればそうそうカッコよくはならない、もともとブラックユーモアのある映像を作りたい自分としては活動する上で道を外すことのない黒いネーミングかと思った。そしてこのネーミングは20代の頃に様々なミュージシャンの前説をステージでやってきた時の名残であって(漫才コンビであった、’’おばけえんとつ’’でよく使っていたギャグ。相方は音楽ライターのフジジュンで、当時周りの人達は出版社のオリコンで働いていてよく一緒に遊んでいた。)それは一つの自分の中の活動としては、同時進行でDJ活動もしていたので、映像としてはそのブラックユーモアと音楽の混ざった感覚は今も同じなのかと今この時になって思った。

それと始めるきっかけを与えてくれたのがRichie Oillyという映像作家。

彼の映像を見て自分も作りたいと思った。今でも参考に見ているが、いつになったらこんな叙情的な映像を作れるのだろうか。こうなってくるとキャストが必要になってくる。なので日々キャストは探しているつもりだが。

音楽はテクノミュージックにした。自分の映像は何回も繰り返されるべきだと思ったからだ。最後は電源を切れば終了する、そんな映像、ミニマルというのは所謂永遠なわけで、止まらない。一生踊り続けていたい自分と一生移動し続けたいという気持ちの融合。何のために生きているのかいえば、僕等は快楽のために生きているのだ。

Youtubeの説明欄には社会科見学派カメラマンDOKKIKIN TVによる、世界を踊りながら撮影した記録と書いた。皮肉めいた笑いと熱狂的な音楽、それを世界の中で鳴らしたいという衝動。そして今はパンデミック最中。一番最近配信した映像はスウェーデンのストックホルム編。その後、2019年の10月ジョージアで撮影して以来、主だった撮影はできておらず、ジョージア編の制作も始まってはいない。これは24フレームで撮影してある。

パンデミック過日、いや果実なのだろうか。今のそれはまるで戦時中であり、コロナが収束しパンデミック後の世界を撮りたいと思っている。この冬到来の大空襲の後、来春には世界は焼け野原状態になっており、そんな状況下の真只中、自分は興奮している。僕は今まさにその映像が撮りたいのである。

もはやこうなると映像制作がもはや、かっこいいとか悪いとか、旅の映像とかいった話ではない。唯々、この移ろいゆく世界を、その現実を撮るのみだ。僕は平和を謳い戦争に反対する気など全くといっていいほどない。戦争などはいつの間にか勝手に起こるものだし、パンデミックも同様、政治家だろうが誰にもどうする術もない。僕達は生き残るために逃げ回るしかなく、運が良ければかすり傷一つもなく済む。僕は世の中をそういうふうに考えている。

以上が映像に関する企画書だ。これは計画書なので世界の状況や自分の精神状態によって変わっていくとは思うが、その時はもう一度この企画書を読むことにしよう。自分は戦場という状況にいることからブレないようにするために。

龍景軒
重慶大厦 Chungking Mansions

二拠点生活

都内にいる友達夫妻が自分の家の近くにログハウスを購入したということで行ってきた。ログハウスは茨城県の田舎の風情と自然が残っているところにある。

友達夫妻は都内に住んでいるのだが、週末のみここに子供と滞在しているそうで2拠点生活をするそうだ。軽井沢や逗子も考えたそうだけど、そっちは東京とあまりここに変わらないのでここに決めたそう。確かに茨城県は地域ブランドを気にしなければコスパがいい。

遊びに行くと雰囲気の良いログハウスで、ウッドデッキが設置してあってそこで食事をしたり、音楽を聴きながら珈琲を飲んでゆっくりできる最高のところだった。夜は焼肉とワインでずっと喋り通しで、気が付くと布団が敷いてあっていつの間にか 朝をむかえていた。このログハウスの朝がまた気持ち良くて、パンが焼かれていて、それの香りで起きて早朝もウッドデッキの椅子に腰かけて珈琲を飲む。

その後は近くの湖へ釣りに行ってからの、薪割り。今月は薪ストーブの設置工事をするそうで、それに使う薪割りをしたのですが、割れない薪は本当になかなか割れない。
ログハウス自体をリフォームしているところなので、たまに手伝いに行って、薪を割ったり、草刈りをしたり、木の剪定をしたり、所謂ガーデニングをしていく話になった。

それにしても、20代の頃からの友達だけど、数年越しに会ったり、都内にいる時に偶然近所に住んでいたり、今年になって何故かこんな近所に引っ越してきたりと人との距離や時間の間隔って意外と曖昧に引き合わされてる気にもなった。

2拠点生活は自分でも以前から考えてはいたが、自分の場合はもともと東京にいたときに、田舎へ戻ろうと仕事を辞めて東京を離れ、田舎で栄養士の学校へ行き、そこから海外留学や海外旅行も同時に行ったことがある。2年間の期間で、それが今までの人生の中で非常に忙しくも記憶に残る生活だった。

移住にも興味はあったのだけど、一か所や二か所に住むことを決めてしまうよりも、何も決めないで様々な場所へ住んだ方が自分の性に合うかと思っているのと、家のローン(いわゆる借金)や自宅(動かせない物という意味)というのが嫌いなので今のところ買うことはないだろう。動かしづらい所有物は今のご時世にはリスキーだ。なにぶん今はairbnbなどを使用すればあらゆる場所に滞在することができ、時代が流動化している今、自分のライフスタイルも身軽に流動化したほうが楽しいのではないか。

欠点としてはノマドは孤独だということ。それにはやはり家族がいるのといないとで変わってくるのだろうか。 今まで一人でいろいろなところへ行ってきたが、家族というものも良いものだなと考え方も変わってきたのは歳のせいだろうか。

ログハウスでの2拠点生活を楽しむ人たちが出てきたことで、家族でも理解しあえればこういう生活もできるのかと家族や夫婦に対する考え方も変わったし、おそらく人の思考も進化してそれが広まり、こういう生活をする人たちも増えていくのだろう。

二極化で思い出した「勝ち組負け組」という言葉

先日のニュースで日経平均株価がバブル後最高値更新、それと同じ見出しで国内の失業者数7万人という内容が書かれてあった。二極化した非常に不思議な現象だ。給付金やお金の使途がないため投資に資金が流れていてその反面、仕事は減り失業者は増加していくということなのだろうか。仕事はなくなっても残った資産はなくならないので、どこかへ吸い上げられていく。それが投資先だったのだろうか。今、仕事があって投資をしている人はまだいいが、投資をしていたが失業してしまった人は不安だろう。血を見るようなニュースも最近は多い。しかし、こういったパンデミック感染はいずれは終わりを向かえるので、平常を保ってしっかりと準備と対策をするしかないと思う。でも、どういうわけか、精神的に病んでしまい自殺を図る人が多い、特に日本では。とにかく真面目に考えすぎで、こうあるべきという価値観に縛らすぎて周りからも監視されているような社会なので、それに負けない強さを身に着けたほうがいいのだが、それもあまり深く考えると精神的に疲弊してしまう人もいる。おそらくは気にせず楽観的にいるのが良いと思うのだが。自分は楽観的に世間を斜めに絶望しながら人生を楽しむことにしているので、はっきり言ってこんな騒動で精神を病むことはない。確かに孤独になったり辛いことはあるとは思うが、それはいつの時でもあるものだ。世間にはこういった罠が色々と仕掛けられてあって、それに引っかからなければ良いだけなのだ。

話は逸れたが、二極化で思い出したのが10年ほど前に流行った「勝ち組負け組」という言葉。当時まったく日本人らしいと思った言葉だ。しかし勝ち組負け組の本当の意味がある。それは昔、何度も読んだジャズミュージシャンの菊地成孔の本にも書いてあり、

『流行語は大衆の中の強烈な心理的傾向を反映している訳で、批判したり称揚したりする性質のものじゃないが「勝ち組負け組」というのは痛々しすぎる。本来「勝ち組」とはブラジルの奥地で、第二次大戦での日本の敗北を受け入れず、日本が勝ったという妄想と共に暮らしている、多くは旧日本兵のことを意味し、僕はその奇妙な存在に対する奇妙な呼称(文字どおり中南米幻想文学的な)の言語感覚をとても美しいと思って子供の頃から愛してきたからだ。ついこの間までの日本人がポジティブシンキングだなどと言っていたので嫌な予感はしていたけど、強烈で分り易い、つまりはポップな勝利ばかりに人々はこれほど群がらなければならないほど、僕等は何に負け続けたのだろうか?敗北に対する病的な嫌悪傾向、勝利に対する病的な飢餓傾向はいつでもブルースの官能とユーモアを排除する、負けてみなって。悪くないから。』

この勝ち組と負け組は南米の例からすると実際には日本の敗戦を知り帰還した日本兵(負け組)が勝っているわけで、本来の意味は逆になっている。数年前から日本の勝ち組負け組だっていつかは逆転すると今日まで自分は信じてきた。そしてここにきて、色々な意味で過去に負け組と言われてきた人達が話題や脚光を浴びるような社会になってきてはいないだろうか、僕は少なからずそう思う。

負けは悪いことではない。それを咎める理由など全くないしそんなことは残酷すぎる。そんなことを気にして生活していれば命に関わる問題も出てくるのは当然の結果であり、もし現状の社会やパンデミックに精神を病むのであれば、こんなんものは悪い冗談のようなもので、もし現状を勝ちと負けに分けたいのであれば、ウィルスに感染して、若しくは金があるか金がないか、そんなことが原因で差別されるということならば必ず出口はある。自分を閉じ込めている蓋を外して自分を外に出せばいい。そうすれば負けられる。何か新しいことを始めて失敗するのは当たり前のことで、困ったときに人を頼るのも当然のことで恥ずかしいことなどない。

僕はこれから先も何度でも負けるつもりだ。

グレタ・ガーウィグの若草物語

今年は女優兼監督のグレタ・ガーウィグの映画をよく観ていて、最近の映画の中では個人的に非常に好きな作品。ニューヨークを舞台にした作品が多くて、内容や題材は監督で旦那さんのノア・バームバックやウェス・アンダーソンの流れに近いかな。最初は女優として映画「フランシス・ハ」で話題になっていたのだけど、初監督として作った「レディ・バード」という作品、アメリカの地方の女子高校生がニューヨークの大学を目指すが、それに反対する母親や家族との葛藤がありその中で成長していくグレタ自身を描いた自叙伝のような青春の内容で、これの評価が高くかなり気になっている監督でした。レディ・バードでは、ただのお洒落な映画ではなくなっています。

そこで今年になって公開したのが、なんと若草物語(Little Women)まさか若草物語を作るとは思わなかった。個人的に若草物語は好きで、過去にも色々と映像化されていて、ウィノナ・ライダーがジョーの役を演じていた作品もあった。そして、この若草物語(ストーリー オブ マイライフ)が非常に素晴らしかった。展開が過去と今とを行き来してスピード感もあり、そのままジョーの心の葛藤が最後をむかえて感動しました。

観る側としてはやっぱりみんなジョーという女性の生き様が好きなんです。そして今の技術で撮影すると時代の映像が物凄く綺麗に撮れていて風景や衣装も良かった。

この映画の評判を調べてみると、やはり宇多丸さんのサイトからなんですが、とにかく感想メールの量が多く、前評判が非常に高いということ。「語りつくせない。生涯ベスト映画になってしまった」「女性としてどんな人生も否定しない描き方に涙した。オールタイムベスト!」「ラスト、青春時代の終わりと孤独を噛みしめながら、ある行動に打ち込むジョーの姿に震えた」「150年前の原作を今に蘇らせたグレタ・ガーウィグ監督、おそるべし」賛否の比率は絶賛9割。やはり女性の投稿が多かったということです。ということが書いてあり、やはり絶賛されている作品でした。2作目でこんなすごい作品を作ってしまったグレタの今後には、「嵐が丘」も再映画化に取り組んでほしいとの声もあがってるそうです。

グレタの作品は「フランシス・ハ」でも「レディ・バード」でも描かれていたのは、アーティスティックな情熱をかかえつつ、何者かになろうともがく女性、ということなんだそう。厳しい現実に直面した時に人はどう動くべきなのか、ということを考えさせられて、まさに今の時代に観るべき映画でした。今年はグレタ・ガーウィグに一辺倒です。

宇多丸さんのサイト

https://www.tbsradio.jp/496014

川久保 玲さんのテレビ取材から

川久保 玲さんがテレビの取材を受けて放送されていた。 テレビの取材を受けることは非常に珍しく、この人が生の声で現状を話しているのに驚いたのだが、ニュースのキャスターが言うように胸に突き刺さるコメントだった。

何故取材を受けたのかという質問に対して、「物作りのパワーを分かってもらいたい。こんな状況の中だから何もできない、少しお休みしようではなく、こういう時だからこそ何か新しいことに進まなければならないのではないか。」「制限ができると、その状態に慣れてしまったり、『それでいいかな』、『しょうがないか』と思うことは危険で、かえってそこをチャンスとして強く前にいくパワーにしないとならない。悪い悪いとしょげていてもしょうがないです。」「40年間揺るぎない反骨精神は変わらず、何もできないけど気持ちだけは大きくなる。 」「人間というのはハングリーであれば、厳しい状況であればそれをバネにしてもっと前へ行くパワーがあるはずなのです。」と話していた。 このコメントには胸が熱くなった。こんな人でも毎日毎日がんばっていても厳しい状況なのだということが痛烈に伝わってきた。これはファッション関係者だけへのメッセージではなく、自分も含めすべての国民に対するメッセージとして素晴らしい内容だと思う。 こんな状況下では多少なりとも守りに入ってしまうのが当然なのだが、そこを反骨精神で前へ本気で向かおうという意気込みを、78歳になる声が少ししゃがれた女性の芸術家がこの同じ時代にいることを非常に嬉しく思えた。自分も前へ行こう。

2020年後半 これからの働き方について考えたこと

2020年も10月をむかえ、コロナの影響がじわじわと出てきて、倒産や失業者、自殺者も増加してきた。

大体こういう世界的なショックは1年後や2年後くらいに実際の身近な生活に影響してくるので、今はまだこれでも初期の段階だ。特に今年の冬をどう乗り越えられるかが自分の中では気になるところで、少し大げさだが、それはまるで大空襲でも来るかのように思っている。来年の1月、2月の非常に寒い時期に免疫の弱まった身体を守られるのか、みんな精神的にも耐えられるのかという気持ちだ。4月にはまるで焼け野原にでもなっているのだろうか。まぁ、一度社会をグレートリセットするのも捉え方によっては非常に良いことではあるが。

そんな中でも僕たちは働いていかないとならないし、もちろん働かないで家に籠っているのも一つの策だ(感染するよりはマシだろう)。しかし、自分の場合はやはり働いていきたいので、どういった方法や思考でみんながこれから仕事をしてくべきか気になっていた。

そこで高城剛さんが最近、話していたことが非常に興味深いので気になったことをここにあげてみた。

都内で鍼灸院を経営している方からの質問で、
コロナにより患者数は半減してしまい、大変苦しい状況にあります。しかしながら私自身鍼灸が大好きですし、社会への貢献として鍼灸事業は継続したい。という質問に対して、普段は優しい回答をすることが多いのが、この時の回答では、高城氏の知人の鍼灸師は、餅米を作る農業と映像編集も始めているとのこと。そして、もうとっくに「兼業の時代」に突入したということ。この件については10年前から話はしていた、しかし、差し迫った現実に直面するまで、単に「大好き」「社会への貢献」と考え、深く思案しなかった。問題はここにある。あえて厳しいことを言います。遅いんですよ、現実を見るのが。つまり、「食えなくなる」可能性が極めて高い。

この内容には僕自身もかなり納得と教訓を得た気持ちになった。確かに今、己の夢だけを語ってゴールへ進むことや、好きなことをやりたいといった甘い考えで仕事をしてくには、落ち着いて現実をよく見れないと相当難しい状況になるだろうと思う。優秀な人達でさえ試行錯誤して2つ3つの仕事を同時進行して兼業している状況だ。そんな中で好きだからやる、というだけでは通用しない。とにかく今は現実をよく見て、少し先の社会から本当に求められている仕事を考えることが必要だ。

他の話では、どんなビジネスでも安値で仕入れて高値で売ることが鉄則だけど、せっかく高値で売れても、また高値で次の家を買ってしまい、利幅を最大限にできない。家の売却は高値で売れたら、しばらく賃貸にして、次の安くなった時点で家を購入するのが正しいと言われている。しかし、人は気が緩んで次から次へと買い物をしたがる。いまは、「買い」の時期ではないのは明白なので、今後経済は、想像以上に回らなくなるとのことだ。

そして、一番気になった意見がこの一文で、

どちらにしろ、いままで自著でも何度かお話しして参りましたように、00年代の半分、さらには三分の一の売り上げや収入になっても続けていける企業や個人しか、今後、結果的に生き残ることはできなくなると考えます。
この話をはじめた十年前には、「意味がわからない」、「頭がおかしい」と、近しい人たちにも散々言われたものですが、いま、まさに現実になろうとしています。

これは少し不安になるような意見だが、かなり面白い。結局、経費や固定費のかからない仕事でないと続けていくのは難しく、それほど利益が出なくても納得できる成金主義ではないビジネスをしていくということと自分では受け止めたがどうだろうか。

この後にみずほファイナンシャルグループの週休3~4日制の導入の件で副業を考えざるを得なくなると話しており、これからは「余暇」ではなく「主暇」の時代になるとのこと。

なので、是が非でも「やりたいこと」を見つけなければ新しい時間のなかで、「生きる活力」を見失ってしまうと話している。

ここからは自分の考えになるが、自分では今やりたいことを次の時代にしっかりとできるように、今はしっかりとそれの勉強や練習をする準備期間だと思っている。それには生活をしていくうえでお金を稼ぐ仕事もしていかないとならないし、こうなると同時進行でこなすしかない。自分の場合は金融業から栄養士というあまり景気に左右されない業種に数年前に転向したので、こんな時代に特に影響を受けることなく稼ぐことはできている。しかし、今後の未来を考えるとやはりそれだけでは次の時代のライフスタイルをこなせないと感じているので、映像編集とそれの配信やこのブログ、他にもできる仕事があれば2つ3つやっていきたい想いだ。

「生きる活力」が必要だと話しているが、確かに最終的にはそれが重要だろう。お金は必要だが目的はお金ではない。お金だけでは幸せにはなれないし、今後テクノロジーが発展していくと人のすることは仕事以外もテクノロジーに奪われていく。ベーシックインカムが囁かれており何人かの人は堕落する可能性があるその中で、活力になる、つまり自分のやりがいのあることを見つけられなければ、自分達の先はないのだろう。

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